学とみ子の日本語がおかしいのはこれまで何回も指摘してきたことです。今回の記事のタイトル「人は「敵」を作ることで結束する 宗教でも政治でも個人ブログでも、起こりうることだ。 対立を煽るという悪手が、人の心に潜んでいる。」もおかしな日本語です。
このタイトルのままだとすると「学とみ子vsため息ブログが対立していて、この対立を煽る誰かがいる」(下記*参照)ということになりますが、この対立の状況に、対立を煽る第三者はいません。学とみ子ブログの支持者:ゼロ、ため息ブログ支持者:多数ということで、どちらも支持せず意見(煽り)を言う方はいません。したがって間違いです。タイトルに「学とみ子vsため息ブログ」であることは示してないのですが、記事本文に「人は「敵」を作ることで結束する。宗教でも政治でも個人ブログでも、起こりうることだ。対立を煽るという悪手が、人の心に潜んでいる。」とあることと学とみ子のため息ブログの捉え方からみると、対立関係は「学とみ子vsため息ブログ」なのは明らかです。
このように学とみ子の日本語は、これが国内最高の教育を受けなおかつ難しい国家試験を通った方の使う言葉ではないのです。だからといって英語をかかせても、日本語をそのまま直訳するから変わりがないのです。
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Q: 「対立を煽る」とあったとき、煽るのは当事者の二人(あるいは2つのグループ)ですか、それとも第三者ですか?
CharGPT: 結論から言うと、「対立を煽る」の“煽る”主体は **通常は第三者** を指します。
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### ■ 基本のニュアンス
「煽る」はもともと
👉 感情を刺激して強める/けしかける
という意味があります。
なので「対立を煽る」は、
> すでにある対立や緊張を、外から刺激してさらに激しくする
というニュアンスになります。
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### ■ 誰が煽るのか?
一般的な解釈はこうです:
* **第三者が煽る**(最も自然)
* 例:メディア、周囲の人、政治家など
* AとBの対立を外から悪化させる
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### ■ 当事者の場合は?
当事者同士でも使えないわけではありませんが、その場合は少し意味が変わります。
* 当事者AがBを挑発 → 結果として対立が激化
→ この場合は
👉 「相手を煽る」や「挑発する」のほうが自然
「対立を煽る」と言うと、
* **俯瞰的(外から見た表現)**
* **構造として対立を激化させている**
という感じになるため、やはり第三者的な視点が強いです。
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### ■ まとめ
* 「対立を煽る」=基本は **第三者が対立を激化させる**
* 当事者同士なら
→「煽る」より「挑発する」「言い争う」のほうが自然なことが多い

人の判断にはおおよそ三〜四種類に分けられると思います。
① 論理・証拠に基づく内容判断型
基本的にデータを見るのであって、誰が言ったかは基本的に関係がない。場合によっては理解されず孤立することがある。
② 所属・立場・陣営などグループ判断型
味方の主張は支持するが、敵の主張は否定する。内容より立場ですね。集団結束が強くなり、集団行動がしやすいという特徴があります。この判断立場をとる人は誤りを修正することができない(しない)場合が多いですね。そして、話題は、政治・宗教など派閥的内容。「〜派」「〜グループ」という文言を多用します。
③ 論理・証拠に基づく場合もあれば、判断がつけられない時は適宜最適だと考える方を選択する最適解判断型
全てが論理的に判断を下せるわけではなく、判断を迫られる場合もあり、その場合、リスク回避のために多数派に従うということがあります。
④ 投影判断型
自分の不安・矛盾・劣等感を他者に投影(防衛機制の投影 projection)して判断処理するタイプ。①の③と異なるのは、論理的に破綻したとき、人格攻撃に出ます。
学とみ子はブログ記事『人は「敵」を作ることで結束する 宗教でも政治でも個人ブログでも、起こりうることだ。 対立を煽るという悪手が、人の心に潜んでいる。』の中でため息ブログは上記四分類の ② と言いたいようです。
しかし、学とみ子は自己の投影性発言に気付いていません。
学とみ子は上記の②であり④の判断を主にしています。
自己の不安・矛盾・劣等感を心理的に耐えられないため、これは自分ではなく相手の問題だとすり替えてしまうわけですね。投影が強い人は、自分がやっていること、考えていること、やろうとしていることを相手に投影させようとするため、思考戦略が露呈してしまうわけです。
学とみ子は自らのブログで
『私(学とみ子)は、人の心に潜む残虐性に富む「差別」を、問題視しようと思います』とコメントしています。これは、学とみ子の心の奥底に残虐性に富む「差別」が存在していることを示しています。
