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STAP細胞事件の新定義

この記事およびコメントは先の記事のコメント欄の続きです。学とみ子がバカを言うたびにコメントが増えますね。というわけで、つまらない記事を立ち上げました。

さて学とみ子によると、STAP細胞事件とは、「遺伝子解析の学者によって細胞専門家たちが潰された事件」だそうです。このような定義は初めてみました。

STAP細胞問題とは日本大百科全書(ニッポニカ) によるとSTAP細胞論文が虚偽であり不正であったことが発覚し、日本の生命科学研究の信頼性を揺るがす大事件になった問題。だそうで、これをはじめとして、STAP細胞事件を解説しているページに、遺伝子解析学者が発生学者を潰したという説明はありません。新たに学とみ子が作り出した定義ですね。

「STAP事件では、世界に名の知られた細胞発生学の学者たちが、遺伝子解析学者に攻撃されて負けた事件です。」遺伝子解析学者とは遠藤氏のことでしょうか?桂調査委員会委員の方々も含むのでしょうか?「細胞発生学」なる学問分野はなく、したがってこのような分野を名乗る研究者はいません。あるとしたら発生学ですね。もし「細胞発生学」を名乗る方がいるのなら、生命の発生を研究分野とする方でしょうね。このように勝手に専門用語らしいデタラメな言葉を作り出すのが学とみ子の特徴の一つです。共通言語を持たないので議論が極めて難しくなります。

「なにしろ、細胞を扱う生物学者は、実験の精度、再現性を担保することが難しいものです。」などいう発言は生物を研究対象としている研究者にとって噴飯ものですね。自身が生物を研究対象としたことがないのに、よくこんなデタラメを言うことができますね。


マツムシソウ

好奇心

どうやったら学生さんに好奇心を、科学的な好奇心を持たせることができるのだろうか?

偏差値で高くないランクになってしまっている大学に来る学生さんの学力には問題がある。

学力が低いのは、遺伝とこれまでの教育の結果だから大学に入ってから急になんとかできるものではない。学力と理解力とは相関があるのだろうが、それぞれどうやって測定したものか、教育学など知らないからわからない。

明らかに言えることは、講義をやっていて、当方がもし教わる方にいたら、これまで知らないことだし、面白そうだと興味を持つだろうと思われる題材を示しても、興味を示さない学生が多いことだ。たとえば、今週は視覚の話なので、盲点について解説するわけだ。盲点とは網膜の神経節細胞の軸索が眼球の内側から外側に突き抜ける点、血管もある視神経乳頭と呼ばれる部分で、ここには光を受容する細胞、視細胞がないから、ここにあたった光は感受されないことになる。では、実際ここに光を当てたらどう見えるかやってみてと、資料を渡して、やってもらうわけだ。

よくある盲点の話は盲点はどこにある?のような図だ。片目(右目)で丸を見ていて絵と目の距離を変えると星が見えなくなる距離がある。この距離のとき見えなくなった図形(星)からくる光は視神経乳頭に来ているから見えないというわけだ。ここまでは中学の話だ。

この図で同じこと(右目だけで十字を見て、紙面との距離を変えると黄色の丸がみえなくなるところがある)を、配布資料にこの絵を印刷して実行してみろと講義でいうわけだ。実行する学生さんは1/3にも満たない。「そんな盲点など知っているわい」ということなんだろうか、何故実施しないかよくわからない。好奇心がないのでは?と思うわけだ。

実施しない学生には、しつこくやってみろというわけだが、全員が実施するわけではない。前の方に座っている学生は実施するので、この学生を対象に話を進めるわけだ。黄色い点が消えただろ?消えてどうなった?見えないから白い丸になった?黒い丸になった?灰色の丸になった?と聞くと、青い縞の背景が見えるということになる。上のネットのページは背景が白だからわからないが、この見えない点は周囲の情報で補間されるというのが、中学とは違うことなのだ。つまり視覚情報は、眼球の光学的仕組みがカメラに例えられるが、カメラの写真のようにならない、情報は、場合によっては大脳皮質に届かない、色々な他の情報とかこれまでの経験等で歪められて認識に至る、その例が錯視である、というのが人間の情報処理機構なのだと説明するわけだ。しかし、興味がない学生に言っても無駄なのだ。興味を持たせることは…あきらめている。

