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実験ノート

小保方晴子さんへの不正な報道を追及する有志の会の
2017年02月27日 STAP細胞事件についての議論 のコメント

2179. ペコリ 2017年05月30日 01:20
mさん
本来、実験ノートというのは他人に見せる為に書きません。
自分が読んで理解できれば、それでいいんです。マウスがデカく書いてあったとか、2冊しかなかったとか。馬鹿じゃないかと思いますね。
それが、生物学の常識を覆すような研究なら、尚更です。
小保方さんも再現するにはレシピなる方法があると最初から述べているのに、簡単に見せたくありませんよ。
その事を鷄みたいに忘れてしまってノートの少なさを非難する。
研究の重大性と簡単には見せられないノートがあることを、どうして想像できないのでしょう。
馬鹿らしいですね。
実験ノートは報告書だと勘違いしてるんですよ笑。

というのがあった。
はっきり言ってこの「ペコリ」のコメントは間違いです。こんなコメントを信用する方はいないと思いますが、それでも若い学生さんが誤解するといけないので以下に書きます。
この有志の会というブログでは科学的リテラシーを欠いた輩が騒いでいるだけなのがよくわかりますな。
実験ノートの所有者は実験室を主宰しているPI・研究室・研究所です。卒業・転職・退職時には研究室に残すことになります。ですから、自分以外の第三者が理解できるように記載します。第三者といっても、ペコリのようなド素人が理解できるという意味ではないです。該当分野の研究者が理解できる程度に記述します。プライバシーはないです。同じ研究室所属の人以外には、見せないというのは正しいですが、疑惑が生じた時は自分自身を保護するためにも開示する必要があります。
実験ノートは基本的に他の研究室の人に見せるものではないですが、自分自身の実施した実験を、自分自身が、あるいは同僚・上司・後輩が再現するために必要な情報が書いてあることが肝要です。毎回、思うような実験結果が出るわけではないので、再現できない理由を調べる必要が必ずあります。想定とは異る結果が再現するのかもしれません。基本的には自分自身の実験遂行のためにあるのですが、他人が理解できなければいけません。「自分が読んで理解できれば」というのが筆頭著者の実験ノートだったから、後に、何が書いてあるのかを調査委員会に説明できなかったわけですね。「生物学の常識を覆すような研究」だろうと、誰かの実験の追試だろうと、再現できるよう、きちんと書いてある必要があります。「レシピがある」といってレシピを公開したけれど、本人自身を含め誰も再現できないようなレシピしかできないのは実験ノートがないからでしょ。渡した物は「xxxxとラベルのある冷凍庫にあったサンプル瓶を解凍して得た細胞」との記述が実験ノートにないから(書けなかったから?)、こんなことになっちゃったわけですからね。
フォーマットは研究分野や研究室で異るので一概にはいえませんが;
1)ルーズリーフのような取替ができるのは原則禁止。糸で閉じてある(製本してある)ノートにする。表紙には実験タイトル(プロジェクト名)と記載者氏名、記載開始日時、終了日時、ノートのシリアル番号(ノート1冊ということはあまりない)があること。
2)各ページにはページ番号と日付があること
3)研究テーマではなく、何のための実験か、そのノートに記述する実験が何を証明するために行うのかを簡潔に記述すること。
4)薬品の調整等の操作を記載する。「xxモルの溶液を作った」ではだめで「x mg を y mlに溶かした」のように、実際に操作したことを記載する。間違えた濃度で実験したのかもしれないことが後でわかる。
5)実験毎に利用する機材が異ることがある。例えば自作のガラス管電極等で、毎回異ることが有り得るので、その機材の特性(電極抵抗、先端の径、なにを充填したか、などなど)を記載する。
6)操作の時間は、開始時刻ー終了時刻のように時刻も合わせて記載する。
7)実験中に実施した計算結果等は、計算の元になる数値を必ず記載する。計算結果だけでは、計算間違いがあったかどうかわからないから。
8)ボールペンで記載する。誤りはホワイトなどで消さず、取り消し線で修正する。元の値が誤りではなかったかもしれない。
9)余白がないようにする。後からの解析結果は別ページとし、「解析結果はxxページ」等記載する。
10)実験中はこのノートが常に傍にあって、記入できるようにするわけだが、場合によっては(クリーンルームには持ち込めない等)、メモ用紙に記入せざるを得ないことがあるかもしれない。そのような場合は、実験ノートにのりで貼り付けること。
11)電子ファイルでしかありえない記録は、その記録番号等をノートに経時的に記載する。記録条件、設定パラメータを実験ノートに記載する。パソコンのファイルとして記録・保存される場合は、必ず合計3ヵ所に保存する。パソコンのHDDは必ずいつか壊れるし、研究室の共有ファイルサーバ(NAS)も所詮HDDだから壊れるし(RAIDを組んでいるから研究室の管理がまともだったら多分大丈夫だけど)、いわんやUSBメモリーなんかはどっかに紛失する(大学病院の洗濯室はUSBメモリーの山だ)。
12)肉眼観察の場合、スケッチを描くのが普通だが、今やスマホがあるので、写真撮影が簡便かもしれない。しかし、写真では、往々にしてわかりにくいのでスケッチも併記するのがいいだろう。
というようなことが記載されているわけですな。なにか抜けているかな?
[ 追記 ] 2017.5.31
Zephyrusさんから、上司のサインが必要とのコメントをいただきました。大学の研究室では多分、実験毎にサインをもらうことはないかと思います。大学院学生だったら、直属の上司に相当する助教や講師あるいは共著者になるかもしれない先輩のチェックがあるといいかもね。
[ 追記 ] 2017.5.31
実習で実習書の余白に測定値を書いている学生がいたので;
師曰:実験ノートに記入しろと何回も言っただろ?実験ノートは?
学生曰:実験ノートはここにあります!!
師曰:なんで、実験ノートの方に記入しないの?
学生曰:実験ノートにはあとから清書したいのです。提出することがあるんでしょ?
さよで……
実験中、なんでもともかく記載するんだよと伝えたつもりなのだけど、理解してもらえない…..

