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ホラサン

おいおい、ホラッチーは関係ないよね。ホラサンて、ホラーサーン(ペルシャ語: خراسان‎、英: Khorasan)のことらしいんだけけど。
で、アルカイダ系の過激派組織「ホラサン」の指導者、モハシン・アル・ファドリ氏が米国の空爆で死亡したとの報道があるんだけど、今週の授業やってくれるよね。

同じ大学の先生なんだけど…

小保方晴子さんに声援を送ろう という得体の知れない人々の集まるフェイスブックがあって、
20140925yoshihara
と投稿しているヒトがいたのね。リンクしているフェイスブックを開いたら、なんと目白大学経営学部経営学科教授だ。ホスピタリティ・マネジメントの研究をやっているらしく、文系だ。9月14日の投稿なんだけど、この時期にこんなコメントて…なんかなぁ。わからないことに首を突っ込まない方がいいと思うんだけど。
Vacantiの新しいプロトコルでもできたという報告はないんだよね。わからないことは言わないほうがいいよ。
小保方に一目惚れのおっさん群の一人だな。このセンセも下の林俊朗先生同様、同じ大学のセンセですと誇りをもって紹介できそうにないな。
ま、向こうも管理者のことを同僚ですなんて言わないだろうけど、言われたら困るけど。

悪いスライドのサンプル

学生さん。こういうプレゼン用のスライドを作ってはいけませんという例を別ページに掲載しました。参考にしてください。理由も書いてあります。
こういうのを反面教師というんだけど、学生さんにはわからない昔懐かしい言葉だね。毛沢東が言い始めた四文字熟語ということになっている。この悪いサンプルスライドを作ったのは某大学の副学長さんね。
えらいヒトは学生相手にレクチャーなんかしないほうがいいね。

FDでの発表

先日のFDの記事では、FDは教員の発表からなっている研修会だと書いた。専門がかぶらないから、興味がわくような研究は少ない。おもしろそうなのはあるが、専門がちがうから理解するのに難しいところがある。
その中で、「火を利用することによりデンプンを糊化することができたので、大脳へのエネルギー源であるグルコースを大量に供給することができるようになった、これがヒトとして、大脳の発達、二本足歩行をもたらした」という主旨の発表があった。正確なタイトルはわからなくなった。
しばらくポスターの前にいたのだが、発表者とは会えなかった。
 
おなじような主旨の論文を「火の人類進化論 ソシオ情報シリーズ6 シンポジウム「母性と乳児保育ー社会現象との相関を考える」の基調講演で 人類進化と母乳」 というタイトルで書いている。

火を使い消化・吸収能力を高めた人類は、腸の長さを短くさせ、さらに不用となった盲腸を退化させて、お腹をスリムにする一方で足の大腿骨を伸ばして、より機能的な体型に進化したと考えます。ー略ー ヒトはサルから自然に進化したのではなく、知恵をつかって自らを改造・進化させたと言えます。

 
うーん。困っちゃうな。こういうことを言ってくれるのは。林 俊郎 目白大学社会学部 社会情報学科 教授なんだよね。
「ヒトはサルから進化した」とか「知恵をつかって進化した」なんて、いってほしくないんだよね。獲得形質は進化しないんだよね。文系とはいえ、一応、学者なんだから。
約400万年前 – 約200万年前の猿人であるアウストラロピテクス (Australopithecus) が最初の二本足歩行であるとされている(S. K. S. Thorpe, R. L. Holder, R. H. Crompton, Origin of Human Bipedalism As an Adaptation for Locomotion on Flexible Branches, Science  316 (5829): 1328-1331, 2007.)。一方、火を使い始めた状況証拠は最も古くて200万年前で、多くは20〜50万年前である(Steven R. James Hominid Use of Fire in the Lower and Middle Pleistocene. A Review of the Evidence, Current Anthropology, Vol. 30, No. 1 (Feb., 1989), pp. 1-26)。つまり二本足歩行ができるような体型になって、それからはるかに後に火の利用を行うようになったわけなので、火と水でデンプンを糊化して消化・吸収能力を獲得したから二本足になり、大脳が発達したわけじゃないんだよね。
母乳のタンパクを含む様々な成分の濃度はヒトが低い。これに対してイヌやウサギは濃度が高い。この濃度と、生まれてから体重が2倍になるまでの時間に相関がある
これを根拠に;