講義終了時にテストを課すわけだ。正解を1つ選べ。
視神経乳頭(盲点)には視細胞がないから盲点に投射された光情報を得ることができない。ここに来た光情報は大脳へ届かないわけだが、
1.黒い円と認識される。
2.白い円と認識される。
3.灰色の円と認識される。
4.視神経乳頭周囲の情報で補間され認識される。
正解率は60%程度なのだ。やってみればわかるのに、実施しないからな。

同じことを前任の大学でもやっている。このときは正解率が80%だったようだ。それでも8割しかできないと嘆いている。もっとひどいところで教えているわけだ。どうやって、好奇心を惹起させることができるのだろうか。

ベネッセのサイトに好奇心を育む方法なんてのが書いてあるけど、幼児、小児の時の話だな。大学生になってからは大変だ。

ともかく質問があったら、「それは良い質問だ」とまず言うことに努めているわけだが、質問そのものがないからどうしようない。

季節ハズレで、今年3月の写真です。水仙

結局、遠藤氏の言動から言いたいことは…

学とみ子とOoboe氏は、遠藤氏の論文記者会見Kahoの日記を読んで、聞いて何が言いたいの?

遠藤氏の解析結果、論文の主張は学とみ子、Ooboe氏の主張:小保方氏はES細胞を混入させていない、と相反するから、遠藤氏がSTAP論文が発表される前からデータを得ていて解析した、小保方氏がES細胞を混入したという陰謀に沿って話を進めた、小保方ES捏造説に加担したといういいがりをつけているということなんでしょうね。論文発表前にSTAP細胞のデータを得ていたとする根拠もあいまいだし、遠藤氏の理研執行部に対する言動が、学とみ子、Ooboe氏の主張に有利なのか不利なのかよくわかりませんな。

貴重なる遠藤氏の記者会見 などというタイトルの意味もよくわかりませんね。遠藤氏の記者会見の何が学とみ子説にとって貴重で有利なことになるのでしょ?

記事が変わったので質問を再掲します。

キメラにES細胞由来細胞があった(桂調査委員会報告書p10)ということですから、若山氏はES細胞由来細胞を注入したことになります。若山氏はES細胞と知っていて注入したか、STAP細胞と区別できず注入したかのどちらかです。学とみ子はどちらだと思うのですか?2択だから答えるのは簡単でしょ。どっち?

”Stress Test” を知らなかった

追記(2021.10.2)を書いたのですが、コメントの方に移しました。

昔などといわず2,3年前というくらいの近年の出来事を忘れてしまうのは、当方にでもあることで、どうということはないのですが、忘れたとは言わず、知らなかったと表現するのはどういうことでしょうかね。

ご本人ははっきりとGoogyear氏の記事の存在を、認識していたことがあったわけです。その認識がぶっ飛んじゃったのを当方が指摘したのにも関わらず、忘れたとの表現ではなく知らなかったと表現するのはどうしてでしょうね。忘れたとするより知らなかったとするほうがまだ言い訳になると思っているのでしょうかね?あくまでも当方に負けてなるものか、医師として当方等下々に負けてはならないのだという誤ったプライドを保持したい、マウントをとりたいということなんでしょうね。

というわけで、改めてGoogyear氏の記事に関する学とみ子の記事を読むと:

・筆者のグッドイヤー氏は、この記事を書く時に、改革委員会委員にも(ネットで?)インタビューをしているようですが、多くの委員は答えることをしなかったようです。(これは後にこの記事とは関係がないと学とみ子から訂正がありました)
・上記の書きぶりから、記者(Googyear氏)は、CDBの解体を最初から目論んで書いていることが、良くわかりますね。
・せっかく、内部の研究者の声を書いているにもかかわらず、そうした状況が理研のひどい点であると、記者が持っていくのはどうかと思う。
・とにかく、CDB解体に向けてのマスコミ活動であることを、記者は露骨にばらしているのである。
・そして、CDB上層部がひどい腐敗した研究状態であるかのように持っていくのである。
・それが真実であると、記者は書き連ねているのだ。
等々

は、全て、週刊現代の記事を読んでのことだったようだ。あたかも原著を読んだかのような批評を書くのはいかがなものかと思うところですね。ひょっとして、学とみ子の医学博士論文の引用文献もこのような孫引きなんだろうか?

