無料だろうと、有料サーバを借りてであろうと、自前サーバだろうとブログを建てたからにはなんらかの目的やポリシーがあり、これを管理する能力が必要なわけだ。作りっぱなしで活動が止まったとしても問題にすることはないけれど、そこに他者からのコメントが許可されていて、当初は自由なコメントがあって意義があったかもしれないが、その後なにもしていないというのは、いかにSTAP事件を端緒に「我が国の「高等教育の問題点」について論じてみたい。」と大上段に振りかぶっても、もはや管理できないのなら、コメント欄を閉じるか廃止すべきだと思う。
当方のブログには当初から大義名分などはなく、自分の思うところを書くのがポリシーで、コメントをいただいて運営しているわけだ。コメントには5Chanではないのでそれなりの節度を求めていて、コメントされる方々も良識のある方ばかりで、特に管理が難しいというようなことは、二人の例外を除いて、ない。
小保方氏擁護なのに擁護のブログから追い出されるような意見などなくただひたすら罵倒するしか能のない方は、自前ブログを持つのでそこでわめけばいい。
もっぱら下着の色にしか興味のない方も、人様のブログで下品な発言を繰り返すのではなく、自前ブログがあるのでそこで自由に好きな色について発言すればいいだろう。
ともに、自前ブログには誰も来ないから人様のブログを利用するわけで情けない。
学とみ子ブログのポリシーはわからないけれど、管理ができないのは、当方のストーカーである擁護の一員が、いつもコメントは無条件に承認されるところ、あるとき承認されたりされなかったりして怒り狂ったことからもわかる。当方は学とみ子ブログにコメントしても、ときたま管理人が承認することはあるが、ほとんどが承認されない。その判断基準はよくわからない。2日前も、いっときは公開したコメントを、記事を書き換えたときに捨てちゃったわけだ。きっとポリシーなど関係なく管理能力がないだけなのだ。
もっともコメント管理が難しいのは、学とみ子の説を支持するコメントがない一方で批判コメントが来るから、これを排除する必要があるからだろうね。いっそのことコメントを廃止すればいいのだが、これまで注目されたことがない初めての人生経験だから、人様がコメントしてくれるのが内容とは関係なくうれしくて、止められないのだろう。
バラ 品種名不明
恐らく例のブログの管理人は放置状態なのでしょう。もともとブログ運営も積極的ではなかったですし。ブランク期間後しばらく記事を書いていたようですが、もう一年以上更新がないところを見るとやる気がなくなったとみてもよいでしょう。
あちらのブログにしても過去に差別的な表現するコメントを承認するなとある擁護の方がコメントされたのに、そのコメントを承認しなかったためにその擁護の方が怒って出て行ってしまったこともありましたが、承認の基準を自分の好き勝手で行っている人は信頼を失ってしまいます。現実でもそのようなことになっているのではと心配してしまいます。
両者の管理人はもう一度ブログの運営について考えてほしいものです。
だから遠近法を言っているんではないよ。透視図法。
透視図法の一部分は遠近法に使うことができるがそれが全てではないですよ。
ものの形を正確に画面上に描く方法ですよ。
イタリアルネサンスは建築や聖像の背景に描かれた室内であったりアーチなどの装飾であったりの形を正確に描写するために透視図法を発達させたんですよ。
これはまた家具や楽器の形を正確に描くことにも使えるし物の大きさや物と物の関係や人と物の関係を正確に描くことも可能にしたんですよ。
ドグマに強制されるとおりに描写するのではなく、世界を自分の目で見て、自分の目が見た通りに芸術の中に再現したい、そのための科学的な方法はあるのだと考えるというのがルネサンス以降の美術を中世までの美術と分かつところです。
その欲求のためにギリシャやローマの彫刻が見直されたり美術解剖学というものも始まったのですね。
人間の目が実際にどのような図形を見ているのかということを、光の軌跡を辿ることで科学的に解き明かしたものが透視図法なんです。
透視図法に従って描くと結果として遠近も表現されるのです。
遠近法と透視図法を区別できないで美術とか中世とルネサンス以降の違いとか語ろうというの?
ペルちゃん本人が透視図法が適用された絵画と適用されていない絵画の区別ができないでルネサンス絵画を語ろうというの?
やめときなさい。笑い者になるだけですよ。
ヒエロニムス・ボスの活躍した時代には、北方ルネサンスはイタリアルネサンスより先行した存在でしたが、ブリューゲルの時代には逆転しています。
ブリューゲルはイタリアに旅行をしており、イタリアルネサンスにふれてきているのですね。バベルの塔を見れば、作図は怪しいが透視図法の原理は理解していることがわかります。だからこそあの巨大な感じが表現できているのですが。
5:18pmのコメント、
宛名部分をコピーするときに落としました。
5:18pmのコメントは一研究者No.3892のぺるちゃん宛です。
澪標さん
澪標さんに「興味深く拝見しております」などと言われるとおっかないですぅ。
世界地図はエルサレムを中心ではなくしたことが鍵だったということなのでしょうか。
みるみる発展を始めた頃の世界地図は、フレームもディテールも素敵で図像として魅力的で、なんとも好きです。神保町で地図フェアだったか、ほぼ原寸大とかいうポスターが売られていたときに何種類も買ってしまいました。
なんか魔術的というか悪魔的というか。
そういえばどこにしまったんだろう?
球体だと知っているのに「エルサレムが中心」の円形に描くという矛盾は中世の地理学者の中ではどう消化されていたんですかねえ。
ねえ、ぺるちゃん。(>3895)
君が自分の目でみた芸術は本物を見るとこんなことがわかるのだ、というお話はいつ始まるの?
きみが書物に書いてあることと自分の目で見たことをすりあわせる能力がないことはよく分かったよ。
この筆者はこの事実を重く見て、ここは軽く判定したなどと分析的に読むことも、自分が使用している用語と筆者が使用している用語は扱っている範囲が違うのではないか?と疑問をもって、調べたりしないということもよく分かりましたよ。
だから、自分の目が見た物のことを早く語れば?ブリューゲルを見て、こういう感動をしたんだ、こういうことを悟ったんだ、こんなことになっているんだぞ画集じゃ分かるまい、と語ってごらんと言ってるんだが?
