機械翻訳があっても…

澪標さんのコメントの後追いになりますが、当方からも一言。

学とみ子の記事の後半、コメントの順番を間違えたとの記載につづく、Dr. Knoepfler のブログ、The Niche の November 14, 2019 のWhatever happened to the STAP cell scientists including Haruko Obokata?小保方氏を含む関係者はその後どうなったか?という記事についてです。

若山氏については「My sense is that he was not directly involved in the specific problematic issues with STAP.」とあり、これを学とみ子はGoogle訳「私の感覚では、彼はSTAPの具体的な問題には直接関与していなかったように思う。」を添えて「若山氏には、STAP細胞への関与は薄いというように書かれています。」と解釈しました。「not directly involved」は、Google翻訳通り「直接の関与はない」とすべきで「関与は薄い」と、曖昧にKnoepfler氏の文章を解釈すべきでありません。学とみ子の意図を混ぜないでください。

笹井氏については「My impression, although we may never know for sure, is that Sasai placed an unbearable and perhaps unfair burden of responsibility on his own back for the STAP mess.」とあり、こちらは機械翻訳なしに学とみ子は「一方、笹井氏は、perhaps unfairの形容詞が付くもののSTAP事件に関与したと書かれています。」と解釈しました。Google翻訳ではこの文は「確かなことは決して分からないかもしれないが、私の印象は、笹井氏はSTAP騒動に関して、耐えがたい、おそらくは不公平な責任を自らに課したのではないかということである。」DeepLでは「確かなことは分からないが、私の印象では、笹井氏はSTAPの混乱に対して、耐え難い、おそらく不当な責任を背負わされた。」です。「unfairの形容詞」は 「burden of responsibility重い責任」にかかるものですから、「関与した」にかかるように解釈するのは誤りです。「笹井氏の背中にかかる不当な重い責任」で「不当な事件への関与」というような意味にはなりません。ここでもKnoepfler氏は笹井氏が不当に責任を負わされたのであって、若山氏の評価と相まって、研究不正に最も責任のあるのは小保方氏であると行間に書いてあるのです。学とみ子には読めないのですな。

機械翻訳(自動翻訳)があっても、学とみ子の偏向メガネを通すと意味が変わってしまうのですね。

「日本では、若山氏の責任と関与は、桂報告書でも指摘されているし、キメラ・幹細胞の実験責任者ですからね。」 ← Knoepfler氏も若山氏は小保方氏に騙されてキメラを作成したと捉えていて、桂調査報告書はこれを否定していません。確かに「桂報告書でも」キメラ作成担当は若山氏ですが、ES細胞の混入は若山氏の実験操作で混入したとは捉えていません。小保方天才説の学とみ子は「キメラ作成は若山氏の責任」=「若山氏レベルでES細胞が混入した」としたいのですが、そのように捉えている方はいません。若山氏が手に入れた材料にES細胞が混入していたというのが桂調査委員会の結論です。若山氏の関与しないES細胞混入テラトーマもあることですから、7日間の酸浴細胞培養期間をES細胞の混入期間としてその間の管理体制を問題にしたのです。

英訳も日本語の報告書もまともに読めないで、自分なりの解釈をして、その上に偏向した説を作ろうとするから学とみ子の説はデタラメになり、支持者はだれも出てこないのです。

「こうした自動訳の登場のおかげで、STAP事件のように、論文内容における研究室全体の責任が、一人の人の罪にされてしまうような事件は、起きにくくなると思います。」  ← 自動翻訳があっても、学とみ子のようにその出力を正しく把握できないのなら意味がないのです。共同研究の研究不正が共著者の一人だけの不正であっても、そうでなかったとしても、自動翻訳の有無とは関係ないです。自動翻訳がなかったから研究不正が一人の責任になったという根拠がどこにあるのでしょ?皆さん英文は自由に読めるのですな。読めない方が自動翻訳にたより、その出力が正しいかどうか検定できずものを言うから、あるいは翻訳が正しくてもその日本語を読めないから学とみ子のようなデタラメ説ができちゃうのですな。


当地の桜並木。ちらほら散始めてきました。


うぐいすも
 

満開

日本人が好きなのはラーメンと桜ですな。
本年も無事に当地も桜は満開となりました。

今年は開花したら翌日はもう満開という感じでしたな。

なぜかラーメンが嫌いな日本人てのはいないようで、SNS で誰かが良いというと、すぐ行列ができます。その後いつも行列が続くというのはどのくらいあるのでしょうかね?