白い彼岸花

学とみ子はSTAP細胞があると思っているの?

学とみ子の発言の矛盾というか学とみ子の言動は本来の意図と違うんではないの?というのはplus99%さんのコメントにあるわけで、これに追加することはないのです。したがって、基本的な学とみ子のスタンスと発言が一致しないように見える、つまり基本的な考えが当方にはよくわからないので、以前から何回か質問している基本的なことを再度質問してみます。前記事のコメント欄が100件を超えたこともあり、新しい記事を立ち上げる必要があるからでもあります。

学とみ子曰く:

当初、STAPはあったはずと考えていた当ブログに、「学さん、STAP細胞はESです」と教えてくれた人がいます。
小保方氏も、笹井氏もESコンタミと思っていたと、当ブログは考えるようになりした。

ということと、学とみ子は桂調査委員会の調査でSTAP幹細胞、キメラ、テラトーマがES細胞由来であったという結果を否定していない—事故で混入した—というわけです。

つまり、ES細胞の混入があったのが撤回された論文の実験結果と学とみ子は考えていると思われるわけですが、その混入が事故あるいは意図的とは関係なく、STAP細胞(初期化され多能性があるが増殖能力のない細胞)はある、あるいは過去にあったと考えているのでしょうか?

勿論Oct4-GFPを仕込んだ細胞が緑に光っただけでは初期化とはいいませんよ。STAPの P であるPluripotencyがある初期化された細胞を、笹井氏の定義通りSTAP細胞であるとしていますよ。

繰り返します。学とみ子は;
STAP細胞はある あるいは 過去にあった と考えているのでしょうか?
STAP細胞は仮説で、新規科学であり、まだ実証はされていないと考えているのでしょうか?

どっちなのでしょうか?できたらその根拠も添えてお答えくださると嬉いわけです。当方は学とみ子の質問に答えていますからね。

牛丼

学とみ子は理解されないと怒り狂っています

わけのわからないことをか書いているのに「学とみ子の主張bz理解されないです。」とわめいています。先の記事のコメント欄が100件をこえてしまったので、急遽、新たな記事を立ち上げました。続きのコメントはこちらにどうぞ。

学とみ子が追記の追記の…追記で曰く「遠藤さんの元には、早期から解析のためのサンプルが回ってきていたということですね。」 ← また、間抜けなことを。遠藤氏はどんな研究しているのか知らないのは学とみ子だけなんだよ。遠藤氏は凍結したサンプルをもらっても解析などできない方なんだよ。

金木犀

また、でたらめを…

学とみ子に対しては、ハンニバル・フォーチュンさんも指摘されているように、言葉、専門用語の使い方がでたらめと何回も言っているのですが、全く改まることがないようです。既存の用語を不正確に使ったり、学とみ子だけがわかる未定義の新語を作成し、記事を書いて、専門家には理解できることだ、言葉を省略しても理解できるのが当たり前と開き直るわけですね。言葉も大事にできない方なんですな。

今回のコメントにも、用語の使い方ではありませんが、デタラメを書いています。


「RNAワールドについて、西川先生が論文を紹介しています。」
 ← 嘘です。西川氏の論文紹介記事の冒頭にある「生命誕生前にRNAワールドが間違いなくあったことを確信する。」を捉えて、西川氏がRNAワールドに関するような論文を紹介しているとするわけです。Ooboe氏に対して上から目線で「勉強は進んでいますか?」だって。なにを偉ぶってデタラメを書くのでしょうか?

その後不思議なことに、学とみ子自身も書いているように、この紹介された論文は(西川氏の解説によれば)RNAと蛋白の複合体であるRN7SL1が癌に攻撃性のあるCAR-T細胞の機能を活性化させるという趣旨である。つまりRNAワールドなとなにも議論していない。したがって、いきなり「RNAワールドについて、紹介しています。」などと書いてはいけないのですな。

この例のように、これまでも何回もデタラメを、当方ら下々を高い位置から見下し教えて上げると、高慢ちきな態度でブログに書くわけだ。その誤った翻訳等を始めとして指摘されても訂正することはない。

これに対するOoboe氏の態度も情けない。西川先生紹介論文のご紹介ありがとうございます。RNAワールドも興味深々ですというわけだ。学とみ子が引用している記事に当たれば、日本語なので「RNAワールド」に関係がないのがすぐわかるはずなのに、おべんちゃらを言うわけだ。Ooboe氏は何故学とみ子に従っているかのように、ご機嫌をとったりおべんちゃらを言うのであろうか?Ooboe氏は桂調査委員会の調査はサンプルの出どころが怪しいから信用できないという立場で、ES細胞が混入したことは、その原因を問わず否定している立場なのだから、学とみ子の事故混入説とは相容れないはずである。何故、議論しないのであろうか?何故、デタラメ学とみ子にへりくだるの?