No claims are allowed.

The United States Patent and Trademark Office に入って絵にある文字列を入力して「14397080」を検索し、Image File Wrapperのタブを開くと「05-18-2017 CTFR Final Rejection」とあります。「結論ありき」の非専門家ブログが社会を混乱させている:世界三大不正STAP事件の正しい理解を社会に広める会にpdfファイルがアップされています。このFinal Rejection文書の最後にNo claims are allowed.とあります。はい。米国の特許はおしまいですね(まだ粘れる可能性はあるみたいだけど、意味ないと思えます)。
Vacanti が言い訳をぎりぎりになって申請したんですけど;

Applicant’s arguments filed 1/6/2017 have been fully considered but they are not persuasive. (申請者の2017年1月6日提出の主張は十分に考慮されてきたが、説得力がない。)

と全く役に立たなかったようですね。
理研が特許を放棄したとき、すべての利権が米国、ハーバードに移った、けしからん、STAPが潰されたのは巨大な利権がからんだからだとか言っていた擁護の方々の反応はないですね。
小保方晴子さんへの不正な報道を追及する有志の会の STAP細胞事件についての議論 記事にあるコメントでかろうじて;

1982. m 2017年05月19日 00:30
本音を言えば、特許などどうでもいいんだよ。

だそうで、ついこの間までは、特許、特許を騒いでいたのに、都合の悪い事実は無視するのがよくわかりますね。
日本国内の特許申請も拒絶され、6月初めまでに反論しないとお終いということになります。
特許申請が拒絶されたことに対する擁護グループからのコメントはほとんどないです。
理研STAP細胞論文調査委員会報告、改革委提言等への根本的疑問のteabreakさんなどは、特許に関してこれまで幾つもの記事を書いていたのに、3月の日本の特許庁の拒絶に対して何もコメントしていません。米国の最終拒絶に対しては何かコメントされるのでしょうかね?その他の、巨大な利権…だと騒いだ方々はどうなさっているんでしょ?
上にあげた有志の会の記事のコメントに

1998. 時系列 2017年05月19日 17:13
どっちを信じろと言われれば、普通の人なら小保方氏側を信じると思いますが。一度自分の判断力が普通なのか異常なのか省みた方が良いと思います。

