2件の「はめられた」がでてきた。
1つは週刊文春がスクープしたとされる甘利明経済再生担当大臣への現金授与が政治資金収支報告書にない件だ。甘利氏の地元の市議は「わなにはめられたんじゃないか」と話す。 どうやら怪しげな企業が右翼とかと絡んで、都市再生機構(UR)の工事のトラブル仲裁を依頼したときに礼金のようだ。「はめられた」と主張するのはおかしい。政治家に依頼するほうだって、契約書を交わすわけじゃないんだから、依頼したことを記録するのが当然だろうし、いわんや右翼だったら、恐喝のいいネタだもんね。政治家なんて敵ばかりなんだから、菓子折りの箱に山吹き色のものが敷かれているのが当たり前だという認識がない方がおかしい。口利きの謝礼だったら、個人所得にするとか、政治資金収支報告書に書けばそれでいいだろうが。裏金としての現金が欲しかったにちがいない。しっかりもらったんだけど、その見返りをきちんと、依頼者が納得するようにできなかったのでは。あるいは脅迫されたのを拒否したのでは?
もう一つはSATAP細胞論文筆頭著者の手記だ。まだ読んでないから、TVやネット情報だけど、こっちも、元上司にはめられたと書いてあるらしい(朝のTBS TVで言ってた)。んでどうやらこの手記の初めに「最後になりますが 、どんな状況にあっても 「私の先生 」でいてくれた 、相澤慎一先生 、笹井芳樹先生 、丹羽仁史先生に心よりの尊敬と感謝を捧げます 。」と書いてあるらしい。とすると、元上司とはW氏しかいない。W氏はどういう動機があって筆頭著者をはめる必要があるんだろうか?論文になる前に、国立大学の研究所所長(教授)に就任しているんだぜ。はっきりいって駅弁大学の農学部卒が生命科学分野の国立大学の教授・研究所所長というのは大出世だ。いまさら筆頭著者をはめて何の得がある??データの捏造を筆頭著者に示唆したとかいう奴がいるけど、データの捏造を、子飼いの弟子でもないポスドクに指示したら、自分の身があぶないじゃん。権力の及ぶ自分の研究室の大学院学生にだったら捏造の示唆はありえるけど、他所からきた金持ちポスドクに捏造しろなんていったら、大変だ。これまでの成果がパーじゃん。折角の教授のポストがぶっ飛ぶ。
こっちは、筆頭著者のいいがかりだな。自分の悪行を悪行とは思ってないので、世間から批判されたのは「自分に責任があるわけではない、他の人・上司にあるのだ。」と自分自身を守るために責任転嫁するしかないだろ。自殺をほのめかすような部分が手記にあるらしい(未確認)けど、自殺する玉じゃないな。責任を自分で取らない・他人に押し付けて、これまで生きてきたんだろうな。
[ 追記 ] 2016.1.30
読まないで推測だけで書いているという批判があったが、読んだ人の感想だって同じだ「 そして、さまざまな言い訳も、「結局他人のせい」にしている。」(琥珀色の戯言)。読んで、上記の推測が違ったら、ここに書くよ。
「論文捏造」カテゴリーアーカイブ
iMuSCs
Kinga Vojnits, HaiYing Pan, Xiaodong Mu & Yong Li. Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells. Scientific Reports 5, Article number: 17355 (2015) という論文が出て、いわゆるO擁護派といわれる、木星通信とか、同じ人の別名の追求する有志の会とかDORAとかいうブログとか一教育者研究者のコメント欄にいるJ. ワトソンなんかが大喜びなわけだ。Oはすばらしい。発想は正しかった、なんて多騒ぎしている。
こっちの分野は素人だから、誤解があるかもしれないし論文も読んでないから間違いかも。筋組織には、収縮する筋細胞(筋線維)だけではなく、衛星細胞や、当然血管や血球その他もろもろが含まれている。心筋が全く再生能力がないのに対して骨格筋は再生能力は低いがある。でその再生は衛星細胞(だけではないかもしれないが)が担っている。筋細胞は複数の細胞が融合した多核の細胞で、この細胞は再生しない。筋が損傷されると衛星細胞が筋細胞に分化していく。この論文で、筋を傷つけると部分的に再プログラムされた細胞(partially reprogrammed from differentiated myogenic cells )ができたというのは、分化した筋細胞ではなく衛星細胞なんだろうな。もし、そうならもともと筋の幹細胞の一種なのだからある意味では当然で、普通、筋では(何らかの制限があって)筋細胞だけに分化するのだが、単離するともうちょっと脱分化して他の胚葉の細胞にまでなれちゃったのではないだろうか。筋の性質はそのまま発揮しているらしい。ただし、脱分化の程度は完全ではないので、キメラにしたとき生殖細胞にはなれない。山中因子の1つをインジェクトしたら完全な幹細胞になったりしてね。もはや否定された”STAP細胞”は”胎盤にまでなれた”んだから、STAP細胞の存在が証明されたわけではない。
