トイレットペーパー及びそのホルダー等の考察は沢山ある。何故かというとトイレ内では考える対象が限られているからだ。ほとんどのトイレの個室は座ると正面に壁あるいはドアがあり、左右どちらかにトイレットペーパがあるのみで、眼につく対象がトイレットペーパーしかないからだ、後ろ側には様々な者が設置されているが、それらは見えないからだ。必然的に、壁について考察するよりトイレットペーパーについて考察することになる。他にすることは本来の目的の一つだけで、これには大脳皮質の関与がほとんどないからな。
日本ではトイレットペーパーはシングルとダブルの2種類がある。3枚4枚というのはあるかもしれないが、寡聞にして見た事がない。関西はシングル、関東はダブルが多いらしい。米国でも議論は盛んなようで、紙の向き—切り端が上になるか下になるか—の議論があるようだ。日本ではこのような議論はない。トイレットペーパー・フォルダーに必ず蓋があって、この蓋のエッジを使って切り取るからだ。必然的にトイレットペーパーの向きは上向きになるからだ。そういえば、米国留学中の借りていたアパートのトイレットペーパーを置くところは芯を支える横の丸棒だけがあって、蓋がなかった。米国では蓋がないのが普通(だった?)なので、トイレットペーパーの向きが問題になる。連れ合いとトイレットペーパーの向きで喧嘩したこともある。たしか、そのアパートのトイレットペーパーを保持する部分の構造からいって、下向きにしたほうがロールが回転しやすかったのだ。管理者は日本流に上向きに置くべきだと主張して負けたのだ。どちら向きでも、米国人は利き手で紙を持ち、非利き手でロールを抑えて回転しないようにして、紙を引きちぎるのが正式な作法なのだ。
ひるがえって、日本では蓋があるのが普通なので、紙を切るためには、蓋のエッジを非利き手で抑えて、利き手でエッジを利用して切ることになる。エッジが鋸の歯のようになっている蓋も珍しくない。
もっとも、ミシン目が入っていれば、エッジを使わずひっぱればミシン目から切れる。ダブルの場合、1枚目と2枚目のミシン目は一致していないといけないわけだが、ときどき1枚目だけ切り取ってしまうと2枚のミシン目の位置と一致しなくなるので、一致するように再設定しないといけないのが厄介だ。一般に、ダブルのほうが高価でミシン目があるほうがより高価だ。したがって、公共のトイレでトイレットペーパーが準備されているところでは、シングル、ミシン目無しが普通だ。
シングル・ミシン目無しのトイレットペーパーを蓋のエッジで切るとき(他に方法があるとしたら米国風に引きちぎるしかない)、エッジをフルに使って切断してはいけない、紙の切断された部分が蓋の内側に隠れてしまい、次の紙を引き出すのに苦労するからだ。トイレットペーパーは薄いのでロールに巻かれてしまうと切断した部分を探しにくい。したがって紙を切断するのにちょっとしたテクニックが必要だ、2/3くらいエッジで切ったら、エッジを使わないで引っ張るように動作する。そうすると、残った紙の切り口は直線ではなく、端が三角になって残る。この三角部分を引っ張れば次の紙を取り出し易くなる。これがシングルが用意されているトイレットの正しい使いかたなのだ。次の人を思いやる正しいマナーなのだ。
しかし、このマナーはまだ普及していない。多くの場合、前者が使った後は、切り口が見えず、ロールを回転させて切り口を探さないといけない状況になったままだ。ホテルなどでは、切り口がわかり易いように三角に折ってある。ちゃんと掃除しましたよという表現でもある。三角に折って次の人に備えることは要求できないだろう。紙をちぎった後、行う動作はきまっており、さっさと個室から出て行くことが最優先事項だからだ。座ったままトイレットペーパーを折るような余裕のあるヒトを管理者は知らない。まずいないだろう。
