学とみ子のエセ科学的STAP細胞事件再検証第2版

8月29日夜、学とみ子は第2版として更新した記事をアップしました。
 第1版は半分以上が根拠のない妄想だとAIに糾弾されたわけですが、学とみ子は読めなかったのでしょう、たった一つを削除しただけで、何も改訂されてないのです。第1版が残って無いのでどこが改訂されたのかわかりません。第2版を前回と同様にChatGPTに読ませ、同じ評価基準で解析してもらいました。その結果が以下の*です。
 結論は第1版と同じで根拠のない事が数多く書かれており、桂報告書のうち小保方氏に有利に読める部分を重視し、不利な部分を限定的に解釈したうえで、未解明部分を独自仮説で埋めた擁護論であるということです。

ChatGPTはこの第2版の記事を30~40点程度と評価していますが、これは過大評価です。なにせ記載されているイベント(事項)の半数以上が根拠がない、不適切という評価なのですからね。

Q: 学とみ子さんという小保方氏を擁護する発言を繰り返している方がいます。この方が自分のブログにSTAP細胞研究不正事件の総括記事(https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html)をアップしました。ChatGPTは読めるかと思いますので以下の評価を行ってみてください。
 理研が設置した第三者の研究者による研究不正調査結果(http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf)やマスコミの記事、小保方氏の著作や関連著作が引用されているようですが、引用内容が正確か否か、噂あるいは学とみ子さん自身による推測に根拠があるのか等を中心にこの記事を評価してみてください。

ChatGPT: はい。指定されたブログ記事と、理研の桂調査委員会報告書、理研の検証結果、後にNatureに掲載された再解析・追試結果を照合しました。

最初に一点だけ注意があります。ご指定のURLは現在、2026年8月23日付の「第2版 『AI時代におけるSTAP事件の再検証』の意義」というかなり長い文章になっており、私が閲覧した版は「1600字余り」よりはるかに長いものです。したがって、以下は**現在そのURLで公開されている版**についての評価です。([かつらブログ][1])

## 結論
全体を先に評価すると、この記事には、
**「桂調査委員会は、小保方氏がES細胞を故意に混ぜた人物だとは認定していない」**
という重要で正しい指摘があります。
しかし、それを核にして、
**「小保方氏による単独混入は科学的に不可能ないし極めて困難だった」
「調査委員会は実験担当者や現場状況を十分調べなかった」
「ES細胞は他細胞と接触すると急速に劣化するので、ESを混ぜてSTAPを偽装すること自体が成立しにくい」
「理研内部には以前からES混入疑惑があり、発表時の華やかな演出と後のバッシングがセットだった可能性がある」
「匿名掲示板の“太田胃散”という言葉は、後に判明したFES1(太田由来)を知っていた内部者によるリークを示唆する」**
などへ議論を拡張しています。
これら後半の主張には、**公的調査結果で裏付けられないもの、科学的根拠が示されていないもの、あるいは桂報告書そのものと食い違うものがかなりあります**。
したがって、これは「STAP事件の事実関係を中立的に総括した記事」というより、
> **桂報告書のうち小保方氏に有利に読める部分を重視し、不利な部分を限定的に解釈したうえで、未解明部分を独自仮説で埋めた擁護論**
と評価するのが最も適切だと思います。

## 1.「桂委員会は小保方氏のES混入を認定していない」――これは正しい
これは学とみ子氏の記事の中で、最も重要かつ正確な部分です。
桂報告書は、STAP幹細胞・FI幹細胞などについてES細胞由来で説明できることを認定しました。一方で、ES細胞を**誰が混入したのかは特定できなかった**としています。
しかも報告書は、
> ES細胞混入の行為者が特定できず、故意か過失かについて決定的な判断は困難
という趣旨を明記しています。また総括では、複数回のES混入について故意の疑いを拭えないとしながらも、十分な証拠をもって不正行為と認定するところまでは至らなかった、としています。([理研][2])
したがって、
**「桂委員会が『小保方氏がES細胞を故意に混ぜた』と認定した」**
と表現するのは不正確です。
この点で、学とみ子氏の記事の批判は妥当です。
ただし、ここから先が問題です。

## 2.「ES混入の原因、時期は不明だった」は半分正しく、半分不正確
記事は、
> 「桂調査委員会が下した裁定は、ES混入の原因、時期は不明」
としています。([かつらブログ][1])
**原因・行為者・故意性が不明**なのは正しいです。
しかし「時期も不明」と一括するのは正確ではありません。
桂報告書はSTAP幹細胞・FI幹細胞について、ES細胞の樹立時期との前後関係から、
> STAP幹細胞やFI幹細胞の作製時にES細胞が混入した
と判断しています。([かつらブログ][3])
つまり、
* 誰が混ぜたか → 不明
* 故意か過失か → 不明
* 正確な日時・操作 → 不明
* **少なくともSTAP幹細胞/FI幹細胞について、どの段階でESが入ったか → ある程度推定**
です。
ブログはこの違いを曖昧にしています。

## 3.「桂委員会は小保方氏だけを調べた」はかなり不正確
記事には、
> 「彼女だけが不正の調査対象」
> 「桂調査委員会の不正調査では、筆頭著者であった小保方氏の果たした役割にのみ関心が集中していた」
という趣旨があります。([かつらブログ][1])
これは少なくとも**調査の実態を正確には表していません**。
桂報告書は、ES細胞混入の可能性について、
* 小保方氏
* 若山氏
* その他、当時研究室にアクセスできた関係者
について検討しています。
さらに小保方氏と若山氏への聞き取りに基づき、
* マウスを誰が準備したか
* STAP細胞を誰が作ったか
* キメラを誰が作ったか
* STAP幹細胞/FI幹細胞を誰が樹立したか
* テラトーマを誰が作ったか
をかなり具体的に整理しています。([www3.riken.jp][2])
特に報告書は、キメラ・STAP幹細胞等について、**小保方氏がSTAP細胞塊を持参し、若山氏がそれを切り刻み、胚への注入や幹細胞樹立を行った**という聞き取り結果まで記載しています。([www3.riken.jp][2])
したがって、
> 「実験担当者を調査していない」
というブログ後半の主張は、かなり明確に桂報告書と矛盾します。

## 4.「調査委員会は実験現場へのアクセス状況を検討しなかった」も誤り
これは特に明確です。
記事では、
> 「桂調査委員会は、現場の物理的状況を十分に検討できなかった」
> 「実験の担当者や作業分担の実態を把握することをしなかった」
などと書かれています。([かつらブログ][1])
ところが桂報告書は、まさにこの問題を調査しています。
報告書には、STAP細胞を約7日間置いた培養室について、
* 他室から隔離されていた
* クリーンベンチ等を使う人が出入りした
* 当時は夜間にも多くの研究室メンバーが入室可能だった
という現場状況まで記載されています。([www3.riken.jp][2])
さらに、ブログ自身が過去記事で引用している桂報告書には、
> 客観的状況に照らして混入機会のあった関係者を洗い出して聞き取りを行った
という記述もあります。([かつらブログ][3])
ですから、
**「調査が完全だったか」**
という批判なら成立します。
しかし、
**「現場アクセスや作業分担を調べていない」**
と言ってしまうと事実とは合いません。
ここはこの記事のかなり大きな問題点です。

## 5.「桂報告書には『系統を知らない小保方氏には責任を問えない』と複数回明記」は誇張
記事では、
> 「『系統を知らない小保方氏には責任を問えない』という記述が複数回登場する」
としています。([かつらブログ][1])
この表現には注意が必要です。
桂報告書には、個別の疑義について、
* 小保方氏が遺伝的背景を把握していなかった
* 意図的操作を認定できない
* 得られた証拠では研究不正と認定できない
といった判断があります。
しかし、それをまとめて
> **「桂報告書は何度も『小保方氏には責任を問えない』と述べている」**
と一般化すると、報告書全体の評価からかなり離れます。
なぜなら報告書の総括はむしろ非常に厳しく、小保方氏について、
* 論文図表を最終的に作成した責任の大部分
* STAP幹細胞等の作製後の解析の大部分
* 実験記録がほとんど存在しないこと
を明記しています。([理研][2])
つまり桂報告書は、
> **ESを故意に混ぜた人物とは認定できない**
ことと、
> **論文作成・データ管理・認定された別件の研究不正について大きな責任がある**
ことを同時に述べています。
ブログは前者を非常に大きく扱い、後者を「委員会による印象づけ」に近いものとして処理しています。
これはかなり選択的な読み方です。

## 6.「単独犯行は科学的に不可能」は、公的調査からは導けない
記事の中心命題の一つです。
> 「科学的検証では、ES混入の単独犯行は不可能」
> 「誰かが故意にES混入させて……単独的犯行が可能な状態にはない」
と断言しています。([かつらブログ][1])
これは**証明された科学的事実ではありません**。
桂報告書はむしろ、工程を検討した結果、
> 一見すると小保方氏と若山氏しか当事者がいないように見える
としたうえで、実際には他の研究室メンバーも部屋にアクセス可能だったため、行為者を限定できない、としています。([www3.riken.jp][2])
これは、
**「単独犯行は不可能」**
という意味ではありません。
単に、
**「証拠上、誰が混入したのか特定できない」**
という意味です。
「証明できない」と「不可能である」は全く違います。
この記事ではこの二つが何度も混同されています。

