謙虚:控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。です。上から目線の言動の学とみ子とは程遠い言葉です。
学とみ子の「書き手が、自身の意見書いた時、それを読む人たちの気持ちを書き手は想像します。その時、自身の意見を全面支持する人を1番目に例示するのではなく、支持しない人をまず、1番目に挙げる人の方が多いと思いますよ。」という態度は「謙虚な書き方」だというのです。つまりoTakeさんの「私の見解を読んで「なるほど」という人もいれば、「一部は納得できるけど、この部分は納得しかねる」という人もいれば、「全く同意できない」という人もいるわけです。」という「全面肯定→一部肯定・否定→全面否定」という並べ方ではなく逆の「全面否定→一部肯定・否定→全面肯定」とする表記のほうが「謙虚な書き方」であるというのです。
この順番と「謙虚」という言葉の使い方については、当方やoTakeさんが議論しているように、学とみ子の主張は崩れてしまいました。
「謙虚」の意味は冒頭に示したことですから、ここでの「謙虚」という単語の使い方はふさわしくないように思えます。ChatGPTに確認してみましょ。*1のような結果で。「謙虚」と表現するのはふさわしくないということでした。
「私の文章は、自らで納得して書いたものですが、それを読む他人は、「一部だけ、あるいは、全く同意できない」という人もいるわけです。」と「意見が異なる方々がいる」という断定ではなく、「私の意見とちがう方々もいるかと思います」と言うのなら謙虚な態度といえるでしょう。
というわけで、「認識がスタイル」と同様に今回の「謙虚」も学とみ子の日本語の使い方がおかしいのです。
*1
Q: 「私の意見については肯定する方も否定する方もいる」と「私の意見については否定する方も肯定する方もいる」という2つの肯定/否定の順番のことなる表記があります。「否定」を先にするのは意見の主張者が謙虚であることになるという見解は妥当でしょうか?簡潔にお答えください。」
ChatGPT: 結論だけ言うと、「必ずしも妥当とは言えない」です。
否定を先に置くと「反対意見があることをまず認めている」という印象は生まれやすく、結果的に**控えめ・慎重**に聞こえることはあります。
しかしそれは文脈や話し手の意図によるもので、**順番そのものが「謙虚さ」を意味するわけではありません**。
多くの場合は、
* どちらを強調したいか
* 直前に話題にしていた側
によって順番が決まっているだけです。Q: 「ということはこのような場合「謙虚」という単語を使うのはふさわしくないということですか?簡潔にお答えください。」
ChatGPT: この場合は、「謙虚」と断定するのはふさわしくありません。
より適切なのは、
* 「慎重に述べている」
* 「バランスをとっている」
といった表現です。