もういい加減に目を覚ましたら?

筆頭著者はその著書のはじめに擁護の方々のサイトを挙げ謝辞を述べている。これに舞い上がった筆頭著者信者の方々は、そのブログで、記者会見や著作に感涙したことを述べ、桂報告書のあそこがおかしい、MATがないのは不法だ、調査対照のサンプルの保全方法がおかしい、サンプルのラベルがおかしい等々議論し、筆頭著者の反撃を待っているわけだ。しかし、冤罪だ、マスコミ、科学村の掟が悪いといくら述べても、筆頭著者は反撃に出ることはないし、信者の方もクラウド・ファンド等を立ち上げサポートすることも決してない。
手記では、調査委員会に研究実態を示すメール等がありこれを提出しようとしたが取り上げてもらえなかったと書いたわけだが、そのメール等を公開することもない。次の日記でも、事件について、具体的な冤罪であることの証拠を出すわけでもなく、この処置は文科省が絡んでいることを示すメールがあると主張するものの、その根拠となるメールを公開するわけでもない。公開したら、あの小学生夏休み日記なみの驚愕なものになるのかもしれない。手記でも日記でも、匂わせることはするが、その根拠を示すことはなく、博士論文を公開すると宣言したにもかかわらず実施されることはないし、公開しないことについての説明もない。自らも認めた不正行為については、本人の頭の中の思い出すことのない場所に押し込められてしまったので、信者の方々はなんらかの説明あるいは反撃があって欲しいと思うものの、なんら説明されることはない。
筆頭著者は信者の方々に期待を持たせるような著作を書き、そして、素直な信者の方々は、本人からの反撃は何時なのかと淡い期待を持っている。信者の方々は、これからそのような行為がなされることはありそうにないことを、うすうす気がついているが、騙されたとはプライドが許さないからいつまでも、ネチネチとあきらめれない。筆頭著者はすでに科学の世界で生きることはあきらめたように思えるのだが、そうだとするとこれは筆頭著者だけではなく、信者の敗北にもなるから、これまでいきり立って走ってきた信者にとっては許せないのだろう。
信者の方のブログ等は、もはやそこにあるだけで、活動があるのは、認識力に問題のある方のブログだけで、ここには”アンチ”と信者が呼ぶ方々が、それは間違いですとコメントするから活動があるように見えるだけで、何ら進展があるとは思えない。”アンチ”の方々が諦めてコメントしなければ、説得力のないブログなので静かに沈殿するであろう。もう一つの特許に期待を寄せているブログもある。しかし、もはやSTAPとは言えない特許申請になってしまったのを自覚していても、口が裂けても騙された、諦めたと言うわけにはいかず、困っているのではないだろうか。その他のいわゆる擁護のブログ・FBでは、あたかも沈みゆく船が最後の泡を水面に解き放つかのような発言があるだけだ。
自沈した信者のブログも過去にあったが、この倒れたブログ主を介抱する運動はまったくなかった。信者は冷たい。
もはや、STAP細胞・STAP幹細胞の存在は証明されていないというのが広く認められている。STAP現象を肯定する研究者を、少なくとも管理人は知らない。そのような研究者がいるのなら教えてほしい。いうまでもなく武田某教授は、奇を衒う発言を生業にしているので除かせてもらう。いや違うあるのだ、ES細胞が混入したが筆頭著者がやったのではない、筆頭著者の部分はすべて成功したのだ、STAP細胞を潰したのは陰謀だ等々の妄想のみ信者の頭上を駆け回っている状況で、STAP現象の証明の見通しは真っ暗としか思えない。
信者の方々には筆頭著者からなんらかの利益があったのだろうか?利益とはほんの一部のゾッキ本を書いた方には金銭的なものだが、その他の多くの散々非難されてきた信者にとっては、さすが筆頭著者、素晴らしい発言だ・行為だ、どうだアンチの奴らはぐうの音もでないだろうと溜飲をさげるような精神的な優越感のことだ。何人かの信者にとってはグラビア写真がそうかもしれないが。
もう騙されたことを認め、夢だったとしてもいいから、あきらめて、ひっそりお引き取りになったらいいのではないかと思うところだ。すでにそういう方もおられるようだからね。
そのうちiPS細胞作成方法とは異なった細胞の初期化の方法が開発されるかもしれない。そしてその方法が幻のSTAP細胞作成方法に類似するかもしれない。しかし、撤回されたSTAP論文が引用されることはないとあきらめ、もし、そのような論文が発表されたときは信者の方々はひっそりと自己満足のお祝いをすればいいのだ。

