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擁護であればなんでもいい

ntES細胞を使ったという一言居士、若山氏が悪い説のセイヤ、桂調査委員会の解析したサンプルがおかしい説のOoboeという小保方擁護の面々は、学とみ子のES細胞事故混入説を全く支持していないのですが、学とみ子は彼らと議論することなく褒め称えるという、擁護であればなんでもいいわけで、さらに誰かが紹介した擁護に寄った動画を見て記事を書いています。

学とみ子のナオキマンとやらの動画の紹介の引用の冒頭がT細胞に酸浴という刺激を与えることによりだって。T細胞を選択して酸浴なぞしてないぞ、というわけで動画のレベルもこれを紹介する学とみ子のそれもこんなもんかということになるわけですな。

んで、STAP細胞はどこに行ってしまったのか?(深堀)という動画、飛び飛びに見てみました。

「とにかく、ナオキマンは、幹細胞の定義の扱いが巧みです。
…幹細胞の定義をきちんと押さえているのが特徴的です。」
 ← ??どの発言を捉えているの?動画の時刻を示せよな。

「”胚に挿入したSTAP細胞は、すでに幹細胞としての能力を有していた”…キメラ作製成功をもって、STAP細胞はすでに多能性幹細胞になっていることが証明されたと言っています。」 ← そんな表現はどこにあるの?学とみ子はこれを肯定しているの?撤回された論文ではキメラ作成前のSTAP細胞は分裂増殖できないということになっているのでしょ?擁護としてはこれを否定するのは正しいの?それとも胞胚期の胚に接触したら瞬時に幹細胞になっちゃうの?

「なかなか入手困難であった若山氏のインタビュー」 ← ??これのこと?入手は簡単ですけど?

学とみ子は「科学の説明は、専門家が言葉として残したものに限定して、ナオキマン動画は扱っていますね。」と言いますが、前に紹介されたパンダなんちゃらもこの動画も共通するのは科学的な桂調査委員会の解析結果に言及しないのね。何故でしょね。

「すごい!と当ブログは思いました。それもすごいです。」 ← とこれまで延々とSTAP細胞を語ってきたらしい学とみ子がどうして感激するんでしょうかね?事故混入に触れているから感激するというのならわかりますけど、そんなことは一片も喋っていません。

なにせ擁護であれば、学とみ子説に反してもなんでもいいという無定見・不見識な学とみ子を示した記事ですな。

「の分化前」は元の英語のどこにかいてあるの?という質問は、都合が悪いので、「この不毛な議論は、この位にしておきましょう。」と、いつものように逃げ回るのですな。

Cumulinaさんの発言

なんの話題もないのですが、前記事のコメントが100件に達したので書いた記事です。

学とみ子が追記で曰く:cumulinaさんは、独自にいろいろな新技術導入に努めていた事を示していています。
cumulinaさんは、単なるバイスタンダーではないことがわかる貴重な書き込みです。
だそうです。

Cumulina氏のコメントのどこを読んだら、新技術導入の話があるのでしょ?単なるバイスタンダーではないという事がわかる記述とはどれでしょ?(plus99%さんのコメントに被ってます)

そもそもは一言居士のCumulina(若山)氏の発言に対する疑問から始まったのですが、学とみ子は解釈できないから答えられず、plus99%さんや当方の解説にわかってないのに口出しして、恥をかいたわけです。結局、当方等の説明で理解できたらしいのですが、一言居士からも学とみ子からもお礼の言葉もありません。

お礼の言葉がほしいわけではありませんが、礼儀を知らないお年寄りの存在が日本のGDPの増加を妨げる原因であるというのは学とみ子説同様の荒唐無稽な考えでしょうか?(>日本語ができない学とみ子やセイヤへ このような文章を「反語」といいます。疑問文で示すというこのような表現は平叙の形で述べるよりも、表現が強くなることになります。つまり「学とみ子説同様に荒唐無稽である」ということです 参考:https://nbsigh2.com/?p=17452#comment-12806

一言居士曰く

私のブログを読んで納得して立ち去って行く人々は、
….
という私の結論を胸にしまって立ち去っている

のほうも荒唐無稽、誇大妄想でしょうね。

スフェア細胞=STAP細胞?

