4月16日のパーティはありがとうございました。改めてお礼を申し上げます。
いただいた花束はさすがに枯れたので昨日処分しました。十分楽しませていただきました。ただひとつ、四角い花瓶に刺さった赤い薔薇を中心とした花束はまだ元気です。
幹事のK先生。ご苦労さまでした。翌日は、子供の面倒を見る人のいるかみさんの実家にいって、爆睡していたそうです。つかれたでしょうな。おかげさまで楽しい会でした。
料理を楽しむ時間がほとんどなかった。残念。2次会では、管理人より偉い先生方が結構飲んでいました。あまりみたことがないです。3次会では某K教授はメロメロでしたな。何回も同じ事を言っていましたな。管理人のほうは、余疲れませんでした。陽気に幸いだ宴会は、二日酔いもなく翌日に響きません。アルコール分解酵素活性がカテコールアミンで高くなるなんて論文どっかにあるかもしれない。
3日3週間3ヶ月
3日すぎるとストレスが減り、3週間経つと様子がわかり、3ヶ月経つともう慣れた場所になる。3週間過ぎた。まだ慣れない。あっちこっちで聞きまくっている。といいつつ、提案書と要望書2通も出してしまった。稟議書という大袈裟なものではないので、提案と要望だ。
この3週間に少なくともkibanは3回落ちた。某先生から、最近不調だな。なんとかしろ。との命令だ。1回目と2回目は連絡があって、なんとかしたが3回目は落雷に伴う停電がきっかけで、なにやら末端のネットワーク機器が不調になったらしい。らしいとうのは、19日の夕方のことで、無理すれば筑波へ往復して修復できないことはないが、連絡があったのが夜10時だからな。ちとかんべんしてもらおう。翌日9時から講義だから、徹夜になりかねない。一人じゃ無理かもしれないからな。というわけでメールでの情報しかない。毎週1回とは高頻度過ぎる。それまではkibanサーバが原因でないのも含めて2、3ヶ月に1回のトラブルだったからな。kibanが原因なのは半年に1回くらいだろ。
退職/転職パーティ
4月16日(土)退職・転職パーティを開催していただきました。大勢の方に参加していただき感謝しております。
さて、帰宅して翌日(当然3次会まであったので深夜帰宅なのでしらふになったのは翌日)会場から持ってきた荷物のなかに、見知らぬ名前のヒトからの電報が。宛先みたら他の人の結婚式の祝電だった。つーことは、管理者への電報もどっかにまぎれているのか?
お礼を言わないといけないんだから、困るよな。
沢山の花束で置くところ、花瓶もない。風呂場においた。水をやるのに便利だ。
参加者はほとんどが基礎医学系関係だから、互いに顔見知り。その中に、異質なおばさんが1人。結構、おもしろかったのでは?
パーティは結婚式そのもの。ビートルズの音楽が鳴るなか係員に付き添われて入場。開会の挨拶(これは仲人挨拶か新郎側の主賓かに相当)、乾杯の音頭(これは普通新婦側の主賓)、電報の披露、花束や記念品の贈答(これは結婚式にはないな)手紙の朗読、主賓の挨拶(これは新郎側の男親に相当)、返りに引き出物を渡し(結婚式では椅子の下に置かれていることが多いな)。
ま、笑い声が絶えないようだったので、よかったです。2時間はあっというまでしたな。
新しい職場は…
新しい職場での新学期が始まった。ここの学生食堂は食券を買う必要がある。食券は学生証・職員証がエディカードになっていて、ここにチャージしないと買えない。12時半頃に学生食堂(これしかない、職員食堂なんかない)に行くと、食券の自動販売機はほとんどが売り切れ表示だ。
翌日、12時ちょっと前に行ったら、またもや売り切れだ。講義は12時10分に終わるはずなのに…
顔見知りの上級生をとっ捕まえて、どういうことだ?ときいたら、食堂が用意する食材はぎりぎりなので、すぐ売り切れる。だから学生は1時限目が終わったらその時点で食券を買うんだそうな。とほほ。
大学にの近くに食堂はなく、歩いて5分くらいのところに7-11があるだけの田舎なのだ。弁当持参の学生が多いのもうなずける。蕎麦を注文したら、蕎麦色のうどんだからな。
職員、学生、そうじのおばちゃんまで、礼儀正しい。だから廊下を歩くと挨拶ばかりだ。ここまでは、ま、いいでしょ。しかし、電話の最初の掛け声は「おつかれさまです」だ。なんてこった。違和感があるなぁ~。
