小保方氏は何時若山氏に教えた?

新しい話題もないので、わけのわからない質問をしてくる奴らの間で問題になった小保方氏は何時若山氏に教えた?についてという記事をたちあげました。ちと目をはなしたら前記事のコメントが100件をこえちゃったのが理由です。

plus99%さん

はいそうですね。時間軸を整理します。「あの日の記述が間違っている」と推定する根拠は以下の通りです。
前のコメントで書きましたように、私小説ではp116の「2013年3月になり…」という段落で始まる段落の2つ目のパラグラフに「若山先生に「STAPの細胞培養をもう一度確認の為に教えてほしい」と言われ、…」とあり、1回は小保方氏が立ち会って、2回目は若山氏だけで成功したと聞いたいう記述があります。2013年3月に実施したとは明確には書いてありませんが、この前後は経時的な記述がずっと続きますので、2013年3月に実施したかのように読めます。ここには2回トライしたとありますが、桂調査委員会報告書ではp14に「例外として、一度だけ、小保方氏が付き添って指導したときに、若山氏がSTAP細胞作製を行い、さらにSTAP幹細胞作製まで到達したことがあった」とありますので食い違うところです。私小説では1回目の成否は記述せず、小保方氏が手伝わなかった2回めに成功したと「聞いた」というわけですね。たくみな記述でこういうのを印象操作というのではないでしょうか。

学生曰く小保方さん退職後に手記が書かれたが、そこには2013/3/1付の辞令発令の後に笹井研で論文書きをしている時に先生に呼び出されて手技を教えたとある。 ← そんなことは私小説に書いてない。嘘は書かないように。

桂調査委員会報告書p3にはFLS-T1、-T2 には2013 2/22に樹立されたとあるので、この小保方氏が手伝ったのは2013年2月であるはずです。私小説は、3月のところに記述しているが明確な日時は書いてない、成功したと聞いたと伝聞表現であいまいにするわけです。すでに何回も指摘されていますが、私小説の記述には裏がとれないような伝聞がたくさんあります。学生は騙されたんでしょ。

plus99%さんの引用されたCDB 自己点検の検証についてでは
①2012年3月末 若山氏 転出、 2012年4月1日 山梨大学着任
②2012年4月1日 若山氏のCBD非常勤チームリーダー(TL)着任
③2013 年3月31日 若山氏の非常勤 TL の任期が終了
④2013 年 3 月 1 日、小保方氏が RUL に着任
と読めます。

辞令の日付で発令と着任は研究所の場合どうなっているかわかりませんが、もうすでにCDBの中で身分は関係なくなんらかの形で仕事をしていれば、着任が身分が定まった日ということだけで、研究作業には大して変わりがありません。辞令が出てなくても前の身分で研究していたでしょうね。違う大学に転職する場合は、荷物の運び入れの作業が必要な場合、着任後にしか運び入れることができないということになることが多いのではないでしょうか。当方の経験では着任後に研究資材の運び込みを行いました。辞令が前にでても、新規採用でないかぎり、前任者がいるので前任者が退去しない持ち込めないです。新設の研究室だったら着任前に持ち込んで研究室を立ち上げるのが可能かもしれません。
大学では着任日に辞令をもらうなんてのは普通です。辞令を交付するから4月1日に来いとか言われたと思います。その着任の日に部屋の鍵をもらいます。その前は内定ということだけで書類などあったっけ?発令などなかったかと。

研究室の引っ越しは大変で、科研費で購入した機器は、必ず所属組織の備品になります。つまり若山氏の場合理研の財産ですね。理研から移動先が国立だと、国の財産の移動だから、理研が許可すれば移動できると思います。私大への移動だと、国の財産ですから移動するのはちと面倒です。許可されないこともあるでしょう。若山氏の場合は10年もCDBにいたのでそれなりの財産があったはずで、引っ越しには時間がかかるでしょうね。というわけで2013年3月は引っ越しの期間だったでしょうね。2012年4月からの山梨大学でどのくら実験ができるようにセットアップしていたかはわかりません。2012年4月に赴任したのに、山梨大で実験していないと批判されることはないでしょう。授業会議は出ないと怒られますけどね。

というわけで小保方氏の場合、2013年2月は若山氏研究室に自由に出入りでき、2013年3月はRULとして笹井氏研究室に居候そして引っ越しの手伝いーーしたかどうか知りません、2013年4月1日からは若山氏との連絡はメールだけというようなことになったのではないでしょうか。ですから若山氏に教えたのは、桂調査委員会報告書の樹立日から2013年2月CDBで、私小説には3月とは書いてないけど3月のように書いたのは3月に山梨大でやったかのようにすれば小保方氏がES細胞を混入できないので、3月にしたかったのではとゲスの勘ぐりをするわけです。