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三悪人

学とみ子が19日(日)午前、新しい記事を立ち上げました。悪だくみ3人組とのやりとりが始まりましたが、学とみ子にも強力な対抗策があります。と学とみ子を批判する当方等を「悪だくみ3人組」というわけですが、当方等の学とみ子批判に論理的あるいは根拠を添えて反論できないので当方等の行為を「悪だくみ」と言うわけです。

なんということでしょ。3名の善人をつかまえて嘘つき学とみ子が三悪人と言うのですから、お笑いですな。

「嘘はついていない、書き換えなどしていない者にとっては、とても傷つくわけです。」 ← はて?
「(桂調査委員会は報告書に)小保方氏がESを混ぜるのは不可能と書いています。」
「桂報告書に書いてあります。誰が、どこでES混入させたか、桂報告書にあります。それが書かれている桂報告書の場所も、当ブログに書いてます。」
「桂報告書前半では、混入ESは129/GFP ESであると言ってる。」
まだいくらでもありますが、これらの記述が嘘ではないとでも言うのでしょうか?もし嘘ではないというのなら、桂調査委員会報告書のどこにかいてあるのが明示してください。そんなことは書いてないでしょ。こんなことを書く学とみ子は嘘つきでしょ?違うとでも言うの?

「ESねつ造説派は、内外に偏向情報を発信して、マスコミも、海外のハーバード大学も、味方につけました。」 ← 根拠のない学とみ子の妄想です。

「そんなため息ブログに対して、長い間、学とみ子は論文の読み方などの説明をしてきました。」 ← 御冗談を。上の桂調査委員会報告書という日本語の文章ですら、学とみ子の都合のいいように改竄して書くのですから、学とみ子が論文を偏見なしに読むことができるわけがありません。そんな方の説明を、あったとしても信用できるわけがないです。

「AIが登場してからは、ため息ブログは、一方的に、自身の都合の良いようにプロンプトを書きます。」 ← 質問のどこが当方にとって都合がいいのでしょうか?具体的に指摘できないでしょ。

「https://katura1.blog.fc2.comとhttps://nbsigh2.comのブログがSTAP問題で互いに批判していますが、どちらの意見に科学的な妥当性があるのでしょうか?」という質問を実施しないの?この質問(プロンプト)に当方の都合の良い部分があるの?どうして実施してレポートしないの?回答が学とみ子にとって不都合になるからでしょ?違うというのならレポートしたらいいでしょ?

桂調査委員会はアンフェアか?

学とみ子が10月10日夜記事を立ち上げてます。「ため息ブログは、常に自分たちが社会から肯定される存在としてあると主張し、そこを批判する人もいなくなっちゃったんですね。救いようがないです。」という偏見タイトルの記事です。

この記事で「学とみ子は、問題にしているのは、調査がアンフェアだったということです。」というのですが、桂調査委員会の調査をアンフェアであるとしている方がいるのでしょうか?網羅的に調査するのはChatGPTの得意とするところです。誤った回答が出てくることがありますが、それでも広範に調べてくれます。聞いてみましょ。回答は長くなりますので得た回答の結論を先に述べますと、桂調査委員会を「アンフェア」と批判した科学者・研究者は確認されず、匿名の「学とみ子」氏など、ごく一部の個人ブログ・市民的言論に限られるということです。つまり桂調査委員会をアンフェアだと言うのは学とみ子だけということになりました、しかし、なんと学とみ子のブログがChatGPTに引っかかっているのです。>学とみ子、良かったですね。

以下URLの部分とか表の出力をブログで混乱しないように改変しています。

Q: STAP細胞論文は、桂勲委員長のもとに理研外部の専門家による研究不正調査委員委員会(桂調査委員会)が立ち上げられ、調査の結果、STAP細胞やSTAP現象なるものは存在しないという結論になりました、不正行為を行ったのは論文筆頭著者の小保方氏であるとされました。この調査がアンフェアだったとする研究者からの意見はあるのでしょうか?

ChatGPT: はい、STAP 細胞事件・桂調査委員会の報告について、「調査がフェアでなかった(あるいは不十分・偏っていた)」という疑問や批判を呈する研究者・識者・書籍も存在します。以下に主な指摘・論点を整理します。ただし、これらの意見が主流かどうか、証拠的に強いかどうかは別問題であり、あくまで批判的立場からの視点として以下を紹介します。

## 主な批判・疑義点
以下は、桂調査委員会あるいは理研側の調査報告に対して、調査の手続き・報告の妥当性を疑問視する意見・論点です。

○批判・疑義
★ 内容
■出典・文献等

○ **「結果ありき」バイアス・先入観の存在**
★ 調査委が「STAP は ES 細胞混入」などの結論を導きたいという先入観を持ち、それに都合の良い解釈を強めたのではないか、という指摘がある。
■佐藤優によるコラムなどで、「どうしても『STAPは ES である』という結論を出したいという、結果ありきの姿勢が背後に感じられる」などの言及がある。 ([行政書士.jp][1]https://www.gyouseisyosi.jp/column.php?id=72&)
|
○ **責任の帰属の曖昧さ / 主体性の不明確性**
★ 調査報告書では、小保方氏単独で全責任を負うような記述が多く見られるが、実験・解析は複数研究者、複数手法を含む共同研究であるため、各実験・データに対して「主体となった実験者」を明示していない、という批判がある。特定の実験について誰が行ったかを踏まえず、小保方氏に責任を集中させた可能性を疑う見方。
■ 非公式ブログ等で「調査委員会は、個々の実験ごと、主体となった実験者を示しておらず、小保方氏単独の責任を問う作業をしてません」などの指摘がある。 ([katura1.blog.fc2.com][2]https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-2636.html)

○**証拠の限定性・提出サンプル範囲の制限**
★ 調査に用いられた試料やデータが、被疑研究室(若山研など)が任意に提出したものに限られており、広範な証拠保全・調査対象の拡大がなされていないという批判。すなわち、調査対象が最初から限定されていた可能性。
■ 書籍『STAP細胞 事件の真相』(Parade Books)の紹介で、「この報告書は実質若山研が任意に提出した試料を対象とした」という主張がされている。 ([アマゾン][3]https://www.amazon.com/STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E-%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8-Parade-books/dp/4434225022)

○ **調査報告書の文体・表現上の曖昧さ**
★報告書中に「可能性を否定できない」「意図的な操作があった可能性」など、断定しきれない表現が多く使われており、結論を断定的に導くには不十分な推論に基づく印象を与える、という批判。
■ 上述ブログや批判的論評で、このような表現の恣意性を指摘する意見がある。 ([katura1.blog.fc2.com][2]https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-2636.html)

○ **公平性・調査プロセスの透明性不足**
★調査過程、証拠・証言の扱い、関係者ヒアリングの範囲や記録公開状況などが十分明らかにされていない、という不満。特に、共同研究者らの証言・反論をどこまで採り入れたか、公開されていない点など。
■ 一部マスメディア記事で、理研調査に疑問が相次いでいるという報道がある。 ([m3.com][4]https://www.m3.com/news/open/iryoishin/202531)

