今年の2月ごろ、狸さんが「言葉のサラダ」という症状を教えてくれた。
統合失調症患者さんに見られる特徴だそうな。
その例の文章として
私のメガネは口紅を塗りながらとてもおいしいです
が挙げられている。つまり主語、述語等の並び方は文法にかなっているが、構成する単語(word)がめちゃめちゃに散りばめられていて理解不能な文章になっている。サラダが複数の食材が詰め込まれて出来上がっているのと同じであるというわけだ。
狸さんは某氏の文章を取り上げ、「言葉のサラダ」で意味不明だと批判しているわけだが、狸さんは精神科医ではないと思うので、この某氏が統合失調症であると言っているわけではない。誤解しないでほしい。
さて、以下の文章はどうだろ?
幹細胞からB細胞への成熟の過程の研究は、STAP細胞は逆方向ではあるが、細胞の分化増殖の研究には、多能性に戻るための研究も並行して進んでいく。
複数の読点で区切られたフレーズ(phrase)から成る文章である。それぞれのフレーズ内の単語の並び方は、”言葉のサラダ”にはなっていない。しかしフレーズを結びつけるものが何もないので全く意味不明の文章になっている。だから「フレーズのサラダ」と呼ぶのがいいだろう。
これを書いた御本人は、”読者が想像力を働かせない”から読めないのだと主張している。しかし、どのような想像力を発揮すると意味のわかる文章になるのだろうか?
当方は精神科医ではないので、この「フレーズのサラダ」を持って、この文章の著者を統合失調症であると言っているわけではない。誤解しないでほしい。
[ 追記 ] 学とみ子はこの記事を読んだあと、大幅に記事を改変してしまった。残念なことに魚拓はない。改変したことについては言い訳すらない。
初めの句点までは肝細胞から成熟細胞の方向を向いているんだけど、次の句点までは反対方向、さらに次でまた元に戻って、最後でまた反対方向。まさにサラダの野菜を混ぜる作業ですね。何を言いたいのかさっぱり判りません。想像すら困難です。学生がこんなの書いてきたら、即座に書き直しを命じます。
こんな文章しかかけない人に学位を与えたのはどこの大学か知りませんが、大学としての責任を問いたくなりますね。
山の住人さん
彼女の年齢から考えると、学部卒業し、卒業時の医局のメンバーとして臨床医を務め、ま、そこそこ年月がたったから博士論文でも書く?ということになり、トレーニングをまともに受けることなしに、御本人がどこまでデータを出したのかわかりませんが(ケース毎にちがうでしょ)医局のサポートがあって論文博士号を取得したんでしょ。同じような経過で博士号を取った素晴らしい人も沢山いるわけで、千葉大医学部の”例外”であってほしいです。
「最後まで、若山氏が小保方氏を擁護していたら、彼はどのようなストリーを展開させてSTAP細胞を守ったであろうか?」なる記事がアップされました。
一見すると、なにやら興味を持たせる仮定の元に話を展開するのかと思いきや、いつものように記事のタイトルと本文が一致せず、この仮説を展開している部分なかなか出てこない。最後の方が、この仮説にについての議論なのかもしれないが、この仮説にしたがった結論が何なのか理解し難い。
で最後の部分は
だそうで、桂委員会の結論に”実験をした本人=論文著者”は異議を唱えていない、つまり、つきつけられた証拠を突き崩していないという事実を認識できないのだろうか?筆頭著者がこれほど不名誉な評価を受けているのに反論しないということは、反論できる事実がないということだとは思わないのだろうか?
ここでパラグラフを変え、”だから”とあるので、”実験をした本人”が反論しないから「ねつ造の解明作業は明らかにはならない」と結論していることになるのだが、女医さんの意見はこれでいいのだろうか?筆頭著者が反論して実験事実を明らかにしないからねつ造の有無あるいは実態・詳細が解明できないという結論としか読み取れない。女医さんとしてこれでいいのだろうか?