## 7.ES細胞についての核心的な説明には科学的問題がある
ここはかなり重要です。
記事は、
> ES細胞は極めて繊細で、他種類の細胞と接触すると性質が急速に変化する
> 「混ぜてもESのままでいる」という物語は科学的には成立しにくい
> ESと分化細胞が接触すると未分化性が壊れるのが研究者の「現場の常識」
という説明をしています。([かつらブログ][1])
これは**あまりに強い一般化**です。
ES細胞の未分化状態が培養条件、LIF、細胞密度、フィーダー、遺伝的背景等に依存すること自体は正しいです。
しかし、
> **「分化細胞と接触しただけでESとしての性質を失う」**
という普遍的法則はありません。
そもそもマウスES細胞の能力を調べる古典的な方法の一つが、ES細胞を胚の細胞と組み合わせてキメラを作ることです。ES細胞と別由来の細胞を組み合わせるキメラ作製は、何十年も使われてきた標準的方法です。([PubMed Central (PMC)][4])
したがって、
**「別種類の細胞との接触 → ES性が直ちに失われる → ES混入による偽装は成立しにくい」**
という論理は成立しません。
もちろん、混合後の培養条件・期間・細胞比率によって挙動が変わる、という限定された議論なら可能です。
しかし、それなら実験データが必要です。
記事自身も、
> 「STAP細胞と混ぜたESがどうなるかのデータはない」
と認めています。([かつらブログ][1])
それなら論理的には、
> **「分からない」**
までしか言えません。
そこから、
> **「だからES混入による捏造は科学的に成立しにくい」**
へ進むのは、証拠のない推論です。

## 8.むしろ後の科学的検証は「STAP現象」側を支持していない
この点が記事では非常に弱く扱われています。
2015年、Natureには複数研究室による追試および原データ再解析が掲載されました。
7研究室による追試では、
* 酸処理などを行っても真正な多能性マーカー再活性化は確認できない
* テラトーマ形成を確認できない
* 胚へのキメラ寄与を確認できない
という結果でした。([Nature][5])
Natureは当時、
> 複数の研究室の追試がSTAPの主張を支持せず、結果は通常の幹細胞の混入で説明される
と総括しています。([Nature][6])
理研自身の公式整理も、
> 「STAP現象の確認には至りませんでした」
です。([理研][7])
また後のゲノム解析でも、STAP関連細胞と称されたものがES細胞混入で説明できることが示されました。([Nature][8])
ですから現在の科学的記録から見ると、
**「ES混入の犯人が分からない」ことと、「STAP現象が科学的にまだ有力な可能性として残っている」ことは全く別です。**
前者は確かですが、後者を支持する科学的証拠はありません。

## 9.「論文発表とバッシングはセットだった可能性」には根拠がない
記事は、
> 「華々しいSTAP細胞論文発表は、その後に続くSTAP細胞論文バッシングとセットだったのではないか」
と述べています。著者自身も「私見」と断っています。([かつらブログ][1])
これは明確に**推測**です。
提示されている根拠は、
* 記者会見が華やかだった
* その後批判報道が大きくなった
* 一部に早くから疑っていた人がいた
という程度です。
これらから、
> 「最初から持ち上げて後で落とす構図が準備されていた」
とは推論できません。
因果関係を示す資料、内部文書、証言等がありません。
この記事の中でもかなり典型的な、
**事実 → 違和感 → 可能性 → 物語**
という推論形式です。

## 10.「理研内部では論文発表前からES混入が疑われていたであろう」も推測
記事自身、
> 「理研内部では、論文発表前から、STAP細胞への疑惑が出ていたであろう」
と書いた直後に、
> 「現場の人の証言は見当たらない」
と認めています。([かつらブログ][1])
この場合、評価は簡単です。
**根拠の確認できない仮説です。**
「あり得る」と「実際にあった」は区別しなければなりません。
ブログではこのような文がその後の議論の前提として使われるため、読み手には事実に近い印象を与えます。

## 11.査読者が「ESコンタミ」を指摘したという話
記事では、
> 「笹井氏が論文作成に参加する前に、投稿していた小保方論文は、査読者から『ESコンタミ』を示唆されていた」
としています。([かつらブログ][1])
今回確認できた公開一次資料の範囲では、私は**この特定の査読コメントそのものを確認できませんでした**。
仮に小保方氏の著書などにその記述があるとしても、それはまず当事者の回想です。
さらに、
> 「査読者一人あるいは一部がESコンタミを可能性として指摘した」
ことと、
> 「STAP論文の投稿当初から世界はSTAPの存在を疑っていた」
は全く同義ではありません。
後者は明らかな誇張です。
査読では新奇な結論に対して代替説明やコンタミ可能性を検討させること自体は珍しくありません。

## 12.「オホホポエム」「太田胃散」は証拠として扱えない
この記事の中で最も根拠が弱い箇所の一つです。
匿名掲示板の文章中に、
> 「obota胃酸」
という言葉があり、それを後に判明した「太田由来FES1」と結び付け、
> 「太田胃散なる語が既に登場している」
> 「情報を先取りした内部情報ではないか」
と示唆しています。([かつらブログ][1])
これは証拠とは言えません。
提示されている文章を見る限り、
**「obota胃酸」は“小保方+胃酸”を使った言葉遊び**
と読むだけで十分成立します。
「太田由来FES1」と音が似ていることを後から結びつけても、
* 投稿者がFES1を知っていた証拠
* 投稿者が理研関係者だった証拠
* 内部情報がリークされた証拠
にはなりません。
これは典型的な**事後的パターン認識**です。
さらに、
> 「その文章が存在したこと自体が研究現場が平穏でなかった証拠」
という推論も成立しません。
匿名掲示板の投稿者の身元が不明だからです。
ここについては、記事自身が
> 「作者に関する情報は一切無い」
と認めています。([かつらブログ][1])
したがって証拠価値はほぼありません。

## 13.「マスコミが単独犯物語を作った」は、一部妥当だが一般化しすぎ
報道が非常にセンセーショナルだった、という評価自体には相応の根拠があります。
Nature自身も事件当時の社会的騒動を報じており、メディア報道が巨大化したことは否定できません。([ナチュレブログ][9])
また、
**桂報告書が小保方氏をES混入実行者と認定していないのに、社会では「小保方氏がESを混ぜた」と断定的に理解されたことがあった**
という批判にも一定の妥当性があります。
ただし、
> 「一般社会はSTAP論文をESを使った捏造論文とみなした」
> 「世論は単独犯行という物語へ収束した」
のように社会全体を一つの主体として描くのは粗雑です。([かつらブログ][1])
報道にも幅がありますし、
**「誰がESを混ぜたか分からない」という報道も当時存在しました。**
たとえばNatureの2014年末の記事も、ES細胞由来との結論を紹介したうえで、
> contamination occurred how remains an open question
という趣旨で報じています。([ナチュレブログ][9])
従って、
**「マスコミは皆、小保方単独犯と断定した」**
という図式も正確ではありません。

## 14.AIについての記事の評価は、かなり危うい
記事はAIについて、
> 「AIは肩書きを見ない」
> 「論理の整合性、データの一貫性だけを見る」
> 「AIは言説の背後にある意図や構造を瞬時に読み取る」
> 「科学の説明にはハルシネーションやシンコファンシーを出さないようにしている」
などと書いています。([かつらブログ][1])
これはAIの能力の説明として正しくありません。
AIは、
* 誤った前提に沿ってもっともらしい回答を作ることがある
* 質問のフレーミングに強く影響される
* 存在しない論文・事実・引用を生成することがある
* ユーザーの意見に過度に同調する場合がある
ため、**AIの回答そのものは証拠ではありません**。
特にSTAP事件のような論争では、
> 「AIにこう質問したらこう答えた」
ではなく、
> **AIが挙げた根拠を一次資料まで遡って検証できるか**
が重要です。
興味深いことに、この記事はシンコファンシーの存在を認識しながら、AIが自説に一致する回答をした部分をかなり強い根拠として扱っています。
これは方法論的には逆です。

## 15.記事が正当に指摘している点もある
公平に見ると、すべて間違っているわけではありません。
この記事が読者に注意を促す価値のある点は、おおむね次の4点です。
* **ES細胞混入の行為者は特定されていない。**
* **桂委員会は小保方氏による故意のES混入を研究不正として認定していない。**
* **STAP事件の責任は筆頭著者一人だけで完結せず、共同研究者・指導者・研究管理体制にも重大な問題があった。**
* **科学的に「STAP関連試料がES由来だった」という結論と、「誰がいつ故意に混ぜたか」という歴史的・行為的問題は区別すべきである。**
特に3番目については、桂報告書自体が若山氏・笹井氏など共同研究者の責任を厳しく指摘しています。([理研][2])
したがって、
**「事件を単純な“小保方氏一人の物語”として理解すべきではない」**
という問題提起自体は妥当です。