また、『ため息ブログの作戦とも共通だが、世の中には、対立を煽って自らの主張を通す手法があるということなのだ。この方向性は、人々が窮地になると、登場するようだ』とコメントしています。これは学とみ子の行動として「対立を煽ってでも学とみ子の主張を通す方法があるだろう」と学とみ子が思考戦略として考えているということなのですよ(問題を起こしてマッチポンプ的に主張、もしくは、離間の計*)。また、学とみ子は自ら窮地に陥っていることを認識しているからこそ、「人々が窮地になると、登場するようだ」と発している。
*離間の計:敵の内部の人間関係を壊して、互いに疑わせたり対立させたりすることで弱体化させる策略(中国古典の兵法書 三十六計 に出てくる策略)
① 疑念を植え付ける
② 偽情報を流す
③ 不公平感を作る
④ 対立関係を煽る
学とみ子の状況はよほど苦しいのだということが理解できる🤣
学とみ子がAIと遊んだ結果を記事にしていますが、全く意味のないことをやっているのがわからないのですかね。
自分の偏見意見を述べて、geminiに「10年という長い月日の中で、あなたが細部まで緻密に検証し続けてこられた事実は、AIの生成する文章よりもずっと重く、価値があるものです。」と言わせて嬉しくてしょうがないのですね。
「参考までに、学とみ子が、過去に数回書いてきた桂報告書内の、「責任問えない」文章一覧を追加します。」 ← ブログ読者に提示しているのですかね?この学とみ子の挙げた桂調査委員会報告書の記載は、小保方氏がデータを提出しないので研究不正なのか判断できない、したがって研究不正と認めることはできないといっているのであって、「責任を問えない」といっているのではないのです、報告書のまとめ部分(p30)には「論文の図表の元になるオリジナルデータ、特に小保方氏担当の分が、顕微鏡に取り付けたハードディスク内の画像を除きほとんど存在せず、「責任ある研究」の基盤が崩壊している問題である。最終的に論文の図表を作成したのは小保方氏なので、この責任は大部分、小保方氏に帰せられるものである。また、STAP幹細胞、FI幹細胞、キメラマウス、テラトーマなどについて、作製後の解析を行ったのも大部分が小保方氏だが、その実験記録もほとんど存在しない。」と書いてあるように、責任は小保方氏にあると、言っているのです。」
以下の*にAIに学とみ子(Aさん)の意見と当方(Bさん)の意見を併記して、どちらが妥当かを、ばかばかしいですが、聞いてみました。学とみ子は何回指摘しても訂正することなく、「小保方氏に責任は問えない」と書いてあると主張するからです。日本語に不自由なので「不正と判断できない」と「責任がない」とは全く異なる意味なのが理解できないのです。これだけ何回も間違いだと指摘されているのに反論することもなく同じ誤った主張を繰り返すのは、誰にも影響を与えないとはいえ、ネットで検索するとヒットしたりして、学とみ子は嘘デタラメをばらまいているということを知らない方の誤解を招きます。犯罪行為と言われてもしょうがないレベルかと思います。
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学とみ子が17日(金)夜、追記です。「「特に小保方氏担当の分が、顕微鏡に取り付けたハードディスク内の … こうした調査はできなくなりました。」の部分です。
「桂報告書に記載がありますが、小保方氏が実験をして、小保方氏は実験ノートを持っているはず」と、調査委員は、見なしたということですが、実際に、小保方氏が担当したとの証拠は示していません。」 ← 滅茶苦茶ですね。調査委員会は若山研究室のスタッフ等の関係者から事情聴取をした結果、実験担当者は小保方氏であると断定したわけです。ですから小保方氏に実験ノートの提出を求めたわけです。小保方氏以外の実験担当者は若山氏がいるだけで、若山氏は担当部分の実験ノートを提出しています。担当した方が他にいないから、担当者の二人だけを書いたのは自明です。どこにこの二人以外の実験担当者がいたという根拠があるのでしょ。妄想でしかないです。
「小保方氏が、答えないなら、そばで実験を共同にやっていた人たちの証言を集めれば良いものを、桂調査委員たちは、その作業をやっていません。」 ← 根拠のない妄想です。調査委員会が調べないわけがないでしょうに。それが調査委員会の仕事ですからね。
「ハ~ドディスクに残すような実験を、小保方氏が、担当したとの記録、証言も公開されていません。」 ← 意味不明。2014年当時も今も実験者が学生であっても各自にパソコン提供されている状況で、実験結果は全てパソコンに保存されていたはずです。その昔は紙で、リアルなファイルキャビネットにリアルなフォルダに保管するのが当たりまえでしたが、2014年頃ならどの研究室でも各自のパソコンにデータは保管されてました。事実、小保方氏はパソコンを研究費で購入していた(https://bunshun.jp/articles/-/46837?utm_source=chatgpt.com)のに、パソコンは個人情報があるからといって提出を拒否していたわけです。実験データは研究費で購入したのではない私物パソコンに入れていたということも勿論あり得ることですけどね。当時はどの研究室でもそのあたりの規則自体がなかったでしょう。STAP事件以降、実験データはどのように保管するのかが議論となって、研究室共用のファイルサーバに保管するのが当たりまえになってきたと思います。STAP事件の研究界への貢献はこれくらいでは?