サルスベリ

学とみ子は間違いを訂正しなかったことはない

学とみ子曰く学とみ子は、間違いを指摘されたのもかかわらず、訂正しなかったということはありません。だそうで。

ぎょえ!!ですな。however、among、mutual exclusiveの学とみ子の解釈が誤りであると指摘したのに訂正はなかったですね。「細胞受容体」なる専門用語などないという指摘に応じなかったですね。丹羽氏総説のIntroductionに人工と自然の対比なと書かれていないと指摘されたのに訂正しませんでした。今、思いついただけでもこれだけ出てきます。

ため息さんの指摘はいつも間違っているから、学とみ子は訂正をする必要がありません。
学とみ子は、ため息指摘が正しければ、訂正してますね。

上記の当方からの指摘は誤りであるとの反論はなかったですな。mutual exclusiveは「どっちでもある」という意味だと強弁して失笑を買いましたね。丹羽氏の総説のIntroductionの件は当方だけでなくほかの方からも指摘され、書いてあると主張しましたが、その書いてある部分を明示できませんでした。

「細胞受容体」なる言葉がタイトルにある専門論文があると学とみ子は主張したのですが、そのような論文を挙げることができませんでした。これだけでも提示したらどうでしょうか?議論ではないです。事実ですからね。

学とみ子が引用したNatureの英文コメントについて当方が「STAP細胞はOct4/GFPをtransgenic したmice を使ったためのアーティファクトでは?という意見」でしょと言ったのに対し

間違ってますね、このコメンテイターは、使用マウスの違いによって、細胞初期化が影響を受けると言っているだけです。

だそうで、そうですよ、使用マウスが違うからですよ。他の失敗した例と何が違うかというと、小保方氏は ” Oct3/4-EGFP transgenic mouse line derived cells”を使ったからだということを強調すべきだとコメントしているのです。つまり特殊な人工的な操作のあるマウスだけで成功した、アーティファクトではないの?と仮説を提唱したのですよ。しかし、STAP細胞の存在は否定された現在、このコメンテータがさらにこの仮説を述べることはないでしょうね。

使用したマウスが違うから再現されなかったという原因を、このコメンテータが推測したのに学とみ子はその推測された原因について読めなかったわけですね。

学とみ子曰く:「細胞の増殖能が突然獲得されたなら、コンタミが無いことをしっかり確かめなければいけないのではないだろうか? 」
ため息曰く:「だから筆頭著者は混入事故を意識して記者会見でES細胞の混入を否定した発言があったのでしょ。」
この当方の応答のどこが以下のように、ため息さんは関係のないことを持ち出してくるようになりました。なんでしょうか?意味がわかりません。

学とみ子曰く:ため息さんは、酸浴後day7のSTAPを入れたと力説するけど、何の証拠もありません。だから、学とみ子の愛読書「あの日」のp90に、若山氏と小保方氏は、仔マウスの作成から酸浴後7日の”STAP細胞”を注入して仮親に移植するまでのスケジュールをきちんと調整して実施したと書いてあると何回も言っています。読んでないの?もっとも私小説だから信用できないと学とみ子が言うのなら別ですけどね。撤回された論文には7日培養してから、注入等の実験に使ったとあるわけで、これを読んだ他の研究者は論文の記述に沿って7日培養した細胞を使って再現にトライし、理研の検証実験も7日後の細胞を使ったわけですね。学とみ子だけが7日の培養後、更に培養して実験したと、根拠なく言っているわけですね。学とみ子がその根拠を示すべきですが、できてないですな。

学とみ子曰く:「4年前の2018年の当ブログに載せた記事をコピペしたのだから」 ← 2018年のブログは3年前でしょ?なにいっているの。こうした意見から4年が経過しましたから、今は、もっと知識は進んでいるでしょうが、新たな書き込みは無いようです。という記述は2018年の記事のコピペではなく、今年になっての新たな記載です。ですから「こうした意見から7年経過しました」と、書くべきなんですよ。日本語ができないといわれてもしょうがないでしょ。

学とみ子曰く:「ため息さんはもっと正面から反論したらいかがでしょうか?」はい。正面から学とみ子のデタラメを指摘しています。「細胞受容体」なる言葉がタイトルにある論文を提示しなさいと言っています。どうなりました?

