末梢的な事

「細胞増殖グラフと遺伝子メチ化の図表問題などは末梢的な事だと思います。」という発言が過去にありました。このような発言をされる方には「研究論文における「瑣末なミス」があらわすもの」という田中智之氏の記事をご一読願いたいものです。
ここには「ライフサイエンスにおいてサポートデータがコアのデータと同様に重要であることは、研究者に共通した認識だと思います。ひとつの実験結果がストーリー全体を支えるという華麗なケースは限られます。」という記述があります。ひとつの実験結果(コア)のデータとはキメラができたことですね。(事故で?意図されて?)できちゃったキメラ(らしきもの)がストーリー全体を支えたので、こんなことになっちゃったわけですね。サポートするデータの実験を要求したら、ことごとくうまくいくのでシニアの方はさらに実験者を褒め称えたんですね。褒められたら止めるのは難しいですね。サポートするデータに不審な点を発見できなかったー性善説で研究室は動いていますからねー、発見できるチャンスがいくらでもあった….今となっては泣き言になっちゃいますけど。
ですから、末梢的な実験でも、実験結果がどうこうではなく、実験を行った者がどうなのかの判断にも使うわけです。シニアはこのような点も意識して研究室を主催しているはずと思うところですが、そのもたされたフェイクの素晴らしさに目がくらみ、ゴミと判定できなかったんですね。桂報告書のp31「身につまされる」はよく理解できるところですね。