あんなのでも医師なんですよ…

oTakeさんが友人(?)研究者に学とみ子を評して『あんなのでも医師なんですよ…』と困惑して説明したというコメントがありました。

これに反応した学とみ子は『あんなのでも医師なんですよ…』なんてせりふは、実際に診療を受けた時に、人々が発する言葉ですね。と書きました。

あらま、ということはDさん実際に学とみ子の診察を受けた患者さんの評価をコピペしていますが、この患者さんの評価が正しいということを自認したんでしょうかね?

「学とみ子が書いているのは、基礎科学分野ですから、詳しく知らないことが多くても、医師として問題になりません。」 ← はい。基礎医学の先端知識が医療現場での仕事に直接役に立つことはないでしょうね。しかし、みなさんが問題にしているのは、学とみ子の基礎科学に対する姿勢なんですよ。「day 7以降も培養した細胞をキメラ作成に使ってないとは書いてないから、使ったのだ」という妄想論理は科学の前のレベルがデタラメであることを示しているし、標準偏差は測定値を加えると大きくなるなんてのは基礎科学の基礎が理解できてないことを示しているし、変異した細胞株が成立するためには「変異した細胞種が、周りの細胞を凌駕する必要があり」などと言う発言は培養細胞について理解できていないことを示しています。集合の論理は、あらゆる場面をまず想定し、ある条件の範囲を決めるわけですが、学とみ子はそのあらゆる場面の範囲の外に別の条件の場合を設定して議論したことなど、誤りであったことなども理解できてないのでしょうね。mutually exclusiveをどちらでもいいなどと訳すのは英語、とくに論理を記述している英文を理解できないことを示しています。

医師は基礎的な科学を十分理解しているから医師であるというのが一般の方々の認識なんですが、学とみ子は見事に裏切ってくれているのですな。

そんな科学とは無縁の学とみ子なのにoTakeさんに対し「正しいことを書いているつもりになってしまうのでしょうね。」などというのは、学とみ子に対する外からの評価を理解できていないわけです。学とみ子説の支持者が一人でもいるのでしょうか?

社会の価値観が狭いのだろう

学とみ子曰く:学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭いのだろうから、ため息さんの言動はやむを得ないと感じます。だそうです。あたかも当方は社会と無縁の孤島で生活しているかのようなことを言っています。はて?このような見解は正しいのでしょうか?

学とみ子の学術層の定義がわかりませんが、多分研究者のこと、例えば日本学術会議メンバーのような方々なんでしょうね。当方はこのような素晴らしい研究者達の足元にも及びませんが、研究と教育で給与をもらっていた・いるのでその”学術層”とやらのうーんと端っこに住んでいると判断されて結構です。それとも日本学術会議メンバーは学術層に属していないとでも言うのでしょうか?

日本学術会議メンバーは学術層に属すると言葉通り捉えると、学とみ子によれば「学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭い」とのことですので、日本学術会議会員のメンバーをみて、彼らの「社会の価値観が狭い」ということになるわけです。研究者になりそこねた学とみ子の研究者に対する妄想ですね。

この学とみ子の研究者に対する偏見・妄想は、研究者になりそこね、さらに臨床医としても「処方箋すら出してもらえず、怒りを通り越してとても悲しくなりました。他の先生はとても良い方なのですが、今後は他の内科にかかります。」というような素晴らしい評価を受けて開業医にもなりそこねた方からのやっかみとしかいえませんな。

根拠なく「学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭い」などとデタラメな発言をするから、皆さんにバカにされるのですね。

当方を批判したいのでしょうから、当方の発言を具体的にとらえて「社会の価値観が狭い」と言えばいいのです。具体的に当方の発言に「社会の価値観が狭い」というところがないから、このような根拠のない「学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭い」という命題をかかげ、当方が「学術層の人」であるから「社会の価値観が狭い」と判定するのですが、そもそのも命題が偽なので、真には遠い発言になるわけです。


紅葉

遺伝子に内在する能力

さて、前記事のコメントが、100件を超えたので新しい記事を立てました。新しい話題を持ち出す才覚もないので、今回も学とみ子のデタラメ発言から拝借です。

学とみ子曰く

胚には、内外から来るデインジャーシグナルを関知する仕組みがあります。
生きるものには、遺伝子に内在する能力があるのを、学者のくせに、ため息さんはしらないのです。
マウス胚は、高等動物なのだから、複雑で多様な感知能があります。

だそうです。

さて「遺伝子に内在する能力」てなんでしょね?意味不明ですね。

遺伝子はそのすべてが発現しているのではなく、沈黙しているのが多数で、状況に応じて普段沈黙していたものが発現する、発現していたのが停止する、わけです。この状況を「内在する能力」というのは間違いではないでしょうけど、これは、細胞分裂時以外は遺伝子自体は固定されていて変異するものではないので、遺伝子自体の能力ではなく、遺伝子の発現を制御する仕組みがその能力に相当します。ですから「遺伝子に内在する能力」という発言は意味不明ですね。なんでしょね?