学とみ子曰く:「上記には、TCR理解が、研究者層に十分な理解が行き渡っていなかった事実を示しています。」 ← 嘘です。研究者層にTCR再構成の理解ができてなかったなどという”事実”は学とみ子の記事のどこにも書いてありません。TCR再構成の理解ができてなかった研究者の発言とはどこにあるのでしょうか?嘘を書かないでください。

学とみ子の説は、一部のキメラや幹細胞はESのコンタミであったにしろ、酸浴刺激によって細胞が改変したのは確かな現象として、後世に残るべき小保方氏の業績であったするものです。

はい、いいですよ、そのような桂調査委員会報告書の結論を否定する説を持っていても。しかし、そのような説を述べるのなら、根拠を示して述べてちょうだい。桂調査委員会は「STAP細胞が多能性を持つというこの論文の主な結論が否定された」と結論しているのですよ(報告書p30)。

STAP事件をなかったことにしたい人たちが、いろいろな証拠が出回っている現状を否定し続けるのは大変でしょうね。

STAP事件をなかったことにしたい人などいませんね。STAP細胞がなかったとしているのですね。正しい日本語を使えと何回言われてもできないのですな。認知症あるいはバカと評価されてもしょうがないでしょ。

STAP細胞があったなどいう「いろいろな証拠が出回っている現状」はありません。どなたが、どこで「STAP細胞があったという新証拠」を提示しているのでしょうか?嘘を言わないでください。現状は桂調査委員会報告書が出した結論で沈静化し、STAP細胞があったなどといいう擁護の主張は誰も認めていないということですね。

遠近法・透視図法・錯視

遠近法と透視図法について議論があり、これに学とみ子が

人間の目は物をどうとらえて、脳内でどう処理するかの医学的問題です。この頃(中世)、視覚の機能がまだ解明される前です。人体機能の多くが未解明でした。

と視覚情報処理は医学だ、医学は学とみ子の分野だ、と口を突っ込んだのですが、ただそれだけで視覚情報処理についての説明は一切ありませんでした。当方は、大脳の視覚情報処理機構でこの遠近法・透視図法の説明はまだできていないと思い、この学とみ子の知ったかぶりの発言に対して遠近法・透視図法について科学的に解明されたかのような発言はすべきではないとコメントしました。そしたらダ・ヴィンチの時代より、今は、視機能解明は進んだと言っただけです。との弁明です。バカですね。中世より現代のほうが視覚器から大脳の視覚情報処理機構の解明が進んだのは、学とみ子にいわれるまでもなく、中学生でも知っています。言う必要のないことを発言して、当方等の上に立つ医師だと、マウントしたいだけの発言なわけです。

遠近法、透視図法の定義は遠近法透視図法(線遠近法)にあるのが一番わかり易いと思います。両方とも絵を描く技術ですから武蔵野美術大学のWebページにあるのは当然かと思います。大脳生理学ではないですからね。

中国や日本古来からある水墨画では二次元平面に描いた物体の遠近感を表現する方法は、中世以降のヨーロッパでの透視図法とは異なっていて、遠くの物体は小さい、霞んでいる等で表現されています。例えば 如拙筆 瓢鮎図

は竹と山を比べれば、竹の方が小さいのに、これを大きく描き、大きな山を小さく霞んで描くことで遠近感を出しています。多分こっちの遠近方はネコには通じないのでは?

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は透視図法の有名な例で水平線の無限に遠い一点、消失点に収束するように描いて遠近感を作り出しています。

この例の一点透視法は奥行きを作るのに効果的ですが、ちと不自然です。奥行きが大きな部屋での会食なわけですが、この絵で認識される部屋の奥行きの長さを考えると、奥行き方向に対して直行している机の配置は不自然です。このような机の配置の宴会場は普通ないでしょう。このような不自然さは消失点を複数設けることによって解消されたりしているようです。こっちの遠近法はひょっとしたらネコも理解できるかも。サルだったらわかるのでは?