片手の機能が何らかの理由で不自由だと、トイレットペーパーを切るのが難しくなる。腕を骨折して三角巾で首から吊っている状況ではトイレットペーパーの切断が、米国式だろうと日本のように蓋が有ろうと関係なく難しい。多分、市井の発明家と称する好き者はトイレットペーパー自動切断機なるトイレットペーパー・フォルダーを考案しているに違いない。初めに述べたようにトイレ内では暇だからだ。このような発明家の片手が一時にしろ不自由になった確率はかなり高い。だから考案されているに違いない。しかし普及しているとはきいたことがない。多分何らかの動力を必要とするに違いないし、高価なフォルダーになるに決まっているからだ。作成しても需要がほとんどないからだ。片手が不自由になることを予想してあらかじめトイレットペーパー・フォルダーを設置するような人はまずいないからな。最大の問題は何cmの長さに切断するかの設定が難しいからだ。トイレットペーパーを何cmで切断するかの統計はどっかにあるだろうが、個人差が激しいに違いない。家族の中でもばらばらだ。もっとも、昔は落とし紙といって一定の大きさの紙(新聞紙だったりしたこともある)が積んであったのだからかまわないかもしれないが。設定するのが簡単でないといけないことになるが、その仕組みを考案するのはかなり困難だ。ロールの回転数では決まらない、1回転で繰り出される紙の長さはロールの消費状況で変化するからな。考案自体は難しくないが、数百円で売っているフォルダーに対抗するような価格ではつくれないだろう。
ありゃ、もう2時だ。前半の生理学実習が予想より早く終わってしまったので、こんなことを書いて時間を無断に使ってしまった。何故、今年のこの実習(反応速度測定)はさっさと学生は終えてしまったのだろうか。今年は測定項目が昨年より1つ多いのに昨年よりはるかに早く終わってしまった。マニュアルと説明の要領が改善されたからだろうか。
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反応がない
本日は聴覚の講義。蝸牛管の基底膜の振動は周波数によって違うんだよ と説明するために、ラウンジに行って、なんか長い布ない?と尋ねた。講義直前のことである。
長い布の両端を持ち、一端を上下にふると布は進行波になって他端へ伝わる。上下に振る周期が長い/振動数が低いと、他端まで届くが、振動数が高いと他端に伝わらないということを示すためだ。つまり蝸牛管内の基底膜の物理的性質に依存して基底膜は部分によって良く振動する周波数があるー周波数分析がすでにおこなわれているーと解説したかったのだ。
height=”373″ />ラウンジで業者からお中元とかでもらったタオルがあったので、手伝ってもらって2枚のタオルをステープルで留めて長い布にした。講義で一番前に座っている学生を立たせ、タオルの一端をもたせ、他端を管理者が持って上下に振った。ゆっくりだと学生が持っている端に近い部分も上下に動くけど、早く上下に振動させると学生の持っている端の方は動かないというデモをやってみたわけだ。
学生の反応はない。へーとかいう言葉もない。 うーん。どうやら、そんなのは当たり前と思っているようだ。
配布した資料で紙筒を作り右眼で明るい方を覗け。他方の手のひらを紙筒の先端のちょっと左横に並べて両眼でみると、手のひらに穴が空いて、紙筒で見ている風景が手のひらに穴が空いていて、この穴を通して見えるだろ?
ということをさせた。要するに脳での情報処理はあり得ないことも作り出すぞといいたかったわけだ。こちらはがやがや騒いでいた。へー と思って騒いでいたのか不明だ。
諸君の描く絵がへたくそなのは、記憶/認識が邪魔しているからだ と5歳児、9歳児、大人、逆さまの写真から描いた絵を見せて説明した。あるいは錯視の図を見せて説明した。つまり、諸君は、外部環境を客観的に見ているようだが、実は経験とかに裏打ちされているために、都合良く解釈したり、視覚情報処理は先天的に辻褄を合わせていて、その結果を認識しているのだ と説明したのだが、反応はない。なるほどとは誰も思わなかったようだ。絵がへたくそなのはセンスがないからだと断定していて、説明は納得してもらえなかったようだ。
学生さんのレスポンスがよくわからん。管理者としては面白い話をしたつもりだったのだが…. 管理者が年寄りだから学生さんの認識と一致しないのだな。
PowerLabによるEOG計測
EOG(electrooculogram、電気眼球図)は眼球の動きが電気現象になるので生理学実習のテーマとして取り扱い易い。眼球運動にはいくつかのタイプがあるので学生が考察する材料がいくつも出てくる。考察できるかどうかは別にして。
昔はDCアンプが安価でなかったし、DCドリフトがあってDC記録が難しかった。最近といってもこの20年、DCアンプは簡単に作れるし安価だ。しかし、生理学の実習書では古いAC記録のままだ。