「もういい加減に目を覚ましたら?」への4件のフィードバック

  1. >手記でも日記でも、匂わせることはするが、その根拠を示すことはなく、博士論文を公開すると宣言したにもかかわらず実施されることはないし、公開しないことについての説明もない。
    日記を知人に借りて読んだのですが、連載版からの大幅な書き換えに唖然としました。
    「辛い、悲しい、死にたい」などの記述は読み飛ばしましたが、石川氏の告発、早稲田大学の博論関連、手記の執筆などを重点的に読んだところ、ざっと比較しただけで70日以上に異なった記述があり、その内、大幅に編集、修正されたと感じた箇所が20日以上ありました。
    例えば、6/21,6/22,6/23の博論のキメラマウスの実験、7/23,7/24の早稲田が要求した博論のデータに関する記述などはかなり書き換えられていますし、また8/22に書かれている「その後、出版社からは音沙汰がなく、手記の話は立ち消えになったようだ」という記述は、連載版には書かれていません。
    その後の、9/1付けの日記には「手記の出版元の候補として、知人の原宿ロールさんから勧められている講談社と」といきなり書かれていますが、これには強い違和感を感じざるを得ませんし(因みに、連載版では「手記の出版元として知人から勧められている講談社と」とあります)、穿った見方をすれば、早稲田から現時点での「不合格メール」が届いたのは8/25とのことですから、その前に出版の話が進んでいた、という印象を持たれたくないのではないか、そのため、8/22の書籍版に「手記の話は立ち消えになったようだ」と付け加えたのではないか、と考えることは不可能ではないはずです。
    また、自身に対する強い被害者意識や、他者に対する恨み、辛み、批判などの感情的な心理描写はかなり柔らかく修正されているおり、例えば、連載版の5/28には、知り合いの人から責められた事について「あなたは私が弱った姿を見せるほどの相手ではない、と心の中で返信」と書かれていますが、書籍版ではその部分は削られ「ひどい扱いをされるのは当然だ、と誰よりも思っているのは、きっと自分自身なのだ」と、全く違うニュアンスに書き換えられています。
    さらに、8/27に書かれた連載版では
    「早稲田から返事のメールが来た。パソコン画面から毒ヘビや狂犬が飛び出してくるよう。あまりに暴力的な文面に起き上がれなくなった。相手が傷つきすぎて言いかえせないように、コテンパンに叩きのめすことを目的としたような辛辣な雑言。こんなひどいことを言うことができるなんて。これが教授が学生に向かって放つ言葉だなんて。」
    という感情的な記述になっていますが、書籍版では
    「主査から我々の判断が変わることはない、という返事が来た。前回同様、審査の先生たちからのコメントには記名がなく、どのコメントを誰が書いたのかわからない仕組み。(略)このやり取りは議論になっていないし、審査の先生たちには議論をする気もない。(とにかく私を黙らすために詭弁を使って言いくるめようとしていると感じた。(略)」
    とあり、まったく別物の日記となっています。
    雑誌に数ページ掲載されるのと、一冊の書籍とでは大きな差があるのでしょうし、再度リーガルチェックが入ることも、著者が書き直したくなる気持ちもわからなくはありません。それが「日記」という性質から離れても、それでもやむを得ない事情もあるのだと思います。
    しかし、小保方氏は婦人公論に
    「連載では、毎回読みきりにまとめなくてはならないことや、字数制限などの理由で短く言い換えた部分も多かったのですが、書籍には連載で書ききれなかったことを十分に盛り込むことができ、ほぼ本来の私の日記そのものになりました。」
    と書いています。
    連載版と書籍版を比較すれば一目瞭然ですが、これは「(連載は)字数制限などの理由で短く言い換えた」というレベルのものではありません。全てを正直に話すことはできなくとも、何故、「感情的に書いてしまった部分は書き直しました」くらいのことを書けないのでしょうか。
    嘘をつき、誤魔化し、辻褄を合わせようとすると、結局、修正ができなくなるのだと思います。小保方氏のこのような書き方を止めなかった編集者の責任も大きいと思いますが、小保方氏という人は、結局、こういう人なんだと思ったとき、私の中で、STAP事件の辻褄が合ったような気がしました。