と言ってる方がいますけど、そのお言葉はそのまま、ご自身に当てはめるべきですね。もっとも、ここに集う擁護の方々は、頭から決めつけていて学習意欲も能力もないので、いまさら何を言っても無駄ですけどね。
そういえば、どうやら我らがコメディアン、 J. ワトソン氏は、同じ擁護派の方々からもひんしゅくを買うことになって、孤立してしまったようですね。所詮、J. ワトソン氏の主張は、筆頭著者がSTAP細胞の作成に成功したというのですから、若山氏がES細胞を混ぜた(筆頭著者を貶めるために若山氏が操作したものであってSTAP細胞は実はない)と主張するあの記者会見でころりと騙された筆頭著者を愛でている擁護の方々と意見が一致するわけがないですからね。
[ 追記 ] 2017.5.21

2072. 匿名 2017年05月21日 14:34
ファイナルリジェクションが出ても、特許が取り下げられたという情報がまだ出ていないので何とも言えません。

もはや、「取り下げない」なんて意思表示しても何の意味がないと思うのですが、まだ粘るんですかね。世の中の人々はSTAP現象などは証明されていないと判断していることが理解できないようですね。日米の特許庁も(NHK、毎日新聞、週刊文春、新潮社(週刊新潮、新潮45)、日経サイエンス同様に)”アンチ”に含まれちゃうんですね、きっと。
[ 追記 ] 2017.5.21
teabreakさんが本日、記事を書いていますね。
内容は米国特許の手続き論だけで、なにもないですね。ただし;

気になるのは、いずれ、小保方氏は研究生活に復帰するだろうと思いますが、そのことが、RCE(継続審査)の利用の有無の判断に影響するのではないか・・?ということです。

だそうで、特許申請の成否が研究とは何の関係もないことがわかってないのでしょうか?公募されたポストの応募書類に、たしかに特許等の取得状況を記載することがありますが、筆頭著者のような基礎研究分野で特許の有無が採用に大きく影響することはないでしょう。工学部じゃないしね。もはや筆頭著者は有名人なので、STAPについての米国特許の有無が採用の成否につながるとは思えません。筆頭著者が研究生活に復帰する可能性が、幸福のなんちゃら以外にあるとでも、teabreakさんは思っているんでしょうかね。

ImageJ のほうが一発で

前回の記事はImageJ のインストール方法とかが主だったけど、実際に使ってみる。有名な、筆頭著者のNature の Article のfig.1i の電気泳動の図だけど、一発で切り貼りを提示できる。

pdfでダウンロードしたファイルから図の部分をPhotoshopで読みpng として保存する。このpng ファイルをImageJ  で開き image  → Type → 8bit でモノクロに変換する。さらに、image  → Adjust → Threshold で適当に調節すると

レーン3の切り貼りが一目瞭然だ。こっちのほうがPhotoshopdで明るさやコントラストを変えるより、簡単ではっきりする。管理人の研究分野では電位泳動の図のある論文査読なんてまずないから使わないだろうけどね。
しかし、査読でこんなの見つけたらがっかりしちゃうから調べたくないよね。

モル濃度

高等学校の理科は生物基礎と生物あるいは化学基礎と化学のように2本立てで、基礎とつくのが必須、つかないのがさらに進んだ内容で選択というのが普通だ。だから化学基礎はすべての新入生は履修してきたわけだ。
文科省の高等学校学習指導要領解説の56pによると化学基礎については;

(ア) 物質量について
中学校では,第1分野「(2)イ(ア) 物質の溶解」で,質量パーセント濃度について学習している。

物質量とその単位である「モル」を導入し,原子量,分子量,式量との関係やモル質量との関係
を扱う。また,気体については体積と物質量との関係,溶液については溶液の体積と溶質の物質量
との関係を表すモル濃度も扱う。

とあるわけで、モル濃度の概念はわかっているはず。
しかし、AO入試で早稲田大学に入った優秀な筆頭著者ですら、大学院を卒業しても、モル濃度の溶液が調整できない・現実に作成できない(110.57mg の ATPを 1ml の水に溶かして200mMとするなんて書いている)ことからもわかるように、早稲田には及ばない中小私立大学の学生さんには、”はず”があてはまらないのだ。
浸透圧実習を行ったのだが、大名実習で蔗糖の0.5 モル、1モル溶液を教員側が準備したので、学生さんにはモル濃度の調整の設問をレポートの課題として与えたのだ。毎年のことなんだけどね。

