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退職/転職パーティ

4月16日(土)退職・転職パーティを開催していただきました。大勢の方に参加していただき感謝しております。
さて、帰宅して翌日(当然3次会まであったので深夜帰宅なのでしらふになったのは翌日)会場から持ってきた荷物のなかに、見知らぬ名前のヒトからの電報が。宛先みたら他の人の結婚式の祝電だった。つーことは、管理者への電報もどっかにまぎれているのか?
お礼を言わないといけないんだから、困るよな。
沢山の花束で置くところ、花瓶もない。風呂場においた。水をやるのに便利だ。
参加者はほとんどが基礎医学系関係だから、互いに顔見知り。その中に、異質なおばさんが1人。結構、おもしろかったのでは?
パーティは結婚式そのもの。ビートルズの音楽が鳴るなか係員に付き添われて入場。開会の挨拶(これは仲人挨拶か新郎側の主賓かに相当)、乾杯の音頭(これは普通新婦側の主賓)、電報の披露、花束や記念品の贈答(これは結婚式にはないな)手紙の朗読、主賓の挨拶(これは新郎側の男親に相当)、返りに引き出物を渡し(結婚式では椅子の下に置かれていることが多いな)。
ま、笑い声が絶えないようだったので、よかったです。2時間はあっというまでしたな。

新しい職場は…

新しい職場での新学期が始まった。ここの学生食堂は食券を買う必要がある。食券は学生証・職員証がエディカードになっていて、ここにチャージしないと買えない。12時半頃に学生食堂(これしかない、職員食堂なんかない)に行くと、食券の自動販売機はほとんどが売り切れ表示だ。
翌日、12時ちょっと前に行ったら、またもや売り切れだ。講義は12時10分に終わるはずなのに…
顔見知りの上級生をとっ捕まえて、どういうことだ?ときいたら、食堂が用意する食材はぎりぎりなので、すぐ売り切れる。だから学生は1時限目が終わったらその時点で食券を買うんだそうな。とほほ。
大学にの近くに食堂はなく、歩いて5分くらいのところに7-11があるだけの田舎なのだ。弁当持参の学生が多いのもうなずける。蕎麦を注文したら、蕎麦色のうどんだからな。
職員、学生、そうじのおばちゃんまで、礼儀正しい。だから廊下を歩くと挨拶ばかりだ。ここまでは、ま、いいでしょ。しかし、電話の最初の掛け声は「おつかれさまです」だ。なんてこった。違和感があるなぁ~。
支給される経費がまだ使えない。5月くらいになるらしい。プリンタがない。というわけで、事務とか、あちこち掛け合って、絶対、退職した教員がプリンタを置いて行ったにちがいないので、古くてもいいからよこせ、と言ったら、出てきた。まだ新品の複合機。インクも満タン。ずっと使っていいと言われた。が、インクジェットだと維持費が高いので、経費が使えるようになったらレーザーのプリンタを買おう。
新しい職場にも、古い職場から電話がかかってくる。おきまりの「サーバがおかしい」だ。そういうクレームには敏感で、というのもサーバを交換するのができないうちに退職しちゃったからだ。あわててsshでログインしたりしたが問題ない。なんてことはない、その研究室のルータが不調だっただけだ。

またもやkibanが…

退職した日の夜中にkibanがこけた。というのは赴任1日目のところに書いた。
そしたら、本来なら筑波にいるはずの土曜日にまたこけた。9日土曜日は筑波にいるはずだが、赴任先の健康診断がこの日に設定されており、午前中は赴任先、筑波にもどるのは午後3時頃かな~とおもっていたら11時少し前に電話でこけているとの連絡があった。とほほ。高速を使わないと2時間かかる。しょうがない高速使ってなんとか1時間でもどり、再起動。
なんてこった。退職前、kibanがこけることはめったになかったのに。だから安心して、次のサーバへの移行が、地震のため4月にずれ込んでしまっったが、それでもいいと思っていたのに….

