地震の5日目からの後片付け

地震のあった日から4日目(火曜日)は、倒れかかった棚をもとにもどしたり、余震でさらに崩れると危険な大型の物品を床に下ろすとかするのを大学院学生さんを動員して直して回りました。エレベータがまだ動かないので物品の廃棄置き場へ移動するのは無理です。
5日目と6日目に、ボランティア(主に大学院学生さん)が手伝ってくれて、廊下にだされた廃棄物品を仮設の廃棄物品置き場に移動しました。なんとか施設に依頼してエレベータ1基を動かしてもらい、ボランティアを2グループに分け、1Fのグループは降りてきた荷物を仮設廃棄物置き場に運ぶ、もうひとつのグループは下の階から順に廃棄物をエレベータに送り込むという手順で廃棄物を処理しました。エレベータはまだ安全確認が行われていないので人は入ってはいけないということになってます。下の階から始めたのは、上層階ほど被害がひどく、各研究室やオフィスから廃棄物がまだすべて出ていないからです。

研究室やオフィスから出された廃棄物をエレベータ前に集め、

エレベータに積み込みます。

掃除の人が勝手に違うフロアでエレベータのスイッチを押すので、混乱。清掃の方にも指示しました。

エレベータに入らない棚は分解する必要があります。

エレベータに乗ってはいけないというのに、この指揮官は乗り込んで働きます。しかし1フロアだけで、くたびれちゃって、途中でお茶を飲みに勝手に休憩に入っちゃいました。その間もボランティアの学生さんはせっせと働きましたよ。あとで、指揮官が戦場の全面に立ってどうすると、私を含め複数の人からおこられていました。

こっちの指揮官は体力に応じて掃除を。

エレベータが降りてきて1Fで受け取った廃棄物は仮置き場に移動。

この写真が廃棄物仮置き場ですが、まだまだ始めのころで、最終的にはこの3倍以上でてきました。

クリーンアップされた実験室側の廊下。

こちらはオフィス側の廊下。

廃棄された文書の山。地震が起こる前から捨てていればいいのに。

会計が手回し良く廃品回収業者を呼び出し、当日に回収してもらいました。トラックその1.

トラックその2.

トラックその3.

右の青い箱も満タンでこれは翌日、クレーンのついたトラックで運びだされました。

会計は、大学の別部署や他の研究所等から同じように廃棄物が出て、回収業者がなかなか来てくれないと思い、手早く手配したのですが、他ではまだ廃棄物を回収する準備ができていないようで、回収業者は依頼の待ち受け状態だったようです。ただし、ガソリンが手に入りにくくなっているので1回にまとめてくれとのことでした。医学はそれだけ素早く後片付けが実施できたということです。

というわけで、地震発生6日目には、大きなごみはすべて廃棄され、あとは各研究室やオフィスの住人が自らの部屋を片付ければいいという状態になりました。電気の復帰も早かったし、上下水道も通じていたしということもあって、大学の中でも復帰が最も早かった部署ではなかたのかと思っていますよ。一致団結とは、このような非常時には必要なものですな。細かなことをぐちゃぐちゃ言う人がいないわけではないけれどもね。ほんの少しの人間だけでさっさと手順を決めちゃったのもよかったです。通常のように、各組織の頭を集めて協議するなんてことやっていたら、このようにはいかなかったのではないかと思っています。

地震被害(翌日の写真)

翌日(土曜日)でてきて、まだ電気も通っていないけど、ざっと見回りましたよ。

学群棟と図書館の間のペデストリアンの下。パイプの留め金が破損。

サーバ室の天井、水漏れが止まったのはいいけれど、水を吸った飾りボードが重くなって落下。

ある研究室その1。単純に積み上げたのは崩れるだけ。

ある研究室その2.手前からくずれた板はなんだったんだろう。

ある研究室その3.

ある研究室その4.棚がくずれかかっている。


ある研究室その6.棚の転倒、あとはなんだかわからない。

ある研究室その7.引き出しがあいているのが普通。しまっていても、それはあいたりしまったりしたあとだ。

ある研究室その8.棚がたおれなかっただけまし。

ある研究室その9.冷凍庫・冷凍庫は走るし、扉も開いてしまう。

ある研究室その10.液クロが落下。廃棄するしかない。

あるオフィスその1.

あるオフィスその2.ヒトがいなかったのが幸い。倒れた棚の下にデスクと椅子があったわけだ。

あるオフィスその3.棚が傾き天井のボードに角が刺さった状態。蛍光灯のソケットが棚が当たって破損。典型的なオフィスの被害です。

廊下。廊下に置いたロッカー戸棚が転倒したり移動したり。

また別の階の廊下。火がでたら非常にまずい。安全管理室が見回って、廊下の物品は倒壊しないようになっていたはずだが。

附属病院との渡り廊下。大きな隙間があいたまま。図の上が天井です。もともと分離しているものだけど、渡り廊下が落下する可能性があるのではと不安になります。

中庭の照明。本来はガラスでできた球状の覆いがあったのだが、ガラスは破損、落下。下にヒトがいたらガラスが降ってきて怪我したところだろう。

プレハブ(D棟;工藤棟)の床と壁。壁のボードが破損。軽量鉄骨でできたプレハブで全体が軽いから、ゆがんだとき室内のボードが壊れたのだろう。

共同利用棟Bの教室。100名が入る教室で大きな空間だったため変形が大きく、天井内にあった仕切りの板(LANケーブルが通っていた)隙間から落下。この棟は、窓も落ちたし、天井が落ちたところもあり利用禁止となった。

停電のあと、医学の物への通電操作を行っている様子。各階ごとにスイッチがあるらしい。上流が電流を流すことができることを確認し、各フロアのスイッチの状態を確認し、通電することになる。

自動的にシャットダウンされたスイッチをもとに戻す。パイプを差し込んでスイッチをONにする。で中央に準備ができたと報告して通電を開始する。このパネルから遠ざかれとの命令。なにかあったら、映画のようにパネルがぶっ飛ぶからだろう。

地震被害の写真(当日)

2011年3月11日(金)14時46分の東北地方太平洋沖地震の直後は当然写真なんか撮っている暇はない。しかし、揺れが収まったころから撮影したのを紹介する。めちゃくちゃになった部屋ばかりの写真で、もっとあるけど、ここに掲載するのもいやになる。

電算機室内のサーバ室。上の階で上水のパイプが破損し、水漏れのためあわててビニールシードを探しだし、基盤室のサーバー群を覆った。

これが本来の姿

直後に建物から出て避難した職員と大学院学生。春休みで学群学生がいなかったのが幸い。春休みでなかったら発生時刻は授業を実施している時なのでパニックになってけが人がでただろう。

消火栓からホースも飛び出ていた。

学生が稼いできたトロフィーをおさめたガラス棚は転倒して使い物にならず。

階段のコンクリートは剥がれおちた。

エレベータは、最寄りの階で自動停止したらしい。

事務室(総務)の棚が落下。

支援室長の机。重ねてあった書類、書籍が落下。超軽微な被害です。なにもなかったに等しい。

大学院オフィスの学生のメールボックスが落下。これも軽微な被害です。元に戻せましたからね。