先日、行きつけの寿司屋にいったら香港からのお客がいました。その前もカルフォルニアからの若夫婦がいました、どちらも「どうやってこの店を知った?」と聞いたらSNSだそうで、円安だからちょっと小綺麗な店には外国人がいっぱいですね。行きつけのラーメン屋というのはないのでわからないのですが、ラーメン屋はどうなんでしょ?

いかに8割殺すか

話題は、例えば今日現在では大谷翔平選手・水原一平氏の賭博問題ですが、当方がなにか意見を言っても、たいした意味はないわけで、同様に10年前に決着したSTAP問題も、その事件としての決着が十分かどうかは別にして、STAP細胞はなかったという科学的な結論が出て、もはや話題にはならないわけです。

というわけで(なにが「というわけ」なのか書いている本人にもわかりませんが)、拙ブログでの話題は嘘・捏造・デタラメ・妄想記事を延々と続ける学とみ子の提供するかっぱえびせんを利用することになるわけです。

STAP細胞を作成するためのプロトコルは、論文、丹羽氏、Vacanti氏、そして小保方Webページと複数あったわけですが、どれも作成を担保するものではなかったわけです。要するにSTAP細胞とやらは存在しなかったというのが科学的な結論でした。ところが、なんと、これらのプロトコルに不足するものとして、Wetな実験などしたことのないど素人老女医がいかに8割殺すかの達成でした。突然に細胞をつけるのでなく、酸性液を添加していくという方法もあるでしょう。要は、1週間で8割死ぬ条件を作ること」という条件を加えました。

STAP細胞作成方法のコツは、真綿で首を締めて殺すかのように細胞群を殺していく方法で、結果として8割の細胞を殺すようにするのが良いという「レシピ」です。すごいですね、妄想には、少しましなときは「思う」が付くのですが、どんどん高じてきて「でしょう」と断定に近くなってきています。大丈夫でしょうかね?

記事のコメントが100件を超えたら、新しい話題を創出することにしているわけですが、無能な管理者はこれができません。そこでこの学とみ子の発言をお題に頂戴し記事を立ち上げました。前の記事のコメントの最後のほうにこのことに関するコメントがいくつかあります。あしからず。


こぶし

歩んだ道が正しいものではなかった

素人さんという方が良い指摘をされています。
「国立の医学部に入るのは並大抵の学力ではないはずなのに、今やその惨憺たる有様は、その後、学さんの医師として歩んだ道が正しいものではなかったことを示しているように思います。」
というわけで、今回の記事はこの発言をいただきました。

その後「むしろ、学さんのようにさも科学が分かったように振る舞う医者が「一般人だまし」をしていて、その自覚すらない、ほんと最悪なことだと思っています。」と正鵠を射た発言が続きます。

当方が機械語訳を併記することの意味も正しく理解していただいています。うれしいですね。

これを読んだ学とみ子は、素人さんもES捏造画策者だとか、ため息ブログのいかれた一員だとか言うことになるのでしょうね。あ、もう言っているか。


水仙

ホットケーキミックスで豚まん

ホットケーキミックスで豚まんをつくってみた。

写真は蒸しあがったところ。

https://delishkitchen.tv/recipes/200509383623312511 とかを参考にした。このページの写真も当方の写真もみてわかるように市販の豚まん(肉まん)のように表面がすべすべしてない。4方から織り込むときの溝が残ってしまう。包み方が悪い。