赴任2日目以降

4月5日(火)が赴任2日目だ。単身赴任なのでアパートの手続きと、家具付きアパートといえ、なにやら足りないものがあるので、なれない土地をうろうろ。一方通行を無視して走ったり、ごちゃごちゃやってたらおわっちゃったよ。パソコンが使えるようにするのに苦労した。本体にスピーカーがないデスクトップだったのを忘れていて、どうして音がでないのかとなやんだり、モニターとUSB切り替えスイッチがうまく動作しないことを悩んだりしているうちに一日がおわっちゃったよ。パソコンがないと仕事ができない体質になっちゃったから、こういうことになるんだな。メールが山ほどきていたので、対応したら、この日も終わり。
4月6日(水)アパートのガス栓を開けるとかいうので昼頃アパートにもどったり、なんやら原稿を書けという指示に従っているうちに、この日も終わり。またコンビニ夕食だ。アパートの回りの定食屋を開拓する夢もつぶれた。

赴任1日目

さって、数少ないこのblogのリーダーが期待している?新天地?での出来事を記載しよう。
第1日目、つまり4月1日(金)は、9時30分集合であった。指定された場所へいったら、そこは助教のたまり場で、指定時間を過ぎてもなんの案内もない。新任の助教の一人が筑波大学の人間総合の大学院学生であった。博士論文がまだできておらず、就職と論文作成の二股なそうな。同じ研究科なのにあっちは教育関係でD棟を根城にしているので、これまで会ったことはない。指導教員はだれか?とか、人間総合で管理者を知らないのはもぐりだとか話しているうちに、管理者はこっちの部屋です、個室へどうぞと案内された。案内した人は事務員なのか助教なのかいまだよくわからん。
というわけで、指示待ちのときに、医学から電話。kibanがこけた、どうしたらいい?だって。どうやら、31日に皆(副学長とかxx教授とか)で飲んでいるときにkibanがこけちゃって、翌日、朝まで動かなかったようだ。指示して10時頃には回復したようだ。あー、怒られるなとおもっていたら、やはり月曜日に大学にいったら、「爆弾をしかけたな」と怒られた。偶然とはいえ、おかしかった。
予定が変わったので午前中はなにもないと言われた。げ、わたされた予定表では朝から夕方までスケジュールは詰まっているのに。
学生食堂はまだやってない。学外に出てコンビ二で昼食を買って,個室に戻り、冷たいお茶で昼食中に、今度は、何時にあそこに集まれという連絡が電話できた。こっちは自分の電話番号すらしらないのに、他の人はわかっているようだ。
新任教員の紹介だ。全教員100名そこそこなのに、新任が20名はいる。回転が速い職場のようだ。管理者が一番年寄り(当然だな)なのでトップで紹介された。
そのあと辞令交付。学長には面接試験のところで会っているのでこっちは覚えているけど、相手はどうだか。
そのあといきなり学科の会議。なんだかわからんけど、コメントをしてしまった。やばい。仕事が増えるぞ。
予定を大幅にずれて、夜10時に筑波に帰宅。あーしんど。
月曜日は筑波大学での仕事。次期xx長(複数)へ仕事の引き継ぎが十分できていないので、それに追われてあっという間にすぎてしまった。

放射性物質の拡散

Radioactive なヨウ素やセシウムの拡散が大問題で、つくば市はどうほう公園を避難先と指定して、仙台や福島県から避難者が来ていると聞く。
管理者は4月1日から他の大学へ転職するわけで、単身赴任ということで家具付きアパートをさがしていた。地震の前の3月初旬は結構候補があったが、地震のあと忙しくてアパードどころでなかったのだが、ようやく土曜日にレオパレスの支店に行って契約できた。件数がものすごく減っている。避難する人が借りた例が多いらしい。2ヶ月とか3ヶ月という契約者が多いらしい。
で、今日のニュースによる放射性物質拡散のシミレーションだ.「SPEED I は、原発の位置や放出された放射性物質の種類、量や高さ、地形などを元に気象データを踏まえて計算。」とある。
http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230465.html からGoogle Map の地形図をおなじ縮尺にしてみたら。地形より風向きのほうが影響が大きそうだ。いわき市の方へ下がる腕は地形に沿っているように見えるが、川俣町への腕は山越えだ。

