筆頭著者日記の あとがきにかえて では、著者は洞窟に導かれ、自分のローソクを見つけ、炎がゆらぐことがないから、まだ生きていけると確信したらしい。
立川談志 死神 から
また自分のローソクの火をだれかに分け与えながら生きて行けると確信したようだ。余計なことするやつだな。
誰も、明るいところに来たといって吹き消さなかったし、バースデーだといって吹き消すこともなかったようだ。
筆頭著者日記の あとがきにかえて では、著者は洞窟に導かれ、自分のローソクを見つけ、炎がゆらぐことがないから、まだ生きていけると確信したらしい。
立川談志 死神 から
また自分のローソクの火をだれかに分け与えながら生きて行けると確信したようだ。余計なことするやつだな。
誰も、明るいところに来たといって吹き消さなかったし、バースデーだといって吹き消すこともなかったようだ。
私にはむしろ御当人が死神に見えてしまいます。実際、とり憑かれて生命を失った人もいるわけだし、取り憑かれて、ギリギリ瀬戸際からようやく生き延びたという思いをした人も何人もいることでしょう。
笹井氏のことがあったとき、私はとても意外な気がしました。というのは、理研にとってとても重要な人だから理研が護ると思っていましたから。だから私が心配していたのはむしろすでに理研を離れていた人でした。真相解明を巡り圧力を掛けられていたという話もありましたから。この人も一報を聞いて全身がガタガタ震えて口も利けないほどショックを受けていたと報道されましたけど、とても他人事とは思えなかったのでしょうね。
アノ姐さん
本人自身が認めている捏造が命を奪った一因だったのにも関わらず、その反省はなく、あそこが痛い、頭が働かない、チーズケーキを作って食べた、担々麺を食べて気持ち悪い…と日記とはそもそも自分本位だからそれ自体はいいんですけど、それを公表する精神構造がわからないですな。死神だから当然か。落語の死神はもっと人間らしいけどね。
ますますご本人が希望する(ホントかね?)研究の世界への復帰が遠のくのが…わかっていてお金のためにやっているのでしょうね。一発で定年退職する教授の退職金並、あるいはそれ以上の収入があったわけで、そそのかされば小説だって書きますよね(日記に書いているとあります)。
理研に残った方と理研から離れた方に対する理研執行部の態度が内部者を保護する方向に動かなかった理由はわかりませんが、少なくとも当初は理研執行部はSTAP現象を支持していた(あって欲しいと思っていた)と思います。これが、だめだなこりゃと思われるようになったのに、現象が存在しないと説明できないという苦しい記者会見をせざるを得なかった当事者には同情を禁じえません。ご本人が執行部の一員だったわけですが、ほかの執行部の誰かが助言してあげれば…でも政治の世界なんでしょうね。すんません、だまされました と言えなかったんでしょうね。
管理者なんか、軽率そのものなんで、誤って・謝ってばかりです。優秀とラベルされちゃうとつらいんでしょうね。自他共に失敗を認めちゃえば、管理者のようにヘラヘラと生きていけるのにね。
ため息先生も落語がお好きなようで(^^)
落語『死神』のストーリーの源流はグリム童話の『死神の名付け親 Der Gevatter Tod』からだそうですが、落語も時代、噺家さんによって変わるもので、落語『死神』は特に下げ(落ち)には色々とバリエーションがあって、それぞれに面白いです。
明るいところに来たから吹き消す、バースデーだといって吹き消す…このパターンは立川一門?
立川一門の落ちは、ロウソクを付け替えてから、吹き消すのがおおいみたいで
意地悪かも。
「あの日」と「日記」を一緒に読んでみたが。
どの程度、弁護士や編集部の添削が入ったか知る由もないけれど、筆者の流れる様な文章と、読み手の感性へ刷り込むような持っていき方には、確かに感心させられる。
仮に、後日両書が裁判の資料で使われても、「私は特定の人を名指しして非難していない」と抗弁可能だし、反面ある程度本騒動に感心を持ち、流れを知っている者には、特定者が悪意を持ち糸を引いた、と容易に刷り込みがされる作りになっている(そして、日記は、あの日の補完の効果が、巧みに醸し出されるよう設計されてる)
両書をセットで読んだ人間への影響力を、甘く見ないよう警告したい。
サラリーマン生活28年さん
そうですね。日記のほうのも自分にとって都合の悪いことは一切書いてないし、人名はニックネームをつけて、知る人はわかるとなっているし、食べては寝て夢をみていることしかないし….