OというかV の発想は昔からあって、別にO独自のものではない。イモリの目玉とか、手足が再生するのは100年以上前から分かっていて、植物ではこの脱分化・再生が容易で、動物と決定的に違うところなのだが、動物でも例外的に脱分化して再生することがありうることが知られているのだ。ただし植物のように全能にするのは、特別な操作が必要だ。だから脱分化、リプログラミングさせる方法は多くの人が探してきたわけだ。Oが素晴らしいのは”酢漬け”という極めて簡単な方法を開発したと宣言したからなのだ。しかし、これがインチキだったのだから、仮に将来、iPS細胞のような遺伝子注入ではない、細胞を外から刺激して幹細胞を作る方法を誰かが開発したとしても、Oの名前は単なる詐欺師の一人にしかカウントされないだろう。
STAP細胞のときは、第一印象はES細胞のコンタミでは?だったけど、素人がES細胞?と考えるくらいだからES細胞ではないことは完全に証明しているだろうなと、当時は思ったのね。今回の筋も衛生細胞?と思ったわけだけど、これも素人が思うわけで、ちゃんと衛生細胞ではない、多核の筋線維が脱分曲したと証明しているんだろうな?と論文も読まないで考えているのさ。
再提出論文
「今回の再提出した博士論文や関連するデータは年度内をめどに随時公開して参る所存です。」は実施されるだろうか?
実施されないほうに巣鴨の蔦のラーメン一杯。出てきたら、あの有名な実験ノートのように世の中の研究者はこけるだけだな。もやは、読むのは素人さんばかり。
optimistic pressure
小保方氏の博士号は剥奪され、修士、博士課程単位取得中退となったわけで、これに対して何の異議もない。小保方氏も早稲田大学もめちゃくちゃだったわけで、早稲田大学の博士論文審査のいい加減さが笹井氏の自殺の遠因となったといっても過言でないと思う。もちろん小保方氏のデータ捏造と笹井氏のiPS細胞への対抗心・あせり・すけべ心が、より直接的な原因だろうけど。
一研究者・教育者の意見を愛読しているのだが、ここで、果たして国会図書館に製本納品されているいわゆる「草稿」より進展した審査会提出論文があったのだろうか?が話題になっている。現時点で、存在する論文は、この草稿と、昨年、早稲田大学にメール添付で送付された「小保方主張論文(主張論文)」だけで、ほかの論文が存在したのかわからない。主張論文は国会図書館にある草稿がネットで暴かれ、数々の批判があったあと作成された可能性のある電子ファイルだ。
管理者は、ないという立場だが、一研究者・教育者の意見のブログ主はあると考えている。
早稲田大学の審査員であった、主査=指導教員の常田氏は、研究分野が異なり、理解できていない。同大学の竹岡氏の専門分野も高分子化学・工学で専門外で理解できていない。東京女子医大の大和氏や、ハーバード大のVacanti氏は、再生医療専門なんだろうけど、常田氏は彼らに教育を依頼したわけで、依頼先の専門家がいいというし、副査でもあるので、審査はおざなりだったに違いない。Vacanti氏にいたっては審査なんかやってないというし、サインもない。でたらめだったのがよくわかる。
こういう審査体制で、一研究者・教育者のブログ主は「もし「公聴会時論文」が著作権侵害画像を多く含んでいた「草稿」であったならば、いくら何でも審査委員は調査においてその旨を述べていたはずである。調査委員会は「草稿」と「公聴会時論文」は異なり、共に存在していたと報告している。」というが買いかぶりだろう。調査委員会に対して、常田氏は、読んでないなんて、口が裂けても言えなかったにちがいない。ほんの少しの指摘をもって「読んで指摘した」と言い、審査を実施したとしなければ、1ヶ月の懲戒休職で止まらなかっただろう。「調査委員会は「草稿」と「公聴会時論文」は異なり、共に存在していたと報告している。」も調査委員会の推測だけで、紙の束=提出論文があったことを確認しているわけではない。主査と副査の常田氏と竹岡氏は審査時提出論文を小保方氏に訂正のため返却したらしいが、もう一人の副査の大和氏への事情調査は行われておらず、もしかしたら提出論文が大和氏のところに残っているかもしれない。しかし大和氏は、STAP細胞発表時には饒舌であったが、そのあと病気になったようで一切の発言がないのでわからない。Vacanti氏は副査をやっていないというので論外だ。