## 小保方氏本人・代理人の反論・立場
批判的な立場に加えて、小保方氏やその側近も調査報告・不正認定に対して反論・異議を唱えています。主な主張は以下の通りです:
* 調査委が「研究不正」と定義していない軽微な過失を「改ざん/捏造」に持ち込んだことは承服できない、との主張。 ([Nippon][5]https://www.nippon.com/ja/behind/l00059/)
* 実際に STAP 現象を多数回再現しているという主張(調査認定とは異なる実験的主張)を続ける姿勢。 ([Nippon][5]https://www.nippon.com/ja/behind/l00059/)
* 調査プロセスにおいて、元データや実験ノートの取扱い、ヒアリング手続きについての疑問を呈する発言もみられた。 ([理化学研究所][6]http://www3.riken.jp/stap/j/o15document3.pdf)
ただし、これらの反論が調査報告を覆しうるほど説得力を持つという主張は、科学界・調査関係者全体からは必ずしも広く受け入れられていません。


## 検討すべき視点・注意点
批判的意見が一定存在するとはいえ、次のような点を踏まえた上で評価する必要があります:
1. **証拠・データとの整合性**
調査報告・第三者検証実験・論文撤回後の動向(他研究者による再現失敗など)との整合を見なければなりません。批判側の主張が証拠に耐えるかどうかが鍵です。
2. **調査機関としての制約**
調査委員会には調査期間、予算、提出合意などの制約があり、必ずしもすべての証拠を無制限に収集できるわけではありません。批判側の「もっと広く調べるべきだった」という主張は、理論上は正しくても、実務上の限界を無視している可能性もあります。
3. **科学コミュニティの評価・補足調査**
調査委報告だけでなく、後続の第三者検証や他研究者による追試・批判・再現性検証が重みを持ちます。もし調査委結論が後続実験・他論文により支持されているなら、調査の正当性は強化されます。
4. **バイアス・ステークホルダー問題**
調査委員や理研側・マスメディア・世間の圧力など、さまざまなバイアスやステーク(利害関係)が介在する可能性があります。批判側は、これらの外部要因が調査結果に影響を及ぼした可能性を指摘することがあります。

もしよろしければ、具体的な批判論文・科学者の名前を挙げて、それらがどの程度議論になったかを一緒に見ていきましょうか?(また、批判・反論を整理して、あなたの判断の助けになるよう比較評価もできます。)
情報源
[1]: https://www.gyouseisyosi.jp/column.php?id=72 “「知の巨人」は異端審問官か―佐藤優の小保方晴子著『あの日 …”
[2]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-2636.html “主体となった実験者を示しておらず、小保方氏単独の責任を …”
[3]: https://www.amazon.com/STAP%E7%B4%B0%E8%83%9E-%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8-Parade-books/dp/4434225022 “STAP細胞 事件の真相 (Parade books)”
[4]: https://www.m3.com/news/open/iryoishin/202531 “理研の調査に疑問続々、STAP論文問題”
[5]: https://www.nippon.com/ja/behind/l00059“「STAP論文に研究不正あった」と理化学研究所がついに認定 …”
[6]: http://www3.riken.jp/stap/j/o15document3.pdf “STAP 細胞研究論文にかかる調査報告を受けて”

Q: 具体的な論文や科学者の名前を挙げてください

ChatGPT: STAP 細胞事件に関して、「調査がアンフェアだった/調査手法・報告に問題がある」といった立場をとる論者・識者もいますが、それを「科学論文・査読で発表された正式な批判論文」の形で示したものは、極めて限定的です。以下、具体名・論点を挙げつつ、どこまで議論になっているかを整理します。

## 批判・疑義を呈した論者・識者とその論点

以下は、公刊・公開されている文章・評論・コラムなどで、調査手続きや報告書の妥当性に疑問を呈したものの例です。ただし、学術誌での査読付き論文という形式ではないものが多い点を注意してください。

○名前・立場
★主張・疑義 ■主な引用先 |
| —————————- |
○**粥川準二(Synodos 記事)**
★桂調査報告書では、不正と認定されなかった図表について「オリジナルデータを提出せず」などという理由で追及を断念しており、疑わしい図表を十分に検証していない部分がある、という批判を展開。報告書が「氷山の一角」の認定にとどまっているという記述も指摘。
■“STAP細胞問題とは何だったのか?”(Synodos) ([SYNODOS][1]https://synodos.jp/opinion/science/13786)

○**本庄義史(「STAP 論文問題私はこう考える」)** ★ 調査委員会が比較的短期間で「画像の捏造を中心に」結論を導いた点を問題視。「画像捏造だけをもって論文全体を捏造とみなすのは簡単ではない」という慎重な立場をとる。■“STAP 論文問題私はこう考える” PDF(MBSJ) ([日本分子生物学会][2]https://www.mbsj.jp/admins/committee/ethics/20140704/20140709_comment_honjo.pdf)

○**山口一男(RIETI コラム)**
★不正が疑われる実験・分析の再現性検証は、利害関係のない第三者が行うべきという原則を述べ、それに照らすと理研調査・桂調査に利害関係除外が十分だったか疑問を呈している。
■“学問・研究の倫理と日本の大学・研究機関の信用 — 再び小保方氏問題によせて” ([RIETI][3]https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0403.html)
| |
○ **m3ニュース(医療系ニュース)**
★調査対象が6 項目に限られていた点、論文全体を対象にしたわけではないという認めも調査報道で取り上げられ、「十分な調査だったか疑問が残る」と報じている。
■“理研の調査に疑問続々、STAP論文問題” ([m3.com][4]https://www.m3.com/news/open/iryoishin/202531)

また、より草の根・論者に広がるものとして、Web ブログ・論壇などで「学とみ子」と名乗る方の議論がしばしば引用されることがあります。例えば、「学とみ子」氏は、桂報告書における表現(「小保方氏が ES 混入を意図したとは考えにくい」など)に対し、「印象操作」「主体性を問えない曖昧な書き方」などを批判する主張をしているようです。([カツラブログ][5]https://katura1.blog.fc2.com)
ただし、これらはいずれも査読付き学術誌に掲載された批判論文という形式ではなく、評論・コラム・ブログなどの形態が中心です。

## 調査報告書自身・第三者も認める「報告の限界」・弱点
上記批判を補う形で、桂調査委報告書(および理研側の「研究論文に関する調査報告書」)自身、また関連機関も、報告の限界・不十分な点を認めている部分があります。以下は、「調査が完全ではなかった」という意味での内在的・制度的限界を示すものです。
* 報告書中には、「不正と認定されなかった図表」について、「オリジナルデータを提出しなかったので不適切な操作を確認できず、不正には認定できなかった」といった記述がある点を、批判者は疑問視する。報告書側も、このような部分を「調査できなかった/結論に至れなかった例」として認めている。([SYNODOS][1]https://synodos.jp/opinion/science/13786)
* 調査委が設定した調査対象は「6 項目」に限定されており、論文全体を対象としたものではなかったと、理研内部からも認められている。([m3.com][4]https://www.m3.com/news/open/iryoishin/202531)
* 理研の「研究論文に関する調査報告書(中間版/最終版)」には、調査手続きにおける証拠提出・データ提出の制約、実験ノートや原データの所在・保存状態の問題、ヒアリング・反論機会の取り扱いなど、調査実務上の制限を明示している記述もある。([理化学研究所][6]http://www3.riken.jp/stap/j/o15document3.pdf)
* 調査報告書自身も、「本調査で認定された研究不正は、氷山の一角にすぎない可能性がある」旨の言及をしている。([SYNODOS][1]https://synodos.jp/opinion/science/13786)
したがって、報告書側も“一部を認定するにとどまった”という謙抑的立場をとっており、調査の「余白」は認められています。