0.2 Mの蔗糖液を100 ml を作る方法を説明しなさい。蔗糖の分子量は342.3 である。

という設問である。モル濃度の溶液の調整方法は年度当初に、「単位の話」という小冊子で、なぜ医学では圧力をパスカルで表示しないのか等を含めた読み物を提供してある。学生同士が相談してもいい。ネットや教科書で調べてもいいという状況である。
ほとんどの学生さん(95名)が 342.3[g] X 0.2[モル] X 0.1[100/1000 ml] = 6.846 g の計算はできている。全員が計算できたかどうかはわからない。多分、友人の結果のコピペが何人もいるだろう。しかし、問題は、この6.846 g の蔗糖をどうやって溶かすかである。

正解は100 ml弱の水にまず溶かしてから水を加え、100 ml にするであるが、予想通り水100 ml に溶かすが最も多い答えになった。毎年のことだ。
93.154 ml あるいは93.154 g の水に溶かすというのは中学で習った重量%濃度が尾を引いているんだろうな。
こういう記述問題を出すと、必ず意味不明な文や、記載が不十分な回答が出て来る。単に「6.846 gを溶かせばいい」とかである。
昨年度は正解者が17%だったので、今年のほうがはるかに良い。良いといってもこの程度だけどね。
最終的に100 ml に調整するわけだが、ビーカーを使ってというのが多く、メスフラスコでという答えは一人だけだった。高校では実際にモル濃度の液体を作らせていないんだろうな。
なぜこのような面倒な操作をするかの解説を行った上で、再度期末試験に出すわけだ。計算ができない学生がいるから、正解者は半分いるかいないか程度になるだろう。
ま、こんなもんでしょうね。教えがいがないというのか、1/4だったのが半分ができるようになったのはすばらしいというのか、よくわからん。

かもしれない ではね。

個人のブログなんだから何を書いても、どんな意見を表明してもいいけど、小説ではないのだったら、しっかり根拠がをもって、書いてほしい。約80の文で構成された記事のうちの約半分の文が「だろう」「かもしれない」で終わるようなブログを書いてなにが言いたいんだろ?
学とみ子のブログの「須田氏はこの時点で、GRASに残っている検体の遺伝子解析をすれば、ESねつ造説が確定すると考えている。」は、引用部分を除くと78の文から構成されている(数え方によって違うかもしれないけど)のだが、その文の最後の語句を集め、断定している文とそうではない(非断定)文とを分けてみると:

断定文 非断定
である。 6 かもしれない。 13
がある。 4 ようだ。 6
しまった。 2 ようだった。 2
だけだ。 2 であろう。 6
考えてみたい。 2 感じだ。 2
しまっている。 2 と思う。 2
かいてある。 2 1回だけ使われている語句 6
書いている。 2
わからない。 2
しない。 2
1回だけ使われている語句 13
39 37
1回だけ使われている語句とは
ていた。戻す。
信じていた。
しない。
1回だけ使われている語句とは
ありそうだ。だろう。
想像できる。
様子だ。見える。
思われる。

となるのだ。他所様のブログを解析してなんになる?といわれたらそれまでだけど、約半分が「かもしれない」「ようだ」で終わる文から成る記事は、その自らの想像・推定を根拠として論理を組み立てているのだから、記事全体が妄想と言われてももしょうがないでしょうね。論文の考察がこんなんだったらボロクソに言われるのは間違いのないところです。学とみ子のブログは小説とは思えませんからね。
ちなみに論文・レポートらしい表現という記事では「かもしれません」は論文・レポートでは”使いにくい表現”の例になっています。この記事は台湾在住の日本人が日本語nativeではない人のために日本語論文を書くために作成した指導要領(正しいかどうかわからない)のようで、妥当なことが書かれています。”使いにくい表現”とありますように使ってはいけないわけではありません。
月も金星も動いているのは間違いない。だから、明日、月が金星に衝突するかもしれず、その結果、月が地球に落ちてくるかもしれない。だからシェルターを購入しよう。なんて書いていたらアホかと言われ無視されるのが落ちでしょ。
ちなみに一研究者さんの記事を同じように解析してみたら、断定文が34,非断定文が14でした。意見を表明する場合、この位の比率が普通かどうかはわかりません。また、一研究者さんの記事が対照としてふさわしいかどうかは別の問題で、科学者と思われる方の書いた記事の1例としてあげただけです。内容の妥当性とは関係ありません。