こうやって、学とみ子はありそうなデタラメな単語を創作するので、何をいってるのかわからないことになります。本人が十分理解していないからですね。過去には「細胞受容体」「胚の遺伝子異常感知能力」「肺胞高血圧」「胚の免疫寛容」などのインチキ造語がありました。今現在でもこれらの学とみ子創作インチキ単語を使っています。指摘されても指摘の意味がわからないから訂正できないのです。

学とみ子の「免疫寛容」

学とみ子が「免疫寛容」という言葉を頻繁に使用しているのですが、使い方は誤りと思うわけです。

そこで、学とみ子ブログで「免疫寛容」という言葉のでてくる記事、コメントを検索してみました。
https://katura1.blog.fc2.com/?q=免疫寛容
で検索できます。

2012/10/1学とみ子曰く:腸の細胞は、外来の蛋白質を異物とせず、腸内に吸収できるようになるのです。これを、難しい言葉ですが、免疫寛容と呼びます。これは、あかちゃんが成長していく過程で、自然に起きている現象です。
STAP事件の起こる前の、一般人対象に書いた解説記事のようです。(加筆しました)経口免疫寛容のこと?なんでしょうかね。獲得免疫システムでの「免疫寛容」の意味とは、違うように思います。(この時から全く理解できていないのがわかります。

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Wikiによれば免疫寛容とは

免疫寛容(めんえきかんよう、英語: immune tolerance / immunological tolerance)とは、特定抗原に対する特異的免疫反応の欠如あるいは抑制状態のことを指す。本来は自己なのだがT細胞から見て非自己に見える細胞を攻撃しないようにする仕組みが免疫寛容である。

すごく簡単に説明しているサイトでは自己の正常な細胞や組織に対しては抗原と認識せず、免疫応答を起こさない、または抑制するしくみがある。これを免疫寛容という。あるいは

リンパ球が分化する以前から体内に存在する抗原については、その抗原を特異的に認識するリンパ球が分化途中にその抗原に出会って死滅してしまうことより、免疫寛容が成立します。言い換えると、その抗原に対して免疫応答を起こすことのできるリンパ球は、成熟する前に死んで、生体内に存在しないので、免疫応答を起こせないという仕組みです。

という免疫研究者(許可を得ていないので名前を公開できない)の説明があります。

このように、「食べ物に含まれる非自己を異物として認識しないで小腸から吸収できることを「免疫寛容」という」などの説明はどこにもありません。小腸からのタンパクの吸収は基本的にはアミノ酸1ケとか2,3個のペプチドまで分解してから吸収するので、免疫反応とは無縁です。タンパクまるごと吸収するわけではありませんからね。小腸でのIgA産生とかの免疫システムはまた別物です。
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2017/10/21 学とみ子がコメントで曰く:ES細胞は、特殊な免疫寛容状態になっています。全く意味不明ですね。ES細胞が「免疫寛容」の状態??

2018/5/23の学とみ子のコメントそもそも、キメラはESと元の受精卵がお互いに免疫寛容状態になっていて、違う遺伝子構造体が同一体内で共存できることが不思議です。なにが言いたいのでしょ。意味不明ですね。

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2018/06/06 学とみ子曰く:胚は、免疫寛容状態でしょうから、キメラができますね。

どうやら胚(胞胚期のような初期胚)は免疫システムがないから他の個体からの細胞を排除しないということを言いたいのでしょうか、意味不明です。胞胚期のようなごく初期の発生時期の免疫システムのない時期に、免疫系の概念を当てはめるのが間違いなのに気が付かないのです。というか、自分の知識を勝手に拡大解釈するわけです。

2018/06/09この学とみ子の発言に対して L さんがT細胞をMHCが異なるマウス胚に注入した場合どうなるかを、もう一回考えてみましょう。この場合、注入されたT細胞が排除されるメカニズムは、免疫によると考えますか? マウス胚で、リンパ球による免疫が育ってくるのは、胎生後期になるので、注入して数日間は、レシピエントからの免疫反応による排除機構が働くとは考えにくいです。とコメントしています。つまり免疫系ができてないのに免疫系の働きを考える=免疫寛容という言葉を使うのはいかがなものかと言っていますがこれに対する学とみ子の反論はありません。
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2018/12/24学とみ子がコメントで曰く:「キメラは特殊な免疫寛容の状態」めちゃくちゃですね。意味不明ですね。