世の中の定説はこうなっていて、こういう反論があるというお話はだれでも簡単に調べられるんですよ。その定説に収まらないこういうことを見てきた、と語るんだったら意味があるけどねえ、世の中の定説に反対している学者もいるんだぞ、というお話をお話の上手ではないあなたから聞く必要はないんですよ。
>3902
そのくだらないジョークに笑うふりをしてくれるのは、マレー語でどうとかいうジョークを書いてだれ一人くすりともしてもらえなかったニューなんとかいう育毛剤をご愛用の相棒だけだと思いますよ。
数少ない観客だからせいぜいお大事にするんだね。
ぺるちゃんには肝心のお話を語る能力がないようですからもう終わりでいいかな。
ここのブログは芸術鑑賞ブログではないのでいつまでもやっているわけにはいかないので。
まあ、本物を見ましたとかいう思い出話を胸に生きていったらいいでしょ。
3902があまりにくだらないので必要ないと思いアップしませんでしたが、サービスでアップしますか。
>ミケランジェロも法王庁の依頼で、遺跡を発掘させ、ギリシャ彫刻の摸刻等を多数発掘して、法王庁のコレクションしたと同時に、大変な影響を受けた。科学的な追及をしたのではありません。あれ程見事な広義の遠近法を通じていたダ・ヴィンチも、今の小学生が解く数学さえ、一流の数学者の友達に手程を受けたにも拘わらず、理解出来ず悪戦苦闘した故事から見て、その様な数学に基づく投影画法が理解出来ていたかは、大いに疑問ラ思います。ミケランジェロに関してもです。
まず「科学的な追及」ではなく、
「自分の目が見た通りに芸術の中に再現したい、そのための科学的な方法はあるのだと考える」ね。
遠近法ではなく透視図法、というのと同様、まず文章をちゃんと読むところからスタートしたほうがいいと思うよ。人になにかを語れると錯覚するより前に。
ミケランジェロは人体の解剖を実践しているのです。
数式を理解できた画家ばかりではなかったから、透視図法は11世紀には発見されていたにもかかわらずピエロデラフランチェスカが図解してくれるまで透視図法の使い手は数えるほどしかいなかったのですね。
ダヴィンチが透視図法の数式を理解していたことは絵画論、手稿、いくつものエスキースから明らかですが。
定説の反論になるような事例ではないのですね。ぺるちゃんの上げた事例は、きちんと調べていない生煮えの知識でしかないということですよ。
plus99%さん
❶超簡略化すれば
地図:TO図⇒<ポルトラノ、カタラン>⇒フラマウロ⇒メルカトール
器具:アストロラーベ⇒球体アストロラーベ⇒トルクエタム
の流れです
*トルクエタム:ホルバインの「大使たち」で後ろの棚にのっています。
❷エルサレムが世界の中心から外れたのは、イルハン国のマラーゲ天文台が、本初子午線の基準点に選ばれた事が大きく影響しているのではないかと憶測しています。
*カタラン地図・フラマウロ図の本初子午線はマラーゲを通過していますし、朝鮮半島が明らかに巨大化されている「混一疆理歴代国都之図」のソースとなった元代の原図では、本初子午線がマラーゲを通過していたのではないかと憶測しています。
トルクエタム。あれはそういう名前だったのですね。
アンティキテラ島のオーパーツもそういうものですかね。
経緯儀とか六分儀とかの形も訳もなくわくわくして好きですね。
ワクチン副反応です。倦怠感についてご注意ください。
親族(70代男性)から聞いた話です。
・1回目は腕の痛みがあった程度で他の副反応は殆ど無し。
・2回目
接種当日 午前中に接種
接種した腕の痛み以外は違和感は無し。
2日目 勤務無し
朝 38度超の発熱、頭痛 カロナール服薬
夜 36度八分 全身状態良好
3日目 勤務無し
平熱、全身状態良好
夕方入浴後にひどい倦怠感(今まで感じた事が無いレベル。何かをしようと考える事すらできない状態。熱を測る事もできなかった)、食欲無し
倦怠感が出始めた5時間後に軽減。軽く食事を用意し食べる事ができた。
4日目
通常通りの勤務復帰
plus99%さん、澪標さん
とても興味を持って拝読しております。
(それにしてもplus99%さんの明確な言語能力に改めて感服)
学とみ子が追記で当方のコメントに対して反論もどきを行っています。
当方のコメントとは、学とみ子の体内時計さんに対し「人を納得させるノウハウがないのに気が付いてからノウハウを身に着けなさい」という発言に対し、「お笑いですな。学とみ子がそのノウハウを持っているとは思えない、それが証拠に学とみ子説を支持する方がだれもいないではないか。」というものです。
学とみ子はこの当方の批判に対し、この追記で「STAP擁護派の人たちは、学とみ子をデタラメ扱いしていない」と反論したわけです。御冗談でしょ。例えば、学とみ子が「一言居士さんはピカ一です」と褒め称える小保方氏擁護の一人である一言居士氏の発言をhttp://blog.livedoor.jp/pyridoxal_phosphate/archives/83403104.html#comments で「学さん」で検索すると、一言居士氏が学とみ子に同意していないコメントが複数回出てくることから、一言居士氏は「学とみ子をデタラメ扱い」しているのがわかる。
Ooboe氏とか もくれん こと セイヤ は、単に学とみ子ブログのコメント欄を利用しているだけで、学とみ子の意見に同意しているわけではない。もくれんことセイヤは最近は同上のコメント欄で「学ブログに送信すると不正投稿認定される」と発言して、学とみ子に不信感を持ち、ブログの利用もやめたようだ。擁護の方々を含めて学とみ子をデタラメ扱いしていない方とはどなたのことでしょね?