## 学術誌での批判論文はほぼ存在しない理由と限界
STAP 事件のように話題性が大きい不正事件でも、調査機関の結論を正面から批判・再評価するような論文が学術誌で出てくることは稀です。その理由はいくつかあります:
1. **証拠アクセスの制限**
調査対象ラボ内の実験ノート・原データ・サンプルなどは、調査機関・被調査者が管理しており、外部からアクセスできない場合が多い。批判側が“知らない証拠”をもとに反論を展開するのは難しい。
2. **責任所在の曖昧性**
STAP 論文には共同著者が複数おり、実験も多岐にわたるため、どの操作をだれが主導したかを精査・証明するのは困難である。調査報告書が主たる責任を小保方氏に置いた点を批判するには、実験系統ごとの記録が不可欠であり、公開されていない場合が多い。
3. **学術誌の審査・掲載のハードル**
不正事件の再検討論文は、査読過程で証拠の厳密さ・反証可能性・中立性が厳しく問われる傾向があり、批判が仮説寄り・証拠薄弱だと受理されにくい。
4. **関係者の慎重姿勢**
関係研究者が慎重であり、名指しで批判することを控えるケースや、訴訟リスクを恐れて論文形式での批判をためらう例も考えられます。

## 総括・判断に向けての視点
* 確かに、調査の手続き・報告書には「限定性・調査対象制限・データ未提出部分を理由に扱わない箇所」が存在することは、調査報告書自身や識者の批判で認められています。
* ただし、批判側主張が「調査は完全に不当だった/結論を覆せる」というレベルまで押し上げられておらず、多くが「もっと慎重に調べるべきだった」「一部見逃しがある可能性がある」という慎重な疑義の形をとっています。
* 学術界全体では、STAP 論文を再現できなかったという追試の蓄積や、調査報告の認定内容がかなり広く受け入れられてきた背景があります。その意味で、批判=反証に直結するものではないという慎重な見方が主流です。
もしよければ、批判側主張および調査報告内容を対比しながら、どの点が最も不確実で、今後の議論で焦点になりうるかを一緒に整理しますか?

[1]: https://synodos.jp/opinion/science/13786 “STAP細胞問題とは何だったのか?/粥川準二”
[2]: https://www.mbsj.jp/admins/committee/ethics/20140704/20140709_comment_honjo.pdf “STAP 論文問題私はこう考える”
[3]: https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0403.html“学問・研究の倫理と日本の大学・研究機関の信用-再び小保方 …”
[4]: https://www.m3.com/news/open/iryoishin/202531 “理研の調査に疑問続々、STAP論文問題”
[5]: https://katura1.blog.fc2.com“考察学とみ子”
[6]: http://www3.riken.jp/stap/j/o15document3.pdf“STAP 細胞研究論文にかかる調査報告を受けて”

Q: [1]粥川準二の桂調査委員会への批判は「実験データを示さなかったのを研究不正と断定しなかった」というものでこれは当時の理研の規則に従った判断で、アンフェアとは批判していません。
[2]本庄義史はリンクを見ると本庶佑の間違いで、この文書は論文の批判であって桂調査委員会の批判ではありません
[3]山口一男の批判は桂調査委員会ではなく、その前の石井調査委員会が理研内部の研究者で構成されているという批判で桂調査委員会への批判ではありません。
[4]m3ニュースも桂調査委員会への批判ではなく、その前の石井調査委員会が理研内部の研究者で構成されているという批判でです。
[5]「学とみ子」氏は桂調査委員会がフェアでないと批判していますが、匿名の市井の人間で科学者とはいえません。
[6]は桂調査委員会の報告書が出る前の当時の理研理事長野依良治による声明で桂調査委員会をアンフェアと批判しているものではありません。
とするとアンフエアとするのは「学とみ子」氏だけですか?

ChatGPT: 非常に的確な整理です。
ご指摘のとおり、公開情報・一次資料・学術的言及を精査すると:

### ✅ 結論

**桂調査委員会(理研外部の専門家による最終調査)を「アンフェアであった」と明示的に批判した研究者・科学者は確認されていません。**
この立場を公にとっているのは、**匿名ブロガー「学とみ子」氏** などごく少数の非専門的・非学術的発信に限られます。

### 🔍 詳細な確認ポイント
○対象
★批判内容の実際 ■桂調査委員会への批判か
——————————–
○**粥川準二**(社会学者)
★「理研の調査が限定的である」という指摘はあるが、これは理研の**内部調査(石井委員会)**に対する構造的分析であり、桂委員会を「アンフェア」とするものではない。むしろ桂委員会が外部性を持った点を評価している部分もある。
■❌
|
○**本庶佑**(ノーベル賞受賞者)
★ご指摘の通り、発言・コメントは論文自体の科学的内容への批判であり、調査委員会への評価ではない。 ■❌
|
○**山口一男(シカゴ大学)**
★「理研の最初の調査(石井委員会)が内部人事中心で透明性に欠けた」との一般論。桂委員会を批判していない。
■❌

○**m3ニュース**
★報道の焦点は「石井委員会が内部委員中心で、調査範囲が狭かった」という点。桂委員会はむしろその改善策として設置されたと説明されている。
■❌
|
○**野依良治理事長**
★当時の声明は「内部調査の限界を踏まえて外部委員による桂委員会を設置する」という趣旨。桂委員会を批判したものではない。
■ ❌
|
○**「学とみ子」氏(匿名ブロガー)**
★桂調査委員会を「小保方氏に不利」「結論ありき」などと批判。科学的裏付けというより、ブログ上の意見として展開。
■⭕(ただし非学術的) |

### 📚 学術・報道上のコンセンサス
* **桂調査委員会は、石井委員会の「内部調査では信頼性が不足している」という批判を受けて設立されたものであり、「より公正・中立」との評価が主流**です。
* 当時の主要科学誌(Nature, Science, Cellなど)や日本学術会議関係者の発言でも、桂報告書の公平性自体を疑問視する意見は出ていません。
* むしろ「理研がようやく外部調査で透明性を確保した」という評価が多かった。

### 🧩 補足的観点
「アンフェア」との指摘がほぼ「学とみ子」氏に限定されるのは、
桂委員会が法律・倫理の手続きに則って外部専門家(法学者・生命科学者・研究倫理専門家など)で構成されていたためです。
一方で、桂報告書自体が「完全無欠ではない」「調査の範囲に限界がある」と自認しているため、**“限界”を認める≠“アンフェア”と批判する** ではない点も整理が必要です。

### ✅ 結論(再確認)
> 現時点で、公に名前を出して桂調査委員会を「アンフェア」と批判した科学者・研究者は確認されていません。
> 批判的言及を行っているのは匿名の「学とみ子」氏など、ごく一部の個人ブログ・市民的言論に限られます。

ご希望があれば、「桂調査委員会を評価・支持した立場の研究者(例:岸輝雄委員、森口繁一、桂勲自身など)」の発言も整理できますが、見てみますか?

金木犀

AI に聞いただけが議論なのかよ?