眼球が、例えば右10度回転し、そのまま保持すると右目尻は左目尻よりプラスになってそのま維持される。これをAC記録すると当然、次第に0Vに戻ってしまう。これを医学関係の学生に説明したくない。説明してもなかなか理解してもらえないからだ。
PowerLabではオプションでEOGポットというのを販売していて、DCで記録できる。しかしこのポッドは11万円もする。1台だけならなんとでもなるが10台となると予算申請とかして予算を獲得する必要がある。
いまどきオペアンプで1mV程度の現象のDC記録は難しくない。PowerLab の入力回路をなんとか調べたが詳細はわからない。模式図しかないので推定するしかない。Reference 入力というのがDINコネクタの1つのピンに割り当てられていて、これは本体内部のインスツルメント・アンプの入力に接続されており、オフセットを調節できるらしいというのを見つけた。インスツルメンテーションアンプの入力端子に何か加えるのは、ノイズ対策として良いわけはないが、ともかくこの入力に電圧を加えるとオフセット調節ができる。
とここまでは良かったのだが、残念なことに、このreference 入力が使えるのは+入力のみを使うときで作動増幅器としてインスツルメンテーションアンプを使うときには使えないというのがわかった。EOGポットと同じ機能の回路を reference 入力を使ってできるものとして回廊構成してから気がついた。作動アンプとして使わないとノイズが大きく使い物にならない。困った。
本体のインスツルメンテーションアンプのゲインやノイズは直接、EOG電極から入力して問題ない。
実際にEOGを記録するときは、視線を中央、右10度と変化させたときに発生する電圧を右10度と校正して使う。このゲインの校正は、ソフトでを使って設定できるから、これでいい。被験者毎に設定する必要があるが、電極を張り替えたりしないかぎりこれが変化することは考えにくい。電極と皮膚の間に生じるオフセットもおなじことでキャンセルできるが、このオフセットは、本来あまり変化しないはずだが、現実にはしばしば変化する。だからしょっちゅう調節する必要がでてくる。調整自体は簡単にできるが、いちいち別ウインドウを開いて設定しなければならず面倒である。それより、ポテンシオ・メータ(ボリューム)を回してて調節するほうが現実的である。
解決策は;
1)PowerLabの1チャネルのDINコネクタに出ている±入力をそのまま使い、オフセット調節用の電圧を2チャンネルに入力しチャネル1と2の差を計算して第3のチャネルに表示する。入力を1つつぶしてしまうので、他の現象との対応をみるために他の現象を記録することが出来なくなる可能性がある(3、4チャネルのBioAmp)を使うのなら別だが。
2)PowerLabのインスツルメンテーションアンプの±入力にオフセット調節用電圧を加えるのは、できても、電極と皮膚との間との抵抗とかで変化してしまうし、ノイズ対策として好ましくない。したがってプレアンプを作製しプレアンプの出力にオフセット電圧調節用電圧を加え、本体のインスツルメント・アンプの+入力だけを使うようにする。要するにEOGポッドを自作するのだ。インスツルメント・アンプとオペアンプ各1ヶが必要で、10倍くらいのゲインを設ければノイズ的にも良くなる。
時間がないから1)だな。
文系大学院学生の研究テーマ
文系の教員も加わる委員会に出た。倫理委員会である。小さな大学だから全学で1つである。文系の研究で倫理問題が生じるのがどんなことかわからない。これまでの本審査になる申請書の多くは医療系の研究だからだ。
文系大学院学生の研究の倫理審査が問題になった。大学院学生の研究テーマは研究グループのテーマの一環であると、管理者は信じていた。理系だからな。血圧の神経性調節の研究室で、iPS細胞を使った再生医療の研究をやりたいといったって無理だ。学生が入学する前にテーマはおのずから決まって来る。ところが文系では違うようだ。大学院学生が入学して始めて研究テーマが決まるんだそうな。指導教員の研究分野の研究とは限らないらしい。