早稲田大学 大学院先進理工学研究科における博士学位論文に関する調査委員会 調査報告書 の39ページにお笑いがある。「草稿にoptimistic pressureということばがあり副査の竹岡氏が「osmotic pressure」と変更しろと指摘したと主張するが、公聴会でそのような指摘があったかどうか誰も覚えていない。常田主査はそのような単語を知らなかったから言われても気がつかない。小保方氏も理解できていないから、主張論文で訂正されていなくてもありうることだ」だって。
おいおい、optimistic pressure(楽観圧というんだろうか?)なんて言葉はないから知らないはいいけど、osmotic pressure(浸透圧)は中学生だって知っていることだぞ。小保方晴子のSTAP細胞論文の疑惑 小保方晴子の博士論文について で「optimistic」で検索すると、確かに草稿にあることがわかる。だから竹岡氏が草稿を眺めて、確かに気がついたのかもしれない。optimistic なんて単語は科学論文の方法や結果にありえない単語だからな。しかし、ネットのだれも、osmoticの間違いだと指摘していないので、主張論文はそのままなのだ。これが、主張論文は提出論文ではなく、草稿をネットの指摘から修正したものという証明にもなる。つまり、提出論文なんてなかったのだ。
テラトーマについての議論は、上記報告書の35ページに、「草稿にはない図が、プレゼンテーション資料にあり、このテラトーマの実験は本質的に重要な点であるので、審査会提出論文にもしこの図がなかったら、審査員が気づくはずで、その指摘がなかったので、提出論文があったにちがいない」と推測している。主査の常田氏は工学の化学出身、竹岡氏も高分子の工学で発生学について理解があるかどうかわからない。こういう人がテラトーマの重要性に気がついているかどうか疑問で、提出論文=草稿を眺めただけなので気がつかなくても不思議ではない。
提出論文があった・なかったは証拠がないからどちらの主張も推測でしかないけど、早稲田の審査のでたらめ、小保方氏のずぼらが相まって発生した事件でしょう。
小保方氏は結果が分かっていることを、真面目にやらないのは、STAP細胞増殖カーブ実験でもよくわかります。結果が分かっているというのは小保方氏が誤解していることで、その誤解に基づいた図を作成したりしているのでよくわかりますね。博士論文も博士号を取得できるのが分かっているから、そして、形だけがあればいいのだから草稿をたった2部だけ製本して提出したんですね。2部しか必要としないし、だれも読まないだろうと思っていたからです。自分自身が持っていないとは信じられない行為ですね。
STAP細胞事件でも、「そんなことはしないはず」「こうするはず」「こうなるはず」で誰もチェックすることがないので、捏造が発生しちゃったんですね。ご本人はぼこぼこに叩かれても、なぜ叩かれたのかの反省もなく、めげないようで、それはそれで、もう研究の場には立てないのでいいとしても、早稲田の責任は重いですな。
実験ノート
管理者は1年生の生理学実習担当なわけで、実習では実験ノートを記入させることを指導している。
どうせ書かないのはわかっているから、前期終了時に実験ノートをチェックするからと提出させるわけだ。それでも後期の実習では、実験ノートを持参せず、配布した実習書の隙間とか裏に計測結果を書いている。そういう学生を見つけるたびに

で頭を、ピコっとたたき、「◯△方になっちゃうじゃないか」と言うのだ。暴力教師なのだ。昨年の実習では受けたんだけど…. 今年は一部学生に受けている。来年は「◯△方て誰?」になるでしょう。
今日、2年生の別の実習に参加することになったのだが、実験ノートを持っている学生はほんの少し。なんてこった。全く身についていない。明日の実習は抜きうち検査だな。
吾輩は猫である
一研究者・教育者の意見というブログがあって、ブログ主はどこかの大学の研究室を主催する教授クラスの方のようで、例えば研究費の配分などで良い意見を吐くことがある。このブログを立ち上げたのはSTAP細胞事件がきっかけで、小保方擁護派でも批判派でもないと自称しつつ、擁護に傾き、上から目線の意見を出すのだ。管理者は小保方さんの最初の記者会見で魅了されてしまったジジイ群の一人と思っている。このブログのコメント欄に、在米ポスドクと称する方がしばしば訪れて、管理者からみると、適切な意見を述べている人の一人だ。というか、コメント欄に投稿している中で、最もまともな意見を述べている方と思っている。