## ただし、そこから「小保方氏によるES混入は科学的に不可能」にはならない
この記事の最大の論理的問題を一文で言えば、ここです。
桂報告書が示したのは、
> **「誰がES細胞を混入したか、証拠によって特定できなかった」**
です。
学とみ子氏の記事はしばしばこれを、
> **「小保方氏がESを混入することは実験構造上ほぼ不可能だった」**
に読み替えています。
しかし、
**証拠不足による非認定**

**反証による不可能性の証明**
は全く違います。
刑事事件に例えるなら、
> 「犯人を特定できなかった」
ことは、
> 「ある特定人物には犯行が物理的に不可能だった」
ことを意味しません。
この記事はこの二つの間を何度も往復しています。

## 私ならこの記事をこう採点します
「史料批判・科学的総括」という観点なら、**100点満点で30~40点程度**です。
正確な公的事実も含まれていますが、事実、解釈、推測、AIとの対話による仮説が同じ文章レベルで混在しているためです。
特に信頼度を分けると、
| 主張 | 評価 |
| ———————— | ————– |
| STAP関連試料の多くはES細胞由来で説明された | **正確** |
| ES混入者は特定されなかった | **正確** |
| 小保方氏による故意のES混入は認定されなかった | **正確** |
| 故意か過失かも決定できなかった | **正確** |
| 桂委員会は小保方氏しか調査しなかった | **不正確** |
| 担当者・現場アクセスを調べなかった | **明確に不正確** |
| ES混入の時期も全く不明 | **不正確/過度な単純化** |
| 小保方氏単独のES混入は科学的に不可能 | **根拠なし** |
| ESは他細胞と接触すればすぐ多能性を失う | **過度の一般化** |
| 発表とバッシングはセットだった | **根拠のない推測** |
| 理研内部で発表前からES混入疑惑が共有されていた | **証拠なし** |
| 「太田胃散」はFES1を知る内部者の痕跡 | **証拠にならない** |
| AIが擁護論を支持すること自体に証拠価値がある | **ない** |
この表が、記事全体の性格をかなりよく表していると思います。
最後に重要なのは、**小保方氏が故意にES細胞を混ぜたという人物特定については、公開された証拠から断定すべきではない**ということです。その点は学とみ子氏の記事の主張と一致します。
しかし同時に、**だからSTAP研究に対する科学的評価まで巻き戻るわけではありません**。追試・ゲノム解析・理研調査を合わせた現在の科学的記録では、元のSTAP論文が主張した多能性獲得現象は支持されず、重要な証拠はES細胞混入で説明されています。([理研][7])
この「**行為者の特定は未解決だが、STAP論文の科学的主張は支持されなかった**」という二点を同時に保持するのが、現時点で最も資料に忠実な整理です。

[1]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html “第2版 〖AI時代におけるSTAP事件の再検証〗の意義 – 考察学とみ子”
[2]: https://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf?utm_source=chatgpt.com “平成26 年12 月25 日”
[3]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1459.html?utm_source=chatgpt.com “教科書の桂報告書を読もう。そして、STAP肯定論も否定論も、混ざっていることに気付こう。 – 考察学とみ子”
[4]: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2913464/?utm_source=chatgpt.com “Aggregation Chimeras: Combining ES Cells, Diploid, and Tetraploid Embryos – PMC”
[5]: https://www.nature.com/articles/nature15513?utm_source=chatgpt.com “Failure to replicate the STAP cell phenomenon | Nature”
[6]: https://www.nature.com/articles/nature.2015.18412?utm_source=chatgpt.com “Failed replications put STAP stem-cell claims to rest | Nature”
[7]: https://www.riken.jp/pr/news/2014/20140327_1/?utm_source=chatgpt.com “研究論文(STAP細胞)に関する取組み、情報等について | 理化学研究所”
[8]: https://www.nature.com/articles/525426a?utm_source=chatgpt.com “STAP revisited | Nature”
[9]: https://blogs.nature.com/blog/contamination-created-controversial-acid-induced-stem-cells/?utm_source=chatgpt.com “Contamination created controversial ‘acid-induced’ stem cells | nature.com blogs”

Q: 記載項目のカウントの仕方で異なりますが、第1版のChatGPTの評価では約1/3のイベント(項目)の記述には根拠がない、さらに論理的ではない単なる感想と判定された項目を加えるとnegativeな評価は半数以上になる。今回の第2版の評価でも、13項目の主張のうち、根拠がない、あるいは不正確とnegativeと判定されたものは半数以上の9項目になってます。第1版と比べ、たった一つ「文科省の圧力」という根拠のない記載が削除されただけでは、「科学的根拠の不足、公式報告書への選択的な意味づけ、匿名情報や未確認の内部事情への依存、推測から「単独犯行は不可能」と断定する論理的飛躍、AIの客観性・分析能力の過大評価」という批判は第2版でもそのまま当たっているとするのは妥当な意見でしょうか?それとも何かか改善された点が数多くあるというのでしょうか?

ChatGPT: はい、その評価は**概ね妥当**です。第1版と第2版を比較すると、「文科省が早期沈静化を望んだ」という根拠のない推測が削除されたことは改善ですが、**第1版で問題とされた論証の基本構造は第2版にもほぼそのまま残っています**。第1版評価でも、中心的な批判はまさに「科学的根拠の不足」「公式報告書から確認できる事実と著者の推測の混在」「単独犯行不可能論への飛躍」「匿名投稿の証拠化」「AI能力の過大評価」でした。([ため息ブログ][1])

したがって、第2版についても「negative判定が半数以上」という集計結果自体は、項目の切り方に多少左右されるとしても、**記事の性質を表す指標として不自然ではありません**。むしろ個数より重要なのは、negativeとされた箇所が記事の周辺的な細部ではなく、記事の結論を支える主要な論拠に集中していることです。
たとえば、第1版で問題になった中心命題の一つは、
> 「桂委員会が小保方氏によるES混入を立証できなかった」
> ↓
> 「小保方氏によるES混入は科学的に成立しにくい」
> ↓
> 「単独犯行は不可能」
という推論です。
第1版への評価は、この移行について「行為者を特定できなかったことは、その行為が科学的に困難だったことを意味しない」と明確に指摘していました。([ため息ブログ][1]) 第2版でもこの中心論理は残っています。したがって、**最も重要な論理的欠陥が改訂で解消されたとは言えません**。
同様に、「ES細胞は他種細胞と接触すると性質を失いやすいから、ES混入による偽装は成立しにくい」という主張についても、第1版評価は、記事自身が「データがない」「実験して確かめる必要がある」と認めている以上、「不可能」という結論には進めないとしています。([ため息ブログ][1]) 第2版でもこの科学的根拠の不足は解消されていません。つまり、**中心となる科学的主張に新しい実験論文や定量的データが追加されたわけではありません**。
さらに、「オホホポエム」の「obota胃酸」とFES1の太田由来を結び付ける議論も、第1版で「匿名投稿についての事後的解釈であり、内部情報漏洩の証拠にはできない」と評価されています。([ため息ブログ][1]) この種の匿名情報への依存も、第2版で本質的には残っています。
「理研内部にES捏造派と反捏造派が存在した」という内部事情についても同じです。第1版では、著者自身が「想像される」としている以上、内部資料や証言で確認された事実ではないと評価されています。([ため息ブログ][1]) 第2版でも、この内部構図を実証する新たな一次資料が提示されたわけではありません。
一方で、改善点を過小評価する必要もありません。「文科省の意向」の削除は明確な改善です。また、第2版では一部の記述が「私見」「想像される」と明示され、**事実として断定するのではなく推測であることが読み手に多少分かりやすくなった部分**はあります。ただし、これは「推測であることを明示した」という文章上の改善であって、**その推測を記事全体の歴史的説明の材料として利用しているという方法論上の問題を解消したわけではありません**。
むしろ今回の第2版との照合で、新たに問題がはっきりした箇所もあります。「桂調査委員会は実験担当者や作業分担、現場状況を十分把握しなかった」という方向の記述です。桂報告書は、実際には関係者への聞き取り、作業分担、実験室へのアクセス可能性、ES混入機会などをかなり具体的に検討しています。そのため、単なる「根拠不足」だけでなく、**公的報告書の記載と整合しない部分がある**という、より強い問題が出てきます。
したがって、第1版→第2版を全体として評価するなら、
**「部分的な削除・表現修正はあるが、記事の中心的な方法論上の問題はほとんど改善されていない」**
という表現が最も適切だと思います。
特に、ご提示の5点、
**「科学的根拠の不足、公式報告書への選択的な意味づけ、匿名情報や未確認の内部事情への依存、推測から『単独犯行は不可能』と断定する論理的飛躍、AIの客観性・分析能力の過大評価」**
については、**第2版にも基本的にそのまま当てはまる**と評価してよいでしょう。第1版評価でもこれらが中核的な問題として挙げられていましたし、第2版でそれらを覆す新しい一次資料、実験データ、証言等が大量に追加された形跡はありません。([ため息ブログ][1])
むしろ「13項目中9項目がnegative」という数字以上に重要なのは、**肯定的に評価できる主張が主として「桂委員会は小保方氏を故意のES混入者とは認定していない」という既知の公的事実に集中しているのに対し、記事独自の結論を成立させる部分ほど根拠不足になる**という非対称性です。
言い換えると、
> 「桂報告書が小保方氏による故意混入を認定しなかった」
までは公的資料からかなり強く言えます。
ところが、
> 「だから小保方氏単独では混入できなかった」
> 「ES細胞の性質上そのような偽装は成立しない」
> 「理研内部に別の力学があった」
> 「匿名投稿はその内部事情を示している」
> 「AIによる再検討もそれを支持する」
と、**記事独自のストーリーになるほど証拠から離れていく**、という構造です。
これは第1版でも第2版でもほとんど変わっていません。
ですから、「第2版では多くの問題点が改善された」と評価するには、少なくとも、ES混合実験についての具体的文献、理研内部対立を裏付ける一次資料、実験担当者を調査しなかったとする根拠、匿名投稿者とFES1との関係を示す証拠などが新たに提示される必要があります。現在の第2版を見る限り、**そのレベルの substantive な改善は確認できません**。