地震の5日目からの後片付け

地震のあった日から4日目(火曜日)は、倒れかかった棚をもとにもどしたり、余震でさらに崩れると危険な大型の物品を床に下ろすとかするのを大学院学生さんを動員して直して回りました。エレベータがまだ動かないので物品の廃棄置き場へ移動するのは無理です。
5日目と6日目に、ボランティア(主に大学院学生さん)が手伝ってくれて、廊下にだされた廃棄物品を仮設の廃棄物品置き場に移動しました。なんとか施設に依頼してエレベータ1基を動かしてもらい、ボランティアを2グループに分け、1Fのグループは降りてきた荷物を仮設廃棄物置き場に運ぶ、もうひとつのグループは下の階から順に廃棄物をエレベータに送り込むという手順で廃棄物を処理しました。エレベータはまだ安全確認が行われていないので人は入ってはいけないということになってます。下の階から始めたのは、上層階ほど被害がひどく、各研究室やオフィスから廃棄物がまだすべて出ていないからです。

研究室やオフィスから出された廃棄物をエレベータ前に集め、

エレベータに積み込みます。

掃除の人が勝手に違うフロアでエレベータのスイッチを押すので、混乱。清掃の方にも指示しました。

エレベータに入らない棚は分解する必要があります。

エレベータに乗ってはいけないというのに、この指揮官は乗り込んで働きます。しかし1フロアだけで、くたびれちゃって、途中でお茶を飲みに勝手に休憩に入っちゃいました。その間もボランティアの学生さんはせっせと働きましたよ。あとで、指揮官が戦場の全面に立ってどうすると、私を含め複数の人からおこられていました。

こっちの指揮官は体力に応じて掃除を。

エレベータが降りてきて1Fで受け取った廃棄物は仮置き場に移動。

この写真が廃棄物仮置き場ですが、まだまだ始めのころで、最終的にはこの3倍以上でてきました。

クリーンアップされた実験室側の廊下。

こちらはオフィス側の廊下。

廃棄された文書の山。地震が起こる前から捨てていればいいのに。

会計が手回し良く廃品回収業者を呼び出し、当日に回収してもらいました。トラックその1.

トラックその2.

トラックその3.

右の青い箱も満タンでこれは翌日、クレーンのついたトラックで運びだされました。

会計は、大学の別部署や他の研究所等から同じように廃棄物が出て、回収業者がなかなか来てくれないと思い、手早く手配したのですが、他ではまだ廃棄物を回収する準備ができていないようで、回収業者は依頼の待ち受け状態だったようです。ただし、ガソリンが手に入りにくくなっているので1回にまとめてくれとのことでした。医学はそれだけ素早く後片付けが実施できたということです。

というわけで、地震発生6日目には、大きなごみはすべて廃棄され、あとは各研究室やオフィスの住人が自らの部屋を片付ければいいという状態になりました。電気の復帰も早かったし、上下水道も通じていたしということもあって、大学の中でも復帰が最も早かった部署ではなかたのかと思っていますよ。一致団結とは、このような非常時には必要なものですな。細かなことをぐちゃぐちゃ言う人がいないわけではないけれどもね。ほんの少しの人間だけでさっさと手順を決めちゃったのもよかったです。通常のように、各組織の頭を集めて協議するなんてことやっていたら、このようにはいかなかったのではないかと思っています。

地震被害の写真(当日)