学とみ子曰く:「ため息さんはそれができませんよね。SNP論にも全くタッチできませんよね。」 ← ですから、和モガ氏のSNPの類似度に立脚して、FES1関係の細胞系統図を提案したでしょ。それに対する学とみ子の反応は、こんな図は意味がないという発言だけで、何故意味がないのか等の論理が付随した反論はないですな。感情的な拒否反応だけです。当方の提案した模式図は、xxという事実と合致しない というようなのが科学的な反論なのです。「説明つかないと言うものを、なぜ、学者は示すんですか?」とは、当方の提案した図を理解できていないことを示します。和モガ氏の言う”類似度”なる数値に当方の図では矛盾はないかと思うわけですね。
自分の意見には事実に立脚した論理などないから議論できないわけですね。
学とみ子曰く:「愚考というのは、知識人が自らを謙遜で使う言葉です。」 ← 学とみ子が勝手に決めた定義ですな。知識人しか使ってはいけないなどという定義がどこにあるのでしょ、と愚考する次第です。夏目漱石は猫に「此病気を治す方法は愚考によると只一つある。」と語らせています。猫が知識人なんですね。(漱石が猫になって言わせているなどというツッコミは入れないようにね)
しかし澪標さんのコメントの「ポルトラノ、カタラン、フラマウロ、メルカトール、アストロラーベ、球体アストロラーベ、トルクエタム、イルハン国、マラーゲ天文台」という単語列で、当方が知っているのはメルカトールだけだ。澪標さんの博学には恐れ入りますね。
学とみ子がplus99%さんの遠近法・透視図法の議論について曰く:人間の目は物をどうとらえて、脳内でどう処理するかの医学的問題です。この頃、視覚の機能がまだ解明される前です。人体機能の多くが未解明でした。
人間とは言わず動物の視覚情報処理の分野は他の感覚システムに比べ発展してきた科学分野です。中世に比べてはるかに様々な知識が集積されていますが、それにも関わらず、二次元面に描画された遠近法・透視図法が立体感をもたらす神経機構が解明されたとは誰も言っていません。
例えば、この遠近法・透視図法に関わることで「錯視」という人間の生得的な反応は、多くの方の興味を引きつけ、様々な研究がなされてきたと思います。「錯視のメカニズム」とかでネットで検索すると、数多くの記事や、本が出版されていることがわかります。例えば日本女子大学の教授で、知覚心理学の専門家・竹内 龍人さんへのインタビュー記事があります。
これを読むと「脳は状況に応じてあり得そうな解釈をするんです。」「脳は陰影がついたパターンをできるだけ立体的に解釈しようとする」などという発言がありますが、現象の解釈だけでメカニズムは追求しきれていません。「脳の神経細胞が縦じまに適応してしまっているので横じまに応答しなくなってしまうんです」という発言は、1970年のCooperの有名な論文で、「縦線ばかりの環境で育った子猫の第一次視覚野のニューロンには縦線に応ずるニューロンが多くなる」という50年前の論文のことでしょ(再現性がないという批判もある)。これが科学的な論拠の拠り所ですね。つまり、科学的な視覚の機能—錯視がどうして発生する—は様々な現象が見つかってきてはいるものの、まだまだ未解明だと思うところです。
遠近法・透視図法を編み出した・利用したレオナルド・ダ・ビンチは天才ですが、現在の科学でその錯視のメカニズムが解明されたとは思えません。視覚の機能の様々な面が解明されてきてはいますが、遠近法・透視図法について科学的に解明されたかのような発言はすべきではないですね。
>>遠近法ではなく透視図法、というのと同様、まず文章をちゃんと読むところからスタートしたほうがいいと思うよ。人になにかを語れると錯覚するより前に。
>人間の目は物をどうとらえて、脳内でどう処理するかの医学的問題です。この頃、視覚の機能がまだ解明される前です。人体機能の多くが未解明でした。天才たちは経験的に視機能を考察し、その結果を絵画に表現したのでしょうね。
学とみ子さん
あなたは美術になんかかけらも関心がないんだから首をつっこむと恥ずかしい思いをするだけですよと忠告したでしょ。
脳内の処理なんて次元の問題ではないんですよ。
学とみ子さんにもわかりやすく例えると、「透視図法と遠近法は同じ」というのは「細胞の分裂」と「細胞の増殖」は同じと言っているのと似ているということです。
概念の一部は共有しており一部は違うものも含んでいるということです。だから用語を区別して使いましょうという話でね。
あなたの腰ぐらいの高さのテーブルの自分に近いところに1片10cmの立方体を置く。同じものをテーブルの向こうの端に置くと手前のものより小さく見える。これが遠近法。
ただぼんやり小さくなるではなく、透視図法はどのくらい小さくなるかを定量的に予言することができるのですけどねそれはおいておいて。
再びテーブルの上の立方体に戻って、あなたが立ってこれを見ている時には立方体の上面は平行四辺形にちかい台形に見えている。そこから徐々にしゃがんで行くと見える上面の形は徐々に細長くなり、立方体と同じ高さにまで目を下げると上面はすっかりぺしゃんこになり一本の直線になり、もっと下げると全く見えなくなる。こういう法則が画面の中の各所でどのようにおこるか矛盾なく定量的に予言するのが透視図法です。
高いところにあるものの上の面は見えないなんて言われなくてもわかっていますよね。ごく当たり前のことではないですか。脳内の処理なんて関係ないのです。
中世の画家がそれをきちんと気にして描いているかどうかは画像検索でもして自分で見てください。
「図法」というんですからこうしたことの予言を作図する方法だということなんです。手順を守って作図していくと細かいところまで矛盾なく決定されていきますということです。
たとえば壁にずらりと並んだ窓の窓枠の厚みが全部同じであるきちっとした建築物のように見せるにはそれぞれどのくらいにすればいいかを教えてくれるのです。
背景にかかれた建築物がお金のかかった立派な建築物に見えているかどうかなんて関心がない人には無関係なお話ですねえ。画家にお金を払ってくれるのが、それを気にしない人から気にする人にかわったというのが中世の終わりの一つの現れ方だと思いますね。
ペル丼氏の用語を適切に区別できない思考は学とみ子さんと同種のものですから同病あい憐れむですね。「基礎固め」けけけ。
sighさんのおっしゃる通りですね。
非常に多くの技法を発明したダヴィンチは脳内でどう処理しているのかを考えたのではなく、この当時に実験や作図ができる範囲である、眼球に光線が入る前にどのように振る舞うかを考察したようです。ダヴィンチがどんなことをどんな方法で考察をしたのかはいくつもの手稿やスケッチに見ることができます。
ダヴィンチの残したものは隅から隅まで非常に多数の研究者が群がって調べられて、それは多数の読み物になって知られているわけで、なんにも調べもしないで学とみ子氏やペル丼氏のように「天才の感性」に還元されるに決まってる的な発言は笑われますな。
透視図法はピエロ・デラ・フランチェスカが図解して広まったとわざわざ書いてあげているんだから検索ぐらいして、医学的問題が関係するようなことが論じられているのかどうか調べてからコメントしたらどうかと思うのですよ。
De Prospectiva Pingendiという書物で1474年に書かれたんですよ。
澪標さん
フラマウロ図は図像としては大好きなんです。
昨日から眺めているんですが、フラマウロ図の中心線は確かにメソポタミアとカスピ海のあたりを通過していますしマラーゲ天文台が本初子午線なのかもしれませんねえ。