学とみ子が追記で曰く:学とみ子は、小保方氏にとって、スフェア細胞とSTAP細胞は同じもの

だから、学とみ子のSTAP細胞の定義を言いなさいよ。話が進まないでしょ。

学とみ子は小保方氏の博論概要を読んだことがあるの?「スフェア」の定義があるよ。以降、私小説を除くどの公的な文書にもこの定義とは違う定義はないと思うけどね。博論はなかったとするのなら、その後のどの文書に「スフェア細胞」の定義があるの?この博論の「スフェア」は「学とみ子のSTAP細胞」と同じなの?STAP論文(Nature Article)のSTAP細胞についての記述では自己複製増殖能がないから明らかに違いますね。

小保方晴子 博士論文概要

####### 抜粋 #########
sphereの定義:それぞれの方法(*1,*2)で回収した細胞群を無血清培地で培養を行うと浸透圧処理または粉砕処理によって回収された細胞群から浮遊した球形のコロニー形成(以降sphereと呼ぶ)が確認された。
*1:直径6μm以下の細胞のみを回収した。続いて低浸透の溶液で細胞を短時間処理する
*2:また先端を10μmほどまで細めたガラスピペットで細胞を粉砕する
ここまでの結論:Sphere形成は幹細胞の強い自己複製増殖能の結果として現れる現象

in vitro実験:sphere由来の細胞は神経・筋肉・肝実質細胞などの代表的な三胚葉由来組織細胞へ分化できる
テラトーマ実験:NOD/SCIDマウスの皮下に移植したら、三胚葉由来すべての組織形成が確認された
キメラ:sphere由来の細胞が散在していることが確認された。

考察:本研究の第四章で検討した(様々な組織から単離する実験)ような体性幹細胞を体細胞から創出する試みが成功すれば細胞生物学的にも発生学的にも非常にインパクトのある研究成果となる。
####### ここまで #########

撤回された Tissue Eng Part Aの論文The potential of stem cells in adult tissues representative of the three germ layers にも”spheres”という細胞塊があるけど、これは「the existence of a population of stem cells in adult tissues 」ということで体性幹細胞が選択されたと考えているから、STAP論文の「STAP細胞」とは違いますね。

学とみ子曰く:「学とみ子はの考えは、”スフェア細胞とSTAP細胞は同じもの”は、研究者(小保方氏)は同じ現象を追及しているという意味です。」
スフェア細胞とSTAP細胞は違うという意見があるのですから、学とみ子のSTAP細胞の定義を明確にしてください。少なくとも当初のスフェア細胞とは体性幹細胞が選択されたものという考えですからSTAP細胞とは異なります。いつから同じになったのでしょ?小保方氏は得られた細胞塊をVacantiの「体性幹細胞が選択された」から、「分化した細胞が初期化された」という考えにいつから変化したのでしょ?

「科学者の頭はエビデンスを前にどんどん変化していくものです。」はい、いですが、科学者は性格の異なる物を同じ名前のまま議論するわけがありません。

学とみ子曰く:「多能性の可能性のありそうな細胞を集めた実験手技を、単離とは呼ばない。」

そんなことはないですね。ある特徴を持った細胞を集めて、別にすることを単離と普通に言うでしょう。その結果、その特徴は一致するが、ほかの性質が異なっていてもです。「どんな細胞なのかの実態がわからない」けどある特徴で分離できるのですから、単離と普通に言うでしょうね。小保方氏博論概要にも「単離」という言葉で組織から細胞を分離して集めていますな。

「そもそも、細胞の大きさや形態から細胞選択して、性質を探ろうとしている実験系」 ← 大きさは形態の一部ですから「腰痛が痛い」に類する表現です。結局、検証実験(相澤論文)では、STAP細胞(塊)を形態で同定できなかったんですけどね。

「plusさんは、学とみ子の説明が理解できてない。ため息さんと同じようだ。」 ← 学とみ子発言に論理がない上に、日本語がめちゃくちゃだからです。plus99%さん、当方のみならず、擁護を含めて、多くの方の意見が一致するところでしょう。それが証拠に学とみ子を支持する方がひとりもいません。

「plusさんが、学とみ子バカと思うのは、学とみ子説明をplusさんは理解できず、デタラメとしか、思えないのです。」 ← 同上。学とみ子の説明に論理がないし、日本語表現がデタラメだからです。


さざんか

初歩的な説明をすると相手に失礼

さて、箱根駅伝2日目、どうやら駒大の優勝がみえてきたので、TVを見ながら、学とみ子の日本語についてです。

学とみ子曰くの論文実験の多くを小保方氏が単独でやって、かつ、小保方氏が若山研究室スタッフをだましながら、データを捏造しまくらないと、STAP論文は完成しないですよ。について。

当方はこの学とみ子の発言をとらえすぐに、学とみ子は小保方氏擁護を捨て去って、こっちのサイドに転向したと評価しました。plus99%さんも文の表現を理解し、おそらく書きたかった内容を推測するととコメントされてます。で結論として、当方等が、普段と逆のことが書いてあるという指摘に対して学とみ子が対応できないことを要するにどこを直せばよいのか、書いたご本人が途方にくれたから放置されているのでしょう。と優しくバカにしました。つまり学とみ子を除いて、全ての方がこの学とみ子の記述は「小保方氏が単独で捏造したから論文が完成した」と当然のことながら解釈したわけです。