一方、ホットケーキミックスではなく小麦粉、ベーキングパウダー、ドライイーストを使った、従来のレシピhttps://www.akinomedia.com/pork-buns/では包み方がちがう。少しずつ寄せて包む。

この包方の違いは、ホットケーキミックスでは、水分を増やせばいいのかもしれないが、レシピにある粉と水の量だとボソボソになる。どのレシピをみても粉と水の量はほぼ同じだ。何故、皮を寄せながら丸く包まないで4方から包むのか理由がわからない。従来の方法だとボソボソにならないから皮を寄せながら丸くつつめるのでは?と思うが、比較して実施していないからわからない。

結局、ホットケーキミックスをつかうのはベーキングパウダー、ドライイーストを混ぜなくていい、発酵する時間を必要としないということだけで、あまり手間がかからなくなったとは思えない。それよりホットケーキミックスにはよけいな香り(バニラとか)が混ざっているから豚まんにはよろしくないのではないのでは?

具は、豚肉をミンチではなくみじん切りにしたのと、玉ねぎ、しいたけ、たけのこで味はオイスターソースにした。

まだ食べてない。

結論、パンケーキの粉によるのだろうけど、粉に砂糖や香料とかが混ざっていて甘ったるくなって美味しくない。止めたほうがいい。小麦粉、重曹、イーストだけで作ったほうがいい。

口直しに

胡椒をふった牛もモモ肉スライスに生ハムをのせ(生ハムがしょっぱいから塩はふらない)、バジルの葉をのせ爪楊枝で止めて、フライパンで牛肉側から焼く。ひっくりかしてバジル側を30秒焼いて取り出す。こっちは美味しかった。

 

special to/for me

大谷翔平選手が結婚報告をした。その報告の英文にShe is very special to me. とあったが、 She is very special for me. とどう違うのかを機械語翻訳に聞いてみた。当方の感覚としては後者のほうがより強い意味があるような気がしたからだ

DeepL
英語→日本語
彼女は私にとって特別な存在だ。
彼女は私にとってとても特別な存在です。
日本語→英語
She is very special to me.

Google翻訳
英語→日本語
彼女は私にとってとても特別な存在です。
彼女は私にとってとても特別な存在です。
日本語→英語
She is very special to me.

両方とも日本語に翻訳したら差がない。英語に訳すとどちらも to me になる。

ChatGPT 3.5

Q: She is very special to me. と She is very special for me. の違いは?
A: “She is very special to me.” と “She is very special for me.” の違いは、微妙ですが意味にわずかなニュアンスの違いがあります。

“She is very special to me.”
これは、文法的により一般的であり、感情的な結びつきや関係を強調しています。この文は、あなたにとって彼女が特別な存在であり、感情的な絆があることを示しています。

“She is very special for me.”
これは、日本語の直訳に近い表現ですが、英語の文脈では少し不自然に聞こえることがあります。”for” の使用は、文脈によっては正確な表現になることもありますが、一般的にはあまり使われません。文法的には正しいですが、自然な表現としては “to” を使うことが一般的です。

したがって、一般的な使用法としては、”She is very special to me.” を使うことが推奨されます。

for は日本語直訳なのか?

Q: Q: She is very special to me. と She is very special for me. どちらがフォーマル?
A: “She is very special to me.” の方がフォーマルです。

「to」を使った表現は、一般的によりフォーマルであり、正式な文書やビジネスコミュニケーションで使用されることがあります。この表現は、感情的なつながりや関係をより丁寧に表現します。

一方、「for」を使った表現は、日常的な会話やカジュアルなコミュニケーションでよく見られますが、フォーマルな状況ではやや不自然に感じるかもしれません。

したがって、「She is very special to me.」はよりフォーマルな表現です。

うーん、そうなのか?for のほうがフォーマルかと思っていた。

Q: very special to me と very special for me の違いは?
A: “Very special to me” と “very special for me” の違いは、微妙ですが次のように異なります。