ちなみに「ねつ造の解明作業は明らかにはならない」ではなく「ねつ造作業の解明ができない」であって、「解明作業が明らかにならない」というのはおかしい。あるいは「すでに明らかになった一部のねつ造を除いた他の部分にねつ造があったかどうかを解明することができない」なら筋が通ることになる。
この記事では「フレーズのサラダ」と書いたが「センテンスのサラダ」あるいは「パラグラフのサラダ」でもあるので、結局何が主張なのかわからない。
追伸
体内時計さん。「私の読解力で理解するのは難しい」は間違えで「普通の・正常な人の読解力で理解するのは難しい」ですね。
ため息先生
>「私の読解力で理解するのは難しい」は間違えで「普通の・正常な人の読解力で理解するのは難しい」ですね。
学さんは事実を正しく伝えることができない人なのですね。最新の記事でも
>桂報告書には、FI細胞として論文に書かれたOCT入りマウスが見つからないと、まるで、他人事のように、書かれている。
みつからないとか?実験はやられなかったのではないか?などと桂報告書は書いている。なぜ、みつからないのか?を調べるために、桂委員会は、STAP実験者責任者を調べて、実験した当人に聞かなければいけない立場であるはずだ。
と書いていますが、桂報告書を読んでいるにも拘らず、この様な文章を載せられることが不思議で仕方がありません。
報告書25頁には
【若山氏の聞き取り調査から、CAG-GFPを有する129B6F1マウス 以外(論文記載のOct4-GFPの挿入を持つマウスを含む)からFI幹細胞を樹立した記憶は ないことが明らかになった。】
【なお小保方氏への書面調査で、小保方氏はSTAP細胞を作製する際に若山氏から渡され たマウスの遺伝的背景を把握していなかったこと、また、若山氏から(Oct4-GFPを有す る)GOFマウスを渡されたものと思っていたことが明らかになった。】
【本調査委員会では論文に記載されたOct4-GFPが挿入されたFI幹細胞株が作 製された証拠を得ることはできなかった。したがって、LetterFig.2b-e、Fig.3, Extended Data Fig.5、Extended Data Fig.6はOct4-GFPが挿入されたFI幹細胞株ではなく、 Arc-GFP/CAG-GFPが挿入されたFI幹細胞株またはOct4-GFPが挿入されたFI幹細胞株と Arc-GFP/CAG-GFPが挿入されたES細胞FES1の混在サンプルによって作製された可能性が あると判断した。】
と記載されており、何故、それが「OCT入りマウスが見つからない」という解釈になるのか、非常に理解に苦しみます。
STAP問題を正しく理解できていないから、または、何が何でも小保方氏を擁護したいという思いがあるから、あのようなデタラメな記事も書けるのでしょうし、読み手側から批判を受けても平気でいられるのかも知れません。
「恥」という概念がない人に何を言っても無駄なのでしょうね。腹立たしいですが。
Oct3/4-GFP(GOFマウス)でFI幹細胞を作られていると考えていた、主張したのは小保方氏。
しかし、そのCTS1はCAG-GFPを有
する129X1とB6NのF1のはずが、残存試料CTS1の解析から本来あり得ないAcr-GFPが検出された。さらにOct3/4-GFP(GOFマウス)で作られた形跡が全くないので(作ってないので記録がないのは当たり前で、CTS1を使ったものでこれがOct3/4-GFP(GOFマウス)のもの思っていたと言っているのは小保方氏だけ)取り違え等もない。
報告書での判断は『Oct4-GFPが挿入されたFI幹細胞株ではなく、 Arc-GFP/CAG-GFPが挿入されたFI幹細胞株またはOct4-GFPが挿入されたFI幹細胞株とArc-GFP/CAG-GFPが挿入されたES細胞FES1の混在サンプルによって作製された可能性が ある』と記載がある。
『Oct3/4-GFPマウスがない』という話ではなく、そもそも最初から『(試料解析・記録・記憶から)Oct3/4-GFPマウスを使用していない』ということなんですけどね。
>戦う社会に慣れていない小保方氏は、諸事情を考えて訴訟で戦わないと決めましたが、一方で、彼女は “小保方流”で社会にチャレンジをしてきました。
つまり、手記や日記を書いて一般人に無実を訴えたのです。
これが“小保方流”のやり方でした。
だから、日本社会は、今後、第二、第三の“小保方流”チャレンジに期待しています。
https://blogs.yahoo.co.jp/solid_1069/15632463.html
学さんのブログからの引用です。
意味がわからないのですが、「だから、日本社会は、今後、第二、第三の“小保方流”チャレンジに期待」とは何なのでしょうか?「だから」とは?