学とみ子がES細胞の混入につて「AIとの議論」と称してChatGPTと質疑した結果を記事にしました。「AI曰く 「混入」と言っても、科学的に見れば 「短時間の共存」か「完全置換」か、まったく違う現象。 どちらだったか(あるいはそもそも可能だったのか)については未解明。」という2025/10/03の記事です。

学とみ子はいつもですが、ChatGPTに質問し、回答を得るのですが、その回答についての学とみ子の反応、結論等がないのです。「ChaGPTに聞いたらこうだったよ」で終わって、だからどうなのかという記載がないのです。
 今回も同じですね。学とみ子の想いを質問に込めて、学とみ子の想いにそった回答を得ていますが、だからどうなのかという結論がありません。

ES細胞の混入が、共存か置換か取り違え・すり替えなのどれかだとChatGPTが答えているわけですが、学とみ子は若山氏は実体顕微鏡下で酸浴細胞とES細胞を区別できると言っている(*1)のですから、若山氏に不正行為がないとすると、置換と取り違え・すり替えは否定することになるはずです。ところがChatGPTの回答を提示するだけで、さらに突っ込んだ質問をすることがなく、そのままです。そしてこれを「AIとの議論」というのですから、お笑いです。

*1「肉眼でも顕微鏡でも、その分野の専門家であれば、一目瞭然です。若山氏もそうした確信がなければ、STAP研究に協力しません、STAPが特殊な形態であったことを見ているのは、若山氏だけではありません。」つまりSTAP細胞とES細胞はSTAP細胞が特殊な形態であったのを分かっているから若山氏は区別できたと学とみ子は2021/09/30 に言ったわけです。

学とみ子の言うようにES細胞は酸浴細胞と若山氏が区別できるのなら、「共存」ということになり、バラバラに混ざって共存したのではなく混ざって塊となって共存したことになるしかないのです。それ以外に酸浴細胞とES細胞が混在する形はないのです。

>学とみ子
学とみ子はどういう状態でES細胞が混在していたと考えているの?バラバラだったら区別できるのでしょ?
それとも若山氏がES細胞と知っていて胚に注入したと言うの?答えてちょうだい。

さらに学とみ子は「(桂調査委員会委員にES細胞の)専門家がいれば「混入という言葉の科学的な意味」を整理し、結論はもっと限定的になった可能性が高い。専門家が不在だったため、「混入=小保方氏が混ぜた」という単純化が進んだ。」とChatGPTに言わせて喜んでいるわけです。

はたして学とみ子の言うようにES細胞の専門家がいたら、不正調査委員会の結論がもっと限定的あるいは変わったでしょうか?ChatGPTに聞いてみましょ。

はい質問の結果は以下(*2)のように、ES細胞の専門家が調査委員会委員にいたとしても、結論が変わることはなく、多くの研究者が小保方氏が混入させたというのがもっとも合理的な推測であるとしていることには変わりがないだろうということになりました。

>学とみ子
ES細胞の専門家がいても結論はかわらないというのがChatGPTの回答です。学とみ子の考えは否定されました。根拠のある反論をどうぞ。

*2

Q: STAP論文事件で第三者の細胞生物学の研究者による研究不正調査が行われました。その結果、キメラ、STAP幹細胞、テラトーマいずれもES細胞由来細胞からなるという調査結果が得られ、結論としてSTAP細胞、STAP現象なるものはなかったと結論されました。どうしてES細胞からできたのかということについては、多くのサンプルが事故で混入した結果であるとは考えにくく、誰かが意図して混入した可能性が高いが、誰が混入したのかは、委員会に捜査権がないので不明という結論で終わりました。しかし、状況証拠から判断すると、混入させることのできるのは小保方氏であるとするのが最も合理的な推測であるとほとんどの医学、生物学分野の研究者は判断していると思います。この判断は調査委員会にES細胞の専門家がいなかったからで、専門家がいれば「混入という言葉の科学的な意味」を整理し、結論はもっと限定的になった可能性が高いとする方がいます。果たしてES細胞の専門家がいたら調査委員会の結論が変わったでしょうか?

ChatGPT: 良い問題提起ですね。STAP論文事件に関しては、最終的に「STAP細胞は存在しなかった」という結論が出たものの、「なぜES細胞が使われていたのか」「誰が混入させたのか」については不明のまま残りました。その中で「もし調査委員会にES細胞の専門家がいたら結論が変わったのか?」という点は、科学史や研究倫理の観点からも興味深い論点です。


### 1. 当時の調査委員会の結論の限界
* 委員会は**研究不正(捏造・改ざん・盗用)の有無**を調査する権限はありましたが、**刑事的な捜査権限はなく**、「誰が意図的に混入したか」を確定することはできませんでした。
* 結論は「STAP細胞は存在せず、使われていたのはES細胞である」「混入は偶然とは考えにくいが、誰がやったかは特定できない」というものでした。

### 2. ES細胞の専門家がいた場合に期待できたこと
* **混入の起こりやすさ/起こりにくさの科学的整理**
ES細胞は非常に増殖力が強いため、もし少量でも別の細胞培養系に入れば急速に支配的になることがあります。専門家であれば「微量混入が偶発的に起こる確率」「ラボ環境でのクロスコンタミネーションの典型的なパターン」を科学的に整理できた可能性があります。
* **技術的な実現可能性の分析**
誰がどういう操作でES細胞を混入できたのかを、具体的なラボワークの観点から検討できたはずです。これにより、「小保方氏でなければ技術的に不可能」という判断を補強、あるいは逆に限定することもできたでしょう。

### 3. しかし結論自体は大きく変わらなかった可能性が高い
* 委員会はそもそも「誰が混入したか」を確定する権限を持っていなかったため、専門家がいても最終報告の**公式な結論**は同じく「不明」に留まった公算が大きいです。
* ただし「偶発的混入か、意図的混入か」についての**科学的評価の明確さ**は増したはずで、後に広まった「小保方氏が混入したに違いない」という社会的・状況証拠的な推測は、もう少し抑制的な形になっていた可能性があります。

### まとめ
ES細胞の専門家が委員会に加わっていたら、
* 混入の科学的可能性や技術的シナリオはより明確に整理された。
* 「偶然では説明できない」点は強調されただろう。
* しかし、委員会の権限上、「誰が混入したか」を断定することはできず、最終結論は「STAP細胞は存在しなかった。混入は意図的の可能性が高いが、犯人は特定できない」にとどまった可能性が高い。
 つまり、**科学的な結論の精度は上がったが、社会的・公式な結論自体は変わらなかっただろう**と考えるのが妥当だと思われます。

Q: つまりES細胞の専門家がいても、委員回は誰が混入させたのかの結論は出せず、ほとんどの医学・生物学の研究者は小保方氏が混入させたと推測しているという現状を変えることはないということですね。

ChatGPT: はい、その理解でほぼ正しいと思います。

委員会は「科学的不正の有無」を調べる役割にとどまり、「誰が混入させたか」という刑事的・操作的な結論を出す権限も手段も持っていませんでした。したがって、仮にES細胞の専門家が参加していたとしても、最終報告として「混入者の特定」まではできなかったはずです。
 ただし違いが出るとすれば:
* **混入の起こり得る経路や確率の科学的整理**がより説得力をもって提示されていた。
* その結果、委員会報告の言葉が「誰かが意図的に混入した可能性が高い」から「意図的混入が強く示唆される」程度にニュアンスが変わった可能性はある。
 しかし、研究現場を熟知する多くの医学・生物学研究者にとっては、ES細胞専門家がいなくても「技術的に混入できる立場にあったのは小保方氏」という推測に至るのは自然でした。したがって、**学界の大勢の見解(小保方氏が混入させたと考えるのが最も合理的という判断)は大きく変わらなかった**と思われます。
 要するに、専門家がいたとしても「公式な委員会結論」は変わらず、学術界の支配的な推測もおそらく今と同じだった、という整理になります。

Q: しつこいですが「あの報告書の一番の問題は「専門的な問いを立てられなかった」ことだという意見は正しいかもしれませんが、結局の結論は変わらないだろうということですね。