これに対しセイヤはこの学とみ子の文は反語表現だと言ったわけです。

これに対して「学さんが反語、なんて使えるわけないだろうが。学さんは小保方さんが捏造しまくってSTAP論文をかんせいさせた、と言ったんだよという第三者のコメントがありました。

これに対して学とみ子は学とみ子の文章も反語を用いた想像だわよ、ため息さんも反語とわかっている、あなたも反語とわかってるのと、この学とみ子の問題文は反語の表現だと、セイヤの発言に乗って「反語の文である」と言い切りました。

ここまでは2020年6月の話だったのですが、最近は、この学とみ子の文章は仮定法過去完了の形です。と言い出したのです。反語と仮定法過去完了形とは違うものなんですけどね。

反語とは断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現。ですね。つまり「〜ということがあるだろうか?(あるはずがない)」という形ですが、学とみ子の文は疑問文で終わっていません。

「仮定法過去完了」とは「もし〜だったならば … だったろうに」という形になるわけですが、この形式ではありません。「〜だったろうに」でという推測ではなく論文は完成したのですから「だった」ということになりますからね。

さらに学とみ子は説明を加え:

「単独でやる」 「だましながら」 「捏造しまくらないと」で、個人によるESねつ造が可能ということです。
実際に、どれも現実ではないから、捏造はありませんという意味です。

としました。

「STAP論文は完成しないですよ。」を「ESねつ造が可能」と置き換えています。めちゃくちゃですね。

仮定法過去完了形だそうですが、もし仮定法過去完了ならば
「もし、小保方氏が捏造しないとすると、論文は完成しないだろう。」

「もし、小保方氏が捏造したとすると、論文は完成しただろう。」
になるでしょう。

「もし、小保方氏が捏造したとすると、ESねつ造が可能だろう」つまり「捏造したとすると捏造が可能」とは意味が珍糞漢糞です。「捏造」と「ES捏造」は違うことなんでしょうか?だとすると「捏造」とは何でしょね?

「どれも現実ではない」の「どれも」の一つは、学とみ子に言わせると、「小保方氏が捏造したというのが現実ではない」ということなんでしょうね。しかし「小保方氏が捏造した」のか「小保方氏は捏造しなかった」のかは、証拠がなくわからないことなんですから。「現実ではない」ということにはなりません。また論文は完成したのですから「論文は完成しないだろう」「論文は完成しただろう」という仮定法過去完了形はありえないことになります。

結論として「反論」と「仮定法過去完了形」、どちらの形式でもないのですから、学とみ子の主張は誤りです。

Tang氏のSTAP追試実験について、最近の記事のタイトルにSTAP細胞の再現実験とは、酸浴細胞の8割が死滅する条件をクリアして、その後も凝集塊を維持して、この凝集塊では、多能性蛋白などできない!を証明をすることです。 というのがありました。

このタイトルの意味は誰が読んでも「STAP細胞の再現実験とは多能性蛋白などできない!を証明をすることです。」で、これはSTAP論文の内容と違うと批判しました。

ところが、この当方の批判に対し学とみ子は「学とみ子の文章の意味が今一つ理解しにくい人むけに、議論の焦点を狂わす目的なんでしょう。この意味なのに、一般人が理解できないように、ため息さんはわざと、話を複雑にしたいのでしょうね。」ということで、学とみ子に言わせると、このタイトルは学とみ子が言わんとすることは、「Tang論文は、元の論文条件を満たしていないから、Tangらのこの実験では多能性蛋白が出ませんよ。」なんです。の意味だそうです。

学とみ子の文章を素直に読むと違うというわけで、めちゃくちゃですね。

当方は学とみ子の日本語が以前からめちゃくちゃだと批判しているところですが、学とみ子自身の自分の書いた記事についての評価は

いずれにしろ、言葉を省略する文章に慣れない読者には、このブログの内容理解は難しいだろう。
読者が想像力を働かせないと、学とみ子ブログは小学生の作文のような不可解な印象を与えるかもしれない。

のだそうです。

さらにこの発言は

「学とみ子は、自身の文章の欠陥を反省して書いた文章なので、”自慢”ではなく、”反省”です。ご指摘の通り、読みにくいと、私は反省しています。但し、あまり、こまごまと初歩的な説明をすると相手に失礼なので、できるだけわかりやすくを心がけています。(2018/8/14)」

とのことで、誰が読んでも反省の弁などないのに、自慢ではなくて反省だというわけです。

このような方とコミュニケーションを取るというのは不可能なんでしょうね。
くわばら、くわばら、あ、ちがった、かっぱえびせん、かっぱえびせん…

職業的立場の特徴がある…

前記事のコメントが100件を超え、新しい記事をアップすることになるのですが、そんなに話題もないので、学とみ子の記事から拝借して、学とみ子のコメントする方の身分の興味について書いてみます。

