あんたの絵は何故へたくそ?という講義を予定している。現在は視覚と視覚情報処理の講義をやっているところだからだ。
我々は外界から得た情報から、生得的なフィルターを通し特徴を抽出、不要なものを破棄という処理を行い(ここで錯視が発生するんでしょ)、再構築して記憶と照らし合わせ情報が何であったかを認識し、絵を描くというような出力を行う。
下のような写真を見せて大人や子供に絵を描いてもらった。
ま、5才児だからこんなもんでしょ。雲と木と山と野原ですな。よく描かれています。
ある成人の方に「時は初夏の昼ごろ、場所は北海道。天気は晴れですが、ところどこに雲が見られます。 広大な緑の原野が広がっています。この原野に白樺の木が1本だけ立っています。遠くには霞んだ丘が見えます。」というこの写真を記述した文書だけを見せてその様子を絵に描いてもらったのです。
どうでしょ、極めてよく似ていると思いません?両者とも「雲」「木」「山」「原っぱ」という要素をきちんと描いています。成人の方にはこの要素を示したので当然ですが、5歳の子供には何も言ってません。写真のように絵をかいてねと言っただけです。5歳の子供は、各要素を認識し、雲はこうあるべきだと描いているわけですな。成人の方の頭にある雲とよく一致していますね。白樺の木なのに「木」と認識したので幹は茶色です。成人の方も白樺を「木」と認識したからなんでしょうね。白いという特徴は「木」という言葉のためにぶっ飛んじゃったのではないでしょうか?
別のある一人の成人の方には、この写真を見ながら2回絵を描いてもらいました。
その一部の丘の部分を拡大して表示してあります。上が原図の写真ですね。左下の絵の丘・山は、写真より起伏が激しいのに対し、右下の絵ではより写真に近くなだらかな丘になってます。どちらも、より写実的な結果になっています。
この描画の違いは、左は正立した写真を見ながら、右は逆さまにした写真を見ながら描いてもらったものでした。
ここでもわかりますね。丘・山は出っ張っているものであるというa認識が働いてより山らしく描いちゃったんですね。ひっくり返すと、その認識が薄れ、見たまま描くことになったものと思われます。
そうです、あんたは、5才児と同じく、見たものを記憶と照らし合わせて認識し、記憶通りに、あるいは認識に必要な特徴を強化して描いてしまうのね。ですから写実的にならないのね。
今年のイグノーベル賞をもらった日本人の方のテーマは「股覗き効果」で、知覚される物体のサイズが股覗きで小さくなるということでしたが「股覗き」はサイズだけでなく認識にも大きな影響があるんですな。
こういう講義を興味を持ってく聞いてくれるとうれしいと思うのですが、独りよがりだな、きっと。
不正な報道を追及する有志の会という共鳴箱になっているブログにコメントしている管理者を含めた方々には、どんな情報を送り込んでも、偏見でできた記憶に則って出力するだけですので、この成人の方の文書を見ただけで描いた絵のようになるんですね。新規な情報が入力されても「ゴミ箱」に破棄しているんでしょ。白い幹の木なのに、木と思っているから茶色の幹になっちゃうんですな。周りから「白だってば!」と言っても受け付けてくれないんですな。
20年ほど前「脳の右側で描け」という本を買うと、逆さまに見て描くことが述べられていた。
やってみると、上手く描けたことを覚えています。
ただ、画には興味がなく、仕事でも必要ないので、それっきりでした。
医療関係者は、画で説明することがありそうです。
この記事は素晴らしいです。難しい認識だと思いますがこれほど鮮やかに書いてあるものは初めて見ました。
この実験がsighさんのオリジナルなら、美術系の予備校か出版社に売り込みに行くべきですね。10人ぐらいのグループ単位で中で比較実習させればぐらぐらくることでしょう。
美大受験予備校なら昼間部で夏直前から夏明けに到達するレベルの悟りで、美大受験なら最初の、そして多分最大のハードルです。これが悟れない奴が約6、7割ですが、まず来なくなる。基本的な道具の使い方を覚えた後は、自分の絵といい点数の奴の絵はどう違うのか、これが分からなければ前に進むことができなくなるんですね。
頭だけで知っても仕方がないのですが、頭で知れば悟るのはぐっと早くなるものなので。
自分の目が自分の思い通りに物を見ることができないという認識は苦くて甘いです。
そして自分の絵を確立する時にもう一度そこへ戻り、その認識を殺してやり直すのです。
m氏のおバカコメントをくさそうとしていてリンクされたryobu氏の記事に行き、2016年10月記事一覧へと来てこの記事に来たのですが、もうm氏はどうでもいいや。
plus99%さん
お褒めに預かりありがとうございます。mjもんた君のブログ記事とは異なり、この記事はすべてオリジナルです。当時5歳の同僚のお子様は現在高校生になっていると思うのでもう十年以上前の実験ですね。
感覚から中枢神経系の知覚・認識までの解説を、錯視なんかも織り交ぜて行う講義の中の一つなんですけど、学生さんの反応はいまいちです。教え方がまずいんでしょうね。
偏見、誤解、事実は1つなのに真実は人の数だけある等々まで持っていく技量はないし、生理学の範疇を少々ずれるのでやってません。
sighさん
オリジナルでしたか!すごいですね。
またいつか、絵を教えろという仕事が舞い込んだときには依頼人に紹介させていただきたく。削除しないでくださいね。
若いモンは自分は自分の体のご主人様で、周囲をありのままに認識し、思い通りに動けていると思ってますからね。
自分は自分の体の虜囚で、狭い鉄格子ごしにしか周囲が見られないなんて考えに至るのはそこいら中ガタピシ言い出すアラサーになってからみたいですね。私は幼い頃に左利きを無理やり矯正されたせいか、自分の体が思い通りになんて動かせないなんて認識は自明のことだと思っていましたが、大部分の人はそうではないようですね。
楽器だってスポーツだって、知覚からアウトプットまでそれ専用のルーチンを組み立てるという苦痛に満ちた反復練習をするのがスタートラインに立つための最低条件なんですが、自分は自分のご主人様だという認識が捨てられないと無理でしょうね。