この方が、なんと、この書きなぐりブログを見つけてコメントしてくれた。管理者の計算ミスを指摘してくれたのだ。そのあとのコメントに「コロンバスと云う名は日本語で何と云いますかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫する」クシャミ先生を思い出すとあったのだ。なんか、博識の方ですな。吾輩は猫であるを最後に読んだのはいつかな?こんなフレイズがあったことなんか覚えていないな。
アバタの偏屈な胃が弱いノイローゼか。アバタはない。時代がちがうから天然痘に感染したことはない。偏屈…あるかも。胃潰瘍の経験があるから胃が弱いも当たっている。ノイローゼ…最近はこの言葉をつかわないけど、ま、これは違うようだ。のーてんき だからね。
大宅健一郎
小保方氏博士号剥奪で責任逃れの早稲田大に、「論文読んでない」と批判噴出 大宅健一郎 というのが、小保方擁護のFaceBook のサイトで紹介されていた。
その記事によると 11/9(月)〜武田邦彦・半井小絵・居島一平〜【虎ノ門ニュース 8時入り!】 53分15秒〜 に 「武田邦彦が小保方氏の論文を読み「学問的価値があり、立派な論文だ」と評価」と言っている書いている。事実、武田は、このような発言をしているが、このビデオの前後関係から武田邦彦が読んだという論文は、多分 Natureに投稿された論文だ。そして、武田邦彦は専門が違うからこの論文を評価できない。事実、このビデオが録画された時点では、retract され、内容が否定されたのだから、以前に武田が眺めたのだろうけど、武田は読めないことが明らかになったのだ。仮に、ネットにある早稲田の博士論文=いわゆる草稿=の方を読んで、立派だなんていっているのだったら、早稲田の審査員が論文を読んでいないと批判することはできないだろう。なんせ、あの「草稿」は論文の体をなしていないのだから。どうやら、このビデオでは武田は、博士論文とNature投稿論文の区別をしていないようだ。いいかげんな、やつなんだよ。大宅なんちゃらというのもよく見てないんだな。
さらに、大宅健一郎は「回避された大学側の責任追求」として、指導教員や総長自身が処罰されたことにひとことも触れていない。処罰の程度の軽さはあるかもしれないが、言及しないというのは酷いやつで、ジャーナリストなんて自称できないだろう。 多分この大宅なんちゃらはペンネームでなおかつ単独の人ではないのでは。
早稲田大の審査委員が「論文読んでない」と批判されてもしょうがないが、だからといって小保方の行ったことが許されるわけではないし。小保方は、むしろこの制度を運用するズボラな教員のすきまをうまくついたと言うべきだ。
博士論文について
小保方の博士論文は国会図書館にある草稿を製本したものであったのだが、博士号がとりけされちゃったのでもはやこれは博士論文ではなくなったのだ。ゴミになってしまったのだ。そもそも、この草稿が論文審査に提出され、修正要求があったものの、無視して草稿を、たった2部製本しただけなのだ。1部は大学に1部は国会図書館にある。自分のはない。凄まじい人ですな。
博士論文はどんなのだというのが、以下の記述だ。
博士論文は基本的には博士論文審査を通り、必要な修正等を行って製本した論文だ。 これがないと、博士ではありえないわけだ。 博士号を与えるか否かは、大学の権限で、その論文が雑誌に掲載されていることとは本来関係がない。審査の主体は大学なんだから、どこぞの雑誌に掲載されていようがいるまいかは関係がない。 しかし、それでは審査委員会に通ったら公表せずにおしまい、ということになる。昔は博士論文がほとんど非公開に近かったので、外部にきちんと公開=雑誌に投稿しなさいということになったのだ。
博士論文そのままでは、どこの雑誌も認めないので、雑誌にふさわしく短くした論文が投稿されるわけだ。博士論文の序文なんてのは、それこそギリシャ時代からの歴史が書いてあったりするので、雑誌にはふさわしくない。ネガティーブ・データだって博士論文は自由に記載していいのだが、雑誌では不要だ。論文の長さ制限があるから、どんどん削っていくわけだ。博士号の条件としてこの外部発表しますよという一文を書く必要がある・あったのだ。