しかし緯線経線もなくコンパスローズがなんちゃってコンパスローズなんで図全体がどういうコンセプトで整理されたものなんだか・・・
plus99%さん
長くなりますので、私のブログで新たなエントリーをたてますが、簡単に整理すれば、以下のように憶測しています。
①モンゴルウルスの原図は緯度・軽度のグリッド図<ある程度根拠のある推測>
②これを受けてレヴァンドで制作されたユーロアフリカ地図は、イスラーム世界既知のものをモンゴルウルスのグリッド図で補正したもの。<全くの憶測>
③カタラン地図は上記ユーロアフリカ地図の(デチューン版)にポルトラノの知識をはめ込んだもの。<作業仮説>
④フラマウロはユーロアフリカ地図の(デチューン版)を外射図法で再構成したもの
本初子午線情報は②までしか理解されていなかったと推測しています。②のユーロアフリカ図の発見が望み薄ですので揣摩臆測でしかありません。
いずれにせよルネサンス黎明期におけるヨーロッパは途上国です。東方見聞録の別名;驚異の書(Livre des Merveilles )は文字通り捉えるべきものだと思います・
ルネサンス黎明期人の赤ゲット・浅葱裏ぶりを示す一例を添えておきます。
>>・・・愚考いたします。
>愚考というのは、知識人が自らを謙遜で使う言葉です。
>ため息さんがこの言葉を使うと、謙遜ではなくそのままになるので、止めた方が良いと思いますけど・・・。
私もしばしば『愚考いたします』という言い方を使いますが、”知識人”に限定されるとは存じませんでした。
根拠をご教示いただきたいところです。
※「謙遜ではなくそのまま」というのも、理解が及びません。
>相手が知らないとなると。すぐさま、相手をバカにする体制に入る人ばかりです。
>他人をバカにすることが、学びの目的になってしまったら、それは学びとは言えませんね。
https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1565.html
学とみ子 2021年7月12日 20:30頃確認
そうですよ。学とみ子さん。
plusは脳科学など知らないであろうと考えて「すぐさま相手をバカに」しようとしたのが学とみ子さんですよ。
「他人をバカにすることが、学びの目的になってしまったら、それは学びとは言えません」と学とみ子さんは自戒するべきですな。
>学とみ子は、plusさんを、誉めましたよね。脳科学は、plusさんをけなすために持ち出したわけではありません。むしろ、plus思考を誉めるためでした。
はい?
どこがですか?
わからないですねえ。大丈夫ですか?普通に生活するのにも不自由していません?
学とみ子が、plus99%さんの遠近法、透視図法の議論に口をだして
と言いました。
「視覚の機能がまだ解明される前」「レオナルド・ダ・ヴィンチの時代では人体機能の多くが未解明でした」ということで、その後、なにも続いていないので、「現在では解明されている」つまり「この遠近法・透視図法についての視覚情報処理機構は現在では解明されている」と読めます。学とみ子は自分が医師であるから医学的なことは誰より詳しいという奢りがあって、当方等下々にはこのような上から目線で、視覚情報処理についておめーらは知らないだろ、知識を授けてあげるという態度になるのです。
「天才たちは経験的に視機能を考察し」ではないでしょうね。「天才たちは認識機能を考察し」でしょうね。どちらかというと「視機能」は視覚器を含めた低次の視覚情報処理についての言葉で、奥行きとか立体感は認識という高次機能の問題だからです。
そこで当方はこの学とみ子の発言を捉え、二次元面に描画された遠近法・透視図法が立体感をもたらす神経機構が解明されたとは誰も言っていません。…視覚の機能の様々な面が解明されてきてはいますが、遠近法・透視図法について科学的に解明されたかのような発言はすべきではないとコメントしました。
これを読んだ学とみ子は科学的に解明されたなんて、学とみ子は言ってませんね。ダ・ヴィンチの時代より、今は、視機能解明は進んだと言っただけです。と弁解し、さらに「こういうところで医学の素人であることが分かります。ため息さんには、医学的限界という大きな壁を感じることができないのです。」と見当違いの発言を加え、根拠なく誹謗するわけです。
ホントバカですね。自分の発言がどのように捉えられるかを思い馳せたことなどないのでしょうね。
「今は、視機能解明は進んだ」のだから「遠近法・透視図法による描写」は解明されたんだろ?「言っただけ」とはどういうことだ?何らかの関連があるから発言したわけだろ?
「ヒトの視覚情報処理機構の研究が進んだとはいえ、二次元平面に遠近法・透視図法で描写された図から立体感がどのように構築されるのかはまだ明らかになってません。」などという文が続ければいいのさ。医者だなんでも知っているとおごるから、知ったかぶりをするから恥をかくのさ。
当方の上記のコメントに対し、学とみ子は追記で相手(学とみ子)の言い分まで勝手に作り上げ、ため息言い分と同じように言わない学とみ子は、無能者とののしると書いています。
学とみ子が視覚情報処理について持ち出した理由を、当方もplus99%さんもともに「視覚情報処理についておめーらは知らないだろ、知識を授けてあげるという態度になる」、「脳科学など知らないであろうと考えて「すぐさま相手をバカに」しようとした」と発言しています。つまり同じ意味に受け取りました。
決して学とみ子の言い分を勝手に作り上げたわけではありません。学とみ子は自分の発言がどのように解釈されるのかということに何も注意を払っていないからこういうことになるのです。
「人間の目は物をどうとらえて、脳内でどう処理するかの医学的問題です。」と言い出したのは学とみ子です。何が言いたかったのでしょうか?「科学的に解明されたなんて、学とみ子は言ってませんね。」のなら、「脳内の処理」など持ち出さなければよかったのです。Negativeな情報、意味のない情報なのに「脳内」などと言い出したのは、自分の知識をひけらしたかっただけでしょう。しかし、それにも失敗したわけですな。お気の毒。
学とみ子曰く:「何が恥で、何が恥でないかは、ため息さんは分かりません。」
はい。もし当方が、知ったかぶりで知識をひけらかしたのが、あっという間に否定されたとしたら大恥をかいたと思いますが、学とみ子は違うようですな。
「学とみ子は、無能者とののしる」
そんなことを言ってませんよ。嘘つきと言っているのです。
学とみ子に対して自分の知識をひけらかすことに失敗したわけですな。お気の毒。と言ったら、学とみ子は至極お怒りのようです。
当方は凡才なので議論を大事にし、揚げ足取りなどするなとの仰せです。
当方の「ヒトの視覚情報処理機構の研究が進んだとはいえ、二次元平面に遠近法・透視図法で描写された図から立体感がどのように構築されるのかはまだ明らかになってません。」と学とみ子が言えばいいのにという発言が痛くお気に召さなかったようですな。
「ため息さんには説得力が無い!」
「ため息自身に何も基礎知識が無いのです。」
「知的指導者をクリアしておらず、科学議論の主宰は、ため息さんにはハードルが高いです。」
「ため息さんは、エラソな人に見せたいと頑張り過ぎるので、まとめ役を演じることができません。意味ある議論を、次に繋げることができません。結果、議論が宙ぶらりんです。」
こういう根拠のない「お前のカーチャン出べそ」的発言が続くというのは、当方の指摘が正鵠を射たことの証ですな。おほほ。
>周りの人たちから色々な意見を聞いて、参加者が納得する形で場をまとめていく知識人を、ため息さんは演じられません。ため息自身に何も基礎知識が無いのです。
は?「参加者を納得させる」ための議論?