理系では研究を実施するための機材に金がかかるから、特定の測定方法を行う機材があって、あるいはそのような機材を開発して研究が実施される。空間的にも予算的にも研究室のテーマ以外の研究は無理だ。指導者の頭だって専門の異なる分野の研究はなかなか指導できない。文系だって、機材を必要としないとはいえ、専門分野が異なれば指導は難しいと思うのだが、ちがうようだ。
したがって、大学院学生の研究で倫理審査を必要とする場合、倫理審査委員会の承認をとるためには年2回の審査会では間に合わない。そこで大学院学生専門の倫理審査を部署毎で行い、その事後承認を本来の倫理委員会が受けるということになっている。反対したけど、認められなかった。なんと、大学院学生の研究レベルと教員の研究レベルは違うという発言もあった。驚いた。
倫理委員会で承認された研究については、共同研究者の追加のみはあとから簡単な手続きでできるというルールを提案したのだが、それも却下された。文系の教員は大学院学生の研究テーマが入学しないとわからないから、あらかじめ申請できないからだ。
あっちに行ってから2年目、驚く事が多い。
ベランダに蛙が住み着いた
1か月前、ベランダから、一定間隔で、金属がこすれあうような音がすることに気がついた。空調の室外機あたりだ。かなり正確に1秒くらいの間隔で音がする。ベランダで動く物といったら空調室外機のファンしかない。へ、空調にトラブルかな?と始めは思ったのだが、近づいて、音を出したら止まった。
ふむ、なにか動物がいるようだ。このような高い音を出す動物といったら、昆虫か?
ベランダには、いただいた山椒の木と、ミントと、シンビジウム(成長しちゃって株分けしたので4鉢も)の植木鉢群がある。2週間くらいたったとき、この植木鉢の縁にアマガエルを発見した。
こいつが鳴いていたようだ。
我が家は1階ではない。こんな高いところへどうして這い上がってきたんだろうか?餌なんか与える気はないが、住み着いているということは餌があるんだろ。植木に小さな昆虫が飛んでくるのだろうか?山椒の木にはアゲハ蝶が飛んできたが、アゲハ蝶をこの小さな蛙は大きすぎて食べられない。
ホームセンターに別の用事でいったら、ソーラーで動作する夜間のみ点灯するガーデンライトを売っていた。400円だ。ふむ、夜、明かりがあると昆虫が飛んでくるので、このライトがあると餌となる虫が来るかも。
というわけで設置してみた。そしたら、蛙はなかなか顔をださなくなった。今朝も鳴いているから植木鉢のどっかに潜んでいるにちがいない。ガーデンライトは役立たずで、蛙には迷惑だったんだろうか。
この蛙のように自主的に這い上がってくる学生がいるとうれしくてサポートするのだが、なかなかいないなぁ。1か月も住み着かれると愛着がわいてくるな。そのうちどっかに行っちゃうだろうけど。
名大へ出張
薬理学と生理学は研究手法が共通するところがあり、こっちの大学にいたころから薬理のメンバーとは交流があった。こっちの大学の薬理学は、親分の定年退職のあと、いろいろあって、事実上なくなっちゃった。そのときメンバーだったY君が名古屋大学医学部の教授ポストを得たのだ。このポシションは定年退職、転職した教員が使っていたもので、この教員の教室のメンバーであったN君があっちの大学で管理者と一緒に仕事をしているという関係だ。教授が定年退職し近くの私立大学に転職したのだがその部下は残っている。だからN君を知るメンバーがいるわけだ。
このY君が管理者に大学院学生相手に講義をしてくれというわけだ。医学部の教室なのだが、臨床ではないので、医学部卒業の大学院学生はまずこない。臨床の教室だと、大学院学生なのか医局員なのかよくわからないような仕事をするので医学部卒が入るのだが。だから講義の相手は理学部/農学部出身者だ。理学部や農学部は最近は分子生物学の手法で研究するところが多い。いわゆるmolecular な知識、技術はあるが研究課題が生体全体における役割を意識していない。医学部では生理学があるが、理学部/農学部では生理学があっても蛸壺生理学なので学生に人体の生理学の知識がない。それでは困るので生体のシステムについてなんかやってほしいというわけだ。自律神経系という依頼だったんだけど、それだけでは話にならないので別の2つの系について全体像から話すことにして依頼を受けたわけだ。
で、数人の大学院学生相手に昨日午前中は講義、午後はチュートリアルを実施した。なんとその中の一人は管理者の孫弟子になることがわかった。 あああああー 年取ったことが実感されるぁ。
