化石燃料を使うのは植物のためになる

中部大学の武田邦彦教授は、以前から人目を引くような意見を述べて楽しんでいるおじいさんで、最近では小保方のコピペのどこが悪いとかいって ひんしゅく を買っている人です。
今度は石油石炭のような化石燃料を使って植物に栄養を供給して何が悪いと言い始めた。
地球ができたころの大気は二酸化炭素で満ち溢れ、この二酸化炭素を餌として植物が進化してきたのだ。ところが、現在では大気の二酸化炭素は0.04%とほとんど無いのに等しい。つまり「植物は餌がなくて苦しんでいるのがわからないのか」というのだ。大昔に炭素化合物として定着した空気中の二酸化炭素を燃やして元にもどして、「息も絶え絶えの植物を救う人間という種がでてきたのは神のなせる技だ」というわけだ。

かつて空気中にあった二酸化炭素を生物が自分の体にして、それが地中に埋まっていたもの・・・石油や石炭・・・を掘り出して、それを燃やし、もとの空気に戻す生物・・・人間・・・をこの世に登場させた。この地球のすべての生物が死に絶える寸前に、二酸化炭素を増やすことができる生物を登場させるのだから、神業であることは確かだ。
今、「二酸化炭素を減らそう」とか「低炭素社会」などと言っている人は、なにを考えているのだろうか?と不思議に思うことがある。お金を中心にものを考える人ならまだしも、環境が大切とか命を守ろうといっている人は植物がこんなに薄い二酸化炭素のもとで呻吟しているのが肌で感じられないのだろうか?

ちなみに、管理者が学生のころは二酸化炭素濃度は 300ppm=0.03% としていたが、最近は400ppm=0.04%のようだ。だんだん増えてきているのは事実だ。
0.03% が急上昇して0.04%に近づいたのは19世紀の産業革命以降の話だ。それまでの、少なくとも恐竜が絶滅した後の6,500万年前から二酸化炭素濃度は減少して現在のの2倍程度で収まっている。つまり武田流にいうと数千万年前から植物は二酸化炭素という餌がなくて呻吟(しんぎん:苦しみうめくこと)しているわけだ。たかだか人間が石炭石油を燃やし始めたのは200年だぜ。人間が過去の固定された炭素を大気にばらまいていることにより植物への餌の供給を生み出しているというのはちと違うんじゃないの?数千年も続いて植物が絶滅したわけじゃない。
数千年前から植物は「薄い二酸化炭素のもとで呻吟している」わけで、たかだか数十年しか生きてこなかった人間個人が、植物の窮状を肌で感じるわけがない。
翌日のブログでは、この主張を引き続き述べている。

かつて空気中にあり、生命を保ってきた二酸化炭素が少しずつ地中に溜まって石油や石炭になってきた。そしてもう少しで空気中の二酸化炭素がなくなって、地球の全ての命の終わりがきそうな時に、人間が登場して地下から石油や石炭を掘り、二酸化炭素に戻して、今、再びいのち輝く地球を取り戻そうとしている。

ま、言いたいこと言ってもあと30年は生きる事ができない人だから、本人はどうでもいいのだろうけど、残された者には深刻だ。いいかげんなことは言わないでほしいね。
二酸化炭素の増加も平均気温の上昇も確実に生じているが、二酸化炭素が原因で地球は温暖化しているのかについては議論があるようだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です