もうご存知でしょうが、学とみ子は相手の職業、身分、地位、性別で態度を変えます。

最近、みどりさんという方が学とみ子ブログでコメントしました。早速、学とみ子はところで、みどりさんは、国が税金をつぎ込む最先端のES、iPS研究室の方でしょうか?との質問です。

相手の地位が、医師でないと、上から目線の傲慢な態度になるわけです。医師が世の中で一番偉いと思っているからですね。逆に医師免許しか自分の生きどころがないのでしょう。これまで誰もからも仕事を評価されなかったのが伺えます。

同じ女性なのに若い女性を卑下します。自分で細胞培養実験の経験もないのに、みどりさんが細胞培養の説明をすると、頭ごなしに、みどりさんの職場は一流の研究室ではない、商業用の研究室だと決めつけるわけですね。若い女性と判断したからです。

みどりさんがESの研究をしていたというなら、どのような領域で、どのような実験様式のES研究なんですか?なんていう質問も、頭ごなしに、どうせまともな研究室ではないだろうという態度がミエミエです。ES細胞を培養した研究をしていたでいいではないですか。学とみ子はそのような実験をしたことがないのに、どうしてES細胞の混入などありえないという意見を頭ごなしに否定できるのでしょうか。傲慢そのものです。

話は変わって、体内時計さんが学とみ子のES捏造説の定義を聞いています。学とみ子は答えないでしょうね。定義すると後に意見を変えることができないのを恐れているのです。卑怯な女医で情けないです。

学とみ子に変わって当方が学とみ子のこれまでの意見から学とみ子ES捏造説を定義すると「小保方足がES細胞を混入させSTAP細胞を捏造した」です。ちがいますか?同意するのか、違うのなら定義すると返事をください。

小保方氏が混入させたと言ったこの分野の一流研究者がいます。明言していませんが、ほとんどの研究者は同じ意見だと思います。

学とみ子曰く:体内時計さんを取り囲む人たちも、皆、ESねつ造説は正しいという職場状況が、学とみ子には不思議でした。
でも、政府から発注をうける会社や研究所であれば、そうした状況が納得できます。

いかに学とみ子が現実を理解できていないかがわかります。ほとんどの研究者は誰かがES細胞を混入させたと思っているのが現実です。そして誰かとは誰なのかほとんどの方が推測しています。それで決着がついたと思っています。だれも事故で混入したなどとは思っていません。唯一、学とみ子だけです。擁護ですら事故混入説など信じていません。事故で混入することはありえないので、サンプル入れ替えとか、小保方氏持参の多能性のない細胞からntES細胞を作ったなんていう珍説を掲げているわけですね。

学とみ子曰く:

例えば、研究者の中には、商業ベースでの研究、精度管理をしている人、政府から発注をうけて学術的検定を行う業務の人がいます。
地方自治体も多くの研究所を抱えています。ここの人たちは、国の方針に逆らう仕事はできません。

デタラメですね。国がどうして政治に関係のない基礎研究内容に首を突っ込むのでしょ?学とみ子の妄想ですね。

「こうした政府関連の研究所に対して、STAP事件勃発時、直接、政府から、「ESねつ造説は現実か?」の質問が寄せられたと想像されます。」 ← お笑いですね。妄想も甚だしいですな。

「学とみ子は、若山氏に質問する気もありません。」 ← そうでしょうね、若山氏が隠していると主張する学とみ子ですから、隠してないのがバレるのはまずいですからね。

学とみ子の「STAPもどき細胞」

STAP細胞とはStimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency刺激惹起性多能性獲得(STAP)のことです。このSTAP細胞はreprogram初期化された細胞(どんな細胞にも分化し得るー多能性を持つ)だが増殖性がない。しかしACTHを含む培養液で培養すると増殖性が出現する。このような増殖性のある細胞をSTAP幹細胞というというわけです。つまり、多能性が証明された細胞をSTAP細胞というわけで、Oct-GFPが仕組まれた動物から採取して酸浴したら緑に光った細胞、あるいは多能性細胞に特有の多くの遺伝子マーカー(Sox2、 SSEA1、Nanogなど)を発現しただけの細胞は、多能性が証明されていないかぎりSTAP細胞とはいいません。