今日も、午前中は講義、午後チュートリアル。でそのあとBBQが予定されている。このBBQにN君やこの孫弟子の先生つまり管理者の弟子の一人がくることになっているらしい。
用意してくれた宿舎に泊まって、朝起きたのが6時すぎ。朝食をとることができるところは8時から。大学構内にコンビニがあると、地図をもらったのでコンビニに行ったら、朝7時から。店員がいるのだが15分前で、開いてくれない。しかし、おでんが70円だ、買えという。なんてこった。15分前で開店準備も済んでいるんだから店を開けてもいいのに。大学構内のコンビニだから24時間openしたら採算にならないんだろう。構内(東山キャンパス)内にはなにもない。大学の西側にマンションとかアパートがあるのでコンビニがあるにちがいないと歩いていった。しかしなにもない。ようやく、コンビニ兼ほか弁のような店で朝食を買って宿舎にもどった。一汗かいた。
宿舎には、研究室とある。宿泊施設のフロアには研究室なので関係者以外立ち入り禁止とかの掲示がある。なんだこりや。どうやら、大学内に宿泊施設をつくるのに際して地元となにかやりとりがあったらしい。宿泊施設を学内につくられたら地元には金が落ちないからのようだ。だからといって大学構内近くにホテルがあるわけではない。だから宿泊施設は研究室という名前なのだ。あほらしい。私立の小さな大学ならいざ知らず、いまどき大学内に外来者のための宿泊施設のない大学はないぞ。
名古屋大学の東山キャンパスは山の中に作ったのでアップダウンがはげしい。ちと歩くと汗がでる。息があがっちゃう。タバコの吸い過ぎで肺気腫になっているんだろうな。
運動学習ー生理学と理学療法
理学療法では様々な専門用語が英語の頭文字2〜4ヶで略される。ほかの分野でも同じだが。管理者のように専門としていない者には何がなんだかわからない。学生のセミナーやチュートリアルの発表が分からない。そこで、その略の由来、full spelling を学生に聞いても学生は知らない。なんてことだ。
ROM: Read Only Memory ではない。Range Of Motion 関節可動域 だ
KR:Knowledge of Results:結果の知識と言う。
運動学習という日本語でも概念が少し違う。運動制御の方法としては同じなのだが。生理学では「運動学習には結果の知識(KR)が必要である。」という選択肢が正しいとは言えない。生理学の「運動学習」では「記憶される運動の結果と設定値の違いをエラー情報として用い、次の運動の量の調節に使われる」という風に言う。このときの運動の結果の記憶は知識ではない。意識に登らないからだ。意識に登らないどこかに保存されるのだ。小脳がこのエラー情報を元に次の運動コマンドの大きさを調節するのだ。しかし理学療法では、動作させたときの結果を患者に意識させて次の動作の改善に用いるので「結果の知識」はリハビリで重要なのだ。正しい選択肢なのだ。知らなかった。まだまだ知らないことが多すぎるな。だから議論しても食い違いがあるんだ
理学療法士 国家試験 正解選択肢の分布
理学療法士の国家試験は5肢選択である。正解が1つだけと2つを選ぶ場合がある。
過去5年の正解選択肢の出現率を解析してみた。。正解が1つしかないはずなのに、作問がまずく2つ出てしまう場合がある。そのような場合は、当初の設定の選択肢とした。問題数は200であるが、選択肢が1つだけの問題数は年度毎に異なることになる。また不適切問題というのもあって、年度毎の合計は一致しない。
1肢選択の場合;
χ2乗検定を行ってみた。期待値はすべて同じ20%である。p値は0.05より大きい。したがって分布に有意の差がないという結論だが、正解が1の選択肢は少なく3あるいは4の選択肢が多い傾向にある。作問する側からみると正解が1というのは作りにくい。1択の場合、全くわからなかったら、3か4を選べだな。でも、この事を安易に学生に教えると、学生はすぐ3あるいは4としてしまう。教えないほうがいい。
2肢選択の場合;
こちらの方が、もっと出現率が平だ、強いて言えば2、3あるいは2、4の組み合わせだ。
2肢選択の場合、正解に1〜5が含まれる割合は
これをみても、確率的には有意の差がないが、迷った場合1を含む選択肢は選ばない方がいい。つまり1、3なのか2、3なのか迷ったら2、3の組み合わせを選べということだ。
