これまでは学とみ子は1日に何回も追記を重ねるという行動をしてきたのですが、最近はどういうわけかその頻度が少なく、2,3日に一回、ブログの更新を行うだけというのが続いています。かつての行動から何回も学とみ子ブログを見に行く事が多かったのですが、最近は更新頻度が少ないので、当然同じ記事を再度読むことになります。
最初に記事を読んだあとは、その記事の主要な記載に目が行くのですが、複数回読むようになると、これまでも引っかかっていたのですが、何もコメントしなかったことにコメントするようになります。別に重箱の隅をつついているわけではないのですが、かっぱえびせんですから、突っ込むことになります。
大抵、学とみ子記事の冒頭は引っかかることがあっても、その後の学とみ子の主張の嘘・デタラメを批判することになるので、冒頭部分にはコメントすることがありません。今回もしばらく何もコメントしなかったのですが、暇なので、学とみ子文章の添削をしてみます。
「geminiとのチャットを続けている経緯の中でのやり取りの一部を公開します。」
chat:チャットとはインターネットを介してリアルタイムで会話をする仕組みですから「やり取り」は重言です。
「続けている経緯の中での」 ← 「続ける」と「経緯は」ともに時間の説明ですから意味が重なり、さらにチャットにも時間軸が含まれているので、「続ける」「経過」は無用です。
したがって
「geminiとのチャットを続けている経緯の中でのやり取りの一部を公開します。」は「geminiとのチャットの一部を公開します。」として必要十分です。
次に前の記事のコメントで既に批判していることですが、繰り返しになるのですが、再度学とみ子の言い分が不適切であることgeminiに聞いてみました。
以下、学とみ子の文章(青字)に当方が①〜⑥を挿入しています。
「①科学者は、後世への影響を、一般人より見て評価する人たちです。②理研を管理する人たちに教えていく立場です。③そうした意味で、理研の中で、声をあげなかった人は、小保方氏が反論に立ち上がるはず!と思って期待したのじゃないかな?④小保方氏は、なぜ、実験ノートを出せないのかの背景を、桂調査委員会はブラックボックスに入れました。⑤さらに、科学的では無いメチル化実験の説明やら、「小保方氏が全てを解析した」との桂報告書文章の公開を、理研内学術層が、全力で止めなかったのは、⑥学とみ子には不思議でしたよね。」 →
①:科学者の研究動機に「後世への影響」というのを持つ研究者は皆無といっていいでしょう。
②:理研の研究者には理研という組織の管理者に教えるという業務はありません。
③:そんな期待を持つ理研職員がいるという根拠はなく、学とみ子の妄想です。
④:実験ノートを出せない理由を隠した(ブラックボックスにした)のは小保方氏です。したがって、この文章は学とみ子が研究不正調査のあり方を理解できていないことを示します。
⑤:学とみ子の言う「理研内学術層」とは誰のことかわかりませんが、理研所属の研究者and/or科学研究を過去に行ってきた執行部(管理者)あるいは官僚出身の管理者であっても、彼らが桂調査委員会の報告書作成に意見を述べる立場にはありません。世の中では組織が不祥事を起こすと、第三者からなる調査委員会をその組織が立ち上げますが、その委員会の調査に組織が口を出したら調査にならないので、もし口をだしたら委員会は何等かのコメントを残して結果を出さず調査委員会を解散するでしょう。その組織は極めて大きな批判を浴びることは間違いないです。「第三者」の意味をなさないからです。したがってどのような組織でも第三者調査委員会に口を挟むことなどしません。
⑥:したがって「学とみ子には不思議」と言う学とみ子は世の中の仕組みを知らない非常識な人間であることがわかります。