支給される経費がまだ使えない。5月くらいになるらしい。プリンタがない。というわけで、事務とか、あちこち掛け合って、絶対、退職した教員がプリンタを置いて行ったにちがいないので、古くてもいいからよこせ、と言ったら、出てきた。まだ新品の複合機。インクも満タン。ずっと使っていいと言われた。が、インクジェットだと維持費が高いので、経費が使えるようになったらレーザーのプリンタを買おう。
新しい職場にも、古い職場から電話がかかってくる。おきまりの「サーバがおかしい」だ。そういうクレームには敏感で、というのもサーバを交換するのができないうちに退職しちゃったからだ。あわててsshでログインしたりしたが問題ない。なんてことはない、その研究室のルータが不調だっただけだ。
またもやkibanが…
退職した日の夜中にkibanがこけた。というのは赴任1日目のところに書いた。
そしたら、本来なら筑波にいるはずの土曜日にまたこけた。9日土曜日は筑波にいるはずだが、赴任先の健康診断がこの日に設定されており、午前中は赴任先、筑波にもどるのは午後3時頃かな~とおもっていたら11時少し前に電話でこけているとの連絡があった。とほほ。高速を使わないと2時間かかる。しょうがない高速使ってなんとか1時間でもどり、再起動。
なんてこった。退職前、kibanがこけることはめったになかったのに。だから安心して、次のサーバへの移行が、地震のため4月にずれ込んでしまっったが、それでもいいと思っていたのに….
赴任2日目以降
4月5日(火)が赴任2日目だ。単身赴任なのでアパートの手続きと、家具付きアパートといえ、なにやら足りないものがあるので、なれない土地をうろうろ。一方通行を無視して走ったり、ごちゃごちゃやってたらおわっちゃったよ。パソコンが使えるようにするのに苦労した。本体にスピーカーがないデスクトップだったのを忘れていて、どうして音がでないのかとなやんだり、モニターとUSB切り替えスイッチがうまく動作しないことを悩んだりしているうちに一日がおわっちゃったよ。パソコンがないと仕事ができない体質になっちゃったから、こういうことになるんだな。メールが山ほどきていたので、対応したら、この日も終わり。
4月6日(水)アパートのガス栓を開けるとかいうので昼頃アパートにもどったり、なんやら原稿を書けという指示に従っているうちに、この日も終わり。またコンビニ夕食だ。アパートの回りの定食屋を開拓する夢もつぶれた。
赴任1日目
さって、数少ないこのblogのリーダーが期待している?新天地?での出来事を記載しよう。
第1日目、つまり4月1日(金)は、9時30分集合であった。指定された場所へいったら、そこは助教のたまり場で、指定時間を過ぎてもなんの案内もない。新任の助教の一人が筑波大学の人間総合の大学院学生であった。博士論文がまだできておらず、就職と論文作成の二股なそうな。同じ研究科なのにあっちは教育関係でD棟を根城にしているので、これまで会ったことはない。指導教員はだれか?とか、人間総合で管理者を知らないのはもぐりだとか話しているうちに、管理者はこっちの部屋です、個室へどうぞと案内された。案内した人は事務員なのか助教なのかいまだよくわからん。
というわけで、指示待ちのときに、医学から電話。kibanがこけた、どうしたらいい?だって。どうやら、31日に皆(副学長とかxx教授とか)で飲んでいるときにkibanがこけちゃって、翌日、朝まで動かなかったようだ。指示して10時頃には回復したようだ。あー、怒られるなとおもっていたら、やはり月曜日に大学にいったら、「爆弾をしかけたな」と怒られた。偶然とはいえ、おかしかった。
予定が変わったので午前中はなにもないと言われた。げ、わたされた予定表では朝から夕方までスケジュールは詰まっているのに。
学生食堂はまだやってない。学外に出てコンビ二で昼食を買って,個室に戻り、冷たいお茶で昼食中に、今度は、何時にあそこに集まれという連絡が電話できた。こっちは自分の電話番号すらしらないのに、他の人はわかっているようだ。