必ずしもトップレベルの雑誌が掲載してくれるわけではないので、それぞれの大学には紀要というのがあって、これだったら、内々だからなんとか掲載してくれる。つまり博士論文があってそのあと雑誌論文があるというのが昔だったのだ。 京都大学の博士号取り消し要件に公表の不履行とあるのはこのことだ。
ところが、最近は、博士論文提出の条件に、査読付き国際雑誌にファーストオーサー(あるいはそれ相当)の論文が1つはないと申請資格がないというところが増えてきた。研究のテンポが早くなり、在学中に論文の1つや2つがあるのが珍しくないのだ。
早稲田は2つなければいけない。2つというのは、まともに考えるとかなり厳しい。学生が3年(医学部では4年、以下略)で論文を作成することすら難しいわけで、それが2つというのはハードルが高すぎると思う。とすると国際雑誌=英語雑誌であればいいわけで、某Tissueなんちゃらみたいな雑誌でもいいことになっちゃうわけだ。ハードルを高くすると、本来の目的ではなくその抜け道ができてくるのだ。
さて、博士申請には雑誌に掲載された論文を必要とするということになったら、博士論文はその掲載した内容を含むことになるのが普通だ。3年間に、博士論文と全く関係のない論文を作ることは普通の学生には無理でしょ。雑誌掲載論文が単著であることは、現在はほとんどありえない。研究資金も場所も機械も指導教員のものだから、ラスト・オーサーは指導教員=親分になるでしょ。共著だから博士論文に雑誌に掲載した内容を使っていいかと全ての著者の許可が必要になる。同じレベルの博士課程の学生が共著者になって、そいつもこの論文を使って博士論文を作成するというようなことがない限り、大抵、共著者はすでに博士号を持っているから承諾は容易に得られる。あらかじめ、博士論文にするという前提で実験を行っているからね。
この場合、雑誌に掲載したのと同じ写真、グラフが博士論文に使われる可能性が高いのだが、博士論文はなにやら公開に制限がありそうでなさそうで、著作権についてはうやむやになっている。雑誌掲載のときは、大抵著作権は雑誌社にあるという書類にサインしないと掲載されないので、著作権は出版社にあることが多い。博士論文はPDFで不特定多数が読むことができるようになっている現在、非常にまずい状況だと思うけどどうなんだろ。
それとは別に、この雑誌掲載された論文がなければいけない、また雑誌掲載と同じような内容の論文でもよいということから、その雑誌の論文の別刷が博士論文そのもにになっちゃっている場合が、かなりある。特に臨床医学分野で多いのではないかと思う。こういう論文が博士課程審査にでてくると、これを却下することは非常にむずかしいことになる。なんせ、その分野の複数の専門家が査読してOKとなった論文を、専門分野ではない主査・副査が審査するわけで、否定するのは非常に難しい。
こうなっちゃうと、博士号を認めるのは大学でなく、雑誌のレフリー(査読者)、エディタになっちゃうわけだ。 これはあんまりだ。雑誌に投稿した論文は博士申請した大学院学生が書いたとは思えないのに博士論文としちゃうことになる。
というわけで、このような雑誌掲載論文そのものを、博士論文とするのはおかしいので、博士論文は、dissertation(書き下ろし)形式でないとだめとなりつつあるのではないだろうか。こうすると医学部では臨床の先生が文句を言うのだ。指導する時間がないからできないという。なんか本末転倒だ。だから妥協して、せめて序の部分は書き下ろしにしなさい。方法以下は雑誌と同じでもいいよということになる。 だから、博士論文の審査では、まず、We となっているところが I に修正されるのだ。博士論文なんだからな。
(続く)
博士号の取り消し
普通の大学では博士号を「不正手段で得られたものは取り消すことができる」となっている。当然ですな。ところが、「学位を授与された者がその名誉を汚す行為をおこなったとき」という項目が多くの大学であるらしい。一研究者・教育者の意見 というブログで 43. 在米ポスドク さんが調べてコメントに記述している。
東京 不正
京都 不正・公表の不履行
大阪 不正・名誉
東北 不正・名誉
名古屋 不正・名誉
九州 不正・名誉
北海道 不正
東京工業 不正
筑波 不正・名誉
広島 不正・名誉
千葉 名誉・不正
岡山 不正・名誉
神戸 不正・名誉
東京医科歯科 不正・名誉
金沢 不正・名誉
やばいじゃん。管理者も姿勢を正さないと。
どうして審査会提出版すらないの?