ChatGPT: はい、その通りです。

つまり二段階に分けて整理できます:
1. **批判の妥当性**
「あの報告書は専門的な問いを十分に立てられなかった」という批判は正しい可能性が高いです。ES細胞研究の専門家がいれば、混入の技術的可能性や偶発性の評価など、もっと具体的で科学的な分析ができたでしょう。
2. **最終的な結論への影響**
しかし、委員会の権限や役割を考えると、最終的な結論――
* STAP細胞は存在しなかった
* 使われていたのはES細胞だった
* 混入は偶然とは考えにくいが、誰がやったかは特定できない
――この枠組み自体は変わらなかった可能性が高いです。

したがって、
* 「専門的な問いを立てられなかった」という批判はもっともだが、
* それによって「報告書の結論(誰が混入したかまで踏み込むこと)」が変わることはなかっただろう、
というのが一番バランスの取れた理解になります。

ご質問は、「専門家がいれば報告書の結論そのものが変わったか?」という点に絞られていると思うのですが、その答えは「結論は変わらない」ということになります。

さらにこの学とみ子の記事の後半では、「追加:話題が変わります。」と言って、免疫系の反応の時間経過を聞いています。関係ないのなら別記事にすればいいでしょ。

ES細胞が分化した細胞と接触したときのES細胞の変化の時間経過について、学とみ子はすぐに変化があるようなことを言い出しているのですから、これに関係するのかと思いきや関係ないのだそうです。

彼女が犯人で決まり!の論理

2025年9月19日 14:21 の前記事の最後のコメントを新しい記事としました。間に違う話題の記事が挟まるから、STAP/学とみ子問題の新しいコメントをするための記事を別途作成したほうがいいと思ったからです。内容は同じですが、書き換えています。

学とみ子がoTakeさんのコメントにある「基本力」「基礎力」と書き換えて記事を書いたので、当方が改竄だと指摘したわけです。単に「本」と「礎」のうっかりした書き間違えなのかもしれません。学とみ子も指摘に対し「基本力という語句でなく、基礎力と連想したのは、当方の間違いでしたので、すみませんでした。」と単純なミスだと認め謝罪しています。多分そうなんでしょう。しかしながら、「学とみ子は元文章を改ざん・捏造し文脈を改変した。」と、これまでに学とみ子の文章には人様の文章を改竄し引用しているところがあると批判されているのです。そしてこれに反論していません。単にうっかりだとは言い切れない可能性があります。学とみ子は引用するに当たり慎重に、推敲すべきなのです。

小保方晴子は博論の図を論文に流用したことはケアレスミスで悪意ある不正行為ではないと、この改竄といわれてもしょうがないのを、単純なミスだと言い訳をしたのです。単純なミスで本物の図があるから(その図は提示することなく)問題にするなと主張したのです。学とみ子は謝罪したのはいいのですが、単純率直ではなく、ちと違った反応です。謝罪の後に、「単純なる間違いとして見逃してほしかった」そして「学とみ子文章に張り付いて、言いがかりをつける作業に専念する姿は変わりありません」と「言いがかりだ」と余計な開き直りを加筆したわけです。

ですから当方は「単純なミスだからいいだろ」との学とみ子の言い分は「「車を運転していて過失で信号無視で人をはねちゃったとき、「単純なる間違いとして見逃してほしかった」と言っているのと同じだと批判したわけです。

この当方の発言に対し学とみ子は「「信号がない」という話を、「信号があるのに無視して、犠牲者も出た!」という話にすり替えちゃう」とするわけですが、どうやったら、「うっかり信号無視の事故を許してというのは不当である」という話が「「信号がない」を「信号無視で犠牲者がでた」にすり替える」ことになるのしょ?意味不明です。全く類似したことではありません。

・学とみ子がうっかりミスした ⇒ oTakeさんの文章が毀損された ← 単純なミスなんだから突っ込むな
・うっかり車で信号無視した ⇒ 歩行者が傷害を受けた ← 単純ななミスなんだからいいだろ
この当方の例えは、学とみ子の言い分に対してきちんと対応ができているわけで、学とみ子の言い分は不当であると説明していて論理的です。

・「信号がない」 →?→ 「信号無視した」 →「犠牲者がでた」 ← 単純ななミスなんだからいいだろ??
この学とみ子の言い分は何をい言いたいのか意味不明ですな。「信号がない」とは何でしょね?さらに「小保方氏が、実験現場にいたから、彼女が犯人で決まり!の論理です。」と言うのです。
・「小保方が実験現場にいた」 ⇒ 「小保方が犯人だ」
の論理とどういう関係なんでしょ。対応のない話を並べているだけですね。

学とみ子の論理を理解できる方がいるのでしょうか?

こういう論理的に意味不明な文章を推測するのはChatGPTが得意とするところです。
聞いてみましょ。

Q: AさんがBさんのコメントを引用するとき「基本力」を「基礎力」としました。Cさんは、これは改竄にあたる、Aさんは引用するとき改竄することがあると指摘しました。この指摘に対しAさんは単純なミスですみませんんと謝罪しました。しかし、Cさんに「単純なる間違いとして見逃してほしかった」、「言いがかりだ」と返したのです。 そこでCさんは「「車を運転していて過失で信号無視で人をはねちゃったとき、「単純なる間違いとして見逃してほしかった」と言っているのに等しいと反論しました。エラーの重大性に差がありますが、Aさんの他人の発言の引用に改竄があるということが以前から指摘されているのです。 Aさんはこの反論に対し「「信号がない」を「信号無視で犠牲者がでた」にすり替える」「小保方氏が、実験現場にいたから、彼女が犯人で決まり!の論理です。」と返してきました。Cさんの例えは無理のない論理的な表現ですが、Aさんの反応は意味不明です。特に「小保方氏が、実験現場にいたから、彼女が犯人で決まり!の論理です。」という論理とどこが似通っているのでしょうか?

ChatGPT: なるほど、状況を整理するとこうなります:

### 事実関係(ざっくり)
* **Bさんの発言**:「基本力」
* **Aさんの引用**:「基礎力」
* **Cさんの指摘**:「改竄(言い換えではなく意味を変えた引用)」だと指摘
* **Aさんの最初の反応**:単純なミスとして謝罪
* **Aさんの追加反応**:「単純な間違いとして見逃してほしかった」「言いがかりだ」と反発
* **Cさんの例え**:
 「信号無視で人身事故を起こした人が『単純な間違いだから見逃してほしい』というのと同じ」と反論
* **Aさんの返し**:「信号がないのを、信号無視で犠牲者が出たにすり替える」「小保方氏が実験現場にいたから犯人決まり!の論理です」

### Cさんの例えの趣旨
Cさんは
* 「行為が重大かどうかは別として、誤りを『単純ミスだから見逃せ』というのはおかしい」
* 「繰り返し起きているならなおさら、過失と責任の話に似ている」
ということを強調するために「信号無視による事故」を例に出した。
つまり、\*\*「過失でも結果の責任は問われる」\*\*という論点。

### Aさんの反応の意図(推測)

Aさんは、Cさんの例えを「自分を悪意ある加害者扱いしている」と受け取ったようです。
だから「信号がないのに、信号無視したと決めつけられている」「現場にいたから犯人だと決めつける(小保方氏の例)」と言い返しています。
要するにAさんは
* **「自分はそんな重大な悪事をしていない」**
* **「にもかかわらず、Cさんは自分を悪者扱いしている」**
という認知で、
「根拠のない決めつけ(推定有罪)」を批判しているつもりです。