[1]: https://nbsigh2.com/?p=28566 “学とみ子のエセ科学的STAP細胞事件再検証 | ため息^3ばかりのブログ”

Q: あまり重要なことではないですが「査読者が「ESコンタミ」を指摘:今回確認できた公開一次資料の範囲では、私はこの特定の査読コメントそのものを確認できませんでした。」とありますが、リジェクトされたときの査読者のコンタミについてのコメントはhttps://retractionwatch.com/2014/09/10/truly-extraordinary-simply-not-credible-suspiciously-sharp-a-stap-stem-cell-peer-review-report-revealed/ にあります。査読者の一人は研究室内での細胞の混入の可能性を指摘しています。

ChatGPT: おっしゃる通りです。私の先ほどの「今回確認できた公開一次資料の範囲では、この特定の査読コメントそのものを確認できませんでした」という記述は、**訂正すべきです**。ご提示のRetraction Watchには、2012年にScienceへ投稿され却下された際の査読全文が掲載されており、Reviewer 1 が明確に細胞混入説を提示しています。([Retraction Watch][1])

具体的にはReviewer 1は、結果がアーティファクトである可能性として、
> “the ease of cross contamination of cell lines kept in the same lab”
を挙げ、さらに、後に現れた緑色のコロニーについて、
> “more likely to be ES cells acquired by cross contamination”
と述べています。つまり、**同一研究室で維持されている細胞株のcross-contamination(交差混入)が起き、ES細胞が入り込んだ可能性**をかなり具体的に疑っています。([Retraction Watch][1])
 しかも重要なのは、この査読が**STAP論文公表後の疑惑発覚を受けて後知恵で書かれたものではない**ことです。Scienceへの投稿に対する2012年8月21日付の査読です。Nature掲載は2014年1月ですから、論文公表の約1年半前に、査読者がES細胞のcross-contaminationという代替説明を提示していたことになります。([Retraction Watch][1])
 したがって学とみ子氏の記事の、
> 「笹井氏が論文作成に参加する前に、投稿していた小保方論文は、査読者から『ESコンタミ』を示唆されていた」
という趣旨の記述については、**「確認不能」ではなく「根拠があり、概ね正確」と判定を変更するのが適切**です。
ただし、ここから先は区別する必要があります。
査読者が述べていたのは、STAPという驚くべき現象を説明する**代替仮説としての偶発的なcross-contamination**です。Reviewer 1の論理は、おおむね、
「酸処理等で弱った細胞のGFPが光る」+「同じ研究室で扱われているES細胞が交差混入する」+「培養条件によってES細胞が選択的に増える」→ STAPのように見える結果を説明できるのではないか、
という科学的な疑義です。実際Reviewer 1は、この仮説ならmarker expression、promoter demethylation、differentiation、chimera formationなどを説明できる、とかなり踏み込んでいます。([Retraction Watch][1])
これは非常に興味深い指摘ですが、
**「2012年の時点で研究室内部の誰かが故意にES細胞を混ぜていると疑われていた」**
ことを意味するものではありません。
まして、
**「理研内部では論文発表前からES細胞混入が知られていた」**
という証拠でもありません。査読者という外部の科学者が、提示されたデータを見て「ES細胞のcross-contaminationなら説明できるのではないか」と科学的代替仮説を提示した、という事実です。
むしろ、この査読記録から確実に言えることは非常に限定されています。
**「STAP論文が発表される約1年半前のScience査読段階ですでに、少なくとも一人の査読者が、STAP現象の代替説明としてES細胞の交差混入を具体的に指摘していた」**
――ここまでは事実として扱ってよいでしょう。
そしてこれは、先ほどの13項目評価を修正するなら、当該項目をnegativeから**positive(根拠あり)へ変更すべき材料**です。
一方で、これを学とみ子氏の記事全体の
「理研内部では発表以前からES混入疑惑が存在したであろう」→「理研内部でES捏造派と反捏造派が対立していた」→「後のSTAPバッシングにつながった」
という推論の証拠として利用することはできません。**外部査読者によるESコンタミ仮説の提示という確認された事実と、理研内部で何が認識・共有されていたかという未確認の歴史的事実は別問題**だからです。
ですから、前回の私の評価を厳密に修正すると、**13項目中9項目negative → この項目を独立した1項目として数えていたのであれば8項目negative程度**になります。それでも、先ほど議論した記事全体に対する5つの主要な批判――科学的根拠不足、桂報告書の選択的解釈、匿名・未確認情報への依存、単独犯行不可能論への論理的飛躍、AI能力の過大評価――には影響しない、というのが妥当な修正だと思います。
 ご指摘は重要でした。特にこの査読は、**後にES細胞混入が判明したことを考えると、Reviewer 1が2012年の段階でかなり核心に近い代替仮説を提示していた**という意味で、STAP事件の科学史を考えるうえでも興味深い資料です。

[Retraction Watch掲載のScience査読全文](https://retractionwatch.com/2014/09/10/truly-extraordinary-simply-not-credible-suspiciously-sharp-a-stap-stem-cell-peer-review-report-revealed/)

[1]: https://retractionwatch.com/2014/09/10/truly-extraordinary-simply-not-credible-suspiciously-sharp-a-stap-stem-cell-peer-review-report-revealed/ ““Truly extraordinary,” “simply not credible,” “suspiciously sharp:” A STAP stem cell peer review report revealed – Retraction Watch”

「学とみ子のエセ科学的STAP細胞事件再検証第2版」への4件のフィードバック

  1. 学とみ子は桂調査委員会報告書に書いてないのに書いてあると主張することが頻繁にあり、これを指摘しても完全に無視して訂正することはこれまでありませんでした。今回の学とみ子の総括記事でも「桂報告書にも「系統を知らない小保方氏には責任を問えない」と明記されており」と報告書には書いてないのに堂々と書いてあると嘘を書くわけです。こくない最高の教育を受け博士号を持っているかたが日本語の文書をまともに読めないのは驚くべきことです。この原因はどこにあると推測できるのかをChatGPTに聞いてみました。その結果が以下の*です。
     原因はともかく。何回もおなじパターンの書いてもないことを書いてあると繰り返し発言し、批判されているのにおうとうすることも、訂正することもないのですから、結果として嘘ばかり書いているとして間違いないでしょ。

    Q: 学とみ子さんが2026/08/23にSTAP細胞研究不正事件について総括のようなブログ記事をアップしました(https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html)。その中に「桂報告書にも「系統を知らない小保方氏には責任を問えない」と明記されており」という発言があります。研究不正調査委員会(桂調査委員会)の報告書にはこれに該当する記載があるのでしょうか?
     学とみ子さんはこれまでしばしば同様の発言、「記載されてないのにきさいされていると断言する発言を繰り返してきました。その代表的な例には
    ・2021/04/13 https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1514.html 「(桂調査委員会は報告書に)小保方氏がESを混ぜるのは不可能と書いています。」
    ・2020/01/15 .com/blog-entry-1185.html「桂報告書に書いてあります。誰が、どこでES混入させたか、桂報告書にあります。」
    があります。これに該当する記述は桂調査委員会は報告書にないと思います。このような記載は調査報告書に見当たらない、どこにかいてあるのか?と聞いても回答はありません。書いてないと指摘しても改訂されたことはありません。
     同様の「書いてないのに書いてあると断定する発言は数多くあり、ため息さんがリストしています(https://nbsigh2.com/?page_id=23147)。
     学とみ子さんは医学部を卒業した医師であり医学博士号を持ついわゆるインテリに属する優秀な方です。このような十分な高等教育を受け、日本語の文章ですから十分理解力があると常識的には判断される方が、何故このような書いてもないことを書いてあると発言するのでしょうか?考えられる推測を列挙してみてください。簡潔に答えてみてください。