この意見の違いをgeminiに聞いてみました。以下*1のようで、学とみ子の発言は「物語的・心理的」であり、当方の批判・意見がまともであるとのことです。これまでも同様に学とみ子の意見と当方の意見を併記してどちらが妥当かと比較を聞くと、学とみ子の意見は「感情的」「情緒である」等で当方の意見は論理的であると返ってきます。今回も同じですね。10年前に感想さんが「学とみ子は想いの人」と評価したのが全く変化していないのですね。これを自覚することなく「STAP事件を科学的に論じたい」と言うのですからへそで茶を沸かすということになるのですね。
「専門家、研究者の意見を押さえ込んだ、理研管理者の責任を問われる場面だが、当時の理研管理者も、「すべての疑惑は小保方氏の責任だ」を信じていて、正義の行動だったのだろう。」 → 「理研管理者」が誰かの意見を抑え込んで小保方氏の責任にしたという根拠はありません。理研執行部は確かに遠藤氏の意見を抑え込もうとしましたが、失敗しました。しかし、桂調査委員会の意見を抑え込んだという証拠、証言はありません。理研執行部が正義のために行動したという評価は聞いたことがありません。そうではなく、サンプルの解析をなかなかしなかったと事件を小さく論文撤回だけですませようとした組織保全の行動であったという評価のほうが多かったと思います。平成26年(2014年)6月12日の「研究不正再発防止のための提言書」でも「事実解明に関する積極性を欠く理研の姿勢は、事実を明らかにすることにより責任の所在が明らかになることを怖れているのではないか、STAP 問題の発生を許した自らの組織の問題点や深刻な社会的疑義を惹き起こした責任について深く掘り下げることなく、問題を矮小化しようとしているのではないか、との疑念さえ生じさせるものである。」と理研執行部を批判しています。
この両者の意見について、というか学とみ子のデタラメ発言をgeminiに聞くと*2のように、「正義のため」という学とみ子の意見は否定され、当方の意見は「当時の世論や専門家による検証結果と強く合致する、非常に説得力のある鋭い批判」であり、「日本の公的研究機関におけるガバナンスと倫理のあり方を問う本質的な視点」であるとのことです。
*1
Q: 「①科学者は、後世への影響を、一般人より見て評価する人たちです。②理研を管理する人たちに教えていく立場です。③そうした意味で、理研の中で、声をあげなかった人は、小保方氏が反論に立ち上がるはず!と思って期待したのじゃないかな?④小保方氏は、なぜ、実験ノートを出せないのかの背景を、桂調査委員会はブラックボックスに入れました。⑤さらに、科学的では無いメチル化実験の説明やら、「小保方氏が全てを解析した」との桂報告書文章の公開を、理研内学術層が、全力で止めなかったのは、⑥学とみ子には不思議でしたよね。」といいう学とみ子さんに対してため息さんは;
①:科学者の研究動機に「後世への影響」というのを持つ研究者は皆無といっていいでしょう。
②:理研の研究者には理研という組織の管理者に教えるという業務はありません。
③:そんな期待を持つ理研職員がいるという根拠はなく、学とみ子の妄想です。
④:実験ノートを出せない理由を隠した隠した(ブラックボックスにした)のは小保方氏です。したがって、この文章は学とみ子が研究不正調査のあり方を理解できていないことを示します。
⑤:学とみ子の言う「理研内学術層」とは誰のことかわかりませんが、理研所属の研究者and/or科学研究を過去に行ってきた執行部(管理者)あるいは官僚出身の管理者であっても、彼らが桂調査委員会の報告書作成に意見を述べる立場にはありません。世の中では組織が不祥事を起こすと、第三者からなる調査委員会をその組織が立ち上げますが、その委員会の調査に組織が口を出したら調査にならないので、もし口をだしたら委員会は何等かのコメントを残して結果を出さず調査委員会を解散するでしょう。その組織は極めて大きな批判を浴びることは間違いないです。「第三者」の意味をなさないからです。したがってどのような組織でも第三者調査委員会に口を挟むことなどしません。
⑥:したがって「学とみ子には不思議」と言う学とみ子は世の中の仕組みを知らない非常識な人間であることがわかります。
