あっちの大学でもこっちの大学でも生理学実習にはウシガエルの遊離座骨神経標本を使った活動電位の伝導実験をおこなっている。この実習はどこの医学部の生理学実習でもある定番の実習だ。
あっちの大学では9月に実施した。こっちの大学では12月だ。
あっちの大学では実習が終了したとき、なぜ刺激電極の陰極側で興奮が発生するのか、軸索の太さと閾値の関係、などを解説した文書を学生に読ませるためにアップロードした。2つの学科で同じ実習だが、それぞれの学科のサイトが異なるので、全く同じ文書を2カ所にアップしたわけだ。この文書を作っている時点で、正確に説明しても、多分あっちの大学の学生は理解できないだろうなとは思っていた。しかし、解説をしないわけにはいかない。なんせ神経生理学の基本だからだ。
管理者が担当しているサイトはユーザIDとパスワードが必要だ。もう一つの学科はH君が担当している。H君のためにサイトを用意したのだが、H君は使ってくれない。もっぱら管理者がH君担当の学科の学生への資料とかをアップしているだけだ。こっちのサイトには誰でも入れる。
ここまでは問題も何にもない。アップした文書がおかしいわけではない。文書はオリジナルなので著作権も関係ない。
しかし12月にこっちの大学でも同じ実習を実施したとき問題が発生した。こっちの大学では実習ではデータを取り、翌日レポートを実習時間に仕上げることを行っている。レポートを書く時には、教員が付く。その教員は元部下だ。
元部下が、学生を監督するため、レポートを書くために学生が集まっているところに行くと、あちこちの班で「目白大学の….」という言葉が学生から発生するのに気がついた。何だろ?実習と目白大学とは関係ないはず…… このような班が複数あるが、別に系統的ではない。そのうち学生が持っていた文書を読むことになったわけだ。その文書には実習の課題の答えが書いてある。む、まともに書いてある。なんじゃこれは?上級生からの文書か? ん?トップページに目白大学とある。誰だ?む!管理者の名前がかいてあるではないか!!。
班によっては班員の分まで印刷して持っている。これじゃ実習課題を学生が考えることはない。読んで理解したらそのままレポートに書けばいい。
というわけで、管理者は元部下にこんな文書をアップするなと怒られた次第です。
管理者も、何故こっちの大学の学生が管理者が書いた文書を持っているのか不思議になった。Google で「カエル 座骨神経」で検索すると、トップはヤフー知恵袋(当然、答えになってない答えが書いてある)、2番目はどっかの大学の実習書(だから答えはない)、3番目が管理者の書いた文書だ。「カエル 座骨神経 電気刺激」で検索するとトップだ。というわけで、学生は考える努力することなしに、実習のレポートを書くことができるようになってしまったのだ。
生理学実習のレポートの参考文献なんて、普通の教科書にないからな。ほかの同じ実習項目のある大学の生理学教室にも同じように迷惑をかけているんだろかな。Googleでトップに出るということは、多くの方がみているということだからな。
とほほ…..人気がないな
生理学の講義は30回あって、昨日28回目が終了した。講義では、その講義のポイントとなる点を小テストにして実施している。出欠も兼ねている。解答用紙の下に、アンケートもつけている。もう、終わりに近いので、アンケートの項目に、「もう生理学はこりごりだ」—–「はい」「どちらともいえない」「いいえ」 というのを加えてみた。106名の受講者で4欠席だった。回答しない奴もいる。

という結果だ。とほほ。こりごりというのが2割近く、生理学が好きだというのがたった6名。なんてこった。人気がないなぁ。多分、管理者のような じじい でなく、もっと若い教員が教えていたらもっと「いいえ」が増えるんだろうなぁ。と、年齢のせいにしておこう。
「どちらともいえない」というのの中には遠慮して、本当は「こりごりだ」というのが何人もいるんだろうな。
小テストの成績(10点満点に換算)との相関はないけれど……