「公聴会時論文が合格相当である」は公開の博士論文審査のときの判定として普通である。しかし、公聴会は一般公開だから、主査などの審査員や、他のフロアの聴取者からの質疑に対する応答、議論が当然ある。これらの議論を踏まえた必要な「(誤字脱字を含めた)修正が行われた論文が提出されたら」というのが、この「合格相当」の一つの意味である。
もう一つは形式的で、正式には教授会(あるいはその上の大学院を取りまとめる大学全体の組織)が合格認定するので審査会では決定できないので「合格相当」ということになる。
後者はほとんど形式的なので別にして、主査は審査会終了後、訂正がなされたら合格と申請者に伝える。そのあと改訂点をリストした書類とともに、改定版を主査、副査に提出し、改訂がなされたことが確認されたら、主査が教授会に主査、副査の署名捺印のある審査報告書を提出し、教授会で博士号の授与が承認されるという手順になる。
ちなみに教授会での賛否は投票なわけで、ほとんどの教授は専門が異なるのでその論文を理解できないわけで、賛否の拠り所は指導教員にある、つまり指導教員の評価になるわけだ。満票で承認されると、当の学生ではなく指導教員が喜ぶわけだ。
これが普通の博士論文審査の過程だと思う。早稲田は知らんけど。
というわけで、国会図書館に保存されている博士論文が、審査に提出したものであってもおかしいわけで、それがさらに以前の草稿が製本されて存在するというのはありえないことと、博士論文審査に関わっている人たちは思うわけね。そんな草稿は自分自身が1部持っているだけで、これに手書きで加筆したりするものなわけで、これを複数部印刷することもありえないわけだ。したがって審査に提出した論文すら存在したのだろうかと疑問に思うわけだ。審査も関係者ばかりだったので、審査に提出した論文がこの「草稿」であっても、審査員はろくに読みもしなかったのではと疑われる。審査に提出した電子ファイルも紙ベースの論文も捨てちゃったんだろうか?普通は電子ファイルはどこかにバックアップされているはず…
草稿にしても他からの図をコピペというのもありえないのだ。こういうイメージの図というのを手書きにして仮置きするのだ。審査会に提出した論文は、この草稿であって、本当に自分で書いた論文はなかったのでは?だから審査会で指摘された点を修正した論文もないわけで、口頭で「合格相当」と言われたもんで、そのまま走っちゃたんだよね。だれもチェックしないのを知っていたわけだ。すごいね。
この改訂版の確認を主査以下が行わなかったので審査員にはペナルティを与えられたわけだ。
小保方は、もしあるのなら、その改定された本来の製本されてしかるべき版を再提出して差し替えて貰えばいいのに、印刷もしていなかったようで、電子ファイルもない(日付で判定できなかった)わけだ。製本は複数冊行うのが当然で、ご自身が黒表紙金文字の製本された論文を持っているはずだ。どうです?読者で博士号を持っている方は自分自身の黒表紙金文字の博士論文を1冊持っているでしょ?
自分で製本された論文を見たにちがいないわけで、その時点でミスがわかったはずだ。
審査委員会直後の修正した論文さえあれば、なんとか差し替えですんだわけだが、それがない=修正されていない ということなんでしょ。
論文内容は「合格相当」と調査委員会での判定はあったけど、適切な処理がその後なされていないので「不正相当」とされたわけだ。早稲田も苦しいけど超法規的に対処したのね。その原因はズボラな小保方とチェックすら行わない主査以下の教員両方にあるのだ。