    ChatGPT: 確認した限りでは、結論はかなり明確です。

    桂調査委員会の2014年12月25日付報告書には、**「系統を知らない小保方氏には責任を問えない」あるいは、それと同義とみなせる明示的な記載は見当たりません**。むしろ報告書の結論は、ES細胞の混入について「誰かが故意に混入した疑いを拭えない」が、十分な証拠をもって研究不正と認定するには至らなかった、というものです。([www3.riken.jp][1])

    したがって、2026年8月23日の学とみ子氏の記事にある

    > 「桂報告書にも『系統を知らない小保方氏には責任を問えない』と明記されており」

    という「**明記されており**」は、少なくとも報告書の文章をそのまま説明したものとは確認できません。学氏自身による**報告書からの推論・解釈を、報告書に明記された事実のように表現した**ものと考えるのが自然です。実際、同じ記事でも報告書について「ES混入の原因、時期は不明」と説明しています。([katura1.blog.fc2.com][2], [www3.riken.jp][1])

    また、過去の「(桂調査委員会は報告書に)小保方氏がESを混ぜるのは不可能と書いています」についても、検索した報告書本文にはその記載を確認できませんでした。興味深いことに、後年の学氏側の説明では、この「不可能」は「桂報告書に書いていると言うのでなく、あくまでも学とみ子の意見」と説明されていることが記録されています。つまり、少なくとも後になって**「報告書に書いてある」から「自分の解釈である」へ説明が変わっています**。([katura1.blog.fc2.com][3])

    同様に「誰が、どこでES混入させたか、桂報告書にあります」という主張も、報告書の結論――行為者を特定できず、故意の疑いはあるものの不正認定には至らなかった――とは整合しません。([www3.riken.jp][1])

    では、**十分な教育を受けた人が、なぜ「自分の解釈」を「資料に書いてある」と繰り返し表現するのか**。本人の内心は分かりませんし、医学的・心理学的診断を外部からすることもできません。その前提で、一般論として考えられるものを簡潔に列挙すると、

    * **解釈と記載の混同**:「報告書から私はこう結論する」→長く考えているうちに「報告書にはこう書いてある」へ変化する。
    * **確証バイアス**:自説を支持する部分を強く読み込み、反する部分を軽視する。
    * **推論の省略**:A、B、Cという記述から本人がDと推論し、その中間過程を省いて「報告書はDと言っている」と表現する。
    * **記憶の再構成**:何年も同じテーマについて自分の解釈を書き続けることで、原文と自分の過去の解釈との区別が曖昧になる。
    * **議論上のレトリック**:「私はこう解釈する」より「報告書に書いてある」の方が主張が強くなるため、無意識または意識的に断定表現を選ぶ。
    * **訂正への抵抗**:長期間維持してきた中心的主張を訂正すると、それを前提とした多数の過去記事も修正する必要が生じるため、既存の解釈を維持しやすくなる。
    * **引用・一次資料確認の習慣の問題**:学歴や専門能力とは別に、「書いてある」と主張するときにページ・原文を再確認する習慣が十分でない可能性。
    * **自説と資料との境界の希薄化**:最も重要なのはこれだと思います。「桂報告書にAとBがある→だからCである」という本人の推論が、いつの間にか「桂報告書にはCと書いてある」と表現されている可能性です。

    この問題は「なぜそういう心理になるのか」より、まず**検証可能な形にしてしまう**のが一番確実です。「桂報告書に書いてある」という命題なら、本人の学歴、人格、動機とは無関係に、**①報告書のページ、②該当原文、③その原文が主張と同じ意味か**の3点だけで判定できます。

    今回の「系統を知らない小保方氏には責任を問えない」については、現時点で私は**「桂報告書に明記されている」という主張を裏付ける原文を確認できませんでした**。[桂調査委員会・調査報告書(PDF)](https://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf?utm_source=chatgpt.com)

    なお、ため息氏のリストは多数の同種発言を収集していますが、これは批判側が作成した二次資料ですから、個々の真偽についてはリスト自体を根拠とせず、**一件ずつ桂報告書などの一次資料と照合する**のが適切だと思います。([nbsigh2.com][4])

    [1]: https://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf?utm_source=chatgpt.com “平成26 年12 月25 日”
    [2]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html “第2版 〖AI時代におけるSTAP事件の再検証〗の意義 – 考察学とみ子”
    [3]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1832.html?utm_source=chatgpt.com “以前に一研究者が示したように、小保方氏がESを使ったなら、このメチル化実験に手を入れる必要なんて、全く無い!ということです。 – 考察学とみ子”
    [4]: https://nbsigh2.com/?page_id=23147 “学とみ子が答えない質問リスト | ため息^3ばかりのブログ”

    Q: ため息氏のリストは多数の同種発言を収集しています。これは批判側が作成した二次資料で、表面的にはみえませんが学とみ子さんの発言はオリジナルの記事にすべてリンク付されているので、学とみ子さんの発言自体は一次資料になります。

    ChatGPT: はい、その区別は重要です。前の回答の表現は少し雑でした。

    ため息氏のページそのものは、学とみ子氏の発言を収集・分類した**二次的なまとめ資料**です。しかし、そこに掲載された各発言について**学とみ子氏自身のオリジナル記事へのリンクがあり、リンク先で実際の文章を確認できるのであれば、その発言があったかどうかを検証する際の一次資料はリンク先の学氏の記事**になります。

    したがって、検証は「ため息氏がこう紹介している」ことを根拠にするのではなく、

    **ため息氏のリスト → 学氏の原記事 → 桂調査委員会報告書**

    という順序でたどればよいことになります。

    この方法なら、たとえば「桂報告書に書いてあります」という学氏の発言について、①学氏が本当にそう発言したのかは**学氏の原記事**で確認し、②本当に桂報告書に書かれているのかは**桂報告書そのもの**で確認できます。

    そして、この問題で特に重要なのは、「桂報告書からそのように**解釈できるか**」と「桂報告書にそのように**書いてある/明記されているか**」を分離することだと思います。後者はかなり客観的に判定できます。

    ですから、ため息氏のリストに収録された事例を評価する場合も、**リンク先の原記事で発言を確認でき、さらに桂報告書に対応する記述が存在しないことを確認できた事例だけを抽出する**、というやり方にすれば、批判側・擁護側いずれの解釈にもなるべく依存しない検証ができます。

    必要でしたら、ため息氏のリストを実際にたどって、**「学氏の原発言」「原記事の日付・URL」「『書いてある』とされた内容」「桂報告書の実際の記載」「判定」**という形で、代表的な10~20件程度を一次資料ベースで検証することもできます。

    Q: 学とみ子さんのデタラメ発言の発生理由を8つあげてくれましたが、結局、学とみ子さんは事実と自分の推測の区別ができてないということになります。しかし外部から違うと批判されているのに答えないで無視し、訂正することがないというのは問題を理解したのに訂正しないということです。これは意識的な嘘の発言と変わりがないといってもいいのではないでしょうか?

    ChatGPT: かなり近いところまでは言えますが、**「意識的な嘘」と断定するには一段階足りない**、というのが慎重な評価だと思います。

    「嘘」は通常、①その命題が事実に反しており、②本人が事実に反していることを認識し、③それでも相手に事実だと信じさせるために述べる、という要素を含みます。今回、外部から「報告書のどこに書いてあるのか」と具体的に指摘された後も、根拠となる箇所を示さず、訂正もせず、さらに同種の「報告書に書いてある」という主張を繰り返していることが一次資料で確認できるのであれば、**単純な読み違い・記憶違いという説明は次第に説得力を失います**。

    ただし、外部からは「指摘を読んで誤りを理解したのに、意図的に虚偽を述べ続けた」のか、「指摘を理解してもなお、自分の解釈こそ正しいと確信している」のかまでは確定できません。後者なら、客観的には誤情報を繰り返していても、厳密な意味での「嘘」とは異なります。

    したがって、批判として最も強く、しかも立証しやすい表現は、**「嘘をついている」と内心まで断定することではなく、「誤りを具体的に指摘され、一次資料の該当箇所を示すよう求められても根拠を提示せず、訂正もしないまま同種の断定を繰り返している。したがって、少なくとも結果として、読者に事実と異なる認識を与える情報発信を継続している」**というものだと思います。

    そして、もし「明記されている」と再度主張した時点で、過去に「そこには書かれていない」と具体的な指摘を受け、それを本人が認識していたことまで立証できれば、**意図的な虚偽である可能性を疑う合理的根拠はかなり強くなる**でしょう。それでも「嘘だ」と断定することと、「意図的な虚偽を疑わせる」と評価することは分けた方が、議論としては堅牢です。