もう生理学はいやだという学生のほうが成績は悪い傾向にある。
昨日の実習は、酸や塩基を負荷したとき尿のpHがどのように変化するかだった。負荷してから1時間後に再尿するわけだが、その1時間、学生はすることがない。ごくわずかな学生が解剖学の勉強をしていた。のこりのほとんどがおしゃべりだ。そこで、既に実施したAO入試の試験問題を黒板に書いて解かせてみた。興味をもったのは10名くらい。あとは興味も示さない。問題はクイズみたいな算数の問題だ。満点の受験生がいたぞ、解けないと来年は下級生にバカにされるぞといったがほとんどの学生は無視だ。あーあ。ちゃんと試験としてやってみればよかった。生理学は理屈なんだよね。その論理を考えるというのができないんだよね。だから生理学は嫌われるのだ。と、またもや学生のせいにするのだ。
我が家での忘年会
元職場というか現職場の同僚と我が家で忘年会です。出席者はK夫妻+お子様、N夫妻、Y元準教授、I大学院学生、管理者のいとこの子供。これまでは、職場でクリスマスなのに一人さみしい哀れな教員、学生のためのパーティを開催していたのですが、退職したというので、自宅で開催です。もちろん、そんなにいっぱい人がはいらないので入場者は特別限定です。

オードブルの自家製燻製。とり手羽、チーズ、ソーセージ、豚タン。
名前はなかったのですが、カマンベールを使ったのでカマ丼と名付けました。アツアツです。半分にスライスしたカマンベールをココレットにいれて、とりささみ角切りとマッシュルームスライスをちらし、蕎麦つゆの素を小匙1杯注ぎ、卵の黄身を置き、白胡椒を振ります。オーブントースターで10分くらい。カマンベールがぶつぶついってきたらいいです。パセリのみじん切りを散らします。ココレットは100円均ショップで売ってます。大好評!!
サラダ。レタスにきゅうり。プチトマトにしゅうまいの皮のから揚げをちらし、粉チーズを振って、オリーブ油と黒酢のドレッシングを振りかけます。
ブイヤベース。食べる直前のイカやエビ、アサリ、ハマグリを加えたところ、タイは先にスープがでますから炊くのですが、貝類やエビは直前のほうがいいでしょう。N夫人(フランス人)からマルセイユでも食べられないくらいおいしいとのおほめの言葉をいただきました。
ラムロースト。酔っ払っているので出来上がりの写真をとりそこねたので、マリネの写真でご勘弁を。
ケーキ、コーヒーでございました。満足、満足。
これまでは、職場での出来事の話題が必ずあるのですが、今回の話題は;
I君がプロポーズした場所が受けました。なんと牛角で順番待ちの椅子にすわっているときだったそうで。当然ふられました。というか保留処分になりました。みなさんはどこでプロポーズしましたか? 焼き肉屋というのはあんまりきかないですなぁ。
K先生はプロポーズのとき相手に説教をしたらしい。N先生はなにやらカップルリングが婚約指輪になっちゃってうやむやのままだそうで。
忘年会
忘年会のシーズンです。今年は4つだと思う。そのうちの1つは我が家でこっちの大学の同僚・元同僚とやる予定でだ。来週、土曜日だ。準備をする暇がないから、あらかじめ作っておかないと….
手羽先の燻製、チーズの燻製、安物ソーセージ、豚タンの燻製がオードブルだ。どうせ一斉にそろって始めることはできないので来たものからビールと共に始めるのだ。

串でぶつぶつ刺してから塩、砂糖、ナツメグと水を加えて1時間マリネする。
マリネした袋ごと5,6分茹で、とりだして表面の水気をペーパータオルで取り除く。
中華鍋で燻製に。チーズ、ソーセージはそのまま燻製に。
豚のタンは塩、胡椒、シナモン、少しの水でマリネ1時間。マリネしているポリ袋のまま水から炊いて10分。
これも袋、からとりだしてペーパータオルで水気を除いて燻製へ。
ラムロースト。マリネしておく。早すぎるのだが、しょうがない。前日はあっちの大学の仕事があって早く帰れない。
当日オーブンで焼く。
オードブルと肉は決まったが、あと、なににしようか。
カマンベール丼をかんがえている。ダイソーでココレットを人数分だけ揃えねば。
ここは幼稚園か?