マニュアルを読めないかも

今時の若者はマニュアル人間だなんてことをよく聞く。マニュアル通りにはできるが応用が効かないとかいう意味で年長者がけなすわけだ。これが正しいかどうかはわからない。
管理人の担当している実習では実習書というマニュアルを、当然のことながら、用意してある。

なんとこの実習書は180ページを超えているのだ。こんなに分厚い実習書は多分どこにもないだろう。簡単な説明では学生さんは実施できないので、step-by-step で説明することになり、長くなってしまったのだ。180ページ余りを綴じて冊子にして学生さんに渡しているわけではない。学生さんは実習前に読んで臨むなんてことがないし、予め渡すと、実習当日持参してこないのだ。だから毎回該当する数ページ〜十数ページ分を実習当日配布するわけだ。勿論、予め知りたいという学生さんは、ネットにpdf がアップロードされているからこれを読めばいい。そんな学生さんはめったにいないけれど。
予め読んでいるわけがないから、実習の開始時に読ませ、その後、口頭で目的、手順等を解説するわけだ。読んで、わかるとは思えないからな。口頭では大まかに説明し、実習書にはstep毎に記載してあるからその通りやってよねというわけだ。
毎年、最初の3回はレポートの書き方と統計処理・検定の方法なので、連休が明けて、本格的な実験がようやく始まったのだ。
今年の学生には、マニュアルを読めないのがかなりいるようなのだ。読ませているときの学生の態度から判断できる。
一応、読む学生は、マーカーなどで、重要と思われる部分をマークする。理解しているかどうかは別として、文章のパターンで、ここが要らしいと判断するわけだ。ところがこのような動作をする学生が例年と比べ少ない。すぐに顔をあげて、キョロキョロ始めたり、実習器具をいじったりし始めるのだ。明らかに実習書を読んでいないというか読めないのだ。長いからな。かなり絵、写真があって文章だけではない実習書なのにだ。
マニュアル人間どころか、その手前なのだ。弱ったな….
マンガにするわけにいかないしな…

こんな医者もいた

学とみ子というわけのわからない意見をブログで表明しているのは医者らしいのだが、まだ他にもいる。勿論、内海なんかが超有名だけど、また別口を知った。黒部信一という慶應義塾大学医学部卒の小児科医だ。
黒部信一のブログの日本脳炎ワクチンを廃止しようという記事によると;

その(獲得免疫の)仕組みは、利根川博士によって解明されました。一つの遺伝子が断片となって存在し、それらを合成して抗体を作ります。そして胎児発生の過程で胎児の細胞からリンパ球ができる際に遺伝子の配列に再構成が起こり、抗体遺伝子の構造が変化するというのです。一度獲得された免疫の記憶は、遺伝子によって一生残ります。これが次の世代に受け継がれると、私は推論します。それ故、世代を経るごとに感染しても発病率や後遺症率、致命率が低くなり、軽症化します。これが私のとる病原環境説または適応説です。

だそうな。
あのさ、T細胞の遺伝子再構成が子供に伝わるわけがないでしょ。生殖細胞は発生の初期から体細胞とは独立するので、獲得形質は遺伝しないというのは医学・生物学の常識だろうが。もし、T細胞の再構成された遺伝子が子供に伝わったら、その子供は1種類の抗体しか作れない・免疫不全になるだろうが。あんた、本当に医学部出たの?
すべてのワクチン接種を否定しているわけではないようだけれど;

最近登場したヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンは前に述べたように、常在菌ですから、叱らずのびのびと子どもを育てると、かかりません。