したがって、検証実験では、多能性が疑われたので、酸浴あるいはATP浴したできた細胞(塊)をとりあえず「STAP 細胞(塊)」とよび、明確に区別しています。

ここまでが、多くの科学者、研究者の一致した見解だと思います。

擁護=素人の方々は、この緑に光っただけの細胞が得られたことをもってSTAP細胞があるとしていますが、検証実験では自家蛍光と区別しがたいとされ、Oct-GFP細胞での蛍光発光がOctの発現を示しているかどうかすら明らかではありません。つまり、緑に光っただけでは、自家蛍光と区別し難く、初期化関連遺伝子であるOctの発現も定かではありません。丹羽氏の検証実験では、ATP浴でOct3/4 タンパク質の発現の検討を行ったところ少数例で発現が見られた。さらに丹羽氏論文Investigation of the cellular reprogramming phenomenon referred to as stimulus-triggered acquisition of pluripotency (STAP) Sci Rep. 2016; 6 では多能性関連タンパクの発現を検討し、幾つかの例(some proportion of cells in the aggregates express pluripotency-associated genes at comparable levels to those of ES cells.)で発現がみられた。しかしながら、キメラの作成はできなかった。つまり、これら初期化あるいは多能性に関連するタンパクが酸あるいはATP浴で発現する場合があるものの、これらの発現が多能性を獲得したとの証明にはなってないことが示されたということですね。

相澤氏の再現実験Results of an attempt to reproduce the STAP phenomenon F1000Res. 2016; 5: 1056. でも小保方氏が作成したにも関わらず、Oct-GFPマウスを使って蛍光を発する細胞をカウントした結果は、撤回された論文の1/10程度であり、キメラは作成できなかったわけです。

論文は撤回された、小保方氏が参加した検証実験でも再現できなかった、他の誰も再現できてない、桂調査委員会で残されたSTAP幹細胞やキメラを調べた結果、これらはES細胞由来だったと証明され、科学的な素養のある方々はSTAP細胞、STAP現象とやらはなかったという結論に達しています。しかし、記者会見の言動や都合良いところだけが書かれた私小説に騙された科学的素養のない方々だけが、STAP細胞あるある、STAPが潰されたのは陰謀だと騒いだわけです。

さて、8年も経過している現在も、科学的な素養のある方々、研究者では上記のような結論に何の変化もないわけですが、学とみ子はため息さんが定義するSTAP細胞は、学とみ子の定義するSTAP細胞と違っていて良いのよ。と、まずSTAP細胞の定義からして、「学とみ子のSTAP細胞」は違うから、当方の言うことは学とみ子には通じないと言うわけです。

では、学とみ子のSTAP細胞とはどのような細胞なんでしょうか?聞いても答えは返ってきませんので、学とみ子の発現から推測するしかありません。学とみ子の言う「STAP細胞」は上記のような当初の論文著者の定義とは異なると思われますので、ここでは学とみ子のSTAP細胞を「STAPもどき細胞」あるいは「もどき細胞」とします。混乱しますからね。

学とみ子は小保方氏は、分化細胞が初期化に向けて動き出す初期の現象を発見し、と言っています。「STAPもどき細胞」は「動き出す」のだから「将来初期化されるはずの細胞」ということになります。小保方氏は初期化された細胞を発見したのではなく、初期化される予定の細胞を発見したということになります。若山氏がこの細胞がES並み細胞になる現象があることを証明して見せたのだそうです。ES細胞並というのは、多能性と増殖性を備えた細胞ということと思われます。当初の論文ではES細胞並どころか胎盤にまで分化しうるので全能性というほうが主張にそっていますが、ま、ここではいいことにします。

発表後、若山氏は論文の撤回に走ったので、学とみ子は「その若山氏が、ES並み細胞の出現を否定した」としています。学とみ子は「分化細胞からES並み細胞にするのは、今の技術では無理です。」というわけですから、この若山氏の「ES細胞並にすることはできなかった」ということを支持しているわけです。つまり、分化した細胞から、多能性と増殖性を持つ細胞は、酸浴あるいはATP浴ではできないというのが学とみ子の考えです。

>学とみ子:ここまで①はよろしいでしょうか。

ES細胞並の細胞はできないわけで、桂調査委員会報告書の「小保方氏冷凍庫に残されたサンプル等の解析結果からSTAP幹細胞、キメラ、テラトーマはES細胞由来である」という結論も学とみ子は認めているわけです。ただし、ES細胞の混入は、誰かが意図したものではなく、事故で混入したとしているわけです。

>学とみ子:ここまで②はよろしいでしょうか。

いいとして先に進みます。違うのなら返事をください。以下の推測を訂正しますから。

学とみ子の主張は:「小保方氏は、分化細胞が初期化に向けて動き出す初期の現象を発見した」ということですので、この初期化に向けて動き出した細胞がSTAPもどき細胞です。しかし、この酸あるいはATP浴を受けた細胞は分化細胞からES並み細胞にするのは、今の技術では無理ということなので、STAPもどき細胞は初期化され増殖能を持つには至らないということになります。STAPもどき細胞は初期化の第一歩を踏み出したが初期化には至らないということのようです。矛盾した表現ですが、学とみ子の言い分はこのようになります。③ちがうのでしょうか?