学園祭の出し物や社員旅行の行き先を決めるとか以外には「参加者を納得させる」ための議論というのは不毛なものでしかないですよ。
お役所というところでそういう不毛なことをやっていたので?
学とみ子さんは、議論して何を得ようとしているのかを、いつも見失ってばかりいる人だと思いますな。
ため息氏は生理学については専門家ではないかと思うのですけどねえ。
専門家が専門知識に基づいて「これこれはまだ明らかになっていません」と発言するのにまわりの意見を聞く必要があるとは思えませんが。
ため息氏の意見は学とみ子氏に向けたものですから、それに対して「このように明らかになっているのではありませんか?」と反論するならともかく、「周りの意見を聞いていない」とか意見をまとめる「基礎知識がが無いのです」って言う学とみ子さんはどういう立場で言っているんだか皆目わかりません。指をさして笑うのをこらえるのが大変なぐらいに。
学とみ子さんは、自分の書いていることは根本的におかしいのではないかと、すこし考えたほうがいいと思いますよ。
学とみ子氏の新しい記事
https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1566.html
はっきり言って恥の3度塗り4度塗り。
だから「透視図法」ってなんだか検索すればいいんですよ。学とみ子さん。誰でもできます。小学生でもね。
脳の視覚情報処理とはなんの関係もないということが中学生以上ならわかります。
そういう簡単なことができないのはペル丼氏と学とみ子氏だけで、それをしないで恥をかいても「知らなかったらなぜ悪い」と開き直っている、そういう自分の自堕落さを直視できないダメ人間であるという恥の3度塗りをしているわけです。
知らなくても全然いいんです。知ったかぶりをしなければね。知ったかぶりがばれので「知らなくてなぜ悪い」と開き直ったらバカ扱いされるんですよ。わかるでしょ。
学とみ子は、横で議論されている言葉の意味を知らなかったのに、知っているふりをしてバカ扱いされて、それでもなおその言葉を調べようともせずに、バカと言った人のことを「ばかっていったらじぶんがばか」と小学生のような理屈でけなしているんです、恥の3度塗りです、というのが「透視図法って何?」を自分で調べる能力のある人なら誰でも、学とみ子氏の新しい記事から読みとれることですよ。
>自分自身の勝手な思いつきを正しいとして、他人にも押し付けるようなことを、ため息さんはやってます。
>他人の意見をきくことができない学者は失格だと、学とみ子は言っているのです。
これなんか学とみ子さんは根本的に間違っていると思いますよ。
自分が調べたことや自分が研究したことで意見を決めるのが学者なんじゃあないんですかねえ。
人の意見を聞いてから意見を決めるとか意見を変える人を学者と呼んではいけないんじゃないかと思いますけどねえ。そんな人が述べた「専門家としての意見」になんの意味があるというんでしょうね。その人の専門知識からくる見解じゃなくて、その時たまたま脇にいた素人の意見を採用したのかもしれないなんてね。
ばかでないの?ということですが。
学とみ子さんは、これまでいったいどんな人生過ごしてきたんですかね?
専門家であるため息氏が学とみ子の意見を聞いてくれません、って駄々をこねているんですかぁ?幼稚園児じゃあるまいし。
>今回は、話題になった透視図法は芸術論と科学論がミックスです。
芸術論や歴史論を語る時には、知識の深度や精度の違いはあっても、多くが推論です。
才能ある素人がしっかりした話をすることはあるでしょう。
あいかわらずバカなことを言っておりますな。
科学と科学でないものをミックスするとか、それは似非科学というのですね。発想がすでに科学をかけらもかじったことのない人ですよ。
透視図法がどのようなことを図示できるのかはきちんとした科学です。光の航跡を表した数式を展開したものですと言っているでしょ。
網膜に写る映像はこのようであるはずだという科学なんです。
現代人がテレビや映画で毎日本物か作り物か騙されているCGの基礎になっている数学なんです。
脳がどのような情報処理をするのかもきちんとした科学です。
ただしこの二つの科学を関連付けた研究はまだまだ十分に進んでいないとため息氏は言っているのですね。どこにも芸術論がはいるところはありませんよ。
透視図法は科学ですよと、どのように論じられた科学なのかこれを検索なさったらと書物の名前まで示したのに、調べもせずに、科学ではないものだと断言しているのが学とみ子で、その上科学と科学でないものをミックスして論じるとかいう中学生でもエセ科学であるとわかることを言っているのが学とみ子ですな。
絵画のどれがどの程度透視図法をマスターした画家によるものかは画集に定規を当てれば素人でも簡単に見分けられるのです。ですからどの時代にどこまで理解が進んでいたかは推論の段階ではありません。イタリアルネサンスは描かれた年代がはっきりしている作品も多いですからね。
推論だとか言っている学とみ子は単に何も調べていない人であるというだけです。
科学、という言葉をお使いになるのはやめたらいかがかと思いますよ。
>plusさんが科学を語ると間違えます。視覚は数学とは違い、最後は脳内処理です。
>定規を当てれば誰でも分かるとの主張は、plusさんが得意とする言い方です。初歩の定規当ては独学可能ですが、やはり基礎知識は必要ですし、最後は脳内処理の課題になります。
https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1566.html
学とみ子 2021年7月14日 11:00am頃確認
まだ学とみ子氏は透視図法がなんであるか調べもしないでいい加減なことを書いているのですね。
基礎知識が必要などというけれど、「平行な直線は一点に収束する」「同一平面上の平行線の消失点は同じ直線上に並ぶ」必要な基礎知識はこれだけで十分なんですが。