今年の生理学実習も残りあとわずかになった。
実習は疲れる。その騒音に疲れるのだ。クラスを実習によって6班〜12班にわけて実施するのだ。メンバーが固定しないように毎回ランダムに学生を配置する。必ず、仕切る奴がいて、固定化すると役目が固定されてしまうからだ。去年は、目立った仕切り屋が何人かいたが、今年は余り目立たない。仕切り屋のペースで終了する時間が決まる。仕切り屋は多くの場合、実習内用を理解している。誤解していることも多々有るけど。実験はヒトを使う事が多い。つまりお互いに被験者/実験者になるのだ。被験者を決めるのは、学年の初めのころは、決まってじゃんけんである。後半の今頃になると、最初から自ら被験者になる学生がでてくる。だいたい、なんだかんだと騒ぐ男の学生が最初に被験者として名乗り出る。こういうのがいる班は実習が終わるのが速い。たまたま遠慮がちな学生ばかり集まるとなかなか終わらない。
しかし、実習はうるさくてかなわない。よその班の学生にちょっかいをすぐ出す。ちょっかいを出す学生は決まっている。こういう学生を所属する班に実力で戻す訳だ。実習室には「ハリセン」とTVでコメディアンが良く使っている「音の出るハンマー」が用意されていて、これを使うことがあるのだ。まるで幼稚園だ。あちこちに散らばった学生を元に戻す作業が、実習教員の役目とは、誰にも信じられないだろうな。学生の保護者は想像すらできないだろうな。一度、保護者に授業/実習参観に来てほしい。幼稚園や小学校並みなんだから。
実習の最初に、実習書をまず10分くらいかけて読ませる。実習書は、ここまで書かなくてもいいだろと思うような懇切丁寧な物だ。2年がかりで作ったからな。学生の理解度を最初の1年で予想して作成し、2年目の今年、昨年の経験を踏まえて改変してきたのだ。欠点は、こんなことまで書かなくても良いだろうということも書いてあるので、どうしても長くなってしまったことだ。学生は長い文章を読めない。ぱらぱらと眺めることしかできない学生がいる。
その後15〜30分かけて(H君はこれが長い、合計1時間もかかると学生の注意力がなくなってH君のしゃべっている事を聞いてない)、口頭で説明するわけだ。一番最初、この大学に非常勤で来たときは、よくわからないので、今まで同様、実習の目的と方法を口頭で説明し、方法は実習書に書いてあるからそれに従え、だけだった。悲惨なことになった。実習書を読ませ、口頭で説明しても、いざ始まると「これはどうするのですか?」という質問が必ずくる。「実習書に書いてあるだろ、さっき説明しただろ」と何回返事したことか。とほほ……
「先生はオレンジ色のセーターは似合わない」 「先生は料理できるんでしょ? ハンバーグが食べたい」 「カレーがいい」 だって。カレーにハンバーグかよ。幼稚園児だな、全く。カレーだってグリコのバーモントカレーみたいな物しか食った事無いんだろうな。
実習の目的を理解できていないので、また、まじめなので、「5分間、xxxという操作をする」と実習書に書いてあると、ストップウオッチできちんと5分、カウントダウンとかして実施している。何故このような操作をするのかがわかっていないのでこういうことになる。ストップウオッチで時間をきちんと測定した割には、実習書に「直後にxxせよ」と書いてあっても、ふらふら遊んで時間を開けて次の操作おこなう。この場合は直後の操作が大事でその前の操作は4分30秒でも5分30秒でもかまわないのだが…..「10秒以内に」とか実習書に書いてないことがいけないんだな。来年も実習書を改訂しないといけない。また長くなるな。
なんせ実習が30回もある。こんな大学は他にないと思う。多くても15回、そのうち始めの一回は実習の総論的な解説、最後の2回は学生に結果発表をさせる(プレゼンテーション能力を養うというのが最近のトレンドだからな)わけで実際の実習は10回ちょっとだろう。この大学は通年で、つまり30回で、文科省の規則を守るので合計45コマを前期、後期で分けるので、前期15コマ15回、後期30コマ15回、合計30回ということになっている。なんとか、このカリキュラムを変更して後期に集めて15回にしたいのだが、できない。その大きな原因は、2部授業体制だからだ。同じ講義、実習を2回/2クラスで実施しないといけないのだ。実習室が狭いし、機材がない。なんとか1〜3限をAクラス、3〜5限をBクラスとして後期だけにしたいのだがなかなかできない。講義だけは2クラスを一同に集めて実施することができたのだが。
