夏休みという言葉の響きは、小学校のときは、うれしい−つらい だった。8月末日に日記をなんでまとめて書かないといけない?だったね。今から考えると、夏休みの宿題をやらなくても、何の問題もなかったんだけどね。
夏休みに日に焼けて真っ黒になった子供は冬に風邪を引かない なんて嘘がまかり通る時代だったからね。麦わら帽子、ランニングシャツ、半ズボンでアブラゼミを取りに行く、野球しに近所の空き地に集まるだけだったね。貧乏だから海に泳ぎに行くことなんかありえなかった。
大学学部時代は、どうやって金を稼いで、南の島に行くかだけだった。
大学院時代の始めは学部のときとおなじような気分だったが、後半はめちゃめちゃ大変だった。なんせ学部4年、修士2年でなにもしなかったのに博士課程年で本来のあるべき博士にするんだからな。管理者も大変だったけど、それ以上に教える方も大変だったんだろうな(今、思うと)。
んで、教育、研究で飯を食うようになってからの夏休みとは、子供を海に連れて行く3日間だけという訳だ。
子供も独立して、研究業務が無くなっちゃった現在の夏休みは、従って、〜をせなばならないということがない。今日は火曜日だ。月曜日と火曜日は予定があったが、水曜日〜日曜日、何の予定もない。
なんのテーマもない休みというのはいいのだろうか、まずいのだろうか?