[ 追記 ]2022.12.10 学とみ子の「STAPもどき細胞」の定義は:

「一部初期化した分化細胞(STAP)」という表現も学とみ子はしています。上記と同じで、酸浴等の刺激を受け「ちょっぴり初期化した(意味不明ですが)分化した細胞」ということのようです。

とすると、学とみ子に言わせると、小保方氏は何を発見したのでしょ?分化した細胞は酸浴するとOct4を始めとする初期化関連遺伝子が発現する場合があるが、初期化されるわけではない、増殖能もなくなったまま、ということですね。医学、生物学においてどのような意義のある細胞なんでしょうかね?④新規科学のどのような意義のある新発見なんでしょうか?

①〜④までお応え願えると、学とみ子ブログの読者に、学とみ子の主張に同意している方がいないという現実が変化するかもしれません。

さざんか

あんなのでも医師なんですよ…

oTakeさんが友人(?)研究者に学とみ子を評して『あんなのでも医師なんですよ…』と困惑して説明したというコメントがありました。

これに反応した学とみ子は『あんなのでも医師なんですよ…』なんてせりふは、実際に診療を受けた時に、人々が発する言葉ですね。と書きました。

あらま、ということはDさん実際に学とみ子の診察を受けた患者さんの評価をコピペしていますが、この患者さんの評価が正しいということを自認したんでしょうかね?

「学とみ子が書いているのは、基礎科学分野ですから、詳しく知らないことが多くても、医師として問題になりません。」 ← はい。基礎医学の先端知識が医療現場での仕事に直接役に立つことはないでしょうね。しかし、みなさんが問題にしているのは、学とみ子の基礎科学に対する姿勢なんですよ。「day 7以降も培養した細胞をキメラ作成に使ってないとは書いてないから、使ったのだ」という妄想論理は科学の前のレベルがデタラメであることを示しているし、標準偏差は測定値を加えると大きくなるなんてのは基礎科学の基礎が理解できてないことを示しているし、変異した細胞株が成立するためには「変異した細胞種が、周りの細胞を凌駕する必要があり」などと言う発言は培養細胞について理解できていないことを示しています。集合の論理は、あらゆる場面をまず想定し、ある条件の範囲を決めるわけですが、学とみ子はそのあらゆる場面の範囲の外に別の条件の場合を設定して議論したことなど、誤りであったことなども理解できてないのでしょうね。mutually exclusiveをどちらでもいいなどと訳すのは英語、とくに論理を記述している英文を理解できないことを示しています。

医師は基礎的な科学を十分理解しているから医師であるというのが一般の方々の認識なんですが、学とみ子は見事に裏切ってくれているのですな。

そんな科学とは無縁の学とみ子なのにoTakeさんに対し「正しいことを書いているつもりになってしまうのでしょうね。」などというのは、学とみ子に対する外からの評価を理解できていないわけです。学とみ子説の支持者が一人でもいるのでしょうか?

社会の価値観が狭いのだろう

学とみ子曰く:学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭いのだろうから、ため息さんの言動はやむを得ないと感じます。だそうです。あたかも当方は社会と無縁の孤島で生活しているかのようなことを言っています。はて?このような見解は正しいのでしょうか?

学とみ子の学術層の定義がわかりませんが、多分研究者のこと、例えば日本学術会議メンバーのような方々なんでしょうね。当方はこのような素晴らしい研究者達の足元にも及びませんが、研究と教育で給与をもらっていた・いるのでその”学術層”とやらのうーんと端っこに住んでいると判断されて結構です。それとも日本学術会議メンバーは学術層に属していないとでも言うのでしょうか?

日本学術会議メンバーは学術層に属すると言葉通り捉えると、学とみ子によれば「学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭い」とのことですので、日本学術会議会員のメンバーをみて、彼らの「社会の価値観が狭い」ということになるわけです。研究者になりそこねた学とみ子の研究者に対する妄想ですね。

この学とみ子の研究者に対する偏見・妄想は、研究者になりそこね、さらに臨床医としても「処方箋すら出してもらえず、怒りを通り越してとても悲しくなりました。他の先生はとても良い方なのですが、今後は他の内科にかかります。」というような素晴らしい評価を受けて開業医にもなりそこねた方からのやっかみとしかいえませんな。

根拠なく「学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭い」などとデタラメな発言をするから、皆さんにバカにされるのですね。

当方を批判したいのでしょうから、当方の発言を具体的にとらえて「社会の価値観が狭い」と言えばいいのです。具体的に当方の発言に「社会の価値観が狭い」というところがないから、このような根拠のない「学術層の人の考え方って、社会の価値観が狭い」という命題をかかげ、当方が「学術層の人」であるから「社会の価値観が狭い」と判定するのですが、そもそのも命題が偽なので、真には遠い発言になるわけです。