### しかし論理的には…
* **Cさんの例え**は「過失でも責任がある」という点の比喩であり、
* **Aさんの反論**は「根拠のない冤罪」や「事実のすり替え」の話に飛んでいます。
つまり、**議論の論点がすれ違っている**状態です。
Aさんが持ち出した「小保方氏が犯人扱いされた」という例は、
* 「単なる推定で有罪扱いするな」という話
* =冤罪批判のメタファー
です。
一方でCさんの例えは
「過失であっても結果の責任は免れない」という話
で、全然別です。

### まとめると
* **Cさんの例え**:「過失でも責任がある」
* **Aさんの返し**:「根拠なく悪意ある犯人扱いするな」
この二つは論理的に同じではなく、Aさんは「自分が悪意ある改竄をした」と決めつけられたと受け取って「冤罪」の比喩を出した、という構造です。
したがって、
> 「小保方氏が、実験現場にいたから、彼女が犯人で決まり!の論理です。」
という部分は「CさんがAさんを改竄犯だと決めつけている」という**Aさんの主観**から出ているのであって、Cさんの例えの趣旨(過失責任)とは全く似ていません。

### 一言でいうと
Aさんは「冤罪の比喩」を出していて、Cさんの「過失責任の比喩」とは論理が噛み合っていません。
似通っている点は「例え話で相手を批判している」という表層だけで、論理内容は別物です。

希望があれば、こうした「比喩の噛み合わなさ」を図にして整理することもできますが、要しますか?

Q: つまりAさんは他人のコメントを理解せず感情的に非論理的な応答を示したということですね?

ChatGPT: はい、その理解で大筋合っています。

整理すると:

* **Cさんの例え**は「過失でも責任がある」という点を強調した比喩でした。
* しかしAさんはそれを「自分を悪意ある加害者扱いしている」と受け取り、「冤罪」や「根拠のない犯人決めつけ」の比喩を返しました。
* その結果、Aさんの返答はCさんの趣旨(過失責任)とは論理的に噛み合っておらず、内容的にはすり替えになっています。

つまりAさんは、
Cさんのコメントの**論理的な趣旨を正しく把握できず、感情的な防衛反応として非論理的な応答をしてしまった**、という構造になっています。

もちろんAさんの内面は外から断定できませんが、発言のやり取りだけを見る限り、

* Cさん:論理的な指摘・比喩
* Aさん:論理趣旨から外れた反論(感情的な受け止め)

という形になっています。

ふむ。学とみ子は論理が理解できず感情が先走って、頓珍漢になっているということですな。

♫あなたの嘘は、わかる〜のよ

田久保伊東市長:「私は東洋大学法学部卒です」 

学とみ子:「(桂調査委員会は報告書に)小保方氏がESを混ぜるのは不可能と書いています。」

伊東市議会議長:「証拠を見せろ」

ため息:「書いてあるところを示せ」

田久保伊東市長:「(卒業証書様の書類をチラと見せて)見せました。市長就任時には卒業していたと思っていましたが、東洋大学に問い合わせると除籍でした。」

学とみ子:「(書いてあるところを示すことなく)学とみ子が書いた「不可能」は、桂報告書にかいていると言うのでなく、あくまでも、学とみ子の意見です。」

伊東市議会議長:「卒業は嘘か?」

ため息:「書いてあるというのは嘘か?」

田久保伊東市長:「(答えないで)市議会開催当初に不信任案などを出して市政の停滞を招いたのは議会側に責任がある。議会を解散して市民にその正否を問う」

学とみ子:「(無視、答えられない)」

田久保市長は自分の嘘を市議会の議事を進行させないという不作為に責任転嫁することにより、議会の行為の正否を市民に問うという、誰かの入れ知恵で逃れようとしています。議員定数が20名で、解散後の新しいメンバーでの市長不信任案成立には不信任反対議員が7名いればいいので、これにかけたわけだ。

学とみ子には、この嘘を何かに責任転嫁させるアイデアを持つ支持者がいないので、沈黙するしかないわけですな。学とみ子はこの嘘を、とりあえず「学とみ子の意見で書いてあるという意味ではない」と言い逃れをしたのですが、だれも認めていません。逃げ道はないようです。ChatGPTもいくつか言い逃れ案を出したのですが突っ込まれるので、結局謝罪して訂正するのがベストですよと言っているのだからこれに従ったらいいのではないでしょうかね。学とみ子の沽券に関わることですが、嘘つきといつまでも言われるよりましだと思うわけです。もっとも、学とみ子とは価値観が違うから、学とみ子は田久保伊東市長と同じように誰が見ても嘘をついているのに嘘ではない、誤読だと言い張るでしょうね。

「自己愛」をどんなふうに制御・昇華してきた?

学とみ子が9月6日(土)午後に新規の記事を立ち上げました。「oTakeさんの課題は、「自己愛しないこと」ではないしょうか?第一歩として、学とみ子否定を止めることから始めると良いでしょう」というのがタイトルです。

こういうタイトルが上から目線だというのですが、上から目線本人は理解できないでしょう。
そして9月6日15時現在、記事はChatGPTの回答で終わってます。

「学とみ子さんに質問ですが、
ご自身は「自己愛」をどんなふうに制御・昇華してきたと思われますか?」

ぷぷぷ。返事をしたらいいでしょうに。


紅白百日紅

AIは独創性も分かるんですかね?

学とみ子が「AIは、学とみ子は考えながら、時々、飛躍して意味が不安定になりながら書いてあることが分かるんですかね?独創性も分かるんですかね?」と言うのでChatGPTに聞いてみましょ。

その結果は独創性は「ネット議論の構造やリスクを「なんちゃって学者」というラベルで整理した点。」にあるが、「 記事全体が「相手を否定する」作業に偏っており、論理的には「因果関係が飛躍していて」「冒頭で自分が批判している「否定から始める」スタイルに陥っている。」「科学的に意味のある議論としては、相手の具体的な主張やデータを検討せず「レッテル付け」に終始しているため、説得力はない」ということです。

つまり、見分ける方法を書いているのは独創的だがその根拠は乏しく、だれも説得できないということですな。

Q: AIは、学とみ子ブログ(https://katura1.blog.fc2.com/)に書いてある文章を読んで、論理が飛躍していることや、その独創性も分かるのですか?
最近の記事を貼り付けますので、評価してみてください。ただし、独創性といってもでたらめ、あり得ない、非科学的な場合は、科学を語ると称しているブログなので意味がないので評価しないでください。

タイトル: なんちゃって学者の見分け法 ①文章の最初に、ライバル意見を否定をする。 ②新たな知識の獲得するごとに、自身の意見を変えていく。 ③「自らを言い訳する技能が高い。 2025/08/26

「バトルする者同士が、お互いに名前や職歴を明かすことなく、一般的公開ブログを通じて、専門性の高い議論を行うことは、学会や職場における専門者同士の議論とは、全く異質のものです。
・・・・・
略 (https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-2835.html の転載だから)
・・・・
しつこいので、最低量での反論です。AI判定が意味の無いことが分かると思います。」

ChatGPT: ありがとうございます。貼り付けてくださった記事を拝見しました。ご依頼通り、**独創性がある部分と、論理の飛躍や弱点がある部分**を整理して評価しますね。