  2.  宗教なのであれば、誰も止められないでしょう。
     たとえば「死後の世界は証明されていないのだから、二度と公の場で『ご冥福をお祈りします』とは言うな!」では薄情に見えるでしょう。
     よって、「科学的・論理的な議論をしたいのなら、証明や根拠のない宗教まがいの話を持ち込むな」というまでですな。
     幸福感が薄い地域が比較的宗教心が高く、豊かな地域では宗教心が薄い傾向がある。
     宗教の呪縛から脱出するには、そんなものにはとらわれない心身の豊かさを追求する道を自力で見出していただくしかない。

  3. あいかわらず、概日ちゃんは体内時計さんのストーカーを続けているようですね。 自覚のないストーカーって気持ち悪いですな。
    ところで、信者絶賛の日記本に関してのAERAの記事がYahooニュースに載っているのですが、そのコメント欄が凄いことになってますね。
    「STAP騒動渦中の心境を綴った『小保方晴子日記』 疑惑に答えず同情・誤解させる記述ばかり?〈AERA〉」
    というタイトルのニュースなんですが、、
    今の時点でコメントは1400を超え、そのほとんどが小保方非難の内容のようです。その厳しさたるや、おそらくこのブログで真っ当なコメントを書かれている人達の目から見ても、ちょっと気の毒だと思うのではないかという印象ですね。
    Yahooニュースのコメントは匿名ゆえの偏りがあるかもしれませんが、これだけ圧倒的だと、これが一般人の感覚なのでしょう。
    某擁護ブログなどで自らの科学的知識の欠如を悪びれることなく、自分たちの意見こそ大衆の意見だ一般人の意見だと喚いている信者さんたちは、この事実をどう受け止めるのでしょうかねえ。

  4. Zephyrusさん
    ご心配くださってありがとうございます。
    概日時計さんは、STAPのことを「どうでもいい」「くだらない」と仰っているのに、何故、いつまでも複数のブログをチェックされているのでしょうね。
    しかも、敢えて他人を揶揄するようなHNをつけて、嫌がらせとしか思えないコメントを書き続けていますが、そんなに私に腹が立つなら堂々とこちらのブログに書き込めばいいと思います。でも、それはされないのですよね。
    コメントを拝見する限り、海外在住の研究者のようですが、海外でもそのような卑劣な行為をされているのでしょうか。
    ノフラー氏のブログに書き込んだことを「恥」だと言って怒ってらっしゃいましたが、ご自分がなさっている行為の方がよほど「恥」だと思います。
    因みに、概日時計さんはこちらを覗かれるはずなので、この場をお借りして訂正しておきますが、日記は知人から「借りて」いるのであって「所有」はしていません。私はそう書いています。
    そんなに人を中傷をしたいのであれば、せめて、事実に基づいてなさって下さい。
    >「STAP騒動渦中の心境を綴った『小保方晴子日記』 疑惑に答えず同情・誤解させる記述ばかり?〈AERA〉」
    現時点でコメントは1500を超えていました。
    粥川さんの記事
    「筆者は、研究不正問題を解決するヒントが少しでも得られないかと思って、『あの日』や小保方氏のホームページ、瀬戸内氏との対談、そして『日記』を読んできた。しかしその労力は無駄だった。あるのは科学に詳しくない読者を同情させたり誤解させたりする記述ばかりだ。」
    これは本当にその通りだと思いました。
    小保方氏の著書を読むのは、「熱狂的なファン」だからではなく、彼女の書いたものの中に、この事件を解く鍵が隠されていないか、彼女の言葉の齟齬に、他の研究者を救えるものがないか、そんなことを思いながら読む人も少なくないと思います。
    結局、彼女から発信されたものからは、何一つとして事件を解決するものは示されず、彼女を信じていた方々も彼女に失望し、それがYahooのコメントにも表れているように感じました。
    日記の中に、相澤氏と散歩をするシーンがあるのですが、連載版には「発生学の話を教えてもらった」とあるのに、書籍版では「発生学の話を久しぶりに聞いた」と書き換えられています。
    この書き換えが何故必要だったのかはわかりませんが、研究者としてのプライドからそうしたのであれば、そのプライドをSTAP事件の問題解決に向けてほしかった。科学を科学で解決してほしかった、と思わずにはいられません。

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