退職した日の夜中にkibanがこけた。というのは赴任1日目のところに書いた。
そしたら、本来なら筑波にいるはずの土曜日にまたこけた。9日土曜日は筑波にいるはずだが、赴任先の健康診断がこの日に設定されており、午前中は赴任先、筑波にもどるのは午後3時頃かな~とおもっていたら11時少し前に電話でこけているとの連絡があった。とほほ。高速を使わないと2時間かかる。しょうがない高速使ってなんとか1時間でもどり、再起動。
なんてこった。退職前、kibanがこけることはめったになかったのに。だから安心して、次のサーバへの移行が、地震のため4月にずれ込んでしまっったが、それでもいいと思っていたのに….
赴任2日目以降
4月5日(火)が赴任2日目だ。単身赴任なのでアパートの手続きと、家具付きアパートといえ、なにやら足りないものがあるので、なれない土地をうろうろ。一方通行を無視して走ったり、ごちゃごちゃやってたらおわっちゃったよ。パソコンが使えるようにするのに苦労した。本体にスピーカーがないデスクトップだったのを忘れていて、どうして音がでないのかとなやんだり、モニターとUSB切り替えスイッチがうまく動作しないことを悩んだりしているうちに一日がおわっちゃったよ。パソコンがないと仕事ができない体質になっちゃったから、こういうことになるんだな。メールが山ほどきていたので、対応したら、この日も終わり。
4月6日(水)アパートのガス栓を開けるとかいうので昼頃アパートにもどったり、なんやら原稿を書けという指示に従っているうちに、この日も終わり。またコンビニ夕食だ。アパートの回りの定食屋を開拓する夢もつぶれた。
赴任1日目
さって、数少ないこのblogのリーダーが期待している?新天地?での出来事を記載しよう。
第1日目、つまり4月1日(金)は、9時30分集合であった。指定された場所へいったら、そこは助教のたまり場で、指定時間を過ぎてもなんの案内もない。新任の助教の一人が筑波大学の人間総合の大学院学生であった。博士論文がまだできておらず、就職と論文作成の二股なそうな。同じ研究科なのにあっちは教育関係でD棟を根城にしているので、これまで会ったことはない。指導教員はだれか?とか、人間総合で管理者を知らないのはもぐりだとか話しているうちに、管理者はこっちの部屋です、個室へどうぞと案内された。案内した人は事務員なのか助教なのかいまだよくわからん。
というわけで、指示待ちのときに、医学から電話。kibanがこけた、どうしたらいい?だって。どうやら、31日に皆(副学長とかxx教授とか)で飲んでいるときにkibanがこけちゃって、翌日、朝まで動かなかったようだ。指示して10時頃には回復したようだ。あー、怒られるなとおもっていたら、やはり月曜日に大学にいったら、「爆弾をしかけたな」と怒られた。偶然とはいえ、おかしかった。
予定が変わったので午前中はなにもないと言われた。げ、わたされた予定表では朝から夕方までスケジュールは詰まっているのに。
学生食堂はまだやってない。学外に出てコンビ二で昼食を買って,個室に戻り、冷たいお茶で昼食中に、今度は、何時にあそこに集まれという連絡が電話できた。こっちは自分の電話番号すらしらないのに、他の人はわかっているようだ。
新任教員の紹介だ。全教員100名そこそこなのに、新任が20名はいる。回転が速い職場のようだ。管理者が一番年寄り(当然だな)なのでトップで紹介された。
そのあと辞令交付。学長には面接試験のところで会っているのでこっちは覚えているけど、相手はどうだか。
そのあといきなり学科の会議。なんだかわからんけど、コメントをしてしまった。やばい。仕事が増えるぞ。
予定を大幅にずれて、夜10時に筑波に帰宅。あーしんど。
月曜日は筑波大学での仕事。次期xx長(複数)へ仕事の引き継ぎが十分できていないので、それに追われてあっという間にすぎてしまった。
放射性物質の拡散その2
東電「放射性物質の拡散シミュレーションは困難」
東京電力は24日未明の会見で、福島第1原子力発電所から放射性物質がどの地域まで広がるかを推計するのは難しいとの見解を明らかにした。23日までの会見では「できる限り(推計をして結果を)明らかにする」(広報部)としていた。計算の前提になるデータが現時点ではそろわないため、公表方針を実質的に撤回した。