「動物の知恵の程度は、成長速度に相関するとみております。成長が早い動物ほど教育期間が短く本能的な行動をとります。成長が遅くなるにしたがって学習への依存度が高くなります・誕生後の成長が遅い動物ほど。知能が高い、頭が良いと言えます。」

とどうして結論できるのか。犬は体重が2倍になるのに 8~9日 かかり乳に含まれるタンパクは7.5%である。馬は 60日 かかり乳に含まれるタンパクは2.4%である。イヌよりウマのほうが知恵があるといえる?知恵の定義によるけど、イヌのほうが利口に見えるのは管理者だけだろうか?

開門の時間ーFDで登校したのに

大学の敷地の入り口にある門は24時間開いていると思っていたのだが、あっちの大学はそういうことがない。大学院がこっちのキャンパスにないから夜仕事している職員などいないのだ。これは就任して最初の年に分かったことだ。朝早く登校できないし、夜遅くまで仕事をすると帰れなくなっちゃう。
管理者は爺で朝が早い。だから平日は開門時間に合わせて出勤する。平日は6時だ。
今日は土曜日で、土曜日の開門は、7時というのが、3年勤めて初めて知った。したがって、門の前でコンビニで買った朝食とコーヒーを飲食していたのだ。んで警備の人がきて6時半に門を開けてくれた。
土曜日に何故出勤したかというと、FDなるイベントが開催されたからだ。FDとはFuculty Development の略で、要するに一般会社でいう職員の研究会だ.職員研修を実施しないと文科省に怒られる。文科省に怒られるということは文科省からの補助金が来ないということだ。
あっちの大学はキャンパスが2つに分かれている。関東の大学のおなじみの都心と郊外というわけだ。当然都心のキャンパスが歴史があってこちらが主体なので、FDのような大学全体のイベントは都心のキャンパスで開催されるのがこれまでだった。でも今回は違って、郊外のキャンパスの方で開催されたのだ。こういう状況だと、これまで都心のキャンパスなんで、さぼっていたのだが、さぼることができない。
しかし、研修会なんか出たくない。なんせ研修になる計画ではないからだ。
研修なんだから、職員が業務を実行するに必要なことを教えてくれるようでないと参加したくない。それが、今回の内容は、教員が学内の特別研究費を申請して研究費を得た、科研費をもった、という教員の研究発表なのだ。そんなの出たくない。ほとんどの研究内容には興味がないのだ(一部あるけど)。
科研費を獲得するための方法のレクチャー
学生に人気がある講義はあなたの講義ではない、何故か:の解説レクチャー
国試対策に優れた講義・補講方法のレクチャー
学生に理解できたと誤解してもらえるような講義方法
学生をアホと決めつけて講義する教員がアホであるということを証明するレクチャー
あんたの大学ノートが黄色く変色しているよと指摘するレクチャー
会議で承認をスムーズに得るための方法のレクチャー
会議で承認されても実施されれないのは何故かを解説してくれるレクチャー
承認されたことを実行するために必要な事項を解説するレクチャー
問題を認識していない組織に提案を行い実施させるための方法のレクチャー
こういうのがFDなんだと思うのだけど。