小保方氏には4つの研究不正が認定され、それを上回る数の疑惑が指摘されています。
しかし、小保方氏は科学でそれに対して反論することはできず、疑惑発覚当初から弁護士を雇い、科学を法の場に変えました。早稲田大学に対してはメディアやHPを通して訴訟をちらつかせましたが、結局それも実現することなく、彼女は一方的に言葉で主張する以外に手段がなかったのです。
しかも、彼女が選んだ手段には、言い訳、責任転嫁、他の研究者への誹謗中傷という卑劣な言葉が乱立されるばかりで、誠実さのかけらもありません。それが学さんの言う〝小保方流”です。
そんな〝小保方流”に対し、一般人は何を期待するというのでしょうか。私も一般人ですが、STAP問題での筆頭著者の一連の言動には強い嫌悪感を持っています。研究不正をし、データを出して責任を取ろうともせず、高価なブランド服を着てグラビアに登場することを選んだ人物の今後に対し、一般人は何を期待しているというのでしょうか?
あまり、一般人を馬鹿にしないでほしいと思います。
学さんは
>科学界が、すでにポストを得た研究者たちに甘いのは仕方ないです。
もう、あきらめましょう。
こう書いています。
科学界はポストを得た研究者に甘いのではありません。
研究不正を行った研究者は小保方氏以外にも多く存在しますが、彼らは厳しく処罰されています。
しかし、手記や日記という手段を使い、一般人に無実を訴える手段を取った研究者を、私は小保方氏以外に知りません。
学さんが何をあきらめるのかは知りませんが、小保方氏が科学的な説明から逃げ、〝小保方流”を繰り返すのであれば、科学界だけではなく、一般社会からも彼女が評価されることは難しいと思います。
体内時計さん
〝小保方流”ねぇ。科学の場で発生した事件を科学の場で解決せず、手記で他人のせいにして(結果としてかもしれないけど)大金を稼ぎ、ん十万円ものおべべを着て対談や週刊誌のグラビアに出るのが〝小保方流”で、これを日本社会あるいは一般人が支持していると言うんですかね。
和戸川純氏とかいう一目惚れジジイの4年前の発言をとりあげて何の意味があるんでしょ?
体内時計さん
自分のアホ、バカっぷりを遺憾なく展示してくれるから「端から見れば喜劇」なんですよ。自分の評価を自分から落としてくれるのだから世話はない。笑って見てればいいのです。まともでない人のやることにいちいち腹を立てていては寿命が縮まるだけ損ですよ。
STAP論文発表会見で、筆頭著者自身が「かわいい女の子」を全面的にアピールしてましたから。ムーミン、お祖母ちゃんから貰った割烹着、ピンクと黄色の研究室、ペットetc。
そしてミニスカートにブーツ、着ているものに全くそぐわないデカくてゴッツいヴィヴィアン・ウエストの指環という具合にね。しかも、理研の公式発表の記者会見という公式の場に全く相応しくない出で立ちでした。そして記者会見では、自分語りはこれでもかこれでもか、すごいでしょと饒舌でしたけど、記者からの質問には答えられず、いちいち笹井先生が引き取ってフォローしていました。(自分の研究なのに何で?)若山先生や笹井先生の協力があってこそできた研究であり有名科学誌に掲載されたはずなのに、両者に対する敬意も感謝の言葉もなく、私が、私がばかりでした。発表会見では、私も疑うことはなくすごいなと感心していましたが、とにかく筆頭著者には違和感ばかりでした。その振舞い、話し方に年齢とかけ離れた幼さを感じて「何だろ、この人?」と思っていました。だから疑惑が発覚したときは、「やっぱり。話が上手すぎたもんね。」という思いでしたよ。
かわいい未熟な女の子が一生懸命にやって大発見をしたというイメージ作戦にはまった人が擁護なんですよね。あの彼女の異様な幼さが彼らの保護したいという気持ちを掻き立てたのだと思います。発表会見時の彼女の30歳という年齢を考えれば、気持ち悪いと私は思いましたけど。彼女は30歳といっても、大学院を卒業して社会に出て間もないので、私が預かった学卒の新入職員と比べてもみましたが、それでもあまりにも彼女の振舞い、話の内容が幼く社会人としておかしいと思いました。
この彼女の「女の子」を前面に出した振舞いが大発見にドラマ性を与え報道にも影響したと思います。そして彼女自身、疑惑が発覚してからもそのイメージ作戦を強化し、科学の議論は徹底的に避けたので、STAP騒動がセクシズムで語られるのはある意味必然なんですよね。でも科学には、ドラマもセクシズムも全く無用なものなんですが。
ため息先生
>科学の場で発生した事件を科学の場で解決せず、手記で他人のせいにして(結果としてかもしれないけど)大金を稼ぎ、ん十万円ものおべべを着て対談や週刊誌のグラビアに出るのが〝小保方流”で、これを日本社会あるいは一般人が支持していると言うんですかね。
他の擁護の方々にも言えることですが、彼女は普通の人と感覚や倫理観が異なっているのでしょうね。
彼らが思い込みや私情で小保方氏を無責任に持ち上げたりしなければ、「データではなく手記で自分の無実を主張」という取り返しがつかない行為をする事も、日記出版、グラビア登場という愚行を重ねることもなかったかも知れません。
擁護の方々の罪の重さを感じます。
>和戸川純氏とかいう一目惚れジジイの4年前の発言をとりあげて何の意味があるんでしょ?
