血が逆流するほどの憤激ーその2

筆頭著者の『婦人公論』5月9日号の日記の「血を逆流させるほどの憤激」について、その2です。半分ぎっくり腰で安静なのでネットで遊んでいるわけです。明日にはよくなるでしょう。
tea*r*akt2さんは「STAP細胞への確信を裏付ける」と解釈しているとしたが、 しかし、その後、J・ワトソンさんが「信頼する事務方幹部が裏では研究費返還請求手続きを進めていた」ことに憤激したのだと」指摘しています。
この事務方幹部の行動についての記述は『婦人公論』の日記にしかないので当ブログ管理人にはわからないのですが、日記に書いてあるんでしょう。
では「あの日」には、この論文投稿代請求の部分についてはどう書いてあるでしょ。p231の最後あたりです。

ネイチャーへの投稿を決めたのはもちろん私ではないし、他の人の不正はわからなかっただけで、単独での支払いを強いることは、私を罰する姿勢を対外的にとることだけが目的であり、その姿勢を貫くことに憤りを覚えた。

とあります。
つまり、婦人公論(2017年4月)に書かれていることから判断するワトソン説は(tea*r*akt2さんも指摘を受けて納得している説で)、一見、親切に対応してくれた事務方の上の方の身分の方(個人)が、裏で返還請求手続きを行っていたという裏切りに対する憤激なのに、ご本人の1年前の記述(2016年1月)では、理研(組織)の方針に対する怒りですね。
「あの日」には憤りについては比較的に冷静な記述に終わっているのに、日記では「血が逆流」とものすごく激しい表現で、怒りの対象も異なりますな。 どっちがホントなんでしょうかね。日記のほうは1年後の加筆の可能性があるから後付で、よく考えたら「あいつはひでー奴だ」と言いたくなったんでしょうかね? しかし、感情の起伏についての表現は確かに目を引くところがありますな。サイエンスに足を突っ込まず、ウソでも成り立つ私小説の世界では活躍ができたかもね。でも社会人としての資質はどちらでも必要だから、別の分野であっても大変でしょうね。
しかし「あの日」では「他の人の不正はわからなかった」と不正は共同研究者が行ったと堂々と言い放つのはどういう神経なんでしょね。この場合、どう考えても「他の人」とは”あの人”しかいないわけですね。単に緑に光っただけなのにSTAP細胞はある、データ改変は”あの人”に言われたからやったのだ、自分は不正はしていない、とあくまでも思っているんでしょうね。自分の都合の悪い言動は覚えていられないから、自分では一貫した行動を取っていると思っているんでしょうね。だから他所様から指摘されると、ストレス下なのでなんと答えていいかわからなかった・他人のせいにする・怒り狂うという、すごい人ですな。

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