2011/3/24 2:56 日本経済新聞 のページから。
ちゃんとシミュレーション・ソフトを持っているらしいが、放出された量がわからないからできないとかぐちゃぐちゃ言ってできないそうな。シミュレーションの結果がパニックを起こすをを恐れているからだろうか。
しかし、外国ではさっさとシミュレーションをやっている。フランスのIRSNでは動画になっている。http://www.irsn.fr/EN/news/Pages/201103_seism-in-japan.aspxのpdfファイルに書かれているリンク先http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/animation_doses_corps_entiers_19mars.aspx

このシミュレーションによると関東地方への拡散は15、16日にあった。
東京都新宿区の放射線量は東京都健康安全研究センターが公表している。http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/past_data.html
しかし表だけだ。不親切だ。研究発表で数値だけの表のデータを図示するのは許されない。普通の人は頭の中で数値をグラフ化できないからだ。このデータを元にグラフにすると(縦軸はμGy/h、横軸は一日の平均値で3月1日から23日まで)
だったのでシミュレーションが結構一致している。21日からの増加は、上記のシミュレーションが累積でしか示していないのでわからない。
Norwegian Institute for Air Research (NILU).はノルウェイにある大気汚染をモニターしている研究所でここの http://transport.nilu.no/browser/fpv_fuku?fpp=conccol_I-131_;region=Japan
は、今日の予想しか表示されない。15、16日のシミレーションの結果はわからない。どっちにしろ風向きで変わる。どのシミュレーションでもほとんどが海に向かっている。
東電だってやればいいのに。シミュレーションと実際の測定結果を併記すれば、どのくらいいい予想が当たるのか、いい加減なのかがわかるし、予想が当たらないのならそれなりの判断をするだろうし、当たれば避難する人がでてくるけど、それは東電のせいではないだろう。
在日中の外国人にはパニックになって帰国したり、関西に逃げたりしている。母国での報道が、よその国だから表現がオーバーになるからだ。母国からの連絡でパニックになっちゃうのだ。日本の政府の発表は概ね正確だ。正確にしないとあちこちで計測できる状態だから、意図的に変えることはできない。
筑波の放射線量のモニターは高エネルギー研究所のがわかりやすい。
放射性物質の拡散
Radioactive なヨウ素やセシウムの拡散が大問題で、つくば市はどうほう公園を避難先と指定して、仙台や福島県から避難者が来ていると聞く。
管理者は4月1日から他の大学へ転職するわけで、単身赴任ということで家具付きアパートをさがしていた。地震の前の3月初旬は結構候補があったが、地震のあと忙しくてアパードどころでなかったのだが、ようやく土曜日にレオパレスの支店に行って契約できた。件数がものすごく減っている。避難する人が借りた例が多いらしい。2ヶ月とか3ヶ月という契約者が多いらしい。
で、今日のニュースによる放射性物質拡散のシミレーションだ.「SPEED I は、原発の位置や放出された放射性物質の種類、量や高さ、地形などを元に気象データを踏まえて計算。」とある。
http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230465.html から
Google Map の地形図をおなじ縮尺にしてみたら。地形より風向きのほうが影響が大きそうだ。いわき市の方へ下がる腕は地形に沿っているように見えるが、川俣町への腕は山越えだ。
地震の5日目からの後片付け