実習回数が多いのは、こっちの負担が大きいが、レポートの書き方に関しては回数が多い程良くなるという長所もある。教育が業務なんだから、それで給料をもらっているのだからしょうがないけど。
水曜日に理学療法学科の、木曜日に作業療法学科の実習なので、水曜日と木曜日は「死の二日間」といって、何も出来ない日なのだ。幸いな事に、木曜日は会議の日で途中非常勤のH君とTAにまかせて抜けることができる。会議と実習とがぶつかっているというのはすばらしいスケジュールなのだ。
医学部のトップページ
ようやく医学部のトップページが大幅更新された。
いままでの基本形は管理者が15年くらい前に作ったようだ。ようだというのは、トップページの写真が1997年の物だからだ。良く憶えていない。15年間も同じというのこの分野では技術革新が激しいから超遅いということだ。管理者にその気がなかったし、誰も、書き換えろということを言ってこなかったからだ。内部から組織構造がなんとかわかる人には問題の無いページだったのだが、外部からみるとなんだかわからない。さすがに2、3年前から、現在の流行のようなのがいいという声があがってきたのだが、前面更新にはものすごいエネルギーが必要だ。管理者にはそのエネルギーがなかったのだ。なににエネルギーを使うかというと関係部署との調整だ。順番を決めるのも大変だからね。内部組織の名前が代わったのが良い機会となって全面更新となったわけだ。これを実施したのが、管理者が退職したあと委員長になったT先生だ。郷苦労さまでした。
なんせ、内部組織は単純なツリー構造でないから調整が大変で、管理者はやりたくなかったのだ。ずるかったのだ。
外部業者に作らせたのだ。だから平凡なページになってしまった。どこの大学でもあるようなページになった。管理者が文句を言う筋合いはないけれどね。
まだ管理者の撮影した写真が採用されている。大学院のご紹介のバナーの写真だ。これは通称「メディセン」の最上階にたのんで入らせてもらって、桜のシーズンの晴れた日に撮影したものだ。これがいままでのトップページの写真だったのだ。当時のデジカメはソニーのでフロッピーディスクに記録するというやつだった。いまでは信じられないが、当時は結構役に立ったカメラだったのだ。記録媒体が貧しい時代のカメラだ。新しい病棟ができたのでそれが入るような写真にすればいいのに。
金太郎飴と赤いボールペン
学生実習のレポートの採点はつらい。一番つらいのは、金太郎飴だからだ。学生同士相談するのはいいが、だれかが間違えた事を、あるいは間違えた測定方法、検定方法を使うと、全員が右へ倣えということになっちゃう。文献引用も同じになっちゃう。
まず、全員のをざっと見て、それから採点というのが本来取るべき姿だが、時間がないので、頭から見て行く。コメントを赤ボールペンで書く訳だが、最初の方でコメントすると、最後まで同じコメントを書かないといけない。不公平になるからな。
ハンコでコメントを伝えたいのだが、実習毎にコメントはちがうので、ハンコを発注するわけにはいかない。したがって、赤いボールペンのインクがどんどんなくなっちゃう。
ブラザーがパソコンでハンコを作るセットを売っている。SC-370pcというやつだ。3万円で、ハンコ自体が千円から千八百円だ。これ買うかな。しかし、ハンコは実習課題毎に幾つか作らないといけないので、実習項目x3ないし4ヶとするとえらい高いものにつく。来年も使えればいいが、毎年、金太郎飴の模様は異なるからやっかいだ。
すでに、レポートの採点結果はスタンプで押している。すばらしい!、やったね!、がんばったね、もっとよく考えて の4パターンだ。最初の3つは、ゾウ、ライオン、ブタのマークもついている。当然、もっとよく考えて というのが一番押されている。こいつが最初に壊れそうだ。