%の計算

平成27年度の国際情報部の入学者104 名のうち女性は39 人だった。これは全体の何%か?
は  39/104  から 37.5% と計算できる。
平成27年度の国際情報部の入学者 104 名のうち女性は 37.5% だった。何人だったか?
は  104 *0.375= から 39 人と計算できる。
ここまでは、多分80%のあっちの大学の新入生は出来るだろう。90%以上かもしれない。
しかし、
平成27年度の国際情報部の入学者のうち女性は 37.5%で 39 人だった。入学者総数は何人か?
は 39/0.375=104 と容易に計算できるはず….なのに、多分あっちの大学の入学者では 30%位の学生しかできないのでは。割り算が苦手なようだ。
何故か小数点以下の数字がある答えがでてきたり(単位が 人、名 なのにですよ!)その結果を四捨五入して整数にしたり…(これはまだいいです。小数点以下の人は、ありえないとわかっていて、工夫したのだから)
小中学校、高校の先生。お願いだから落ちこぼれを少なくするという方針で教えてちょうだい。大学で再度教育するのは、はっきりいって、いやだ。
方法を教えるのはいいけど、何故こういう方法なのかを教えてちょうだい。計算の早さを評価の対象にしないでちょうだい。無理か?
あ!!ここまで書いていて気がついた。
人数を計算するのに計算結果が割り切れず、小数点以下がある数値になったとき、例えば0.3人とかいう少数点以下の数値があるのはあり得ないと気が付き、四捨五入して整数にする行為は、小保方の行為と同じだ。つまり、こうあるべきだと思う結果にならなかったのを、そもそもの式(仮定)が誤りであったと判断するのではなく、結果を仮定に合うように、一見合理的と思われるようなインチキな方法で細工してしまう行為と同じなのだ。

ブログでわめく奴ら

誰が作った装置か知らないけど、CMS (Contents Management System )と呼ばれる仕組みを作った人はえらい。ブログとかWikiのことだよ。
少し前は自分の意見を発するためには HTML(HyperText Markup Language)を使ったページを作成する必要があった。もちろんそれを掲載するサーバもだ。ホームページビルダーなんてソフトが売れたのだ。このシステムができあがっちゃったこともすごいのだが、それでも、ちょっとした壁があった。つまり、ページを掲載するサーバとそのサーバに作成したファイルを送り込む仕組みがわからないと、うまくいかないのだ。
Blogというのを作りだしたのが誰だか知らないけど、ノーベル賞に値すると思うよ。 HTMLの壁を打ち破って、誰でも意見を発信できる。サーバが必要だが、幸いなことに、インターネットの分野は官僚や政治家に関係ない分野なので規制がない。だから自由競争で、いくらでも”ただ”のサーバを持つことができるようになった。”ただ”なのは広告があるからだ。広告はあるが、誰でも自由に意見を表明できるんだからね。
次に、でてきたのがTwitterとかFaceBookだ。しかし、これらは、短文で構成される情報交換には有効でも、長文の意見を発するにはふさわしくない。長い文書を書きたい爺にはふさわしくない。若者過ぎるのだ。
というわけでBlogというシステムは自分の意見を表明するのに重宝されているのが現状だ。WordpressがBlogで最も使われてるソフトだと思う。このサイトもそうだ。
自分の意見を表明できる環境は、20年前はほとんどなかった。雑誌、新聞、書籍等しかなく、自前では現実的には無理だ。
静的なページ(ホームページビルダーで作るページ)は、可能だがちと敷居がたかい。それでも静的なページで意見を、経費をかけることなく表明できた。
Blogは簡単だ。契約したらすべて用意されていて、しかも”ただ”だ。ワープロに入力するのと同じで、文書をワープロと同じように書いたら、自分の意見を発信できる。必要な資金は、プロバイダへの接続料金、パソコンの代金だけだ。
意見を発信したい。その環境は整った。プロバイダ料金やパソコン購入資金は、意見の表明をすることと関係なく、どちらにしろ必要なのだ。問題は、Blogに書き込む時間だ。Blogに書き込みが出来る時間の余裕のある奴は誰だ?
定年を迎えてヒマをもてあましている団塊の世代だな。
兵頭がそうだな。自分で学校の先生を定年退職しているといっている。山崎もそうだろ。こいつは兵頭より若いかもしれないが、自分が勝手に表明している交遊関係とかから推測できる。南堂も該当するだろ。なんせ暇人だ。これだけBlogとはいえ、毎日なんらかの意見を表明するには自由な時間がなければできない。武田は現役大学教員だが、もはや所属大学では研究をやってないだろ。一研究者教育者も同じような研究現場からリタイヤした立場だろ。管理者も同じだな。自由な時間が、仕事をしているように見せかけることのできる時間がある。
なぜこんなことを言うかというと、今年の夏は、初めてと言っていいと思うのだけど、仕事がない夏休みだったのだ。だから新しくBlogサイトを立ち上げたり、毎日のように記事を書いたのだ。今週までだけど。毎日のようにBlogに書き込みを行うのは結構時間がかかる。そんな時間があるのは、現場では何の仕事もない、現場に来てもらってはこまるようなじいさんだろうというのが分かったからだ。
さらに分かった重要なことは、意見を表明しても生産的なことがなにもないことだ。