“Very special to me”:
このフレーズは、一般的に使われる形であり、感情的な結びつきや関係を強調します。”to” の使用は、他の人や物事との関係を強調し、その存在や役割があなたにとって特別なものであることを示します。
例えば、「She is very special to me.」は、その女性があなたにとって特別な存在であることを示しています。

“Very special for me”:
“for” の使用は少し異なります。これは、特別な状況や特定の目的のために、何かが特別であることを示すときに使われます。
例えば、「This tool is very special for me because it belonged to my grandfather.」は、その道具があなたにとって特別な意味を持っていることを示しています。

つまり、”to” は感情的な関係や結びつきを示すのに対して、”for” は特定の目的や状況の中で何かが特別であることを示します。

この例文では後者の方が「感情的な結びつき」があるのでは?

日本語の「〜にとって」というのを「for」と結びつけるのと硬い訳になるのかね?「彼女は私にとって特別な存在です」を英訳すると、当方はどうしても「for」を使っちゃうな。英会話を勉強してないからか?

ため息から学んだのにため息に教えたことにしちゃう

いやはやひどいもんだ。


「同じ時期に株分けしたFES1由来ES細胞」なんて、ため息さんは、意識的に書いています。
ため息さんは、学とみ子から教わって、両者が違うことをある程度理解しているのです。わかっているからこそ、わざと、「同じ時期に株分けしたFES1由来ES細胞」を書くのです。

もう細胞A事件を忘れたのかね?当方が描いた図を当初は和モガ氏の描いた図と比較してボロクソに言ったのですが後に当方の図を和モガ氏の図と思い込んで「たとえば、和モガ氏の図で言えば、FES1から時間がかかって細胞Aになり、ここからそれぞれ近い時点で、129/GFP ES FLS、CTSになってます。」と解説してくれたのです。当方の図が”類似度”を矛盾なく説明できるのが学とみ子に理解できたのです。そうです「同じ時期に株分けしたFES1由来ES細胞」を当方が描いて、これを学とみ子が理解し解説したんですね。「どうしてため息さんは、学とみ子から教わって」などと言えるのでしょ?ため息から学とみ子が学んだのでしょうが。

人様の案を自分の考えとしちゃって、人様のものだったことを認識できず、なにも後ろめたくないというのはビョーキですよ。大丈夫ですかぁ?

The rain in Spain stays mainly in the plain.

My Fair Lady の中で出てくる、労働者階級と貴族階級との発音の話です。

学とみ子は「小保方氏が自身で混ぜたサンプルを、ジーバスに持ち込むことなど、考えられるのか?」といったわけです。これに対しGRASは「じーらす」と呼ぶのだという指摘がすぐにでてきたのですが、学とみ子は桂調査委員会記者会見の伊藤氏の発音を聞いても、「以前に、ジーバスって、GRASの一部にあるとの話でしたよね?伊藤氏が、ジーバスといっていると、学とみ子には聞こえます。」それから、伊藤氏はジーバスと言っているじゃないですか?と繰り返し指摘してもこれを修正することを拒否してきたのです。

しかしようやく「ジーバスでもジーラスでも、どちらでも良いじゃないですか」我々下々からの指摘をいやいいや認めることになりました。

そして「言葉が聞き取れないということは、いくらでもある。」 ← そうですな。しかし指摘されたのに頑として否定し続け、やっと認めるということは、意固地な方にしか見られません。当方等下々のからの指摘は受け入れないというわけで、認めたのは今回が初めてかもね。

澪標さん
私もCockney話者と一緒に仕事をした経験があります。猛烈な地口さえ控えてもらえば、すぐにどうにか慣れます。 ← 大昔NYに住んでいたとき、しばらく立ってからTVでWest Side Story を見たのです。マリア役のNatalie Woodの発音がヒスパニック風なのがそのとき初めてわかりました。日本国内にいたときは全く区別できなかったんですけどね。古いね。