こういうことに頼らないで、勉強するのが一番であるという解析結果だな。
講義と実習の試験の相関
講義の試験は5肢選択。実習の試験は記述、計算試験。その相関を調べてみた。
あらま。予想に反して相関がない。両方の試験で成績の悪い2名を除いちゃうと回帰直線はもっと水平になる。うーん。なぜだろ。多肢選択問題は学生の理解度を反映していないからではないだろうか。実習の試験問題は、測定値から計算させたり、説明を記述させる問題だ。多肢選択だとそこそこ過去問を暗記すればできてしまうんだろうな。過去問とは講義のたびに実施する小テストだ。
男女の比較をしてみた。
ふむ。実習、講義両方の試験とも男女に得点の差はない。相関はどうだろう。
男女どっちも実習の試験と講義の試験の間にはっきりとした相関はないが、男子の方は傾きは大きい=やや相関がある。女子は過去問を勉強することに関しては男子より優れているという一般的な考え/偏見から予想されることだな。
理解していないと/考えないと解けない問題を出すべきとすると、実習の試験のような式をたてて計算するというような問題や、論理を説明させる問題の方がいいとおもわれるが、国試にはそんなのでないからな。
5肢選択問題
講義の中間試験は5肢選択100問だ。105名の採点が終わって100点満点で平均点は68点、最低点は20点台。どうやったらこんな低い点数になるのだろうか。60点を合格点とすると60点未満を数名以下におさえるためには平均点は70点の後半である必要がある。ちと平均点が低いがまぁまぁかな。まだ1年生の始めての試験だからな。期末試験は学生も要領が分かってもっとできるようになるだろう。平均点が上昇したからといって学生がより勉強したことにはならない。どのような問題がでるかがわかって対策ができたことになるだけだ。今年は上級生から情報を仕入れている学生が少しはいたにちがいない。昨年は、赴任して始めての、学生にとっても始めての試験だったから学生も先輩からの情報がないからか、ちと低く65点だった。これが期末試験になったら73点にあがった。今年もそうなるだろう。昨年の最低は32点でこの学生は退学してしまった。最初からやる気がなかったにちがいない。
試験とは、学生の到達レベルを評価することで、教員の評価でもある。教員の描いている基準に達したかどうかを調べるのだが、そんなことやったら大変だ。悪い成績は、教え方が悪い/基準が高すぎるということになってしまう。基準を定める方法はない。教員の大昔の自分の学生時代の良い記憶だけにたよってつくられてはかなわない。教員だって当時の成績が良かったわけじゃないだろう。良い記憶しか残っていないにちがいない。管理者の大学の成績なんでカフカ全集だしな。逆にその程度でいいというのも間違いだ。というわけで、自分の勝手な基準に外部情報が加わって、教員の悪い評価にならないような適当な基準を作るわけだ。外部情報は学生の資質も含むわけだ。しかしこの外部情報が問題だな。どんどん基準が下がってくる傾向にある。
こっちの大学での通常の試験での試験問題は、過去問に変化を加えたもの+新規の問題 ということで作成してきた。全部新規の問題だと成績がものすごく悪くなる。平均点が低すぎると問題なので、平均点を上げるような操作も必要で、学生との駆け引きにもなる。学生は過去3年くらいの問題を集めている。その周期を上回る問題数を作成するのはしんどいこともあるんだよね。管理者が転職したあと、担当していた講義を新たに担当することとなった教員は、当然、管理者とは違った問題をだしたわけだ。過去問がない。成績は最悪になったようだ。こっちの学生は悪知恵が発達しているから過去問しか勉強しないわけだ。教員と学生の間の暗黙の約束が破られてしまったのだ。管理者がいなくなったという情報を得なかった学生のfault だな.次回、つまり今年はちがったことになるだろう。
講義の試験は5肢選択なので、チェックするため選択肢をランダムに選んだら20点だった。当然だな。2と3を交互に選んで行くと23点取れた。2と3と4を交互に選んで行くと17点だった。3と4を交互に選ぶと20点であった。正解の選択肢は適当に散らばっているという証拠だな。
それにしても20点台というのはどういうことなんだろ。去年と同じくやる気がない学生なんだろうか。