4年前には私も小保方氏を応援したいと思っていました。データを出せないということにも、誰かを庇っているのかも知れない、と考えたこともありました。
しかし、誰かを庇ってデータを出さない人が、手記で誰かのせいにするような卑怯な真似をするはずがありませんよね。
「応援したい」と思う気持ちは、ある意味、恋愛にも通じる部分があり、どうしても盲目的になってしまうのです。
多くの方々は目が覚めたようで、日記の売れ行きもそれを物語っていると思います。和戸川純氏もそうであるといいですね。
アノ姐さん
>この彼女の「女の子」を前面に出した振舞いが大発見にドラマ性を与え報道にも影響したと思います。そして彼女自身、疑惑が発覚してからもそのイメージ作戦を強化し、科学の議論は徹底的に避けたので、STAP騒動がセクシズムで語られるのはある意味必然なんですよね。でも科学には、ドラマもセクシズムも全く無用なものなんですが。
仰る通りですね。
学さんは記事(https://blogs.yahoo.co.jp/solid_1069/15633608.html)に
「謝罪会見での小保方氏に魅せられた」
「小保方氏は、言うまでも無く魅力ある人で、白百合の精と言いたいところである。
若山氏や笹井氏らが、目一杯彼女をサポートしてくれたことが理解できる。
しかし、一方で、小保方氏は直属の上司以外の研究者層からは強い反感をうけるタイプなのだろう。」
こう書いています。
研究不正の謝罪会見に相応しいとは思えないファッションで現れ、科学的な説明が一切されなかった会見のどこに「魅せられた」要素があったのでしょうか。
また、「白百合の精」が何を意味するのか知りませんが、これを挙げて「若山氏や笹井氏らが、目一杯彼女をサポート」したとするのは彼らに対する冒涜だと思います。何故、学さんは科学をどこまでも下世話な視点で語ろうとするのか、本当に読んでいて不愉快になりますし、また「白百合の精」であるなら、どの研究者からも愛されるはずであり、強い反感を受ける理由が見つかりません。あの方の論理は滅茶苦茶です。
因みに、内面が「白百合の精」であるなら、日記で特定される人物を「エイプリルフール」「ヒッポ」「ピーチ姫」と揶揄することはあり得ません。
高額の研究費を使い、捏造し、データを出すこともできず、早稲田大学への不満を延々と述べ、訴訟を示唆し、結局、博論の公開さえもできなかった彼女が選んだ道はグラビアアイドルだったのです。
彼女が生きるためにそうせざる得なかった事情を汲み取り、静かに見守ってあげることが本当に小保方氏を応援することだと思うのですが。
体内時計さん
私は、擁護は利用されたのだと思っています。彼女が手記を出したのは、あくまで彼女の理由だと思います。それは桂調査委員会に対しての反論を理研に封じられてしまったから。ここからは私の推測にすぎませんが。
桂調査委員会の報告の直前に彼女はあっさりと退職願を出して認められました。しかし、それまでの彼女の言動を見ていると、彼女があっさりと退職したのはとても意外に思いました。彼女の理屈からすれば、自ら退職するのは不正認定を受け入れることで耐え難いはずです。だから彼女は退職することなど少しも考えていなかったのではないかしら。ただ、調査委員会には発表された以上の事実を掴まれていたのではないでしょうか?理研としては、ありのままに発表して懲戒処分をしたら、彼女がおとなしく引き下がるとは思えず、石井調査委員会の二の舞になりかねません。ES細胞の混入者を明らかにしたら、当然研究費の返還も問題になります。そうなったら筆頭著者の方も形振り構わず、手段を選ばず抵抗するでしょう。当然訴訟沙汰にもなります。明らかになった事実から、理研が負けることはないにしても、長期間に亘る泥試合を繰り返すことになります。