これだけの考え方をいくつもの方向に展開したものなんですよ。
画面内でこれを正方形と定めれば、市松模様の対角線同士は平行なんですからこれも別の一点に収束することになりますよね。これで平面が規定され、視線に対して任意の角度で斜めに置いた直方体が自在に描けるようになったのですね。全く同じ方法は垂直方向にも適用できますから立方格子が規定できるのですね。今度は斜めに立つ物体や、斜めに切り取った面も自在に描けるようになったのですね。こうやって1点透視、2点透視、3点透視が順次発明されたわけです。
文字通り画集に定規を当ててパースラインをなぞれば、画家がどこまで透視図法に習熟しているか、この時代にはどの段階まで理解されていたか見えるのですが。
何度も書きますが脳内処理なんて関係ないんですよ。眼球に光が入射する手前の話なんですよ。
自分が述べていることが扱っている事象が、どのデータと関係しどのデータとは関係しないのか、適切に区分けする能力がないことは学とみ子さんの特徴です。1290個の30%だとかいう話と同じです。
同じく、知らないことを調べもしないで、知っていることだけでこじつけて説明してしまおうとするのも学とみ子さんの特徴ですな。どっちも科学じゃありませんな。
眼球に入射する前の光線の振る舞いと脳内の処理は関係があるわけがないのですね。
ですからこの領域では厳密に数学で定義されるとおりに振る舞うのです。
脳内処理が関係するのは網膜上の刺激が神経衝撃に変換されたのちの話だけです。誰でもわかる当たり前の話なんですがね。
知りもしないことを想像で語ったことに「科学」というラベルをつけるのはいい加減に笑い者にされるだけであると気づいたらどうでしょうね。
学とみ子さんはおバカですなあ
眼科の先生がこれ読んでがっかりするわけはないでしょ。
目の前の患者の視覚が正常か正常ではないか判定しようというからには正常な場合にはどのように見えているはずだという確固とした物差しを用意する必要があるんですよ。その物差しは眼球の外側に置かなければ意味をなさないのですね。それを見せてこれはどのように見えていますかと患者に尋ねるんですよ。
「水晶体はすでにレンズで生体機能の一部です。」アホかいな。ということですよ。
眼球に光が入る前の段階の光の振る舞いに関して科学が成立しているから、検査器具を作り、検査方法を作ることが可能なんであって、それを用いて検査するから正常な視覚が得られていない時にはどこに問題があるようだと判定できるんです。水晶体の内部の光の挙動の科学が成立しているから水晶体より前の問題だ後の問題だコントロール機能の問題だ神経的なモノだと判定できるんですな。そうやって問題を絞り込んで診断を下すんでしょうが。コンタクトレンズで目に問題が起こって眼科の先生にきちんと説明を受けながら検査を受けて、治療を受けたからよく知っておりますよ。
学とみ子さんのようないい加減な区分けをしていたら眼科のセンセは問題がどこにあるんだか判定できるわけがありませんな。
透視図法というのは完全に眼球の外の問題なんですよ。目に光線が差し込む前の振る舞いを規定している科学の一部です。生体機能は何の関係もありません。
学とみこさんは科学なんてこれっぽっちも理解していない人だとよくわかりますな。
学とみ子は、具体的な事実や根拠を示すことができないまま、当方やplus99%さんを誹謗する、嘘っぱち記事を書いています。
誰も、学とみ子を陥れるために共同して発言はしていませんし、STAP擁護潰しに必死になっていません。学とみ子の被害妄想です。学とみ子の非論理的な発言・嘘・でたらめを批判しているだけなのです。
が学とみ子の主張なわけです。「可能性の高いとされる」などとあたかも第三者である誰かが言っているかのような表現を使っていますが、そのような方は学とみ子以外に聞いたことがありません。極めてずるい卑怯な表現です。他の方も提唱している説だからと正当化したいのですが、学とみ子の妄想・嘘に立脚した説なので、擁護の方々すら誰も学とみ子説についていく方がいないわけです。
「なぜ、その(実験ミス)可能性が高いのか?」と学とみ子が言うわけですが、その”考察”とやらは論理的ではなく、誰も納得しないわけですね。都合の悪い事実をなかったこととして説を構築するから誰もなびかないわけですね。
例えば、酸浴後7日間培養し、小保方氏の手から離れた後、培養して実験を行ったから、その後の期間にES細胞が事故で混入したと主張しているわけですが、学とみ子あるいは擁護の方々の聖書には、小保方氏は若山氏と仔マウスの小保方氏への提供から”STAP細胞”を胞胚期の卵に注入し、仮親の準備までの実験のスケジュール調整したと書いてあると指摘しても、無視するわけですね。
どういう理論でES細胞が意図的に混入されたことが否定されるのでしょ。学とみ子の妄想理論ですからね。専門家は口をつぐむといいたいのでしょうね。専門家が口をつむいだらどんな糸ができるのか、想像し難いですね。こういう、論理もなにもない感情だけでわめくから、擁護を含めた皆さんにバカにされるのですね。「バカ扱いにして楽しむ人たち」を喜ばせないような言動を取るべきだと”愚考”しますね。
「ため息さんは、政府関係者たちとの結構な人脈をお持ちのようだから」:こういう嘘デタラメは止めてほしいですな。政府関係者の知り合いなどいませんからね。
だから? 学とみ子が興味を持つのはいいけれど、だから今回の話題とどんな関係があるの?
これも、私はこんな事も知っている、おめーらは知らないだろということだけなんでしょね。
この後に続く文章も読むのに意味のない感情的な文、愚痴ばかりですな。脳内の視覚情報処理機構は眼科の先生のテリトリーではないようです。多くの眼科の先生の仕事の対象は視覚器ですね。学とみ子は医師なんでしょ?わかってないの?
