何故このサーバのドメインがseigiなのか、誰も知らない

拙ブログのドメインに、何故 seigi があるのかを知っているのは極極極稀な人だけだろう。
正義なんてのは人口の数だけあるので、正義と名乗るのはほとんど意味がないのはわかっているので、そういう意味の正義ではないのだ。
ところで東風荘が終了になるようです。

東風荘は2018年3月末を持ちましてサービスを終了することとなりました。21年間のご愛顧ありがとうございました。ユーザの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

20年もやっていたんですね。
その昔、普通の方の自宅のネットワーク接続はADSLで、従量制で夜中が安かったころの話です。電話局からの距離でスピードが異なるという、光ケーブルでは考えられないシステムだったのです。組織のネットワークは、それなりに速度は高かった(それでも10 MBPSですよ、黄色い太いケーブルを天井裏にはい回したなんて知らないだろうな)のですが、中継する機器とかが不安定でしょっちゅうブチ切れていました。その頃、とある部局のネットワークの管理を業務の一つとして実施していました。事務官がやるとか外注するとかができるような時代ではなく、好き者教員がやっていた頃の話です。ネットに繋がらないということにはちと敏感だったわけです。繋がらない理由の多くはユーザの設定ミス(当時はユーザが設定する必要があったわけで)なんですが、昨日できたのに今日は繋がらないなんていうクレームに対応する部署に(も)いたわけですね。で、ネットの接続状態をモニターするのに好都合なのが東風荘だったのです。観戦モードで1台のPCを動かしてしていると、ぽん、ちー、ろんとか言っているので接続に問題ないのが判明したのです。勝手な理由付けですね。昔は、誰れもやってないことにはおおらかだったわけですね。音楽のLive配信でもよかったのですが、あまりおもしろいのがなかったのです。下図は「さんま」といって3人打ちの画面ですな。こんな画面でした。

定期的にどっかにpingを飛ばして応答を見るとか、組織外に設けたサーバと何分か置きにパケットのやり取りを行い、できないとアラードを出すというプログラムを動かしていたりしていたのですがね。
んで、根が怠け者、遊び人、賭け事大好きなもんで、モニターでは終わらず参加しちゃったんですねぇ。参加したのは自宅からですよ。あー、ちょっとは組織からアクセスしたか。自宅は電話局から距離がありサーバを立ち上げたくISDN接続だったんですが、そのうち、ケーブルTVができて光ケーブルになり、新たにドメインをケーブル会社の下に作ることができるようになったのです。当時(多分今でも)ケーブル会社でそんなことをやる人はほとんどいなかったと思う所です。無料の Webページやブログなんてなかったのです。
さらに昔に、今となっては桂委員会の委員の一人になった方などと、大学の裏で「すずめ」を打っていたんですが、そのときの勝ったときのフレーズが「正義は勝つ」だったのですな。これが東風荘のハンドルでした。で自宅サーバなんて遊びなもんで…………そっか、もう20年前のことなのか。ジジイになったわけだ。当時、xx省の役人が国外に出向させられて、アクセスしていたな。あの方はまだ役人なんだろうか。