はないでしょ。内海の「自閉症など障害児は親の不摂生が原因だ」とどっこいどっこいの考えですな。
乳幼児のビフ感染症とか肺炎の責任は親の育て方かよ。「私は子供をのびのびそだてているからビフワクチン接種をしません」なんて親がいて子供が髄膜炎になったら、あんたのせいだよ。困るよね、医師のくせに独りよがりの考えをおしつけちゃ。
天然痘は地球上から絶滅したからワクチンを打つ必要がないことになった。しかし日本脳炎は絶滅したわけではない。東南アジアから持ち込まれるから、接種したほうがいい。麻疹だってワクチン打っていない人がかなりいるからパンデミックにはなってないけど結構拡散しているだろうが。40代以上はほとんどが麻疹に感染したけ経験があり(昔はすごかった。麻疹の子供がいると敢てその子供に自分の子供を接触させに行かせたのね、接触でほぼ完璧に感染するからね。)、抗体を持っているけど、麻疹の抗体産生が遺伝するのなら、その子供である若者は麻疹に感染しないだろ?上記のようなでたらめな考えの医者の言うことは聞きたくない。

大学の教育改革

一研究者・教育者の意見 というブログの2017年05月02日 文科省の政策の果てにという記事で、一研究者さんは
「国立大学への交付金が削減されてきたが、その削減分は競争的資金として文科省のお目にかなう大学改革を実施している大学に配分されている。大学改革とは大学の教育改革だ。その結果、大学全体が受け取る「交付金」総額はかわらないものの、各大学で様々な教育改革を計画・実施しないと、「交付金」は結局減額されてしまうので、大学教員はこの新規な計画立案に忙殺され研究ができない。」と指摘している(もうちょっと横道にそれない展開にしてほしいけど、こういう指摘をしてれば一研究者さんもいいのだけどね、)。
もう、目の前の仕事としてこのような大学の教育改革(大抵の場合は組織構成を伴う改革だ)につきあうことはないのだが、元の大学へ仕事で行くと、この指摘通り、教授クラスのみならず研究三昧であるべき若手の教員にも負荷が掛かっているのがわかる。例えば、これまでの学位(博士など)の授与機構である大学院研究科制度を止めて、学位授与プログラムとかに改組するなどが画策されているらしい。これは、大学院定員を満たさない研究科があると交付金減額になるわけで、これを防ぐためには、組織を大きくして全体として定員の過不足を平らにしてしまおうということが現実的な目的なのだが、大義名分は学問分野の壁を取り払う大学院教育改革だ。大学院の組織改革は、程度によるけれど、新規の大学院を創設するのと同じような手続きになり、全構成員のこれまでの履歴・業績を集めることから始まるので、その事務的仕事量は半端ではない。こんなところも教員の仕事になる。
一方、日経の記事によると、政府の教育再生実行会議は「アカデミックな教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が求める「即戦力」となる人材を育てろ」との提言したそうな。「文部科学省は提言を受け、大学の実践的なプログラムを文科相が認定する制度の検討を始めた」らしい。「資格の取得などを目指す教育プログラムを各大学が設けろ」だって。なんてこった。大学とはアカデミズムの塊だろうが。産業界はそんな即戦力ばかり要求するのかよ。「専門学校には既に同様の仕組みがあり、民間企業と連携した様々なプログラムが開設されている」のだったら専門学校に投資すればいいだろ。大学に要求することじゃないだろ。税金を大学に投資する目的は、目先の利益を得ることじゃないだろうが。こんなこともまた大学教員の負荷を増やすことになるんだよね。興味のある研究したいのに流行りの研究でないから、研究費もない、事務的業務ばかり増えて時間もないじゃ、逃げて行きたくなるよね。
大学の自由度を増すために法人化したなんて文科省は言うけれど、現実には金で大学を縛っているんだよね。大学独自の改革であればいいのだけど、文科省のおメガネにかなう改革でないとまずいわけで、大学当局は否定するけれど、天下り理事とか副学長ができちゃうんだよね。文科省役人の狙いだもんね。キャリア役人の所属省庁への忠誠心を保つためには、先細りになる出世街道からはずれる人への仕事場の提供が必須だからね。
腰痛も良くなってきたような気がするけれど、一度、椅子に座ったら立ち上がりたくないので、パソコンの前で、うだうだしているわけですな。休日なのに授業開催日といことで勤務しているのです。
[ 午後に追記 ]
なんとか実習をこなしたぞ。昨日より状態は良くなった。やっぱし、風呂・酒・飯・寝るがよかったらしい。