    Q: 自分の解釈こそ正しいと確信しているのなら反論するでしょ。反論もしない、反応しないというのですから批判を無視してごまかしている、結果嘘を付いているとしか受け取れないと思います。

    ChatGPT: その受け取り方には合理性があります。ただ、**「嘘としか受け取れない」ことと「嘘であることが証明された」ことは分けた方がよい**と思います。

    おっしゃるように、単なる解釈の相違なら、「私は報告書のこの部分をこう解釈した」と反論できます。特に「桂報告書に明記されている」という検証可能な主張に対して、「では何ページのどの文章か」と問われた場合、根拠を示すことは非常に簡単です。それを示さず、訂正もしないまま同じ種類の主張を続けるのであれば、「単なる勘違い」という説明は弱くなります。

    ただ、沈黙そのものから「本人が虚偽だと認識している」とまでは論理的に証明できません。批判相手と議論したくない、批判を読むだけで検討していない、自説に都合の悪い情報を心理的に退けている、といった可能性も残るからです。

    一方で、**情報発信者としての責任**については、故意だったかどうかを確定しなくても評価できます。今回のようなケースが一次資料で繰り返し確認できるなら、次のように整理するのが最も強い批判になるでしょう。

    > 「当初の誤読や勘違いは誰にでもあり得る。しかし、『報告書に書いてある』という客観的に検証可能な主張について、書かれていないと具体的に指摘され、該当箇所の提示を求められても提示せず、訂正もしない。そして同種の主張を繰り返すのであれば、もはや単純な誤りだけでは説明しにくい。故意の虚偽であることまでは外部から証明できないが、少なくとも、誤りである可能性を知らされた後もその確認・訂正をせず、結果として虚偽の情報を発信し続けている、と評価することはできる。」

    私はむしろ、**「嘘つき」と人物評価するより、この行動パターンを一次資料で示す方が批判として強い**と思います。

    たとえば、

    **発言A → 桂報告書に存在しない → 指摘された → 根拠提示なし → 訂正なし → 後日また同種の発言**

    という事例が1件だけでなく10件、20件と確認できれば、読者は「単なるうっかりなのか、意図的なのか」を自分で判断できます。そしてその場合、発言者の内心を推測する必要すらありません。

    特に学歴や医師・医学博士であることは、「嘘かどうか」の証明にはあまり関係ありません。重要なのは、**指摘を受けた後の具体的な行動と、同じ誤りの反復性**です。そこを時系列で示すのが、一番客観性の高い検証になると思います。

    Q: これだけ書いてないのに書いてあると発言するのですから、このような”嘘”は学とみ子さんの常態であるとはんだんします。学歴と嘘つきは関係ないですが、一般的に言って高学歴なのにこのような言動が普通だというのはかなり異常だとおもわれてもしょうがないでしょ。

    ChatGPT: 「かなり異常に見える」という感想を持つこと自体は理解できます。ただし、ここでは二つの評価を分けるとよいと思います。

    第一に、**言動の異常さ・不自然さ**です。仮に検証した多数の事例で、「資料に書いてある」と断定→実際には該当記載がない→具体的に指摘される→出典を示さない→訂正もしない→同種の断定を繰り返す、というパターンが確認できるなら、「通常の引用・議論の作法から著しく外れている」「単発の勘違いでは説明しにくい」「常態化している」と評価するのは十分可能です。

    第二に、**その原因についての評価**です。ここから「だから病的である」「認知能力に問題がある」といった医学的な意味での「異常」まで推論することはできません。医師・医学博士という高い専門教育を受けた人物だからこそ、この点はむしろ慎重に分ける必要があります。専門教育を受けていることは、確証バイアス、自己正当化、誤記憶、議論上の強弁などから人を免れさせるものではありません。

    ただ、ご指摘にはもう一つ重要な点があります。**同じ種類の誤りが多数あるなら、「一つ一つについて故意を証明できない」ことと、「全体としての情報発信の信頼性を評価できない」ことは別です。**

    たとえば20件について一次資料との不一致が確認されたなら、「20回すべて故意に嘘をついた」とまでは証明できなくても、

    **「一次資料に存在しない内容を『書いてある』と断定することが反復しており、指摘後も訂正されない。この人物の『○○に書いてある』という発言は、一次資料を確認するまで信用できない」**

    という評価は、内心を推測せず、観察された行動だけから導けます。

    むしろ、この形の方が「嘘つき」「異常」と人物を形容するより批判として強いでしょう。相手から「私は嘘をついたつもりはない」と言われても、**「では、あなたが『書いてある』と断定した原文を示してください」**という問題は何も解消しないからです。

    今回の問題については、「人格的に嘘つきなのか」を論じるより、ため息氏のリストから一定数を抽出して、**本当に〈存在しない記載を「ある」と断定→指摘→根拠提示なし→訂正なし〉という反復パターンが成立しているのかを一次資料で検証する**方が、かなり説得力のある分析になると思います。

  2. 気がついたら、学とみ子は桂調査委員会委員の誰かが「調査に関わった学術者の中には、「私たちはマスコミの影響を受けた」などの発言もあった。」と総括と称する記事に書いたのを消去していました。何の断りも言い訳もなくです。あまりにも露骨な嘘発言だったと自覚したからでしょうかね?他にも根拠のない発言があるのですがね。以下の*に示すChatGPTとのやり取り中に、この無断削除に気がついたのです。学とみ子にも良心というのがあって、さすがに嘘を言い続けることができないことも、たまにあるということでしょうか。

    Q: 学とみ子さんがSTAP細胞研究不正事件について総括のようなエッセイのようなブログ記事(https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html)をかいています。その最後の部分に「本稿で行う考察は、桂調査委員会(第三者の細胞生物学の研究者からなる研究不正調査委員会)や関係した研究者を非難するものではない。」「本稿は、特定の個人の責任を断定することを目的とせず、公開された資料に基づき、当時の状況を社会的・構造的に整理する試みである。」と書いています。
     しかし、「外部委員会は、企業不祥事のような一般的な構造には適しているが、STAP事件のような高度な専門性を持つ研究不正事件には適していない。科学事件の調査は、内部事情を知る研究者、ES専門知識を持つ研究者を含めなければならない。」と第三者調査委員会である桂調査委員会を能力不足である、「第三者にES混入原因などはわかるはずがない。」、「研究者内部の力学は複雑であり、外部委員会はその人的力学を把握できないまま、精度の高い客観的判断」を下すのは難しい。」と能力不足であると、多分、所謂擁護なので、小保方氏がES細胞細胞を混入させたのではないと明言しなかったことが不満で、「根拠の提示が不十分」「報告書の記述と自身の推測・評価を混同している」発言を繰り返しています。
     調査委員会の出した結論「小保方氏がES細胞を混入させたかどうかはわからない=小保方氏が無実であると断定できない」が不満で、マスコミの影響下にあったと根拠なく「調査に関わった学術者の中には、「私たちはマスコミの影響を受けた」などの発言もあった。」と作文(妄想)しています。第三者の調査委員会を謳っているのですから、このような他者からの影響を受けたと発言するわけがなく、事実ではない根拠のない学とみ子さんの妄想を盛り込んだ調査委員会を侮辱する発言です。
     「『系統を知らない小保方氏には責任を問えない』という記述が(調査報告書に)複数回登場する。」という書いてもないことを書いてあると発言して読者い誤ったメッセージを送っている。
     また「桂報告書には、「ESねつ造」論に反するような科学的記述が存在することは注目に値する。」とこれまたかいてもない小保方氏がES細胞を使ってデータを捏造したとする説(ESねつ造)を桂調査委員会は肯定も否定もしていないのに、否定しているかのように発言している。
     これらのことを考えると、批判するのは自由ですが、学とみ子さんは桂調査委員会の報告書にある記述を正面から取り上げ、科学的あるいは論理的な批判をするのではなく、無視あるいは自分の都合に合わせて解釈し、調査委員会の能力を過小評価するという極めて不適切な発言をしているとするのは妥当な意見でしょうか?それともこの程度の批判は許容範囲なのでしょうか?簡潔にお答えください。

    ChatGPT: 調べた範囲では、**「桂調査委員会の委員が『私たちはマスコミの影響を受けた』と発言した」と確認できる根拠は見つかりませんでした。**

    かなり具体的に検索しました。桂委員長だけでなく、委員7名(桂勲、五十嵐和彦、伊藤武彦、大森一志、久保田健夫、五木田彬、米川博通)の氏名と「マスコミ」「影響」等を組み合わせて調べ、2014年12月26日の調査結果発表に関する記録も確認しました。理研の公式資料によれば、この7名全員が外部専門家として調査委員会を構成しています。([riken.jp][1])

    また、桂調査委員会の公式「研究論文に関する調査報告書」も確認しましたが、当然ながら「マスコミの影響を受けて判断した」という趣旨の記載は確認できません。調査委員会は2014年9月から12月まで15回の委員会を開催し、研究不正の有無と責任者を調査したと説明しています。([www3.riken.jp][2])