地震のあった日から4日目(火曜日)は、倒れかかった棚をもとにもどしたり、余震でさらに崩れると危険な大型の物品を床に下ろすとかするのを大学院学生さんを動員して直して回りました。エレベータがまだ動かないので物品の廃棄置き場へ移動するのは無理です。
5日目と6日目に、ボランティア(主に大学院学生さん)が手伝ってくれて、廊下にだされた廃棄物品を仮設の廃棄物品置き場に移動しました。なんとか施設に依頼してエレベータ1基を動かしてもらい、ボランティアを2グループに分け、1Fのグループは降りてきた荷物を仮設廃棄物置き場に運ぶ、もうひとつのグループは下の階から順に廃棄物をエレベータに送り込むという手順で廃棄物を処理しました。エレベータはまだ安全確認が行われていないので人は入ってはいけないということになってます。下の階から始めたのは、上層階ほど被害がひどく、各研究室やオフィスから廃棄物がまだすべて出ていないからです。

研究室やオフィスから出された廃棄物をエレベータ前に集め、
エレベータに積み込みます。
掃除の人が勝手に違うフロアでエレベータのスイッチを押すので、混乱。清掃の方にも指示しました。
エレベータに入らない棚は分解する必要があります。
エレベータに乗ってはいけないというのに、この指揮官は乗り込んで働きます。しかし1フロアだけで、くたびれちゃって、途中でお茶を飲みに勝手に休憩に入っちゃいました。その間もボランティアの学生さんはせっせと働きましたよ。あとで、指揮官が戦場の全面に立ってどうすると、私を含め複数の人からおこられていました。
こっちの指揮官は体力に応じて掃除を。
エレベータが降りてきて1Fで受け取った廃棄物は仮置き場に移動。
この写真が廃棄物仮置き場ですが、まだまだ始めのころで、最終的にはこの3倍以上でてきました。
クリーンアップされた実験室側の廊下。
こちらはオフィス側の廊下。
廃棄された文書の山。地震が起こる前から捨てていればいいのに。
会計が手回し良く廃品回収業者を呼び出し、当日に回収してもらいました。トラックその1.
トラックその2.
トラックその3.
右の青い箱も満タンでこれは翌日、クレーンのついたトラックで運びだされました。
会計は、大学の別部署や他の研究所等から同じように廃棄物が出て、回収業者がなかなか来てくれないと思い、手早く手配したのですが、他ではまだ廃棄物を回収する準備ができていないようで、回収業者は依頼の待ち受け状態だったようです。ただし、ガソリンが手に入りにくくなっているので1回にまとめてくれとのことでした。医学はそれだけ素早く後片付けが実施できたということです。
というわけで、地震発生6日目には、大きなごみはすべて廃棄され、あとは各研究室やオフィスの住人が自らの部屋を片付ければいいという状態になりました。電気の復帰も早かったし、上下水道も通じていたしということもあって、大学の中でも復帰が最も早かった部署ではなかたのかと思っていますよ。一致団結とは、このような非常時には必要なものですな。細かなことをぐちゃぐちゃ言う人がいないわけではないけれどもね。ほんの少しの人間だけでさっさと手順を決めちゃったのもよかったです。通常のように、各組織の頭を集めて協議するなんてことやっていたら、このようにはいかなかったのではないかと思っています。
地震被害(翌日の写真)
翌日(土曜日)でてきて、まだ電気も通っていないけど、ざっと見回りましたよ。

学群棟と図書館の間のペデストリアンの下。パイプの留め金が破損。
サーバ室の天井、水漏れが止まったのはいいけれど、水を吸った飾りボードが重くなって落下。
ある研究室その1。単純に積み上げたのは崩れるだけ。
ある研究室その2.手前からくずれた板はなんだったんだろう。
ある研究室その3.
ある研究室その4.棚がくずれかかっている。
ある研究室その6.棚の転倒、あとはなんだかわからない。
ある研究室その7.引き出しがあいているのが普通。しまっていても、それはあいたりしまったりしたあとだ。
ある研究室その8.棚がたおれなかっただけまし。
ある研究室その9.冷凍庫・冷凍庫は走るし、扉も開いてしまう。
ある研究室その10.液クロが落下。廃棄するしかない。
あるオフィスその1.