どちらにしろ二次元平面に描かれた図形が奥行き感覚・立体感覚を引き起こすわけで、錯視と捉えることができます。錯視とは認知の問題です。つまり遠近法・透視図法によって描かれた図の立体の認識・立体感は脳の認知の仕組みに関わることで、生理学と心理学両方の学問分野で研究されているところかと思います。

それでは脳科学では立体感覚はどのようにして得られているかが解明されているでしょうか?立体視でネットで検索すると脳科学辞典に立体視という項目があるのですが、何もかかれていません。この脳科学辞典というのは日本神経科学学会–神経生理学の国内の最大の学会–が運用しているわけで、Wikiに比べたらはるかに権威のあるページです。ここに、解説すべき項目としてあるのに、何も書いていないということは、神経生理学的にはまだ統一した見解がないということかと思います。つまり、まだ解明されていないということですね。

そのほかに立体視の科学とかでネットをサーフィンしますと
大脳皮質のV4と呼ばれる領域にある神経細胞を刺激すると立体感覚が誘発されるというサルでの実験結果があるものの、多くは両眼視差とかで調べた研究が多いようです。絵の奥行き感は片目でも得られるから両眼視差では説明できません。

錯視の研究で脳神経機構の解明から工学への応用まで広がる錯視研究という記事がありました。この記事で

「大脳の第一次視覚野には方向選択性と運動選択性の両方の作用を持ったニューロン群があります。この錯視にはこれらのニューロンが関与しているのではないかと考えました」

という記述があります。確かに第一次視覚野(V1)のニューロンには特定の角度に傾いた直線に応答するニューロンがあり、またこのような線分が移動すると応答するニューロンがあります。だからといってこれから錯視の説明はできず、これをヒントに錯視の図を作成したというのは、その方の創造力がすぐれているからで、科学的な解釈が可能なわけではないです。またこの記事で「世界屈指の実績を持つ北岡明佳」と自画自賛の記述がありますが、この北岡明佳氏は心理学の先生で、神経科学的な解明を行っている方ではないようです。この記事の「脳神経機構の解明から」というのは大風呂敷を広げているだけで、なにも説明していません。

つまり、錯視は認識の問題で、これを明快に解説できる方はまだいないようです。側頭葉という脳の部分には、おばあさん細胞とか黄色いフォルクスワーゲン細胞というのがあるという研究があります。青いフォルクスワーゲンには応答しないが黄色いフォルクスワーゲンには応答するニューロンがあるというわけです(解説例)。このようなニューロンの存在は、黄色いフォルクスワーゲンを認識する神経機構だとすると理解が容易ですが、世の中に存在する物体・現象はニューロンの数よりはるかに多いわけで、それほど認識機構は単純ではないでしょう。このような細胞の存在が認識という現象を理解するのにいいかもしれませんが、錯視については錯視とニューロンを単純に結びつける研究はなく–多分ないでしょう–神経科学的な研究はまだまだのようです。

とネットでつらつら眺めた感想に近い記事でした。多分、専門とする方からは、付け加える、訂正すべきことが多々あるでしょうね。

立体視とは別ですが、錯視でも、多分こういう神経機構であろうという神経回路の推測ができているものもあります。前に書いたけど側方抑制という神経回路です。こういう神経回路があると、例えば

のような錯視を説明できます。細長い四角は均一なグレー(左)ですが、背景が異なると(右)、明るく、あるいは暗く見えるというわけです。
これは、側方抑制という回路で説明できるわけです。側方抑制回路では並列に並んでいる隣の要素を互いに抑制するわけで、

背景が明るいとより大きな抑制を受け(下)るのでより暗くなり、背景が暗いと抑制される量が少ない(上)のでより明るく見えるというものです。このような側方抑制が視覚情報処理過程のどこにあるかはきちんと同定されたわけではありませんが、網膜に存在することが証明されていますし、その後大脳の視覚中枢でも行われていることは明らかです。ですから錯視現象の神経科学的説明が全くできていないというわけではありません。この側方抑制という神経回路は視覚情報処理過程だけにあるのではなく、音の周波数弁別とか匂いの弁別過程にもあるようです。

ワルナスビ(悪茄子)? 外来の雑草らしい