と反論しました。反論は妥当ですか、それとも見当ちがい、不適切内見ですか?gemini: 学とみ子氏とため息氏の議論は、STAP細胞問題における「科学者の倫理観」や「組織のガバナンス」という抽象的なレイヤーと、「調査委員会の独立性」という実務的なレイヤーが衝突している状態と言えます。
ため息氏の反論が妥当かどうか、各項目ごとに分析します。
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### 1. 科学者の動機と役割(①・②・③について)
* **ため息氏の主張の妥当性:高い**
* **科学者の動機(①):** 一般的に科学者の第一の動機は「真理の探究」や「知的好奇心」、あるいは「研究業績(サバイバル)」です。「後世への影響」は結果として付いてくるものであり、それを主目的として評価基準に置くという学氏の主張は、やや情緒的で一般的な研究現場の実感からは乖離しています。
* **教える立場(②):** 理研のような独立行政法人において、研究者は職務として「研究」を行うのであり、管理者に「教える」のが業務であるという学氏の定義は組織論として不正確です。
* **心理推察(③):** 「小保方氏の反論を期待した」という理研内部の心理については、客観的な証拠がない以上、ため息氏が「妄想(主観的な推測)」と切り捨てるのは論理的帰結として成立します。
### 2. 調査の独立性とブラックボックス(④について)
* **ため息氏の主張の妥当性:極めて高い**
* 研究不正調査において、証拠(実験ノート)を提出する責任は第一に被疑者にあります。ノートが提出されなかった事実を「委員会が隠した(ブラックボックスにした)」とする学氏の解釈は、**「立証責任」の所在**を誤解している可能性が高いです。委員会は「提出されたもの」を評価する場であり、出されなかった理由を忖度して弁護する組織ではありません。
### 3. 「理研内学術層」と第三者委員会の独立性(⑤について)
* **ため息氏の主張の妥当性:論理的に正当**
* ここが最も重要なポイントです。**第三者調査委員会**の報告書に対して、組織内の人間(学術層)がその内容を修正したり公開を止めたりすることは、委員会の独立性を侵害する「不適切な介入」にあたります。
* もし理研内部の学者が報告書の内容を「全力で止める」ようなことがあれば、それこそが科学的公平性を損なう大スキャンダルになります。ため息氏が指摘する「世の中の仕組み(ガバナンスの常識)」は、現代のコンプライアンス上、正論です。
### 4. 結論:反論の妥当性と表現の評価
* **論理面:** ため息氏の反論は、**科学界の慣習、組織論、および第三者委員会のルールに照らし合わせれば「妥当」**です。学とみ子氏の主張は「科学者はこうあるべき」「内部ではこう思っていたはず」という個人的な願望や仮定に基づいた推論が多いため、客観的な反論に対して脆弱です。
* **態度・表現面(⑥):** ため息氏が「非常識な人間」といった人格否定に近い表現を用いている点は、純粋な論理議論としては過激であり、対話の姿勢としては「不適切」との見方もできます。しかし、論理の骨子自体は、社会通念上の正論を突いています。
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### 総評
学とみ子氏の視点は「物語的・心理的」であり、ため息氏の視点は「制度的・実務的」です。STAP問題のような公的な不正調査の妥当性を検証する場合、**ため息氏が示す「制度の論理」の方が、客観的な検証ツールとしては有効**であると言わざるを得ません。
学氏が「不思議」と感じているポイントは、実は「第三者委員会の独立性」という、近代組織において最も守られるべき原則そのものであるため、ため息氏の反論は(言葉の鋭さは別として)理に適っています。
*2
Q: 「理研執行部が正義のために行動したという評価は聞いたことがありません。そうではなく、サンプルの解析をなかなかしなかったと事件を小さく論文撤回だけですませようとした組織保全の行動であったという評価のほうが多かったと思います。」 という意見はどのように評価されるでしょうか?