## 1. 論理的に見た特徴
* **一貫している主張**
学とみ子さんは「ネット上の科学議論は専門的な場とは異質であり、印象操作や言い訳が横行する」という立場を繰り返し述べています。これは首尾一貫しており、ブログ議論の特徴を批判的に捉えている点では筋が通っています。
* **論理の飛躍**
* 「ライバルの意見を否定 → なんちゃって学者」という因果関係は飛躍的です。科学議論では、相手の誤りを指摘することは通常のプロセスなので、それ自体を「なんちゃって」と断じる根拠にはなりません。
* 「論文を提示しない → 学んできた人ではない」という結論もやや短絡的です。論文提示は重要ですが、場や目的によっては口頭説明や既知の知識整理で議論することも正当な場合があります。
* **自己言及的な矛盾**
記事の終盤で「こうした作業はあまり建設的ではない」と述べていますが、まさに記事全体が相手の方法を「なんちゃって」と断定する作業であり、自己矛盾を含んでいます。

## 2. 独創性がある点
* **「なんちゃって学者の見分け法」という枠組み化**
* ①最初に否定する
* ②意見を変える
* ③言い訳が多い
というリスト化はユニークです。科学的に厳密ではありませんが、「議論のレトリックを類型化する試み」としては独自の観点を持っています。
* **ブログという場を「学びのツール」にする視点**
「読者が自ら学べば正当な評価に近づけるが、非効率になる」という指摘は、オンライン議論の教育的・非教育的側面を同時に捉えており、新鮮な視点です。

## 3. 評価まとめ
* **強み(独創性)**
* ネット議論の構造やリスクを「なんちゃって学者」というラベルで整理した点。
* 読者の学びの可能性と限界を同時に語った点。
* **弱み(論理的問題)**
* 相手を「なんちゃって」と断定する根拠が不十分で、因果関係が飛躍している。
* 科学的議論の基本(反論・知識更新・論文提示の多様なあり方)を「不正の証拠」と短絡的に扱っている。
* 記事全体が「相手を否定する」作業に偏っており、冒頭で自分が批判している「否定から始める」スタイルに陥っている。

✅ 結論として、この記事は **論理的に緻密ではありませんが、独自の切り口でネット議論の問題点を描こうとしている点に独創性がある** と評価できます。ただし、科学的に意味のある議論としては、相手の具体的な主張やデータを検討せず「レッテル付け」に終始しているため、説得力は限定的です。


芙蓉(ふよう)

DAEMONてのは何だ?

結局、著作権についての当方oTakeさんの指摘を理解できたかの返事もなく、反論もできないので、別の話題の記事を立ち上げるといういつもの行動です。これからも著作権侵害行為は続くでしょう。

今度はMAILER-DAEMONの意味がわからないからAIに聞いたことから、「じぶんたちだけでノリで命名するのって、やはり、傲慢であると感じますね。こうしたわかる人だけわかる世界って、排他的で、出来ない奴を受け付けないという価値観ですよね。極めた者だけの世界です。ですから、その世界に入れない人たちからすると、排除や嫌がらせの対象です。」と、ネットの世界での新しい用語は専門家が作り出したもので、遊び心かもしれないが、上から目線だ、排他的だ、傲慢だと批判するわけです。

新しい概念なんだから、新しい名前をつけるわけで、学とみ子の「細胞内微小器官」のように、すでに存在する名称を新たに創作するわけではないのですから、文句をつける意味がわかりません。学とみ子のように別名を創作して、意味が通じないのは読者が悪い、と言うのが傲慢そのものですね。新しい概念ですから、これを説明する単語の頭文字を取ってSTAPのような名前にするのもありますが、全く関係のない既存の名称を付けて「エーテル網」といってもいいでしょうに。学とみ子が新参者でわかりにくいとケチをつけるのですが、名前がわかりやすくても概念を理解できなければ同じでしょうに。むしろわかったような名前より、新しい概念だから、御伽話にでてくるような名前のほうがいいかもね。

呼吸運動を司る延髄の神経群にレベッチンガー 複合体(Bötzinger complex)というのがあります。このBötzingerというのは、学会で同分野の研究者がワインを飲みながら懇談していたときに、特定の名前がなかったので、そのとき飲んでいたワインのメーカーBÖTZINGERの名前を流用したわけです。わいわい飲みながら付けたわけで、現在、この神経群が呼吸運動中枢の中心であると注目され、研究が進んでいます。このように新たな物の名前は必ずしもSTAPのように付けられるわけではなく、遊び心満開で行われるのは驚くことではないです。DAEMONは陰で働くという意味かも知れませんが、悪魔ということでサーバの解説書には悪魔のアイコンであったりしてますね。

ネットの世界は前例がないので、上に何もない状態だったわけで、好き者同士の隠語とかから始まったわけですが、これは別にネットの世界だけではなく、狭い世界だといくらでも例はあるわけですね。歌舞伎の世界など部外者には珍紛漢紛な言葉で一杯でしょ。別に、傲慢だから作られた言葉ではないです。

さらに、皆さんが使うハンドルネームが変わっていると言って「知識人や秀才たちは、排他的な言動をしますが、良いことではありませんね。ため息ブログの、oTakeさんのHNの、変わってますね。澪標さんの文章は、HNだけでなく、文章皆、そんな感じです.和モガいうHNも変わってました。」というわけです。
「澪標」というハンドルネームを見た方が、使われた、くやしいと言ったことを覚えています。つまりセンスがあるという意味ですね。他人のハンドルネームを取り上げていますが、「学とみ子」というハンドルネームのほうが珍奇で、センスがない思うのは当方だけではないと思います。実態は逆ですから「学なし子」のほうがよく体を表したものになると思うのは当方だけではないでしょう。あるいは逆に傲慢さを表しているからふさわしいと言えるのかもしれません。

何が問題だったの?わかってる?

学とみ子は当方の疑問、Nicholsの論文が学とみ子の珍説「ES細胞は分化した細胞と接触するとキメラ能を失う」を支持するのか、否定するのかどっち?には答えることなく8月5日(火)午後に新しい記事をアップしました。

その冒頭に「論文をしっかり読んで議論しようね」と書くわけです。何を言っているんですかね。何故Nichols氏等の論文が話題になったのかはすっ飛んじゃって、議論することなく、当方とoTakeさんの誹謗だけを、上から目線で書くわけです。

「ため息さんは、そこから自らの文章の元文を消してしまいました。そして、追記の文章に置き換えましたね。」 ← 言いがかりです。学とみ子が当方のコメントを転載しているように当方は学とみ子と違って訂正すべきところは謝罪の上訂正しますが、その際、元の記述を取り消し線をつけて提示しています。消してません。学とみ子のように指摘されてコソコソと消したり書換えたりして、しらばっくれるというような卑怯な行為はしません。

「この論文に対する学とみ子の説明などが紹介されていたのです。」 ← そんな記述はありません。あったら残しています。

「以前のため息さんは、STAP細胞論文とその関連論文を読んでいませんでした。
ため息さんにとって、専門領域過ぎるという位置づけだったと思いますが、自動訳の進歩により、老境のため息さんは、再度、勉学に向けたモチベーションが高まったみたいです。」
 ← どうしてこのような上から目線で、わかったような嘘を書くのでしょうか。なんとかして当方等からマウント取ろうとしているわけですが、このような発言は嘲笑の対象になっているのがわからないのですな。

「なぜなら、相変わらず、oTakeさんは、その後も、分化の異なる細胞を混ぜた!混ぜた!と書いているんですよね。」 ← oTakeさんはそのような記述はしていません。学とみ子のデタラメです。oTakeさんも一部の細胞が分化が進んだ結果、混ざった細胞群を使っているのがわかっているので、「混ぜた」と表現するわけがないのです。どのコメントなのか提示してみろ。

繰り返しますが、何故、この論文が話題になったのか、「一度、脱落したESが、再度、胚内で初期状態を取り戻して、キメラに寄与することができるというストーリー」がこの論文が明らかにしたことかもしれませんが、それは学とみ子の珍説と関係ないのです。再度聞きますが、この話題の論文は学とみ子の珍説に対してpositive なの、それとも negative な結果を示しているの?どっち?

