やっぱり淋しかったんだ

淋しい

今回は、調査委員…」のコメント(2019/1/20(日) 午前 8:29 学とみ子)によると「ため息氏の私への妄想呼ばわりの応援が少し遅れてますね。」だそうです。

先日、学とみ子様のブログへコメントをしたのですが(「淋しくなったんでしょうな」にコピーを置きました)、学とみ子様は当方が反応したのに承認しないというアンフェアなことを行っていながら、今度は、記事を書いたのに何故応答しないと文句を言うわけです。学とみ子様は淋しい我儘な(plus99%さん曰く)”お婆ちゃん”なんですな。

アノ姐さんや体内時計さんが反論しており、同じ反論を書いてもしょうがないでしょ。アノ姐さんや体内時計さんの意見と当方のそれが異なれば、当方の意見を書きますよ。

調査委員会のお仕事

学とみ子様の上記の記事に;
「混入」を疑ったが、「混入」と判断できなかったが調査委員会の立場のはずです。すなわち、調査委員会が混入と決めてはだめ!混入と決められる程の論拠が無い!」という記述があります。(最初の文はおかしな構文ですが無視しましょ)
どうして桂調査委員会が混入と判断していけないのでしょうか?論文を調査するのが目的で、調査の結果を論理立てて考えて、混入があったと結論して(桂委員会調査報告書p30)何故いけないのでしょうかね?この委員会の結論に、小保方氏を始めとする共著者や、第三者である専門家(学とみ子様は専門家らしいので学とみ子様を除いて)からなにか異論があったのでしょうか?調査委員会は何をすべきだったと学とみ子様は考えるのでしょうかね。

裁量権

この学様の記事に「調査委員会のやれる調査方法では、ここまで言える程の証拠を把握できていませんが、実際には、委員たちは裁量権を行使しています。」とあります。「(実験結果等の記録がないというデタラメな)小保方氏を否定し」たことと「STAP 論文は、ほぼすべて否定されたと考えて良い。」という調査委員会の結論に対する反論のようですね。

この学とみ子様の記事に出てくる”裁量権”とはなんでしょ。”裁量”とは自分(等)の考えで問題を判断し処理することです(大辞林 第三版)。自分勝手にですからその判断の根拠が求められることは原則ないし、求められても、”裁量”が認められているのなら批判されることはありません。

「ここまで言える程の証拠」、たとえば「実験記録もほとんど存在しない(報告書p30)」という根拠、があるので調査委員会は小保方氏を批判したわけですね。根拠のない個人評価を公的な委員会がするわけがないでしょ。調査委員会の結論を”裁量で決めた”と文句を言うのは、小保方記者会見で刷り込まれた学とみ子の偏見脳ならではですね。

今回は、調査委員が裁量権を行使して、ES混入と決めたのだ。科学的事実できまったわけではない。
桂調査委員会は科学的な論理で根拠を公開し判断しました。裁量で決めたのではありません。どっちでもいいから適当に判断したわけではありません。正しい日本語を使うようにしてくださいな。

予め混入があったという観点で調査を実施したというのが学とみ子様のご意見のようで、「混入説の決定は、科学的に証明されずとも、少数の専門家の裁量権で決めた」などという桂調査委員会を侮辱した表現はおひかえになったらいかがでしょうか?そんなことを言うには、擁護の方々とはいえ学とみ子様だけでしょうね。

著者に都合の良い事

コメント(2019/1/20(日) 午前 8:20 学とみ子)に戻りますが「論文は、著者に都合の良い事しか書きません。」だそうです。学とみ子さんの博士論文はそうだったんでしょうね。都合の良いことだけで論文を書いたということを告白した博士を初めてききましたよ。

科学論文では、実験事実は事実として淡々と記載します。そして自説をDiscussionで記述するわけですが、それでも説明できない部分があった場合、open question とかにするわけですね。実験事実すべてを完璧に説明できなくてもいいわけです。あとから説明できるようになったことはしばしばあります。このとき、説明できない部分をごまかすのは許されず、事実を正確に記載することで研究者としての信頼性が獲得できるのですが、どうやら学とみ子様はこのようなスタンスでの研究を行ってこなかったんですね。小保方氏の場合、教育されてきたシステムの不備なのか教育される側の問題なのか議論のあるところですが、学とみ子様はどうなんでしょ?前者のxx大学医学部に問題があったとは聞き及びませんね。

こういうことを書くと、また揚げ足取りと言うのでしょうけど、こいう表現に学とみ子さんの科学的なリテラシーの程度が現れるわけで、その他にもおかしな点がが多々ありますが、刷り込まれた偏見脳に何言っても無駄でしょうな。