こんな医者にかかりたくない

うへ! 学とみ子氏て、根拠を示さず、頭の中だけで妄想で文章を書く方なんですな。

目のまえの困った人を前に、臨床医がエイヤア!の治療をすることがある。たとえ、治療に問題あっても、実施されることがある。

だって。こんな医者にはかかりたくない。インフォームド・コンセントで嘘をインフォームドされたら困るよな。一か八の手段は患者側に決定権があるんだよな。

基礎学者は、臨床医の研究をけなす傾向がある。そんないいかげんな研究では、世の中に役立たないと言う。基礎学者は、臨床医の展望や希望が理解できないし、臨床医学は急に進むことがあることも見通さない。
つまり、追及したら本筋はだめだったが、副次的な発見があったなどの、ひょうたんから駒的進歩もある。

なんか、誤解だよね。基礎学者が臨床医の研究をけなすのは、その方法では証明にならないとかいうときで、臨床医の求めていることは理解できていて、あえて言うのだ。
この「つまり」が説明になってない。やったら副次的な発見とか瓢箪から駒で、臨床医学が急に進むことは無いとはいえないが、そんなことを目指して臨床医は研究するのかよ。

こうした基礎学者特有の視点も、今回のSTAP事件の発生に関係していると思う。

はあ?意味不明だ。なにが基礎学者特有の視点で、この視点がSTAP事件のどこに関係しているんだよ?

基礎と臨床の対立する現場の実態が、{ねつ造の科学者}で見れることは興味深い。

はあ?笹井氏が臨床で{ねつ造の科学者}の著者の須田氏が基礎かよ?
少なくとも医学部を卒業した方のようなので、もうすこしまともな論拠のある文章を書いたらいいのではないかと愚考いたしますな。
(まだ腰が痛いので座ってできる、他所様のブログけなしです)

血が逆流するほどの憤激ーその2

筆頭著者の『婦人公論』5月9日号の日記の「血を逆流させるほどの憤激」について、その2です。半分ぎっくり腰で安静なのでネットで遊んでいるわけです。明日にはよくなるでしょう。
tea*r*akt2さんは「STAP細胞への確信を裏付ける」と解釈しているとしたが、 しかし、その後、J・ワトソンさんが「信頼する事務方幹部が裏では研究費返還請求手続きを進めていた」ことに憤激したのだと」指摘しています。
この事務方幹部の行動についての記述は『婦人公論』の日記にしかないので当ブログ管理人にはわからないのですが、日記に書いてあるんでしょう。
では「あの日」には、この論文投稿代請求の部分についてはどう書いてあるでしょ。p231の最後あたりです。

ネイチャーへの投稿を決めたのはもちろん私ではないし、他の人の不正はわからなかっただけで、単独での支払いを強いることは、私を罰する姿勢を対外的にとることだけが目的であり、その姿勢を貫くことに憤りを覚えた。

とあります。
つまり、婦人公論(2017年4月)に書かれていることから判断するワトソン説は(tea*r*akt2さんも指摘を受けて納得している説で)、一見、親切に対応してくれた事務方の上の方の身分の方(個人)が、裏で返還請求手続きを行っていたという裏切りに対する憤激なのに、ご本人の1年前の記述(2016年1月)では、理研(組織)の方針に対する怒りですね。
「あの日」には憤りについては比較的に冷静な記述に終わっているのに、日記では「血が逆流」とものすごく激しい表現で、怒りの対象も異なりますな。 どっちがホントなんでしょうかね。日記のほうは1年後の加筆の可能性があるから後付で、よく考えたら「あいつはひでー奴だ」と言いたくなったんでしょうかね? しかし、感情の起伏についての表現は確かに目を引くところがありますな。サイエンスに足を突っ込まず、ウソでも成り立つ私小説の世界では活躍ができたかもね。でも社会人としての資質はどちらでも必要だから、別の分野であっても大変でしょうね。
しかし「あの日」では「他の人の不正はわからなかった」と不正は共同研究者が行ったと堂々と言い放つのはどういう神経なんでしょね。この場合、どう考えても「他の人」とは”あの人”しかいないわけですね。単に緑に光っただけなのにSTAP細胞はある、データ改変は”あの人”に言われたからやったのだ、自分は不正はしていない、とあくまでも思っているんでしょうね。自分の都合の悪い言動は覚えていられないから、自分では一貫した行動を取っていると思っているんでしょうね。だから他所様から指摘されると、ストレス下なのでなんと答えていいかわからなかった・他人のせいにする・怒り狂うという、すごい人ですな。