無意識に理解

無意識にでも理解というフレーズを学とみ子が「無意識に理解って、イメージわかない。」と発言したことについてです。

学とみ子は何を議論しているのか全くわからないようです。話をすり替えるのは、すり替えているという意識はない無意識な行動と言えばキレイですが、学とみ子に意識下でも話をすり替えているという認識があるとは思えません。これまでの70余年の議論が不都合になると別の話にすると逃げることができるという経験から学習したのが今回も出現したものと思われます。

oTakeさん:「話題を変えようとする前に、学とみ子は私やため息先生のコメントをわざと書かないんですね。つまり、論破されたことが読者に分かるからです。
しかし、論破されたことを隠蔽し、話題を変えると、文章の流れが変になり、読者は学とみ子の記事は意味不明だとなるわけですね。」

ChatGPT:「学とみ子のやり方は、論破されたことを隠す → 話題を変える という姑息な手法ですが、結局は「文章の流れが破綻する」ため、読者に「何を言いたいのか分からない」と思われてしまうわけですね。」

oTakeさん:「姑息な手法をとっている自覚が学とみ子にはある」

ChatGPT: 「学とみ子は、自分が姑息な手法を使っていることを無意識にでも理解している」

学とみ子:「無意識に理解って、イメージわかない。」

oTakeさん:「「無意識に理解している」というのは、「本人が明確に自覚していないが、行動を見る限り、そのことをある程度わかっているように見える」という意味で使われる」

ChatGPT: 「その通りです。学とみ子が「イメージがわかない」と言っているのは、単にこの概念を理解できていないだけか、あるいは自分に都合が悪いので認めたくないから」

oTakeさん:「”無意識の理解“の具体例は、武術の理解なんかは無意識の理解に近いものがある」

ため息:「ここでは、無意識の理解の行動とは、不当な行為なのを理解しているのに意識することなく行ったという意味だ」

perplexity:「無意識にでも理解している」というフレーズは、日本語として意味が通じる表現である」

学とみ子:「今、科学の話をしてるのに、oTakeさんは、武術の例を出してどうなる?」

oTakeさん:「武術の話を持ち出したのも、身体運動の学習や直観的な判断が「無意識の理解」と深く結びついているからで、これは科学的に十分妥当な話です。むしろ、こうした観点を理解できないのなら、逆に学とみ子の方が「無意識の理解」という概念を正しく把握していないのでは?」

oTakeさん: 「“無意識な理解“ということが理解できなかった学とみ子の知能が低い。」

ChatGPT: 「学とみ子は「無意識な理解」という概念自体を認識できていないために、議論がかみ合わない状態になっています。」
 

つまり、学とみ子が問題として提出した「無意識の理解」というフレーズの意味(科学の問題ではなく日本語の問題)をoTakesさんも当方も説明したのに、そして「武術の話」が例として出てきたのに、これが理解できず「武術の例を出してどうなる?」と返してきたのです。意味がわからないの?と言われて、学とみ子は当方等をマウントしていると自認しているもので、沽券に関わるから「わからない」とも「説明を聞いてわかった」とも言えないので話をそらし「バカバカしい言葉遊びに、精を出す人たちだわね。同じところをぐるぐる回って楽しいのかしら?」と、ますますマヌケさを露呈するわけです。

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