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2019/6/8学とみ子曰く:ジャームラインは、完全型のDNA配列です。将来の個体となる予定の生殖細胞は、より厳密なDNA構造を要求されます。しかし、一方で、胚の免疫寛容が働けば、遺伝子改変細胞から体細胞寄与はOKなのかもしれません。
これに対して
2019/6/8ため息曰く:「生殖細胞は、より厳密なDNA構造を要求」??
初期の胚には免疫システムそのものがないからキメラ動物ができるのでしょ?これを免疫寛容というの?

2019/06/08この質問に対する学とみ子の答え:

ここについて、学とみ子が少し説明します。
一旦、細胞が配偶子になると、細胞が改善される現象があります。
これから生命体となる細胞は完全なものである必要があるからです。
動物が優秀な子孫を残すために、細胞独自の生き残りスキルです。
こんなこと、医学部の人なら知っていると思いますけどね。
こういう発想が、ため息氏にはないのですかね?
意味が全く分からないと言っています。困った人です。
ため息氏はつかさず、「そういう意味じゃない!」と言うかも・・・。


全く質問の答えになっていません。

2019年6月11日 このときyap*ari*w*katt*na*さんもコメントしていてえーと、、「免疫寛容」はどこに行ったのかな?と学とみ子が質問に答えていないのを指摘しています。

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2020/07/23 動物の体は、異物を排除しますが、胚内は多量の増殖因子と、特別の免疫寛容になっているのです。

2020/10/04 胚という免疫寛容の特殊環境で一部が生き残れる細胞だったかもしれません。

2021/05/14 胚内は特殊な免疫寛容の状態にあることも、ため息さんはイメージできません。

これらの発言を解釈すると、どうやら、学とみ子は初期胚で他の個体の増殖可能な細胞を注入してキメラ動物ができるのは、初期の胚に免疫システムがなく、非自己の細胞を排除する仕組みのないことを「免疫寛容」といっているようです。もちろん「免疫寛容」にそのような意味はありません。

2022/11/01 学とみ子曰く:

胎内というのは特殊な免疫寛容の状態にあるから、キメラ生物が成立しうるのです。…理学系の学術層は、胎内の免疫寛容とか、骨髄の免疫寛容とかの話を理解しない。

2022/11/02この学とみ子の発言に対して、ため息曰く:

(学とみ子曰く:)「胎内というのは特殊な免疫寛容の状態にあるから、キメラ生物が成立しうる」 ←この表現は正しいのだろうか?免疫系が成立しているときに、「免疫寛容」という状況がありうるのであって、胚のときは、そもそも免疫系がないのだから「免疫寛容」という言葉は成り立たないのではないだろうか?免疫には素人だからわからないですが、感覚的に違和感があります。

と「免疫寛容」という言葉はこの胚の場合に使う概念ではないだろうと疑問を挙げました。

この当方のコメントに対し学とみ子曰く:

ため息さんのこのコメントを見ると、彼らが生き物を全く理解してないことがわかります。



生きる細胞は、自らに対するデインジャーシグナルに対抗する力が備わっています。こうした細胞生存にかける基本機能に関する知識が、ため息さんは皆無なんです。これでは、STAP、ESなどの細胞生存を考えられるわけがないです。生理学の専門家なのでしょうか?T細胞がいると免疫であるとかしか考え方なのかな?自然免疫の仕組みも知らないんだろな。

免疫寛容というのは獲得免疫システムでの現象で、自然免疫とは関係ありません。当方が免疫の一線で活躍している研究者(許可を得ていないので公開できない)に聞いてみたときの答えです。

免疫寛容の仕組みから考えると、免疫系がない時期のことについて「免疫寛容」という言葉を使用するのは、大変違和感があります。
ため息が言うように、免疫系がない時期に抗原を排除できないことは、免疫寛容と呼んではいけないと、私も思います。
少なくとも、免疫寛容という言葉を、そういう使い方をする例は、私自身は見たことがないです。

でした。
したがって、学とみ子の「免疫寛容」という言葉の使いかたは完全な誤りです。

「胚の免疫寛容」なる現象は、胚には免疫系がないから、ないのです。この「胚」とはキメラを作成するときのようなごく初期の胚の話ですよ。

このように学とみ子は既存の定義された言葉を拡大解釈したりする、誤って用いるので、科学的議論が成立しません。誤りを指摘しても反論はしない、訂正もしないので、議論になりませんね。