「2015年7月24日(金) 私は心正しく研究してきたのだから、自分のために最後まで逃げずにやりきる。」と決心しているらしい。どうやら自分がデータを捏造したことはすっかり忘れちゃって、反省もなく、都合の良いことしか記憶に残っていないので、「(早稲田大学の)審査の先生たちから強い疑惑の目を剥けられ」ているのが不当だと思っていた(いる)ようですね。[ 日記の111-112ページ ]
前作同様、私的作品、とくに今回は”日記”なんだから、自己主張だけ書いてあっても、傍から文句を言う筋合いではないですが、これらを読んで相変わらずの擁護の方々は元気になるんでしょうね。
笹井氏がなくなって一周忌の2015年8月5日の日記は、眠れず韓国式マッサージを受けたことだけですね。記憶にないんでしょうね。筆頭著者にとって笹井氏は梯子の3段目くらいだったのでは?
サラリーマン生活28年さんとため息先生は、日記を買われたのですね。
私は購入の予定はないため、三省堂書店で立ち読みをしてきたのですが、婦人公論の連載と比べると、所々で言葉が書き換えられている感じを受けました。
>「2015年7月24日(金) 私は心正しく研究してきたのだから、自分のために最後まで逃げずにやりきる。」
連載日記を読み直したのですが、2015年7月24日(金)にはその様な記述はなく、以下のように書かれています。
「2015年7月24日(金)
昨日のコメントの中に、博士論文に使ったデータの資料を見せてほしいという要素があった。だが、私の研究に関する資料は、理研とハーバード大学にすべて回収されてしまっていて、私の手元にはもう何も残っていない。早稲田大学の調査委員会に提出した資料を取り戻すことはできるのかな。それが私に提出できるすべてだ。今、資料が私の手元にないのは、私が紛失したせいではなく、ましてやもともとないわけでもない。それでも提出できないのは私のせいにされてしまうのだな。」
個人の日記である以上、何を書こうが周りがとやかく言うことではないのですが、この様に内容が大幅に修正されるのでは、「日記」とは呼べない気がします。
>笹井氏がなくなって一周忌の2015年8月5日の日記は、眠れず韓国式マッサージを受けたことだけですね。
連載を読んだ際、笹井氏の一周忌に触れられていないことに違和感がありました。一周忌の前日、連載の方には
「2015年8月4日(火)
この数日、ものすごく悲しい。明日が終わったら、もっと強くならなくちゃ。そうじゃないと今日まで生き延びた意味がないもの」と書かれていましたが、単行本には「涙」が追加されていましたね。
どの様な理由かはわかりませんが、「日記」をこのように書き換える意味がわかりません。
「日記」という性質を考えれば、これは「加筆」ではなく「改竄」だと思います。
『「私は特定の人を名指しして非難していない」と抗弁可能』かということに関して、名誉毀損罪等に於いては、『氏名を明示しなくても,察知可能で足りる(最判昭和28年12月15日)』と過去に判例があります。
エイプリル・フール先生だの、エイプリル・ヒッポだの、アダ名で呼んでいるというのは、他の構成要件を考慮する必要がありますが、名指ししていないから法的に絶対に大丈夫という話にはならないかと思います。
そして厄介なのは、公然に認識可能性があるという問題。これは公に発表することで不特定の『認識し得る』状態になる可能性がある場合、名誉毀損罪に該当すること
があります。厄介というのは『認識した』という状況でも名誉毀損になる可能性があるという点です。
感想さんが不明サンプルの件で出版社の方に問い合わせていましたが、小保方氏の日記の記述が人権侵害(名誉毀損)にあたる可能性は大いにあります。出版社は『読書の認識の問題』で回避しようとしていたようですが…これが問題ないという話だと、小保方氏らが NHK スペシャルを BPO へ訴えた話は全くナンセンスな話になります(特に窃盗の印象を与えたというもの)。特に、今回、日記を読んだ支援者たちが勝手に事実と認識し、解釈してますが…そういった名誉毀損にあたる危険性がある状態だと思います。
本ブログ管理人さん
体内時計さん
コメントする立場上、著者への礼儀として本は購入しました。
しかし、婦人公論の編集者の意図が今1つ掴めない。私レベルで気付く問題点は、百も承知の筈。単に売らんかなということなのか?真剣に議論に一石を投じる考えなのか?