2011年3月11日(金)14時46分の東北地方太平洋沖地震の直後は当然写真なんか撮っている暇はない。しかし、揺れが収まったころから撮影したのを紹介する。めちゃくちゃになった部屋ばかりの写真で、もっとあるけど、ここに掲載するのもいやになる。

電算機室内のサーバ室。上の階で上水のパイプが破損し、水漏れのためあわててビニールシードを探しだし、基盤室のサーバー群を覆った。

これが本来の姿

直後に建物から出て避難した職員と大学院学生。春休みで学群学生がいなかったのが幸い。春休みでなかったら発生時刻は授業を実施している時なのでパニックになってけが人がでただろう。

消火栓からホースも飛び出ていた。

学生が稼いできたトロフィーをおさめたガラス棚は転倒して使い物にならず。

階段のコンクリートは剥がれおちた。

エレベータは、最寄りの階で自動停止したらしい。

事務室(総務)の棚が落下。

支援室長の机。重ねてあった書類、書籍が落下。超軽微な被害です。なにもなかったに等しい。

大学院オフィスの学生のメールボックスが落下。これも軽微な被害です。元に戻せましたからね。

地震が発生したときから−その2

15日(火)
大学院学生を集め、主に6階以上の傾いた棚を修復。ゴミ処理を行うために危険となる棚をとりあえず元に戻す。教授室の開学時に設置されたオフィスのスチールの棚が大量に傾いていた。傾いて天井の飾り板に食い込んでなかなかもとに戻せない。槌でたたいて戻す。講師室の棚も転倒、移動がはげしい。実験室の転倒した棚ももとに戻す。ガラスの破片、書類が床にちらかっているがこれらは無視。自分たちでやってもらうしかない。とりあえずは余震でさらに転倒したりしないように、あるいは不安定な大きな棚は床に下ろす等を行う。
16時 医学部門災害対策会議。被害の修復の程度の報告を各フロア責任者から受け、今後の方針を決定。通路の安全確保のため大学院ボランティアを集め、廊下に出された廃棄物を建物外に出すこととする。研究室やオフィスを解錠したままと昨日指示したが、これをやめ通常の施錠でいいことを確認。
16時30分 大学院の運営委員会。この委員会で承認がないと学生が修了できないので開催。
19時30分頃 節電、節水、のお願いと、研究室、オフィスの施錠は通常とおりでいいとメールで全員に連絡。整理の研究室内にちらかった書類の整理と破棄。
16日(水)
10時から昼食をはさんで17時半まで。大学院学生を指揮して3Fから5Fまでの廃棄物品を処理。3Fが一番多かった。
13時30分医学部門会議兼医学部門災害対策会議。現状の報告と対策を議論。
1Fと2F、4Fの廃棄物品はわずかであった。被害の大きさがフロアによって違うことがわかるが、3Fの廃棄物品が多いのはなぜか?
17日(木)
10時から昼食をはさんで17時半まで、大学院学生を指揮して6Fから8Fまでの廃棄物品を処理。ここが一番ひどく各フロア約2時間を要した。8Fの片付けが終了したあと、ボランティア大学院学生に解散を命じた直後、開かずのドアの部屋を発見。中はめちゃめちゃ。棚がほとんど転倒。部屋の関係者をみつけ、処理の手伝いをするがどうかと聞いたところ、複数の科が利用しているので、どれが不用物品か判断できないので、処理できないとのこと。そこで大学院学生に本当に解散とつげたところ、この部屋の写真を携帯で一斉に撮影開始。
回収業者がきて、18時ころ、机、棚などを回収していった。副研究科長と飲食。おしまい。
18日(金)
16時から臨時医学部門会議(医学部門災害対策会議)。大きな案件はなくなったとして医学部門災害対策会議は解散。