2014年頃だと、研究室共用のファイルサーバあるいはNASが用意されている研究室はまだそれほどなかったかと思います。実験データが各自のパソコンにしかないというのは極めて危険なので、各自が別途ハードディスク等にコピーを保存することになっていたかと思いますが、若山研究室ではどうだったのでしょうかね?現在はどの研究室でも実験データは、自分の使っているパソコンのHDD、そして外付けHDD、研究室独自のファイルサーバあるいはNASと、少なくとも3箇所に保存というのが当たり前だと思います。クラウドに保存するのは秘密保持のためあまり勧められてはいないでしょうけれど、どうなんですかね。当時の若山研究室にはNASなどなかったので小保方氏のパソコン内蔵HDDにしかデータがなく、調査委員会もデータを小保方氏が提供してくれなければ得ることができなかったのでしょうね。
「ハ~ドディスクに残すような実験」の意味がわかりませんが、当時でも、電気泳動実験の結果はデジタル写真しかなく、他の機器を使った解析結果の生データはデジタルでしたし、アナログデータというのは組織切片位ですかね。組織切片の顕微鏡写真もデジタル化されてHDDに保存でしょ。特に蛍光の写真は標本は保存できずデジタル写真での保存しかないです。つまりほとんど全ての実験結果、生データと解析結果はHDDに保存されていたのでは?
「キメラマウスを作成したり、STAPが胎盤に寄与するかどうかなんて、小保方氏が単独で担当しているわけが無い。」 ← 何ボケているのでしょ?キメラ作成は若山氏、胎盤に寄与するかどうかは、ホールの胎盤の蛍光写真は若山氏の担当だったかもしれませんが、組織切片等は小保方氏の担当で、小保方氏と若山氏以外の他の方が担当したという根拠はありません。
「こういうことを外部者から追求されることの無いように、理研は、各実験の主要実験者を明らかにする、各実験ごとの主要実験者に、実験ノートを出させる。実験ノートを出さない場合は、周りの実験者の証言を集めて、実験実施者を特定して、その人の責任を追求する必要がありました。」 ← 調査したんですよ。その結果小保方氏が担当したということになったのですな。不成調査委員会ですから、誰がどの実験を担当しその生データや実験ノートの提供を求めるのはあたりまえで、これがなされなければ調査になりません。桂調査委員会は、報告書に書いてないから調査しなかったというのですか?これは学とみ子のいつもの都合に合わせた論理で「若山氏が手渡された酸浴細胞をさらに培養していないと書いてないから、さらに続けて培養しその間にES細胞が混入した」というのと同じです。
と、学とみ子のこの追記にある偏見主張を否定するのは簡単で、ChatGPTに聞くまでもないことですが聞いた結果が以下の*1です。質問を4つ連続して行いましたが、質問者の意見が含まれているのはQ4だけです。ほかはQ1:意見を併記してどちらが妥当か?、Q2:結論の念押し、Q3:誤った意見を主張する根拠、を聞いたもので質問者の意見は含ま含まれていません。Q4に含まれる質問者の意見もQ3までの結論から推測される合理的な意見です(*2参照)。
*1 以下、Aさんとは学とみ子、Bさんとは当方のことです。
*2
18日(土)朝になって更に追記です。「小保方氏が、単独でできる実験なのか?誰が実験結果、図表の責任者なのか?は、後世、明らかになってしまうのだから、理研は、後で苦しくなってしまう。誰も、責任を取れない。専門家が寄り付かない。
専門家、研究者の意見を押さえ込んだ、理研管理者の責任を問われる場面だが、当時の理研管理者も、「すべての疑惑は小保方氏の責任だ」を信じていて、正義の行動だったのだろう。」
昨晩の追記の続きで、学とみ子の偏見に沿った妄想です。
「小保方氏が、単独でできる実験なのか?誰が実験結果、図表の責任者なのか?は、後世、明らかになってしまう」 ← 10年以上経過しましたが、小保方氏が責任者であったという結論は変わっていません。小保方氏の私小説にですら、この桂調査委員会の誰が実験責任者であるかという結論を否定していません。つまり「後世」も変わることはないでしょう。
「すべての疑惑は小保方氏の責任だ」ではなく、「理研管理者の責任を問われ」ています。野依良治理事長(当時)は任期途中で退任(事実上の引責辞任)、CDBという組織は解体再編成、という結果になってます。嘘・デタラメを書かないでください。
学とみ子のgeminiへの質問について批判文を併記してどちらの意見が妥当かをgeminiに聞いてみました(*)。その結果を見ればわかることですが、学とみ子の質問は学とみ子の意見・感想そのままなので、学とみ子が得たgeminiからの回答はこの意見に沿って作文したものであるのがよくわかるかと思います。学とみ子の質問は科学の皮を被った「心情的な納得感の追求」、つまり感情の吐露でしかない、科学とはかけ離れた意見という結論です。
* 以下のgeminiへの質問でAさんとは学とみ子、Bさんとは当方です。
新規に記事をアップしましたので、この記事でのコメント受付を停止します。続きは次の添削とデタラメの指摘のほうへお願いします。