へ?視機能を勉強したことがある学とみ子でしょうから、二次元平面に描かれた図形、線がどのように立体感をもたらすか、視覚情報処理の機構から解説してちょうだい。
…大学二年の時に受講した「光学」の講義がクッソつまんなかったことを思い出しました。 講義の半分が宮沢賢治ネタで\( ̄0 ̄)/欠伸が出たもんです。
そんな私ですが…今宵…透視図法周辺の歴史を学ぼうとしていたら、直接関係ないかもしれませんけれども…イブン・ハイサムの業績に出くわして感動しております。
■イブン・ハイサム – Wikipedia
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%A0 )
―――
こんな感動は久しぶりでした。
有り難うございます。
【詳報】池袋暴走事故 飯塚被告「踏み間違えた記憶は全くございません」無罪主張 検察は禁錮7年求刑‖東京新聞 TOKYO Web
( https://www.tokyo-np.co.jp/article/116868?rct=national )
――
・絶対に自分の過ちを認めない人
・どんな屁理屈であっても並べて自己正当化する人
・他人や物のせいにする卑怯者
――
筆頭著者とは共通点アリアリだという視点に1票。
――
なぜか知らんが、擁護の皆さんにもこういう気配が濃厚なんだけど。
――
学とみ子さんって進歩がないねえ。
きちんと文脈を読もうねえ。「>自分が使用している用語と筆者が使用している用語は扱っている範囲が違うのではないか?と疑問をもって、」というセリフはどんな文脈で出てきてどんな内容でしたぁ?
日本語がろくに読めない学とみこさんに質問しても無駄だねえ。
ぺるちゃんが何を自慢したかといえば、おれは海外の美術館に行って自分の目で見たんだ、自分の目で見てないplus99%にはネットにある知識を引き写したようなことしか言えないだろう、と自慢したんですな。それでこれこれについて語ってみろと質問をしてきたんですな。
それで答えてあげたわけだ。
そしたら案の定、お前は教科書通りのことしか書けないと宣ったんですな。それで、今度はお前の番だと。自分の見てきたことを語ってみろと言ってやったんですねえ。
学とみ子さんは読んだんでしょ。教科書なんてダメだというペルちゃんは自分の目で見た教科書の記述の枠を超えたスンバラシイことを書いた?
ペルちゃんは自分の目で見たことを一言もかけずに、やはりどっかの本から拾ってきた蘊蓄を並べて、どうだ、教科書にはかいてあるっまいってね。それで書かれちゃったんですよ。
学とみ子は日本語が読めないバカだからしかたがないね。人のけなし方ひとつ見ても知能程度が現れてる。文脈が理解できないから字義そのままの揚げ足取りしかできない。元の文章を読んでみろとしょっ中言われてる。恥のかきっぱなし。
>学とみ子が科学的な説明をしても、デタラメ呼ばわりするのと同じタイプの独断的なplus思考です。
学とみ子の科学的説明って、誰一科学的だと人評価してる人をしりませんが。
学とみ子が書いていることがおかしいので、疑問に思った人からこれを説明してくださいと言われて説明などしたことがないことは随分目撃しましたよ。
説明できないことを持って、幾人もの人からデタラメと評価されているわけです。
plusが独断で評価しているわけではありませんな。
ペルちゃんについても同様ですな。
誰でも簡単に透視図法とはなんであるかなんて調べられますからね。
いまだに透視図法と遠近法の区別がつかないのですな。永久に笑い者になっていても、私は全然平気ですからお好きになさればいいのですよ。
透視図法がなんだか知らずにルネサンス美術が中世絵画がと語る。まあ恥ずかしいことだと想いますな。
ま、それ以前に聞いてくれる人がいるといいですな。
校正ミスです。orz
誤)学とみ子の科学的説明って、誰一科学的だと人評価してる人をしりませんが。
正)学とみ子の科学的説明を、科学的だと評価してる人を誰一人しりませんが。
謹んでお詫びして訂正いたします。
>調べてすぐ分かることで、知識獲得は十分であるとplusさんは言う。
そんなことは一言も言っていないですな。デタラメを書かないようにね。
学とみ子さんが書いていることがデタラメであると判別するには専門知識などいらない、調べればすぐわかることを調べればそれだけでわかってしまうほど、学とみ子の書いていることはお粗末だと言っているだけですね。
学とみ子はこのようにデタラメばかり書いているから「説得力」とか「一皮むける」などと書くと大笑いされますよ。
学とみ子の書くものには説得力なんてかけらもないからですね。人に感心してもらいたければ学とみ子さんは50皮ぐらいむけないといかんのではないかと思いますな。
学とみ子さんの場合にはラッキョウなのでは?
たかがドリンクって。
ドリンクをご馳走になる会ではないと思うのだよなあ。
ある国の元首が外国の元首に夕飯を食いに来なさいと招いたりしているわけですが飯食いに来るわけではないと思うのですね。そういえば、フィンガーボウルのお話で馬鹿を晒した人がいました。
絵画なんて布キレや板キレを石の粉で汚したものですな。
ゲージツ?それおいしいの?と聞かれて言葉につまらないためにはもう少し考えたほうがいいと思う。
母の髪染めの予約が本日でして行き付けの美容室に送り届けてから1時間は久し振りの完全フリータイム。とりあえず夕飯の買い物をしてからローソンに寄り高タンパクヨーグルトを数個購入。
何気なく通りすぎた本棚に
「竜とそばかすの姫」
の小説が。
んー。本日公開の劇場版アニメ「竜とそばかすの姫」の、細田監督が書き下ろした原作小説だと認知。
ついつい購入してしまいました。
で、母を迎えにいってと。
食事や入浴、お薬、歯磨き、寝かしつけの、寸暇をみつけながら読み進めて今、全体の1/5あたり、密度高くたくさんある伏線らしきものと、主人公の鈴子のこれまでのウェットな半生とを噛み締めております。
こ・れ・は・す・ご・い
最後まで読んだらなにか大変なことになりそう…私が。
取り敢えず今夜は完徹しないように我慢します。
>>>調べてすぐ分かることで、知識獲得は十分であるとplusさんは言う。
>>・・・学とみ子の書いていることはお粗末だと言っているだけですね。
>こういう悪口のための悪口は、あまり意味がないですね。
>お粗末だというのは、plus印象にすぎません。
>plusさんが、自身独自の印象を、社会全体の評価と勘違して、しばしば作文しますね。
>端からみればミエミエなんですけど、やっぱり、plusさんは書いてしまうのです。
>スモールワールドの住人に甘んじています。
https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1566.html
学とみ子 2021年7月17日 9:30頃確認
plus印象にすぎないかどうかは、学とみ子が引っ張ってきた元の文章と照らし合わせれば各人判断できるでしょ。
それができるようにいつでも元の文章はこれですとわかるようにしているんですね。
透視図法という言葉だって各人調べることができるんですね。ピエロ・デラ・フランチェスカが書いた書物にどういうことが書いてあるか、ダヴィンチの手稿にどのようなことが書いてあるかだって簡単に調べられるんですよ。
桂報告だってSTAP論文だって各人読むことができるんですよ。
調べないのは学とみ子さんとぺるちゃんだけですよ。学とみ子の言説というのは随分前からそういう自分で調べる能力のないほんの一握りの人だけしか読んでくれていないんじゃないですかぁ?世の中の大部分がそういう劣った能力の人ばっかりであるとたかをくくって生きてきたんじゃないですかぁ?