地震が発生したときから−その1

3月14日20時までのlog
3月11日(金)
14時46分ごろ地震発生。停電。
15時頃、kiban 停止 管理者がサーバへの通路を確保している間に、そしてUPSがまだ生きている状態で岡田君がkibanをシャットダウン。管理者が他のサーバ群をシャットダウン。全員避難。
電算機室のサーバ室の天井から水がぽたぽた。上層もどっかでパイプが破損したらしい。内藤君が外で、イノベーション棟の工事の人がいてビニールシートを手に入れてきた。これでサーバを覆いなんとか濡れずになった。水が垂れてくる位置がずれる。電算機準備室の方にも漏れ始める。パイプの元栓を閉めたという情報がどこからか来て、応急処置だけでなんとかなると判断し、一端建物外に退避。
再度建物内に入る。大きな余震。4F近場に漏水や火がでていないと判断。実は7Fでの漏水が1Fまで届いたようだ。他の看護医療棟でも漏水があったようだ。事務職員等からの情報を得に2Fへ。主に低層のフロアを見て回る。
自宅がちと心配なので、自転車で帰宅。途中コンビでおにぎりを購入。まだ殺到していない。自宅がなんともないのを確認して車で大学へ。ガソリンがないので満タンに。このときもまだガソリンスタンドの列はほんの少し。建物近くの駐車場が空いていることを見ると、かなりの人は帰宅したようだ。
22時頃なにもできないと判断して帰宅。
12日(土)
自宅待機。通電可能の連絡が16時すぎにあり。2F事務室が仮の医学部門対策本部となり、学群長、施設設備委員会委員長、支援室長と打ち合わせる。副研究科長は台湾に出張中。電話が通じない。
17時ころ学群棟通電が可能と判断して通電依頼。
18時ころ学群棟通電。異常なし
18時から施設設備委員会委員長と管理者が学系棟を視察し漏水のあったあたりのブレーカをOFF に
18時30分、学系棟通電を依頼するものの、業者が対応できずあきらめる。
20時帰宅
13日(日)
9時過ぎ、学系棟通電を依頼。通電。学系棟に特に異常はない。サーバーを起動。9時39分動作確認した。
9時半過ぎから看護医療棟のチェック。
一部勝手に発電機を持ち込み冷凍庫を確保している研究室を発見。一酸化中毒のおそれありと判断し停止を依頼。
問題がなさそうと判断し、通電依頼、しかし業者の派遣は2時過ぎということになった。
10時半ころ、学系教員あてに通電したが一部ブレーカーが落ちているので勝手に入れるなとメール送信。ブレーカーのパネルに掲示も行う。
学群長、副研究科長、管理者、臨床医学系長が集まって明日9時から臨時医学部門会議(医学部門災害対策会議)を開催し、10時から一般教員への状況説明会を開催することを決定。
14時、看護医療棟、修士棟の通電。異常なし。各フロア点検。
17時ころ、出入りを警備室前に限るためにNet2の設定、
20時頃、副研究科長がようやく大学へ来る。これまでの経過を報告し、打ち合わせを終えて帰宅。
21時30分 大学から計画停電の連絡
14日(月)
6時20分からの計画停電に備え、6時頃から待機。ついでにサーバラックの配線整理。
しかし停電は実施されず。kiban以外のサーバの電源を遮断。
9時臨時医学部門会議(医学部門災害対策会議)開催 当座の方針の決定 フロア責任者を決め12時までに損害報告を13時の部門会議に報告することを決定。
10時利用者説明会。廃棄物品の処理方法を説明
13時臨時医学部門会議(医学部門災害対策会議)、損害報告をもとに今後の方針を決定。看護棟の軽微だが男手を必要とする修復を工作室に依頼。
16時30分、大学当局の指示で帰宅すべき人は帰宅
17時頃 PCMEルータ等の起動、ZEUS等のサーバは起動させず。
16時 管理者が主宰する会議の延期等、メールで連絡
18時 外からの出入口の制御を再度設定。外部から入れなくする。入館者はすべて警備室前の出入り口からとする。教員にメールを送信。
19時過ぎ 帰宅