この道はいつか来た道

学とみ子は書いてないことを書いてあるとしばしば大嘘を書くのです。どこにそんな事が書いてあるとかの質問には、書いてないので答えることができず、無視するのが普通なわけです。しかし時々答えてくれます。答えは、学とみ子の主張がでたらめであったことを学とみ子が認識したと思われるものになります。当然ですね。今回の「ES細胞は異種の細胞とまぜて培養するのは難しいという主張の根拠となる論文」は存在しなかったので、今回も学とみ子の嘘だったことが明らかなのですが、学とみ子は自分の書いたことが認識できないことがあるので、嘘だったとは認めることはないでしょう。

2024年1月:ES細胞を他の細胞と混ぜて培養することについて
学とみ子:「学とみ子は、オースティンスミスの論文を読んで、益々、ESと他の細胞を混ぜることの難しさを知った。」

ため息:「Austin Smith 氏の論文をご紹介ください。」

学とみ子:「キメラ能を保ったまま他の細胞を混ぜることに意味があるの?論文が無いということは、専門家にとって意味が無いということです。難しいのではなくて、意味が無いから論文もない。

2023年06月:テラトーマの図にホストの膵臓があったことについて
学とみ子:「STAP論文には、現実に、腸管や膵臓の画像がアップされているのですから、学とみ子は桂報告書のいう通りにミスが起きたと思うだけです。」

ため息:桂調査委員会報告書のどこにミスだなどと書いてある?」

学とみ子:「ミスか、故意かは、桂報告書には書いてありません。

2019年1月:学とみ子の主張「TCR再構成がキメラになければ論文は捏造だといった研究者がいる」について
hir*tan*3*wank*:「T細胞からできていないからねつ造だとかで騒いだ」という人を具体的に根拠もって挙げてください。
「T細胞からできてなくてはいけないとの話」をしたのは誰か、具体的に示して下さい。

学とみ子:「私は私で判断しています。研究者が実在する必要は無いです。私の判断ですから。

常識のある方々がこれらのコメントのやり取りを見ると、学とみ子は自分の発言がでたらめであったという認識に至ったと思うでしょう。しかし、学とみ子は、これでも間違えたとは思わないのです。ですから記事を訂正することなど決してないのです。学とみ子に誤謬などありえないのです。

学とみ子の「免疫寛容」その2

また昔の学とみ子の「胚の免疫寛容」という珍奇な言葉が話題になりました。そんな言葉はないのです。しかし学とみ子はキメラができる=異種の動物の細胞が混ざった動物ができるというのは、免疫の機能である異物を排除する仕組みが、胚では「寛容」になっているから、他種の動物の細胞でも胚に混ざったとき排除されずキメラができるという考えで、これを「胚の免疫寛容」というのだそうです。

学とみ子ブログで「胚の免疫寛容」なる言葉が出てきたのは、2018/6/9(土) 午前 6:50のコメント「胚は、免疫寛容状態でしょうから、キメラができますね。」かと思われます。

その後の「胚の免疫寛容」についての学とみ子とのやりとりは学とみ子の「免疫寛容」という記事にまとめられています。

免疫学の専門家も、plus99%さんも「免疫システムがあって、その免疫システムを抑制するのを免疫寛容と言う」という当方の意見に同意されています。

学とみ子からは反論がなく、これで終わったのかと思いきや、まだ学とみ子の妄想脳内では「胚の免疫寛容」という言葉は生きているようです。

学とみ子はまだ理解できていないから、当方は「ラジオの出力には色がないのは画像を送受していないから、したがってラジオの出力について色を議論するのは意味がない、同様に胚では免疫システムがないから、免疫寛容がある・ないを議論するのは意味がない」と学とみ子にですらわかるような例えで説明したわけです。この例えは間違いでしょうかね?

この当方のコメントに対し、学とみ子曰く:

ため息さん、
ラジオの出力に色がついている・ついていないなどと議論できないでしょ?
こういう無関係な例えはやめてくれる?擬人化よもっとレベルが低い。擬人化は、生き物を理解したい人には近道ですよ。

だそうです。例え話でも理解できなかったようです。

It's alright, I say It's OK. Listen to what I say.