紅葉

遺伝子に内在する能力

さて、前記事のコメントが、100件を超えたので新しい記事を立てました。新しい話題を持ち出す才覚もないので、今回も学とみ子のデタラメ発言から拝借です。

学とみ子曰く

胚には、内外から来るデインジャーシグナルを関知する仕組みがあります。
生きるものには、遺伝子に内在する能力があるのを、学者のくせに、ため息さんはしらないのです。
マウス胚は、高等動物なのだから、複雑で多様な感知能があります。

だそうです。

さて「遺伝子に内在する能力」てなんでしょね?意味不明ですね。

遺伝子はそのすべてが発現しているのではなく、沈黙しているのが多数で、状況に応じて普段沈黙していたものが発現する、発現していたのが停止する、わけです。この状況を「内在する能力」というのは間違いではないでしょうけど、これは、細胞分裂時以外は遺伝子自体は固定されていて変異するものではないので、遺伝子自体の能力ではなく、遺伝子の発現を制御する仕組みがその能力に相当します。ですから「遺伝子に内在する能力」という発言は意味不明ですね。なんでしょね?

こうやって、学とみ子はありそうなデタラメな単語を創作するので、何をいってるのかわからないことになります。本人が十分理解していないからですね。過去には「細胞受容体」「胚の遺伝子異常感知能力」「肺胞高血圧」「胚の免疫寛容」などのインチキ造語がありました。今現在でもこれらの学とみ子創作インチキ単語を使っています。指摘されても指摘の意味がわからないから訂正できないのです。

学とみ子の「免疫寛容」

学とみ子が「免疫寛容」という言葉を頻繁に使用しているのですが、使い方は誤りと思うわけです。

そこで、学とみ子ブログで「免疫寛容」という言葉のでてくる記事、コメントを検索してみました。
https://katura1.blog.fc2.com/?q=免疫寛容
で検索できます。

2012/10/1学とみ子曰く:腸の細胞は、外来の蛋白質を異物とせず、腸内に吸収できるようになるのです。これを、難しい言葉ですが、免疫寛容と呼びます。これは、あかちゃんが成長していく過程で、自然に起きている現象です。
STAP事件の起こる前の、一般人対象に書いた解説記事のようです。(加筆しました)経口免疫寛容のこと?なんでしょうかね。獲得免疫システムでの「免疫寛容」の意味とは、違うように思います。(この時から全く理解できていないのがわかります。

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Wikiによれば免疫寛容とは

免疫寛容(めんえきかんよう、英語: immune tolerance / immunological tolerance)とは、特定抗原に対する特異的免疫反応の欠如あるいは抑制状態のことを指す。本来は自己なのだがT細胞から見て非自己に見える細胞を攻撃しないようにする仕組みが免疫寛容である。

すごく簡単に説明しているサイトでは自己の正常な細胞や組織に対しては抗原と認識せず、免疫応答を起こさない、または抑制するしくみがある。これを免疫寛容という。あるいは

リンパ球が分化する以前から体内に存在する抗原については、その抗原を特異的に認識するリンパ球が分化途中にその抗原に出会って死滅してしまうことより、免疫寛容が成立します。言い換えると、その抗原に対して免疫応答を起こすことのできるリンパ球は、成熟する前に死んで、生体内に存在しないので、免疫応答を起こせないという仕組みです。

という免疫研究者(許可を得ていないので名前を公開できない)の説明があります。

このように、「食べ物に含まれる非自己を異物として認識しないで小腸から吸収できることを「免疫寛容」という」などの説明はどこにもありません。小腸からのタンパクの吸収は基本的にはアミノ酸1ケとか2,3個のペプチドまで分解してから吸収するので、免疫反応とは無縁です。タンパクまるごと吸収するわけではありませんからね。小腸でのIgA産生とかの免疫システムはまた別物です。
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2017/10/21 学とみ子がコメントで曰く:ES細胞は、特殊な免疫寛容状態になっています。全く意味不明ですね。ES細胞が「免疫寛容」の状態??

2018/5/23の学とみ子のコメントそもそも、キメラはESと元の受精卵がお互いに免疫寛容状態になっていて、違う遺伝子構造体が同一体内で共存できることが不思議です。なにが言いたいのでしょ。意味不明ですね。

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2018/06/06 学とみ子曰く:胚は、免疫寛容状態でしょうから、キメラができますね。

どうやら胚(胞胚期のような初期胚)は免疫システムがないから他の個体からの細胞を排除しないということを言いたいのでしょうか、意味不明です。胞胚期のようなごく初期の発生時期の免疫システムのない時期に、免疫系の概念を当てはめるのが間違いなのに気が付かないのです。というか、自分の知識を勝手に拡大解釈するわけです。