彼女は一年ごとの契約の社員なのでその後の雇用も考えられないので、収入源を断たれた彼女から研究費を取り立てることも現実的ではありません。つまり泥試合をしても理研にメリットはないどころか、STAP騒動を幕引きできなければ、特定法人の指定も遠退くばかりです。だから、彼女の退職を認め研究費の返還を求めない代わりに彼女は調査報告を受け入れるというのが落としどころだったのではないでしょうか?筆頭著者にとっても、今後のことを考えれば、全てを明らかにされるのは好ましくないでしょう。そして桂調査委員会の表現は筆頭著者側の意向を汲んでかなり穏やかなものになったのではないかしら。だから筆頭著者側は桂調査委員会に対して不服申し立てできなかったのでしょう。そしてその不満を手記という形でぶちまけるしかなかったのでは?それに手記は「捏造の科学者」で大宅壮一ノンフィクション賞や科学ジヤーナリスト賞を受賞した須田桃子さんへの対抗心もあったと思います。でも、手記では何でも言えるし、彼女は例によって主張の根拠も示すことができないので、相手にされていないのだと思います。手記に書いてあることを事実だと思って喚いたのは一部の擁護者だけでしたし、むしろ手記は、彼女が不正をするに至った経緯や彼女の心境に関心を持った人たちが手にしたのでよく売れたけれど、手記では何一つ新しい事実が明らかにされた訳でもなく、期待外れでした。だから手記で味を占めた彼女が日記を出版しても、期待されず、思ったほど売れなかったんだと思います。何一つ自分の主張の根拠を示せない筆頭著者側としては、擁護者たちを煽動してそれを背景に理研と対峙するしかなかったわけです。それに利用されたのだと思いますが、未だに擁護者たちはそれに気づいていないのでしょうね。手記の出版のタイミングも、前月の2015年12月にBPOから筆頭著者の事情聴取があり、あとはNHKからの聴取を経て結論というタイミングでしたから、BPOに圧力をかける意味もあったでしょう。しかしこれが却ってBPOを慎重にさせ、手記によって大きくなった擁護の声が沈静化するのを待つうちに、予期せぬ熊本地震が起り、結局BPOの結論は延び延びになり、思った結果に結び付かなかったのだと思います。
アノ姐さん
擁護の方々は記者会見で騙され、日記に取り上げられて舞い上がり、筆頭著者に利用するという意図があったかどうかわかりませんが、結果として著作販売にも利用され、現状は、気がついた方は静かに引っ込んだのに、ごく一部の方のみさわいでいるという状況なんでしょね。
体内時計さん
おっしゃるとおりだと思います。
反論会見では、「若い未熟な女の子が一生懸命無実を訴えている。」というイメージが強く打ち出されました。それに理研の調査が幕引きを急いで中途半端だったことから、理研は都合の悪いことは隠して筆頭著者に全ての責任を負わせてトカゲの尻尾切りをしようとしているという印象を与えてしまいました。ここで「たった ひとりで巨大組織の悪と戦う未熟だけど一生懸命で健気が女の子」という、判官贔屓の日本人の心情にぴったりの構図が出来上がってしまったのです。それで彼女を護ってやりたいと同情が集まったわけです。これが今に至るも信者がいる理由だと思います。でも、日記やグラビアでは、彼女は、科学的な事実を明らかにしたり、研究者に戻るつもりもないということを感じて離れた擁護者も結構いたような感じですね。ヤフーニュースのコメント欄でグラビアに登場したことへの批判が沸き起こったとき、手記のレビユーのように何人もの擁護者が批判者を攻撃するというようなそれまでの光景はなく、批判の声が圧倒的に多くて擁護のコメントはごくわずかになっていましたものね。もう擁護は今までのような影響力を失っていることを象徴しているようでした。だから今残っているのは、このような状況の変化も理解できない、反論会見のイメージに囚われ続けている人だけだと思います。