なお、学氏のブログで、森友問題を引き合いに桂報告書を論じる向きもあるようだが、その論法が仮に通じるなら、2014年7月に一旦早稲田が博士号論文取り消しに当たらず、と公表した事案における理屈の方が、むしろ政治的な事情を背景とした、法理のアクロバットな解釈、運用という意味で、「そんたく」を強く意識させられたが。
単純に、本人が自分のやったこととその影響を自分自身で受け入れられる状態にまだ至っていない、というだけのことだ。
まわりがネット上でさんざんいったところでなんとかなるものではあるまい。
関係者への予測される被害も、他の事件に比較して特に大きいとももはや思えない。
放っておきなはれ。
体内時計さん
おっしゃるように、日記は、その時どう感じた、思った、考えたが重要になるので、後から書き換えたら意味がなくなることが多いかと。たとえ、当時は誤解していたとしても、誤解した理由があるわけで、後日、別途注釈を加筆するのはいいでしょうけどね。
筆頭著者がいかに苦しい精神状態だったかだけを言いたいのでしょうか。自分で招いたとは思っていないから反省の言葉がみあたらない。
日記の記述を後から自分の都合で変えてしまうと、もうその日の記録としての証拠性が失われてしまいます。日記でもないし、記憶の改ざん回想録のようなもの。小保方氏の支援者たちは手記や日記が事実であり、小保方氏は正しいという根拠だと主張するのですが…このことは自分の都合でコロコロ内容を変える証言者でしかないんですよね。
このことは STAP の研究不正等全般に共通して言えますね。実験データの捏造・改ざん、その後の言い訳…
2016年の小保方氏 HP の画像の件で小保方氏そして弁護団と直接やり合った私ですが、その時、彼女らが何をするか、よく分かりましたよ。真面目に関わると馬鹿を見るだけです。
さて…どうしましょうかねー(´・ω・`)
「オリジナルな日記を見せなさい」といっても、出てこないでしょうね。
ため息先生、mさん
もう、やめましょう。どっちがいい悪いは抜きにして。
mさん
色々な活動を貴方はされているようですから、そのエネルギーを、真に恵まれていない人々のために何か振り向けては如何でしょう?私も今日明日は、町内会で一人暮らしの御老人方の草刈りを皆でやります。
筆頭著者もマスコミを活用することで、もはや被害者の側面を強調する大義名分は大幅に後退してます。
これからのことを考え、前を向きましょう。
ため息先生
失礼しました。「冗談なの?」にコメントの移動をお願いします。
小保方氏の日記を知人より先日から借りっぱなしで興味が無いので全く読んでいなかったのですが、擁護が何やらこの“死神”の件で、今もグチャグチャ言っているので、該当するあとがき部分を読んで見ました。
その結果、矢張り、全然、擁護はわかっていないんだと。
今、演奏、音録中なのであまり手が離せないので、深夜に長々とコメントしようかと思ってます。長いのはいつものことですが、ご容赦を(´・ω・`)
ヘロヘロになって、その後、酒飲んで、ベロベロになって寝てしまうかもしれませんが…
因みに何を演奏してるかって?
大黒摩季さんの曲です(´・ω・`)
曲目は『Lie, Lie, Lie』
水族館の写真整理や映像、音楽用に新しくパソコンや音響機材を買ったわけです。そして今日水族館へ出向こうと思ったら、デジカメのバッテリーを充電していなくて、取りやめて、音源確認、調整に切り替えて今、作業中で疲れたからチョイ休憩。
水族館の映像のBGMに大黒摩季さんの曲を使うわけではありません。単にノリノリのテンション上げ上げ〜が理由。
何でCDの音を使わないで自分で演奏するのかなのですが、それは著作権の問題。Webにアップすることを考えてますから…
私はm j もんたとは違うのですよ(´・ω・`)