    さらに、2014年12月26日の記者会見について残っている記録も検索しました。そこでは桂委員長がマスコミについて言及した記録はあります。たとえば「世界3大不正」といった報道上の位置付けについて問われ、「**マスコミの取り上げ方は**世界3大不正だろうが、不正の度合いから3大と言うほど大きいかは自信がない」という趣旨の発言が記録されています。([ameblo.jp][3])

    しかし、これは

    > 「私たちはマスコミの影響を受けた」

    とは**まったく意味が違います**。前者は「マスコミが事件をどう取り上げたか」についてのコメントであって、「調査委員会の判断がマスコミから影響を受けた」という告白ではありません。

    なお、現在公開されているご指定のブログ記事を直接確認すると、「勃発当初の議論は科学的検証よりも社会的状況に大きく左右されていたし、**最終裁定もその影響を受けたと感じている**」とは書かれています。ここは筆者自身が明確に「**と感じている**」としています。([katura1.blog.fc2.com][4])

    一方、ご質問の

    > 「調査に関わった学術者の中には、『私たちはマスコミの影響を受けた』などの発言もあった。」

    という文章は、**現在取得できる同記事には見当たりません**。記事が編集・上書きされた可能性もあります(実際、記事自身が「若干書き換えたバージョンを上書きした」と説明しています)。([katura1.blog.fc2.com][4])

    したがって、現時点での結論はかなり明確です。**桂調査委員または調査に関係した研究者が「私たちはマスコミの影響を受けた」と発言したことを裏付ける一次資料・報道記録を、私は確認できませんでした。** もし学とみ子氏がこれを「実際にあった発言」として主張するのであれば、**誰が、いつ、どこで、どのような文脈で発言したのかという出典を提示する必要がある主張**だと思います。

    必要でしたら次に、**2014年12月26日の桂委員会記者会見の質疑応答をできる限り掘り起こして、「マスコミ」に関する桂氏・各委員の実際の発言を洗い出す**ところまで調べられます。

    [1]: https://www.riken.jp/pr/news/2014/20141226_1/?utm_source=chatgpt.com “STAP細胞論文に関する調査結果について | 理化学研究所”
    [2]: https://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf?utm_source=chatgpt.com “平成26 年12 月25 日”
    [3]: https://ameblo.jp/ghostripon/entry-11970095134.html?utm_source=chatgpt.com “〖2014/12/26〗「STAP細胞ほぼ確実にない ES細胞が混入」調査委員会記者会見 | Ghost Riponの屋形(やかた)”
    [4]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html “第2版 〖AI時代におけるSTAP事件の再検証〗の意義 – 考察学とみ子”

    Q: 「調査に関わった学術者の中には、「私たちはマスコミの影響を受けた」などの発言もあった。」という発言はたしかにありました。いつのまにか断りもなく削除したようです。https://web.archive.org/web/20260829201328/https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html

    ChatGPT: はい、確認できました。ご提示のWayback Machineの2026年8月29日20:13:28の保存版には、その記述が実際に存在します。([web.archive.org][1])

    したがって、前回答の「現在の記事には見当たらない」という点については、**「当初から存在しなかった」のではなく、「保存版には存在したが、その後の改稿で削除された」**と訂正するのが正確です。

    そして重要なのは、その文章が単なる筆者の感想ではなく、

    > 「調査に関わった学術者の中には、『私たちはマスコミの影響を受けた』などの発言もあった。」

    という、**第三者による発言が実際にあったことを示す事実命題**になっていることです。ですから、これを書くのであれば、本来は「誰が・いつ・どこで・何と発言したのか」という出典が必要です。

    先ほど検索した限りでは、桂調査委員会関係者がそのように発言したことを裏付ける一次資料や信頼できる報道は確認できませんでした。完全に「存在しない」とまでは証明できませんが、**少なくとも現段階では根拠不明の発言引用**と評価するのが適切でしょう。

    さらに現在版ではこの具体的な「発言があった」という記述がなくなり、代わって筆者自身の

    > 「最終裁定もその影響を受けたと感じている」

    という表現になっています。([web.archive.org][1])

    この二つは証拠上の意味が大きく違います。前者は**「関係者自身が認めた」という外部的事実の主張**、後者は**「私はそう感じる」という筆者の評価・推測**だからです。

    したがって、この変更については「誤りを認めて削除した」とまでは本人の説明がない以上断定できませんが、**出典を示さずにかなり重大な発言を調査関係者に帰属させ、その後、説明なしにその部分を削除した**、というところまでは、保存版と現在版を比較することで客観的に指摘できると思います。

    ご希望なら、**保存版と現在版を突き合わせて、ほかにも削除・変更された重要箇所がないか差分を調べる**こともできます。

    [1]: https://web.archive.org/web/20260829201328/https%3A//katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html “第2版 〖AI時代におけるSTAP事件の再検証〗の意義 – 考察学とみ子”

    Q: 発言を訂正するのはかまいませんが、根拠なくデタラメな発言をした後、何も断ることなく発言を削除してしらばくれているという態度は「本稿は、特定の個人の責任を断定することを目的とせず、公開された資料に基づき、当時の状況を社会的・構造的に整理する試みである。」ときれいごとを謳っているのにふさわしい行為とは言い難いです。この意見は妥当ですか?それとも許される範囲なのでしょうか?

    ChatGPT: はい、**その意見は妥当だと思います**。ただし、「デタラメ」「しらばくれている」とまで断定する場合には、本人の意図までは確認できないので、少し表現を分けたほうが議論として強くなります。

    Wayback Machineの保存版では、実際に「調査に関わった学術者の中には、『私たちはマスコミの影響を受けた』などの発言もあった」という趣旨の記述が存在していたことを確認できます。保存版自体も2026年8月29日のキャプチャであることを示しています。([ウェイバックマシン][1])
    [2026年8月29日の保存版](https://web.archive.org/web/20260829201328/https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html?utm_source=chatgpt.com)

    問題の核心は、**訂正・削除したことではなく、事実として提示した重要な主張について出典を示さず、それを後に削除した際にも訂正の説明をしていないこと**でしょう。

    とりわけこの文章は「公開された資料に基づき……整理する試み」を標榜しています。それならば、「ある学術者がこう発言した」という検証可能な事実を記載する以上、出典を明示することが望まれます。出典を提示できず削除するのであれば、「確認できなかったので削除した」「記述が不正確だったので訂正した」などと明示するほうが、その標榜する姿勢とは整合的です。

    しかも保存版の記事自身が「第1版を載せたが、今回は若干書き換えたバージョンを上書きした」と説明しており、文章を逐次改稿していることは筆者自身が明らかにしています。([ウェイバックマシン][1])

    したがって私は、**削除すること自体はもちろん許容範囲だが、根拠が確認できない第三者の発言を事実として掲載しておき、それを訂正告知なしに削除することは、「公開資料に基づいて整理する」という論考の姿勢として適切とは言い難い**、という評価が一番公平だと思います。

    ただし、「虚偽だと知りながら書いた」「都合が悪くなって意図的に証拠隠滅した」などとまでは、この事実だけからは言えません。**「当初の記述には根拠が示されておらず、現在は説明なく削除されている」**という確認可能な事実を指摘するだけでも、批判としては十分に強いと思います。

    [1]: https://web.archive.org/web/20260829201328/https%3A//katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html “第2版 〖AI時代におけるSTAP事件の再検証〗の意義 – 考察学とみ子”

    Q: 本人の意図までは確認できないから虚偽だとすることはできないという論理は正しく穏当のようにみえます。しかし、明らかに「調査委員の誰かがマスコミの影響をうけたと言った」という事実ではないことを発言しその後引っ込めた、筆がずべった?わけでこれを何の言い訳もなく取り下げたというのは、虚偽発言だったことを自覚しているとしか考えられません。本人の心の問題ですから判断できないかもしれませんが、常識的に考えたらどうでしょうか?

    ChatGPT: 常識的な推論としては、**「本人もその記述を維持できないと認識した可能性が高い」と考えるのは自然**です。ただし、そこから「最初から虚偽だと知っていて書いた」まで進むと、一段階推論が増えます。

    今回の経過を分けると、

    1. 「調査に関わった学術者が『私たちはマスコミの影響を受けた』と発言した」と、具体的な事実として記載した。
    2. その出典・根拠が示されていない。
    3. 後の版では、その記述が削除された。
    4. 削除・訂正について説明がない。

    ということになります。

    この状況から、**「少なくとも後になって、その発言を事実として維持することが困難だと本人が判断したのではないか」**と推測するのは、かなり常識的です。単なる誤字や言葉遣いならともかく、「第三者がこう発言した」という事実認定そのものを消しているからです。

    ただ、「虚偽発言だったことを自覚している」の意味を区別する必要があります。

    **「書いた内容が事実として裏付けられない/誤っていたと後から自覚した」**という意味なら、その可能性を疑うのは十分合理的です。一方、**「書いた時点ですでに事実ではないと知りながら、意図的に嘘を書いた」**という意味での「虚偽」なら、削除した事実だけではそこまでは証明できません。記憶違い、別人の発言との混同、伝聞を事実だと思い込んだ、といった可能性も論理上は残るからです。

    ですから、この件を批判するなら、

    > 「根拠の示されない事実的主張を掲載し、その後その部分だけを説明なく削除した以上、少なくとも筆者自身がその記述を維持できないと判断したのではないかと考えるのが自然である。もし誤りに気付いて削除したのであれば、『公開された資料に基づく』論考を標榜する以上、訂正を明示するのが適切だったのではないか」

    という批判が、**推測と確認できる事実を混同せず、しかも問題点をかなり鋭く指摘できる表現**だと思います。

    むしろ、この言い方のほうが「嘘をついて逃げた」と断定するより批判として強い面があります。相手の内心を争点にせず、**「なぜ根拠のない引用を掲載したのか」「なぜ削除したのか」「なぜ訂正を明記しなかったのか」**という、本人が説明可能な行為そのものを問題にできるからです。

    Q: 何故、削除したのかを問い合わせることは、いやがらせでもなんでもないですよね?