金太郎飴でなく、たとえ間違ったことを書いていても、それなりに、自分で考えた筋の通った文章をかいていたら良い点をあげることにしている。しかし、往々にして、そのような自分で考えた文章は、主語と述語の関係が一致しないとか、用語の使い方が間違えている。筋の通ったわかり易い文章だなと思うと、教科書等からの引用をそのままコピペした結果だ。
100通のレポートを採点するのはつらい。しかし、それが仕事だからな。しょうがない。
鍋の季節になりましたなぁ
そこで;
トイレットペーパー考
トイレットペーパー及びそのホルダー等の考察は沢山ある。何故かというとトイレ内では考える対象が限られているからだ。ほとんどのトイレの個室は座ると正面に壁あるいはドアがあり、左右どちらかにトイレットペーパがあるのみで、眼につく対象がトイレットペーパーしかないからだ、後ろ側には様々な者が設置されているが、それらは見えないからだ。必然的に、壁について考察するよりトイレットペーパーについて考察することになる。他にすることは本来の目的の一つだけで、これには大脳皮質の関与がほとんどないからな。
日本ではトイレットペーパーはシングルとダブルの2種類がある。3枚4枚というのはあるかもしれないが、寡聞にして見た事がない。関西はシングル、関東はダブルが多いらしい。米国でも議論は盛んなようで、紙の向き—切り端が上になるか下になるか—の議論があるようだ。日本ではこのような議論はない。トイレットペーパー・フォルダーに必ず蓋があって、この蓋のエッジを使って切り取るからだ。必然的にトイレットペーパーの向きは上向きになるからだ。そういえば、米国留学中の借りていたアパートのトイレットペーパーを置くところは芯を支える横の丸棒だけがあって、蓋がなかった。米国では蓋がないのが普通(だった?)なので、トイレットペーパーの向きが問題になる。連れ合いとトイレットペーパーの向きで喧嘩したこともある。たしか、そのアパートのトイレットペーパーを保持する部分の構造からいって、下向きにしたほうがロールが回転しやすかったのだ。管理者は日本流に上向きに置くべきだと主張して負けたのだ。どちら向きでも、米国人は利き手で紙を持ち、非利き手でロールを抑えて回転しないようにして、紙を引きちぎるのが正式な作法なのだ。
ひるがえって、日本では蓋があるのが普通なので、紙を切るためには、蓋のエッジを非利き手で抑えて、利き手でエッジを利用して切ることになる。エッジが鋸の歯のようになっている蓋も珍しくない。
もっとも、ミシン目が入っていれば、エッジを使わずひっぱればミシン目から切れる。ダブルの場合、1枚目と2枚目のミシン目は一致していないといけないわけだが、ときどき1枚目だけ切り取ってしまうと2枚のミシン目の位置と一致しなくなるので、一致するように再設定しないといけないのが厄介だ。一般に、ダブルのほうが高価でミシン目があるほうがより高価だ。したがって、公共のトイレでトイレットペーパーが準備されているところでは、シングル、ミシン目無しが普通だ。
シングル・ミシン目無しのトイレットペーパーを蓋のエッジで切るとき(他に方法があるとしたら米国風に引きちぎるしかない)、エッジをフルに使って切断してはいけない、紙の切断された部分が蓋の内側に隠れてしまい、次の紙を引き出すのに苦労するからだ。トイレットペーパーは薄いのでロールに巻かれてしまうと切断した部分を探しにくい。したがって紙を切断するのにちょっとしたテクニックが必要だ、2/3くらいエッジで切ったら、エッジを使わないで引っ張るように動作する。そうすると、残った紙の切り口は直線ではなく、端が三角になって残る。この三角部分を引っ張れば次の紙を取り出し易くなる。これがシングルが用意されているトイレットの正しい使いかたなのだ。次の人を思いやる正しいマナーなのだ。
しかし、このマナーはまだ普及していない。多くの場合、前者が使った後は、切り口が見えず、ロールを回転させて切り口を探さないといけない状況になったままだ。ホテルなどでは、切り口がわかり易いように三角に折ってある。ちゃんと掃除しましたよという表現でもある。三角に折って次の人に備えることは要求できないだろう。紙をちぎった後、行う動作はきまっており、さっさと個室から出て行くことが最優先事項だからだ。座ったままトイレットペーパーを折るような余裕のあるヒトを管理者は知らない。まずいないだろう。