新任教員の紹介だ。全教員100名そこそこなのに、新任が20名はいる。回転が速い職場のようだ。管理者が一番年寄り(当然だな)なのでトップで紹介された。
そのあと辞令交付。学長には面接試験のところで会っているのでこっちは覚えているけど、相手はどうだか。
そのあといきなり学科の会議。なんだかわからんけど、コメントをしてしまった。やばい。仕事が増えるぞ。
予定を大幅にずれて、夜10時に筑波に帰宅。あーしんど。
月曜日は筑波大学での仕事。次期xx長(複数)へ仕事の引き継ぎが十分できていないので、それに追われてあっという間にすぎてしまった。
放射性物質の拡散その2
東電「放射性物質の拡散シミュレーションは困難」
東京電力は24日未明の会見で、福島第1原子力発電所から放射性物質がどの地域まで広がるかを推計するのは難しいとの見解を明らかにした。23日までの会見では「できる限り(推計をして結果を)明らかにする」(広報部)としていた。計算の前提になるデータが現時点ではそろわないため、公表方針を実質的に撤回した。
2011/3/24 2:56 日本経済新聞 のページから。
ちゃんとシミュレーション・ソフトを持っているらしいが、放出された量がわからないからできないとかぐちゃぐちゃ言ってできないそうな。シミュレーションの結果がパニックを起こすをを恐れているからだろうか。
しかし、外国ではさっさとシミュレーションをやっている。フランスのIRSNでは動画になっている。http://www.irsn.fr/EN/news/Pages/201103_seism-in-japan.aspxのpdfファイルに書かれているリンク先http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/animation_doses_corps_entiers_19mars.aspx
このシミュレーションによると関東地方への拡散は15、16日にあった。
東京都新宿区の放射線量は東京都健康安全研究センターが公表している。http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/past_data.html
しかし表だけだ。不親切だ。研究発表で数値だけの表のデータを図示するのは許されない。普通の人は頭の中で数値をグラフ化できないからだ。このデータを元にグラフにすると(縦軸はμGy/h、横軸は一日の平均値で3月1日から23日まで)
だったのでシミュレーションが結構一致している。21日からの増加は、上記のシミュレーションが累積でしか示していないのでわからない。
Norwegian Institute for Air Research (NILU).はノルウェイにある大気汚染をモニターしている研究所でここの http://transport.nilu.no/browser/fpv_fuku?fpp=conccol_I-131_;region=Japan
は、今日の予想しか表示されない。15、16日のシミレーションの結果はわからない。どっちにしろ風向きで変わる。どのシミュレーションでもほとんどが海に向かっている。
東電だってやればいいのに。シミュレーションと実際の測定結果を併記すれば、どのくらいいい予想が当たるのか、いい加減なのかがわかるし、予想が当たらないのならそれなりの判断をするだろうし、当たれば避難する人がでてくるけど、それは東電のせいではないだろう。
在日中の外国人にはパニックになって帰国したり、関西に逃げたりしている。母国での報道が、よその国だから表現がオーバーになるからだ。母国からの連絡でパニックになっちゃうのだ。日本の政府の発表は概ね正確だ。正確にしないとあちこちで計測できる状態だから、意図的に変えることはできない。
筑波の放射線量のモニターは高エネルギー研究所のがわかりやすい。
放射性物質の拡散
Radioactive なヨウ素やセシウムの拡散が大問題で、つくば市はどうほう公園を避難先と指定して、仙台や福島県から避難者が来ていると聞く。