あるオフィスその2.ヒトがいなかったのが幸い。倒れた棚の下にデスクと椅子があったわけだ。
あるオフィスその3.棚が傾き天井のボードに角が刺さった状態。蛍光灯のソケットが棚が当たって破損。典型的なオフィスの被害です。
廊下。廊下に置いたロッカー戸棚が転倒したり移動したり。
また別の階の廊下。火がでたら非常にまずい。安全管理室が見回って、廊下の物品は倒壊しないようになっていたはずだが。
附属病院との渡り廊下。大きな隙間があいたまま。図の上が天井です。もともと分離しているものだけど、渡り廊下が落下する可能性があるのではと不安になります。
中庭の照明。本来はガラスでできた球状の覆いがあったのだが、ガラスは破損、落下。下にヒトがいたらガラスが降ってきて怪我したところだろう。
プレハブ(D棟;工藤棟)の床と壁。壁のボードが破損。軽量鉄骨でできたプレハブで全体が軽いから、ゆがんだとき室内のボードが壊れたのだろう。
共同利用棟Bの教室。100名が入る教室で大きな空間だったため変形が大きく、天井内にあった仕切りの板(LANケーブルが通っていた)隙間から落下。この棟は、窓も落ちたし、天井が落ちたところもあり利用禁止となった。
停電のあと、医学の物への通電操作を行っている様子。各階ごとにスイッチがあるらしい。上流が電流を流すことができることを確認し、各フロアのスイッチの状態を確認し、通電することになる。
自動的にシャットダウンされたスイッチをもとに戻す。パイプを差し込んでスイッチをONにする。で中央に準備ができたと報告して通電を開始する。このパネルから遠ざかれとの命令。なにかあったら、映画のようにパネルがぶっ飛ぶからだろう。
地震被害の写真(当日)
2011年3月11日(金)14時46分の東北地方太平洋沖地震の直後は当然写真なんか撮っている暇はない。しかし、揺れが収まったころから撮影したのを紹介する。めちゃくちゃになった部屋ばかりの写真で、もっとあるけど、ここに掲載するのもいやになる。

電算機室内のサーバ室。上の階で上水のパイプが破損し、水漏れのためあわててビニールシードを探しだし、基盤室のサーバー群を覆った。
これが本来の姿
直後に建物から出て避難した職員と大学院学生。春休みで学群学生がいなかったのが幸い。春休みでなかったら発生時刻は授業を実施している時なのでパニックになってけが人がでただろう。
消火栓からホースも飛び出ていた。
学生が稼いできたトロフィーをおさめたガラス棚は転倒して使い物にならず。
階段のコンクリートは剥がれおちた。
エレベータは、最寄りの階で自動停止したらしい。
事務室(総務)の棚が落下。
支援室長の机。重ねてあった書類、書籍が落下。超軽微な被害です。なにもなかったに等しい。
大学院オフィスの学生のメールボックスが落下。これも軽微な被害です。元に戻せましたからね。
地震被害
地震被害の一端です。Examples of damages.

あちこちの時計が、地震発生時を示して止まっていました。発生は14時46分でしたが、止まっている時計は49分が多かったようです。つまり3分間後が最大に揺れたということでしょうか。A lot of clocks stopped at the time of the earthquake.
8Fのとある部屋です。扉も開かないので、強引に開けて、中を見たらこんな状況です。倉庫として色々な資料が置いてある部屋で、地震時にヒトがいなくて幸いでした。ほとんどの棚が倒れています。棚を天井に突っ張り棒で押さえていたのですが、天井の化粧版の軽量鉄骨の部分ではないので、化粧版が壊れています。An office room where most of shelves fell, and article has been scattered. It was lucky no one was there at the time of the earthquake.
実は、この部屋は、通路の安全を確保するため、学生さんを動員して1Fから順に各フロアの廃棄物を建物の外に出した後、8Fで最後に発見したものです。部屋の管理者の一人に、人手があるから整理の手伝いができると申し入れたら、複数の研究室が使っているため、一人ではどれを廃棄していいのか判断できないので、このままでいいとのことでした。というわけで、学生さんのお仕事はこれで終了。それがわかった学生たちは一斉に携帯をとりだし室内の写真をぱちぱち。Volunteers (most of them were students) who have just finished the clean up passage ways of every floor for safety took pictures with their cellular phones.
ガスボンベはこのように転倒しないような柵に置くことが決まっていますが、役にたちませんでした。It was decided to put the gas canister on the hedge but it was not useful like this.