カメムシ

カメムシとか論文捏造に関する記事は、別サーバに移すことにしました。
このサイトの目的は教育や研究、組織運営に関する管理者の愚痴をだらだら述べることなので、そして、ちょっぴり趣味の料理に関するサイトなので、カメムシ相手の議論は関係ないことになります。学生さんも読んでいるサイトなので、論文捏造に関する研究者の立場というのを知ってほしいと思ってこれまで投稿してきたのですが。
一部の論文捏造は教育研究に関係するのでかまわないのでそのまま掲示します。
カメムシに関する部分は、第三者から見ると単なる喧嘩とも解釈される恐れがあるので別サイトにします。別に、正論と思っていることを書いているので、管理者は批判されてもいいですし、批判を受付け、読みますが(カメムシと違ってリジェクトしない)、表現する場所がちがうんじゃね?といわれると、他の人に迷惑がかかる恐れがあります。ですから、掲載先を変更します。
このカメムシ相手の管理者にとって不快なサイトはこちらです。

夏休みー何もテーマがないぞ

夏休みという言葉の響きは、小学校のときは、うれしい−つらい だった。8月末日に日記をなんでまとめて書かないといけない?だったね。今から考えると、夏休みの宿題をやらなくても、何の問題もなかったんだけどね。
夏休みに日に焼けて真っ黒になった子供は冬に風邪を引かない なんて嘘がまかり通る時代だったからね。麦わら帽子、ランニングシャツ、半ズボンでアブラゼミを取りに行く、野球しに近所の空き地に集まるだけだったね。貧乏だから海に泳ぎに行くことなんかありえなかった。
大学学部時代は、どうやって金を稼いで、南の島に行くかだけだった。
大学院時代の始めは学部のときとおなじような気分だったが、後半はめちゃめちゃ大変だった。なんせ学部4年、修士2年でなにもしなかったのに博士課程年で本来のあるべき博士にするんだからな。管理者も大変だったけど、それ以上に教える方も大変だったんだろうな(今、思うと)。
んで、教育、研究で飯を食うようになってからの夏休みとは、子供を海に連れて行く3日間だけという訳だ。
子供も独立して、研究業務が無くなっちゃった現在の夏休みは、従って、〜をせなばならないということがない。今日は火曜日だ。月曜日と火曜日は予定があったが、水曜日〜日曜日、何の予定もない。
なんのテーマもない休みというのはいいのだろうか、まずいのだろうか?

「お疲れ様」

朝一番の挨拶に「お疲れ様」といわれると、カチンと来る。俺は疲れてないぞ!!
しかし、コメディカル分野では、朝一から「お疲れ様」は問題ないらしい。同僚からのメールの挨拶も「お疲れ様」で始まる。むかつくことが多いんだけど、業界用語ならしょうがない。
仕事を終えて帰るときは、さよなら、ご苦労様でした 「お疲れ様」を使う。
コメディカルの学生は、教員や指導者が使うから「お疲れ様」が当たり前と思っているので、朝から疑問もなく使う。管理者一人が抗ってもしょうがないけど、むかつくからやめろといっている。これから仕事といって、朝一番にメールをチェックしたとき。お疲れ様で始まるメールは読みたくない。送信者は前日夜出したメールだから「お疲れ様」かもしれないけどね。