管理者は4月1日から他の大学へ転職するわけで、単身赴任ということで家具付きアパートをさがしていた。地震の前の3月初旬は結構候補があったが、地震のあと忙しくてアパードどころでなかったのだが、ようやく土曜日にレオパレスの支店に行って契約できた。件数がものすごく減っている。避難する人が借りた例が多いらしい。2ヶ月とか3ヶ月という契約者が多いらしい。
で、今日のニュースによる放射性物質拡散のシミレーションだ.「SPEED I は、原発の位置や放出された放射性物質の種類、量や高さ、地形などを元に気象データを踏まえて計算。」とある。
http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY201103230465.html からGoogle Map の地形図をおなじ縮尺にしてみたら。地形より風向きのほうが影響が大きそうだ。いわき市の方へ下がる腕は地形に沿っているように見えるが、川俣町への腕は山越えだ。
地震の5日目からの後片付け
地震のあった日から4日目(火曜日)は、倒れかかった棚をもとにもどしたり、余震でさらに崩れると危険な大型の物品を床に下ろすとかするのを大学院学生さんを動員して直して回りました。エレベータがまだ動かないので物品の廃棄置き場へ移動するのは無理です。
5日目と6日目に、ボランティア(主に大学院学生さん)が手伝ってくれて、廊下にだされた廃棄物品を仮設の廃棄物品置き場に移動しました。なんとか施設に依頼してエレベータ1基を動かしてもらい、ボランティアを2グループに分け、1Fのグループは降りてきた荷物を仮設廃棄物置き場に運ぶ、もうひとつのグループは下の階から順に廃棄物をエレベータに送り込むという手順で廃棄物を処理しました。エレベータはまだ安全確認が行われていないので人は入ってはいけないということになってます。下の階から始めたのは、上層階ほど被害がひどく、各研究室やオフィスから廃棄物がまだすべて出ていないからです。
研究室やオフィスから出された廃棄物をエレベータ前に集め、
エレベータに積み込みます。
掃除の人が勝手に違うフロアでエレベータのスイッチを押すので、混乱。清掃の方にも指示しました。
エレベータに入らない棚は分解する必要があります。
エレベータに乗ってはいけないというのに、この指揮官は乗り込んで働きます。しかし1フロアだけで、くたびれちゃって、途中でお茶を飲みに勝手に休憩に入っちゃいました。その間もボランティアの学生さんはせっせと働きましたよ。あとで、指揮官が戦場の全面に立ってどうすると、私を含め複数の人からおこられていました。
こっちの指揮官は体力に応じて掃除を。
エレベータが降りてきて1Fで受け取った廃棄物は仮置き場に移動。
この写真が廃棄物仮置き場ですが、まだまだ始めのころで、最終的にはこの3倍以上でてきました。
クリーンアップされた実験室側の廊下。
こちらはオフィス側の廊下。
廃棄された文書の山。地震が起こる前から捨てていればいいのに。
会計が手回し良く廃品回収業者を呼び出し、当日に回収してもらいました。トラックその1.
トラックその2.
トラックその3.
右の青い箱も満タンでこれは翌日、クレーンのついたトラックで運びだされました。
会計は、大学の別部署や他の研究所等から同じように廃棄物が出て、回収業者がなかなか来てくれないと思い、手早く手配したのですが、他ではまだ廃棄物を回収する準備ができていないようで、回収業者は依頼の待ち受け状態だったようです。ただし、ガソリンが手に入りにくくなっているので1回にまとめてくれとのことでした。医学はそれだけ素早く後片付けが実施できたということです。
というわけで、地震発生6日目には、大きなごみはすべて廃棄され、あとは各研究室やオフィスの住人が自らの部屋を片付ければいいという状態になりました。電気の復帰も早かったし、上下水道も通じていたしということもあって、大学の中でも復帰が最も早かった部署ではなかたのかと思っていますよ。一致団結とは、このような非常時には必要なものですな。細かなことをぐちゃぐちゃ言う人がいないわけではないけれどもね。ほんの少しの人間だけでさっさと手順を決めちゃったのもよかったです。通常のように、各組織の頭を集めて協議するなんてことやっていたら、このようにはいかなかったのではないかと思っています。