2018/06/09この学とみ子の発言に対して L さんがT細胞をMHCが異なるマウス胚に注入した場合どうなるかを、もう一回考えてみましょう。この場合、注入されたT細胞が排除されるメカニズムは、免疫によると考えますか? マウス胚で、リンパ球による免疫が育ってくるのは、胎生後期になるので、注入して数日間は、レシピエントからの免疫反応による排除機構が働くとは考えにくいです。とコメントしています。つまり免疫系ができてないのに免疫系の働きを考える=免疫寛容という言葉を使うのはいかがなものかと言っていますがこれに対する学とみ子の反論はありません。
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2018/12/24学とみ子がコメントで曰く:「キメラは特殊な免疫寛容の状態」めちゃくちゃですね。意味不明ですね。

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2019/6/8学とみ子曰く:ジャームラインは、完全型のDNA配列です。将来の個体となる予定の生殖細胞は、より厳密なDNA構造を要求されます。しかし、一方で、胚の免疫寛容が働けば、遺伝子改変細胞から体細胞寄与はOKなのかもしれません。
これに対して
2019/6/8ため息曰く:「生殖細胞は、より厳密なDNA構造を要求」??
初期の胚には免疫システムそのものがないからキメラ動物ができるのでしょ?これを免疫寛容というの?

2019/06/08この質問に対する学とみ子の答え:

ここについて、学とみ子が少し説明します。
一旦、細胞が配偶子になると、細胞が改善される現象があります。
これから生命体となる細胞は完全なものである必要があるからです。
動物が優秀な子孫を残すために、細胞独自の生き残りスキルです。
こんなこと、医学部の人なら知っていると思いますけどね。
こういう発想が、ため息氏にはないのですかね?
意味が全く分からないと言っています。困った人です。
ため息氏はつかさず、「そういう意味じゃない!」と言うかも・・・。


全く質問の答えになっていません。

2019年6月11日 このときyap*ari*w*katt*na*さんもコメントしていてえーと、、「免疫寛容」はどこに行ったのかな?と学とみ子が質問に答えていないのを指摘しています。

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2020/07/23 動物の体は、異物を排除しますが、胚内は多量の増殖因子と、特別の免疫寛容になっているのです。

2020/10/04 胚という免疫寛容の特殊環境で一部が生き残れる細胞だったかもしれません。

2021/05/14 胚内は特殊な免疫寛容の状態にあることも、ため息さんはイメージできません。

これらの発言を解釈すると、どうやら、学とみ子は初期胚で他の個体の増殖可能な細胞を注入してキメラ動物ができるのは、初期の胚に免疫システムがなく、非自己の細胞を排除する仕組みのないことを「免疫寛容」といっているようです。もちろん「免疫寛容」にそのような意味はありません。

2022/11/01 学とみ子曰く:

胎内というのは特殊な免疫寛容の状態にあるから、キメラ生物が成立しうるのです。…理学系の学術層は、胎内の免疫寛容とか、骨髄の免疫寛容とかの話を理解しない。

2022/11/02この学とみ子の発言に対して、ため息曰く:

(学とみ子曰く:)「胎内というのは特殊な免疫寛容の状態にあるから、キメラ生物が成立しうる」 ←この表現は正しいのだろうか?免疫系が成立しているときに、「免疫寛容」という状況がありうるのであって、胚のときは、そもそも免疫系がないのだから「免疫寛容」という言葉は成り立たないのではないだろうか?免疫には素人だからわからないですが、感覚的に違和感があります。

と「免疫寛容」という言葉はこの胚の場合に使う概念ではないだろうと疑問を挙げました。

この当方のコメントに対し学とみ子曰く:

ため息さんのこのコメントを見ると、彼らが生き物を全く理解してないことがわかります。



生きる細胞は、自らに対するデインジャーシグナルに対抗する力が備わっています。こうした細胞生存にかける基本機能に関する知識が、ため息さんは皆無なんです。これでは、STAP、ESなどの細胞生存を考えられるわけがないです。生理学の専門家なのでしょうか?T細胞がいると免疫であるとかしか考え方なのかな?自然免疫の仕組みも知らないんだろな。

免疫寛容というのは獲得免疫システムでの現象で、自然免疫とは関係ありません。当方が免疫の一線で活躍している研究者(許可を得ていないので公開できない)に聞いてみたときの答えです。

免疫寛容の仕組みから考えると、免疫系がない時期のことについて「免疫寛容」という言葉を使用するのは、大変違和感があります。
ため息が言うように、免疫系がない時期に抗原を排除できないことは、免疫寛容と呼んではいけないと、私も思います。
少なくとも、免疫寛容という言葉を、そういう使い方をする例は、私自身は見たことがないです。

でした。
したがって、学とみ子の「免疫寛容」という言葉の使いかたは完全な誤りです。

「胚の免疫寛容」なる現象は、胚には免疫系がないから、ないのです。この「胚」とはキメラを作成するときのようなごく初期の胚の話ですよ。

このように学とみ子は既存の定義された言葉を拡大解釈したりする、誤って用いるので、科学的議論が成立しません。誤りを指摘しても反論はしない、訂正もしないので、議論になりませんね。