片手の機能が何らかの理由で不自由だと、トイレットペーパーを切るのが難しくなる。腕を骨折して三角巾で首から吊っている状況ではトイレットペーパーの切断が、米国式だろうと日本のように蓋が有ろうと関係なく難しい。多分、市井の発明家と称する好き者はトイレットペーパー自動切断機なるトイレットペーパー・フォルダーを考案しているに違いない。初めに述べたようにトイレ内では暇だからだ。このような発明家の片手が一時にしろ不自由になった確率はかなり高い。だから考案されているに違いない。しかし普及しているとはきいたことがない。多分何らかの動力を必要とするに違いないし、高価なフォルダーになるに決まっているからだ。作成しても需要がほとんどないからだ。片手が不自由になることを予想してあらかじめトイレットペーパー・フォルダーを設置するような人はまずいないからな。最大の問題は何cmの長さに切断するかの設定が難しいからだ。トイレットペーパーを何cmで切断するかの統計はどっかにあるだろうが、個人差が激しいに違いない。家族の中でもばらばらだ。もっとも、昔は落とし紙といって一定の大きさの紙(新聞紙だったりしたこともある)が積んであったのだからかまわないかもしれないが。設定するのが簡単でないといけないことになるが、その仕組みを考案するのはかなり困難だ。ロールの回転数では決まらない、1回転で繰り出される紙の長さはロールの消費状況で変化するからな。考案自体は難しくないが、数百円で売っているフォルダーに対抗するような価格ではつくれないだろう。
ありゃ、もう2時だ。前半の生理学実習が予想より早く終わってしまったので、こんなことを書いて時間を無断に使ってしまった。何故、今年のこの実習(反応速度測定)はさっさと学生は終えてしまったのだろうか。今年は測定項目が昨年より1つ多いのに昨年よりはるかに早く終わってしまった。マニュアルと説明の要領が改善されたからだろうか。
反応がない
本日は聴覚の講義。蝸牛管の基底膜の振動は周波数によって違うんだよ と説明するために、ラウンジに行って、なんか長い布ない?と尋ねた。講義直前のことである。
長い布の両端を持ち、一端を上下にふると布は進行波になって他端へ伝わる。上下に振る周期が長い/振動数が低いと、他端まで届くが、振動数が高いと他端に伝わらないということを示すためだ。つまり蝸牛管内の基底膜の物理的性質に依存して基底膜は部分によって良く振動する周波数があるー周波数分析がすでにおこなわれているーと解説したかったのだ。
height=”373″ />ラウンジで業者からお中元とかでもらったタオルがあったので、手伝ってもらって2枚のタオルをステープルで留めて長い布にした。講義で一番前に座っている学生を立たせ、タオルの一端をもたせ、他端を管理者が持って上下に振った。ゆっくりだと学生が持っている端に近い部分も上下に動くけど、早く上下に振動させると学生の持っている端の方は動かないというデモをやってみたわけだ。
学生の反応はない。へーとかいう言葉もない。 うーん。どうやら、そんなのは当たり前と思っているようだ。
配布した資料で紙筒を作り右眼で明るい方を覗け。他方の手のひらを紙筒の先端のちょっと左横に並べて両眼でみると、手のひらに穴が空いて、紙筒で見ている風景が手のひらに穴が空いていて、この穴を通して見えるだろ?
ということをさせた。要するに脳での情報処理はあり得ないことも作り出すぞといいたかったわけだ。こちらはがやがや騒いでいた。へー と思って騒いでいたのか不明だ。
諸君の描く絵がへたくそなのは、記憶/認識が邪魔しているからだ と5歳児、9歳児、大人、逆さまの写真から描いた絵を見せて説明した。あるいは錯視の図を見せて説明した。つまり、諸君は、外部環境を客観的に見ているようだが、実は経験とかに裏打ちされているために、都合良く解釈したり、視覚情報処理は先天的に辻褄を合わせていて、その結果を認識しているのだ と説明したのだが、反応はない。なるほどとは誰も思わなかったようだ。絵がへたくそなのはセンスがないからだと断定していて、説明は納得してもらえなかったようだ。
学生さんのレスポンスがよくわからん。管理者としては面白い話をしたつもりだったのだが…. 管理者が年寄りだから学生さんの認識と一致しないのだな。