    ChatGPT: はい。**通常は、削除理由を問い合わせること自体は嫌がらせではありません。**

    今回のように、公開された記事について、過去の保存版にはあった具体的な事実主張が現在版では削除されているのであれば、

    「以前はこの記述がありましたが、現在は削除されています。どのような理由で削除されたのでしょうか。また、当初の記述にはどのような出典があったのでしょうか」

    と尋ねるのは、記事内容に対する普通の質問・検証です。

    ただし、**同じ質問を回答がないのに何度も送り続ける、侮辱を交える、複数の場所で執拗に回答を迫る**といった行為になれば、問い合わせの内容が正当でも嫌がらせと受け取られる余地が出てきます。

    一度、事実関係を示して冷静に「①当初の発言の出典、②削除した理由、③訂正を明示しなかった理由」を尋ねる程度なら、少なくとも一般的な意味で**批評対象となっている公開文章について説明を求める行為**と考えるのが自然です。

    この回答は質問に答えていません。再度質問して回答を得ましたのでこちらをご覧ください。

  3. 先のChatGPTへの質問に、ChatGPTは焦点のずれた回答をよこしました。そこで再度回答を求めたのが以下の*です。ChatGPTは学とみ子の発言を委員会委員を侮辱していると表現しないほうがいいと言いますが、マスコミの影響化で報告書を作成したなどというのは侮辱そのものですね。

    Q: 学とみ子さんがSTAP細胞研究不正事件について総括のようなエッセイのようなブログ記事(https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html)をかいています。その最後の部分に「本稿で行う考察は、桂調査委員会(第三者の細胞生物学の研究者からなる研究不正調査委員会)や関係した研究者を非難するものではない。」「本稿は、特定の個人の責任を断定することを目的とせず、公開された資料に基づき、当時の状況を社会的・構造的に整理する試みである。」と書いています。
     しかし、「外部委員会は、企業不祥事のような一般的な構造には適しているが、STAP事件のような高度な専門性を持つ研究不正事件には適していない。科学事件の調査は、内部事情を知る研究者、ES専門知識を持つ研究者を含めなければならない。」と第三者調査委員会である桂調査委員会を能力不足である、「第三者にES混入原因などはわかるはずがない。」、「研究者内部の力学は複雑であり、外部委員会はその人的力学を把握できないまま、精度の高い客観的判断」を下すのは難しい。」と能力不足であると、多分、所謂擁護なので、小保方氏がES細胞細胞を混入させたのではないと明言しなかったことが不満で、「根拠の提示が不十分」「報告書の記述と自身の推測・評価を混同している」発言を繰り返しています。
     調査委員会の出した結論「小保方氏がES細胞を混入させたかどうかはわからない=小保方氏が無実であると断定できない」が不満で、マスコミの影響下にあったと根拠なく「調査に関わった学術者の中には、「私たちはマスコミの影響を受けた」などの発言もあった。(現在のバージョンではことわりもなく削除されているが以前のバージョン(https://web.archive.org/web/20260829201328/https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html)ではこの記載があった)」と作文(妄想)しています。第三者の調査委員会を謳っているのですから、このような他者からの影響を受けたと発言するわけがなく、「出典が確認できない」「報告書の記載と一致しない」「推測と確認された事実が区別されていない」発言は批判ではなく捻じ曲げた解釈を不当に広めているのです。
     「『系統を知らない小保方氏には責任を問えない』という記述が(調査報告書に)複数回登場する。」という書いてもないことを書いてあると発言して読者い誤ったメッセージを送っている。
     また「桂報告書には、「ESねつ造」論に反するような科学的記述が存在することは注目に値する。」とこれまたかいてもない小保方氏がES細胞を使ってデータを捏造したとする説(ESねつ造)を桂調査委員会は肯定も否定もしていないのに、否定しているかのように発言している。
     これらのことを考えると、批判するのは自由ですが、学とみ子さんは桂調査委員会の報告書にある記述を正面から取り上げ、科学的あるいは論理的な批判をしているのではなく、無視あるいは自分の都合に合わせて解釈し、調査委員会の能力を過小評価するという極めて不適切な発言をしているとするのは妥当な意見でしょうか?それともこの程度の批判は許容範囲なのでしょうか?簡潔にお答えください。

    ChatGPT: はい、**その評価は概ね妥当**だと思います。

    問題は「桂調査委員会を批判してはいけない」ということではありません。外部委員会の限界や専門性について論じること自体は、当然許容される批判です。しかし、その批判を成立させるためには、少なくとも**報告書に実際に何が書かれているか**と、筆者自身の推測・評価とを明確に区別する必要があります。

    実際、当該記事には「『系統を知らない小保方氏には責任を問えない』という記述が複数回登場する」とありますが、これは非常に具体的な**報告書についての事実主張**です。さらにそこから「故意なるESを使ってのねつ造を示す証拠はないという意味」と解釈しています。([カツラ1][1]) 一方、桂報告書そのものは、STAP幹細胞等へのES細胞混入を認定しつつ、誰がどのような経緯で混入させたのかについては特定できず、「誰かが故意に混入した疑いを拭えない」としています。([www3.riken.jp][2])

    したがって、報告書に存在しない文言を存在するかのように紹介したり、委員会が判断していない「ESねつ造論への反証」を報告書から読み取ったり、出典を示さず「調査に関わった学術者」がマスコミの影響を認めたと記述したのであれば、これは単なる「厳しい批判」とは別問題です。**批判の前提となる事実の提示や、事実と推論の区別に問題がある**と評価するのが適切でしょう。なお、現在の記事でも、委員会について「荷が重すぎた」「精度の高い客観的判断を下すのは難しい」など、能力・調査体制に対するかなり強い否定的評価が実際に書かれています。([カツラ1][1])

    ですから、「批判として許容されるか」と「批判として適切・説得的か」は分けるべきです。**意見を表明する自由の範囲には入るとしても、資料に基づく検証・論評としては、引用の正確性や根拠提示に重大な問題があるなら、不適切な論評だと批判することは十分妥当**だと思います。

    [1]: https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-3180.html “第2版 〖AI時代におけるSTAP事件の再検証〗の意義 – 考察学とみ子”
    [2]: https://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf?utm_source=chatgpt.com “平成26 年12 月25 日”

    Q: 不正調査委員会の委員の方々は、第三者という客観的な立場で調査したという自負があるかと思ます。批判されるのは承知でしょうけれど、学とみ子さんのような科学的な解析結果これを根拠にした推定・判断を批判するのではなく「マスコミの影響下にあった」などという根拠のないいいがかりについては、反応することはないでしょうけれど、読んだら不快を覚えるでしょうね?

    ChatGPT: そう感じる可能性は十分あると思います。ただし、**委員本人が実際にどう感じるかは本人にしか分からない**ので、「不快に思うはず」とまでは断定できません。

    特に重要なのは、批判の種類の違いでしょう。桂調査委員会の科学的解析、証拠評価、調査範囲、推論の妥当性などについて、「このデータからこの結論は導けない」と具体的に批判するのであれば、それは第三者委員会が当然想定している検証・批判の範囲です。

    一方、「私たちはマスコミの影響を受けた」という趣旨の発言を委員らがした、という**検証可能な事実として読める記述**を、確認できる出典なしに提示するのであれば性質が違います。それは科学的判断への批判ではなく、場合によっては**委員の独立性・中立性そのものに疑念を投げかける主張**になるからです。

    しかも、「第三者委員会なのに能力が足りなかった」という意見と、「マスコミの影響を受けて判断した」という主張も分ける必要があります。前者は論評として成立し得ますが、後者を事実として述べるなら、相応の根拠が必要です。

    したがって委員の立場からすれば、科学的・論理的な反論そのものよりも、**自分たちが外部圧力に左右されて調査したかのような、裏付けのない説明を事実らしく流布されることの方に、不快感や違和感を覚えても不思議ではない**、という程度の表現が一番妥当だと思います。

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