インキュベータらしき機器を、棚に固定して据え付けたのはいいのですが、下の棚が傾いて、インキュベータの角が天井の化粧版に突き刺さり、動けなくなってしまった状態です。やはり、重たい機器は下のほうに設置すべきです。Another example of a lab. The door of the incubator was opened and all materials were dropped.
これは、共同利用棟Bの2F、100人教室です。プレハブで軽量なのはいいのですが、天井が落ちて、断熱材が暖簾のように垂れ下がっています。A part of ceiling of a classroom fell and insulations were falling like curtains.
窓枠も外れて下へ落下。プレハブ棟は部屋が仕切りで細かく分けられているところは無事なのですが、100人が入る教室のように大きな部屋は3室とも使える状態ではなく、建物への立ち入り禁止ということになりました Window has dropped besides the classroom.
地震直後、停電になったので、自分だけの冷凍庫を守りたくて自家発電機を調達した人がいました。ところが部屋を締めきっていたので排気ガスがすごく、一酸化炭素中毒を引き越す恐れがあり、該当者は呼び出され叱られました。こういうときは、やはり自分だけはというのは嫌われます。It became a electric power failure immediately after the earthquake. Someone brought a private electric generator to protect his samples in his freezer. But he closed windos of the room so exhaust gas was full. He was scolded by his head of the institute.

冷凍庫に書かれた文字。大学人としてなさけない誤字ですな。Characters written on a freezer. Such an erratum is shameful as an university person.
地震が発生したときから−その2
15日(火)
大学院学生を集め、主に6階以上の傾いた棚を修復。ゴミ処理を行うために危険となる棚をとりあえず元に戻す。教授室の開学時に設置されたオフィスのスチールの棚が大量に傾いていた。傾いて天井の飾り板に食い込んでなかなかもとに戻せない。槌でたたいて戻す。講師室の棚も転倒、移動がはげしい。実験室の転倒した棚ももとに戻す。ガラスの破片、書類が床にちらかっているがこれらは無視。自分たちでやってもらうしかない。とりあえずは余震でさらに転倒したりしないように、あるいは不安定な大きな棚は床に下ろす等を行う。
16時 医学部門災害対策会議。被害の修復の程度の報告を各フロア責任者から受け、今後の方針を決定。通路の安全確保のため大学院ボランティアを集め、廊下に出された廃棄物を建物外に出すこととする。研究室やオフィスを解錠したままと昨日指示したが、これをやめ通常の施錠でいいことを確認。
16時30分 大学院の運営委員会。この委員会で承認がないと学生が修了できないので開催。
19時30分頃 節電、節水、のお願いと、研究室、オフィスの施錠は通常とおりでいいとメールで全員に連絡。整理の研究室内にちらかった書類の整理と破棄。
16日(水)
10時から昼食をはさんで17時半まで。大学院学生を指揮して3Fから5Fまでの廃棄物品を処理。3Fが一番多かった。
13時30分医学部門会議兼医学部門災害対策会議。現状の報告と対策を議論。
1Fと2F、4Fの廃棄物品はわずかであった。被害の大きさがフロアによって違うことがわかるが、3Fの廃棄物品が多いのはなぜか?
17日(木)
10時から昼食をはさんで17時半まで、大学院学生を指揮して6Fから8Fまでの廃棄物品を処理。ここが一番ひどく各フロア約2時間を要した。8Fの片付けが終了したあと、ボランティア大学院学生に解散を命じた直後、開かずのドアの部屋を発見。中はめちゃめちゃ。棚がほとんど転倒。部屋の関係者をみつけ、処理の手伝いをするがどうかと聞いたところ、複数の科が利用しているので、どれが不用物品か判断できないので、処理できないとのこと。そこで大学院学生に本当に解散とつげたところ、この部屋の写真を携帯で一斉に撮影開始。
回収業者がきて、18時ころ、机、棚などを回収していった。副研究科長と飲食。おしまい。
18日(金)
16時から臨時医学部門会議(医学部門災害対策会議)。大きな案件はなくなったとして医学部門災害対策会議は解散。


















