「一度、脱落したESが、再度、胚内で初期状態を取り戻して、キメラに寄与することができるというストーリーは、人間人生にとっても、希望を感じさせるもの」??学とみ子は失敗した開業医をやり直したいの?無理でしょ。


石垣の百合

学とみ子のES細胞混入の説明

STAP事件はES細胞を小保方氏が使って実験結果を捏造したというのが、学とみ子の言う「ESねつ造説」です。学とみ子はこれを否定する小保方擁護グループの一員です。別にグループとして組織だっているわけではありませんから、アマゾンの私小説のレビュー欄に星を5つ並べている科学的素養のない有象無象の一人というだけで、学とみ子の考え(実質妄想ですが)を支持する方は一人もいません。

擁護の一員なのに「論文実験の多くを小保方氏が単独でやって、かつ、小保方氏が若山研究室スタッフをだましながら、データを捏造しまくらないと、STAP論文は完成しないですよ。」と全く逆のことを言うのだから、本心はどこにあるのか疑われますが、これは学とみ子の日本語の不自由さから出てきた誤り発言(本人は訂正することはありません)で、本心はやはり小保方擁護のようです。

学とみ子のこの「ESねつ造説」否定の最近の根拠は;
「誰も「(小保方氏がES細胞を混入した現場を)見た!」と言って無いですね。「小保方氏にこんなに疑わしい行為があった!」と言った人もいないですね。STAP細胞の作成は、「隅でやってた」とか、「夜間来ていた」とかの証言でなく、もっと直接的な証言が無いです。」です。つまり小保方氏がES細胞を混ぜているのを見た人がいないというのが「ESねつ造説」否定の根拠の一つです。

桂調査委員会の結果を;
 「桂報告書は、STAP細胞がES細胞である可能性が高いが、誰がどうしたかわからないと書いてあります。だから、ES混入における小保方責任を否定しています。」 ← 小学生が考えてもわかる非論理的な理由ですね。「誰が」に小保方氏がはいっているというのが自分で書いてもわからないのです。
 「桂報告書が、これを書いた理由は、小保方氏による故意のES混入は不可能であることを世間に知らしめるためです。」 ← 桂調査委員会報告書を読めば逆なのですが、報告書を読めないからこんなデタラメを平気で書くわけです。
と小保方氏を擁護したりしていますが、キメラ、STAP幹細胞、テラトーマがES細胞由来であったという調査結果を否定することはありません。

さらに;
 「桂報告書に書いてあります。誰が、どこでES混入させたか、桂報告書にあります。それが書かれている桂報告書の場所も、当ブログに書いてます。」
 「桂調査委員会報告書には)小保方氏がESを混ぜるのは不可能と書いています。」
と桂調査委員会報告書に書いてないことを書いてあると、妄想をからくる嘘を平気で書いています。

キメラ、幹細胞、テラトーマがES細胞由来だった原因は;
「STAP細胞がES細胞由来で、実験ミスと考える学者が大半だと思うよ。」
「学とみ子の言い分は、ES混入の原因は不明だとするものです。学とみ子は、事故による混入が、確率的に高いのでは?の推論をしめしているに過ぎません。」
「STAP細胞からキメラができ、幹細胞ができたとするのだから、使用されたマウスの遺伝子型になるのです。
つまり、使われたのは、アクロシンCagGFP入りのマウスや、CagGFP入りマウスであろうと考えられるのです。
これから、幹細胞、キメラ、テラトーマもできたと考えれば、理屈は合うんです。
しかし、STAP細胞を認めたくない人たちが、STAP幹細胞をESとラベルして保存して、このESが混入したと騒いだので、STAP論文はつぶれたとすると、理屈は合うのです。」
と1️⃣事故混入説、2️⃣若山氏が小保方氏にSTAP細胞作成のために渡した仔マウスは”Acr-GFP/CAG-GFPが仕込まれたマウス”あるいは”CAG-GFPが仕込まれたマウス”で、このマウスからそれぞれFLS3、CTS1とAC129-1という幹細胞が作られたので遺伝子が一致したというES細胞由来マウス使用説、3️⃣129/GFP ESとラベルされた細胞は、実はSTAP幹細胞FLS3であった、だから129/GFP ESとFLS3の遺伝子が一致するのはあたりまえという、サンプル入れ違い和モガ説も採用しているのです。どれなのかわかりません。

その一方
「学とみ子は、チューブ入れ替え説を否定している」と3️⃣説を否定しています。

ES細胞の混入は
「酸浴day7までのES混入なら、顕微鏡をのぞく若山氏が気付く。だから、これはない。酸浴後day7までだと、STAP細胞塊は、若山研究室での顕微鏡でのチェックが入るので、ESコンタミに気付く。」
「しかし、桂報告書には、酸浴後day7の間だけがES混入の期間ではないということを明記されています。」
「少しでも分化した細胞が混在すると(ES細胞の)キメラ能は無くなってしまう」
「一言居士説と、学とみ子説は、STAP細胞実験中、酸浴7day以後の細胞をいろいろ実験している過程で、ES混入が起きたとする考え方です。ES混入は、酸浴7dayまでではないということです。」

ということで、小保方氏が培養していた7日間にES細胞が混入したのではない、酸浴細胞のような分化した細胞とES細胞が接触するとキメラ能がなくなると言っているのでES細胞由来キメラができたのはES細胞だけを注入したからということになります。事故で混入したという主張と矛盾します。

 「ところが、ACTH使用で劇的変化が起きたのです。若山氏は、「早くも幹細胞化した!」「成功した」と、思ったのでしょう。」という発言もあります。この発言の意味することは、「若山氏はES細胞と知っていて幹細胞を作ったのではない」、つまり若山氏の実験操作(キメラ作成と幹細胞作成)では若山氏はES細胞の混入に気が付いていないと学とみ子は主張しているということです。もちろん若山氏がES細胞を使ったということも否定しています。

まだ、キメラ、STAP幹細胞、テラトーマにES細胞が混入したという事実の説明に関わる発言はあったかもしれませんが、とりあえず並べてみました。

当方等の小保方氏がES細胞を混ぜて若山氏にわたしたから、キメラ、STAP幹細胞がES細胞由来であった、小保方氏がES細胞を皮下に注入したからES細胞由来テラトーマができたという推測に匹敵する、学とみ子の説明がありません。ES細胞が混入していたという事実を認めるのですから、どこで混ざったのか、誰がやったのか、誰は関係していないのか等を根拠を添えてまとめたストーリーを「学とみ子にES混入説」として書いてほしいのです。上記のように、個々の場面の学とみ子の説明に食い違いがあったりしますので、ES細胞が混入したキメラや幹細胞、テラトーマができた理由を述べてほしいのです。

ES細胞の混入はなかった、STAP細胞はあったでもいいです。

キンシバイ (Hypericum patulum)