かもしれない ではね。

個人のブログなんだから何を書いても、どんな意見を表明してもいいけど、小説ではないのだったら、しっかり根拠がをもって、書いてほしい。約80の文で構成された記事のうちの約半分の文が「だろう」「かもしれない」で終わるようなブログを書いてなにが言いたいんだろ?
学とみ子のブログの「須田氏はこの時点で、GRASに残っている検体の遺伝子解析をすれば、ESねつ造説が確定すると考えている。」は、引用部分を除くと78の文から構成されている(数え方によって違うかもしれないけど)のだが、その文の最後の語句を集め、断定している文とそうではない(非断定)文とを分けてみると:

断定文 非断定
である。 6 かもしれない。 13
がある。 4 ようだ。 6
しまった。 2 ようだった。 2
だけだ。 2 であろう。 6
考えてみたい。 2 感じだ。 2
しまっている。 2 と思う。 2
かいてある。 2 1回だけ使われている語句 6
書いている。 2
わからない。 2
しない。 2
1回だけ使われている語句 13
39 37
1回だけ使われている語句とは
ていた。戻す。
信じていた。
しない。
1回だけ使われている語句とは
ありそうだ。だろう。
想像できる。
様子だ。見える。
思われる。

となるのだ。他所様のブログを解析してなんになる?といわれたらそれまでだけど、約半分が「かもしれない」「ようだ」で終わる文から成る記事は、その自らの想像・推定を根拠として論理を組み立てているのだから、記事全体が妄想と言われてももしょうがないでしょうね。論文の考察がこんなんだったらボロクソに言われるのは間違いのないところです。学とみ子のブログは小説とは思えませんからね。
ちなみに論文・レポートらしい表現という記事では「かもしれません」は論文・レポートでは”使いにくい表現”の例になっています。この記事は台湾在住の日本人が日本語nativeではない人のために日本語論文を書くために作成した指導要領(正しいかどうかわからない)のようで、妥当なことが書かれています。”使いにくい表現”とありますように使ってはいけないわけではありません。
月も金星も動いているのは間違いない。だから、明日、月が金星に衝突するかもしれず、その結果、月が地球に落ちてくるかもしれない。だからシェルターを購入しよう。なんて書いていたらアホかと言われ無視されるのが落ちでしょ。
ちなみに一研究者さんの記事を同じように解析してみたら、断定文が34,非断定文が14でした。意見を表明する場合、この位の比率が普通かどうかはわかりません。また、一研究者さんの記事が対照としてふさわしいかどうかは別の問題で、科学者と思われる方の書いた記事の1例としてあげただけです。内容の妥当性とは関係ありません。

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