再試験

試験で得点が60点未満は不合格である。平均点が60点になるようにしたら、半分の学生が不合格になってしまう。だから70点台にするような問題を作成するのだ。
平均点が80点でも70点でも60点未満の学生の数は大して変わらない。つまりどうしても、100名いたら5、6名は不都合なのがいるのだ。
で、60点未満は再試験ということになる。再試験は実施しなくてもいいのだが、最初からやらないと宣言しておかないとまずいことになる。ほとんどの科目が実施するからだ。100名の受講者で再試験が50名なんて科目がある。学生のレベルが低いから、教員の求めるレベルが高いから、教え方がわるいから、どれかわからない。最後のせいだろとモンスターペアレントに殴り込まれたらかなわないから、再試験は10名以下になるように、問題の難易度を調節する。下駄を履かせるようなことはしない。下駄の根拠がないからだ。特定の学生を通過させるために下駄の高さを決めたといわれかねない。素点で60点未満は再試験と決めたほうがいい。最低レベルを決めるというのが本来かもしれないが、そんなのは教員の側の勝手な思い込みだからな。
再試験の問題は、1年に30回講義があるから、30問の記述式問題をあらかじめ提示するのだ。1回の講義につき1問というわけだ。人数が少ないから記述式でも、採点が時間的にも公平さについても困難になることはない。この内、5問を実際の問題とする。どれにするかは教えない。2週間の勉強時間を与えるのだ。学生は広い範囲を再学習しなければいけない。結構いいアイデアでしょ。管理者だけのアイデアじゃないけどね。
で実施するのだが、もともとできがよろしくない学生なわけで、その平均点は60点そこそこになってしまう。つまり半分が不合格、来年度、もう一回履修してねということになるのだ。
再試験当日、教室に行くと、学生は30問の自分の作った答えを記述したノートを開き、覚えるのを試みるのか、覚えたのを思い出すのか、再確認なのか、わからないけど読んでいるのだ。そのノートの中身を除くと、ま、貧相だけど、それなりに半分はとれそうなことが書いてある。
実際の回答を見ると、なんと白紙があったりするのだ。なんてこった。聞いたら覚えきれなかったというのだ。生理学なんで、解剖学とちがってひたすら記憶する科目じゃないぜ。単語を筋が通るように並べれば、それなりに、かっこのついた回答になるんだぜ。
せっかくノートに正解が書いてあるのに、回答用紙にはその半分も書いてないというのもある。
こういうノートはワープロでなく手書きにすべきなんだよね。手書きにすると覚えるからね。ワープロで教科書のコピペなんてやるとおぼえられないからね。
管理者の学生時代はコピー機なんて普及していなかったから、カンニングペーパは手書きなのだ。一度、カンニングペーパを作ったことがあるけど、手で書いていたら、全部覚えちゃったので意味がなかった。それ以来カンニングペーパを作るのはやめた。別に、こそこそ見るために小さな文字で書く必要がないからね。
最近は、コピー機で縮小コピーするのだ。だから覚えられない。掃除のおばちゃんが、教室にこんなのが落ちていましたと持ってくるのは、縮小コピーで作ったカンニングペーパの束だったりするのだ。