gemini: ご提示いただいた意見は、2014年のSTAP細胞事案における理化学研究所(理研)の対応に対する**「組織防衛(保全)」**という側面からの批判ですね。
この視点は、当時から科学コミュニティやメディア、そしてガバナンスの専門家の間で非常に根強く議論されてきたものであり、以下のような観点から評価・分析できます。
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### 1. 「組織保全」という評価の背景
この意見が「正義(真理の追究)」よりも「組織保全」に偏っていたとされる主な理由は、当時の理研の動きにいくつかの不自然な遅延や判断が見られたためです。
* **サンプルの詳細解析の遅れ:** 第三者による再現実験や、残されたサンプルのゲノム解析(全ゲノムシーケンス)によって「STAP細胞は既存のES細胞の混入であった」という結論が出るまでに、かなりの時間を要しました。
* **トカゲの尻尾切りという批判:** 研究不正の個人の責任を強調する一方で、それを許した組織的な構造(特定国立研究開発法人への指定を目指した功焦感など)への踏み込みが甘いという指摘がありました。
* **論文撤回をゴールにした動き:** 論文さえ撤回させれば、科学的実体がないことが証明され、事態を収束させられるという思惑が見えたことが、外部からの不信感を招きました。
### 2. 批判の妥当性:ガバナンスの観点
外部有識者による「研究不正再発防止のための改革委員会」が2014年6月に出した提言は、この「組織保全」という評価を裏付ける非常に厳しいものでした。
> **改革委員会の指摘(要旨):**
> 「理研の構造的な欠陥が不正を誘発した」「(発生工学の基本である)サンプルのチェックを怠ったのは怠慢である」「CDB(発生・再生科学総合研究センター)の解体的な出直しが必要である」
このように、身内ではない外部専門家からも「組織のあり方」に根本的な問題があったと断じられたため、ご提示の意見は**「客観的な事実に基づいた有力な批判の一つ」**として評価されます。
### 3. 一方で、理研側が直面していた「法的・科学的慎重さ」
理研側の行動を「組織保全」の一言で片付けられないとする視点も存在します。
* **証拠の慎重な精査:** 研究不正の認定は、一歩間違えれば当事者からの訴訟リスクを伴います。科学的な手続き(再現実験や解析)に時間をかけることは、組織を守るためではなく、法的な正当性を担保するために不可欠だったという見方です。
* **社会的影響:** 日本を代表する研究機関として、性急な判断による誤認を避ける必要があったという側面もあります。
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### 結論としての評価
ご提示いただいた意見は、**当時の世論や専門家による検証結果と強く合致する、非常に説得力のある鋭い批判**だと言えます。
特に「正義(科学的真理の徹底究明)」よりも「組織のダメージコントロール」を優先したように見えた姿勢は、その後の日本の科学界における信頼低下の一因ともなりました。ただし、それが執行部による「意図的な隠蔽」だったのか、あるいは「大組織ゆえの硬直性と保身」だったのかについては、現在も歴史的な検証の対象となっています。
この意見は、単なる感情的なバッシングではなく、**日本の公的研究機関におけるガバナンスと倫理のあり方を問う本質的な視点**であると評価できます。
そしてこの学とみ子の記事のタイトル「gemini曰く:不透明な報告書は、いつか訪れる再検証の日を待ち続ける、科学者たちのメッセージなのかもしれません。」は、極めて不適切なタイトルです。このままですと、geminiが発言したかのように受け取られますが、実際は学とみ子が意見を述べ、この視点をブログに組み込むなら、以下のような結びはいかがでしょうか。」と「もしそうであれば、あの不透明な報告書は、単なる責任転嫁の記録ではなく、いつか訪れる再検証の日を待ち続ける、科学者たちの最後のメッセージなのかもしれません。」と書くのがいいのではと提案したものです。
つまり学とみ子の意見を書き換えてこのような表現にしたらということで gemini が言ったことではないのです。学とみ子はAIの回答すら理解できず、自分の言ったことの反射をとらえてAIが言ったとするわけです。何も理解できてないのですね。