そういう慢心のもとで平気でデタラメを言って生きてきたんじゃないですか?
それでデタラメを述べるたびに一人また一人と支持者が減ってきたのでしょ。学ブログからごそっとコメントが減ったのはTCRですな。セレクションでもいいなどと言ってからはほぼ誰もいなくなったのですね。桂報告には事故だと書いてあると述べて以降は一言居士氏とぺるちゃんには学とみ子はSTAP潰しの工作員でわざと愚かなことを書いていると言われている始末。
今や学とみ子の説に同調している人なんてひとりもいないじゃないですか。学とみ子ワールドはスモールワールドどころか一人ぼっちですな。
>一研究者ブログの3998のペルドンさんも言ってます。
>>plus99%ちゃんに話す為には、ある程度の知識は覚えてもらわなきゃならないからさ・・・
これの馬鹿さ加減を学とみ子さんにもわかるように説明しましょうか。
ダヴィンチが透視図法と遠近法を同一視したというのはルネサンス期の芸術家としてごく普通のスタンスですが、これは何を意味するのか考えればいいのですね。すなわち透視図法だけが正しい遠近法だとダヴィンチは述べているのですね。
この考え方に準拠するとヒエロニムス・ボスの描いた絵なんか間違った遠近法で描かれた劣った絵画であるということになるのですね。この思考法はヨーロッパにおいてはその後300年も支配的で、その間ルネサンス以前の美術は破損し失われるにまかされたのですね。
写真の登場によって絵画の存在意義が怪しくなると、画家たちは写真ではできない表現を求めはじめ、透視図法以前の絵画表現を求めてルネサンス以前や東洋画の平面的な表現が見直され、それらの美術が用いていた空間表現までが試されるようになったのですね。それで遠近法と透視図法は区別して言い表されるようになったのですね。
ペルちゃんがボスの絵には遠近法があると述べるなら、それは透視図法以外の遠近法表現があるのだという認識、遠近法と透視図法の区別をつけるようになって以降の美術評論の言葉を使用するべきだということですね。
ところがペルちゃんには美術史の大きな流れの知識がないからあのような恥ずかしいことを書き散らしているのですね。自分が拾ってきた文章の断片では用語がどのようなパースペクティブにあり、教科書の記述はどのようなパースペクティブから語っているのか、俯瞰してすり合わせる能力がないと言われているんですね。
そのくせテンペラ画がすきとかなんとか述べているんですな。日曜画家向け絵画教室レベル。
>すみません。学とみ子が考えるに、美術学の教官たる人が素人とは一線を画する人とは、他の人が言わない、言えない見解を述べられる人だと思うのです。
>plusさんは、そうした原著をそのまま読むことができるのでしょうか?
>大学教育レベルで学べない程、相当の語学力が必要だと思うのですが、それを獲得してきた方ですか?
>原著を当時のままに読めるplusさんなら、やはり、そこまでに至るまでの努力は素晴らしいと思います。
私がピエロ・デラ・フランチェスカの原著を読んだか?読んでおりませんな。
その時代の画家にとって読むのは困難であったか?イタリアの画家にとってイタリア語は問題ないのですね。理解が困難かどうかはわかりませんが。多くの画家が読み、理解できたひとは生き残り、理解できなかった人は仕事がもらえず廃業して行ったんですよ。
学とみ子さんはお医者さんだそうですが、学生時代にヴェサリウスのファブリカの原著を読んだんですか?それでなくてもいいですが医学部では医療の黎明期の偉人の原著を原語で読むんですか?
そんなことはしないでしょ。現実の医療行為を学ぶのには労多くしてほとんど役に立たないからですね。しかし、過去の医学者たちがいつ、誰が、どのような時代背景の中でどのように困難を乗り越えどのように医学を切り開いてきたかは教わるでしょ。歴史を学ぶことは現在の知識が将来に向かって変化していくということを教えて常に研鑽を続けなければならないことなど、学ぶべきことがあるからですね。
どの分野だって同じだと思いますよ。
現代では、ピエロの時代より作図方法も洗練されており、簡単に間違いのない方法を日本語の書物数ページほど読めばいいだけですね。
それと別途にその作図法が美術の歴史をどのように変革したかも簡単に日本語で読むことができますな。
くだらないことで人を誹謗しようとしないことですよ。自分の精神性が貧しいことを示すだけだからですね。
カスカスに見えているのは学とみ子さんではないですかねえ。知識があればそのようには考えないと言いながら、どのような知識がその判断の根拠になっているのか示すことができないですね。
知識がある人はここのこれを読んで見てくださいと親切に示してくれるひとが多いですが。素人にはわかるまいなどと言うひとに限ってカスカス知識なものですが。
>学とみ子は、plusさんを追求しようとして聞いたのではなく、plusさんは、美術に関しては相当の基礎知識がある方なのか?を、聞きたかったのです。どういう勉強をするのかな?の質問です
はあ?
「ネット検索して、すぐ学者になってしまうplusさんです。」とか
「学とみ子がため息ブログを通じて知った人たちは、知らないのに知ったつもりになる人たちでした。」
とか書いて置いて
「どういう勉強をするのかな?の質問です。」だと受け取る人なんていないでしょ。
自分が書いている文章を読みかえしたらいかがなものかと。
その日本語能力では日常生活すらまともに送れていないのではと心配されるところですな。
>4008
>意味深淵でわかりかねる。
遠近法は古代ギリシャからあったし、北斎の浮世絵にも、見事な遠近法があると思うけれど、北斎は遠近法と言う言葉は恐らく知らなかったと思うよ。だから、認識出来、言葉が成立した以後の言葉を使えと言われても・・・
だからぺるちゃんは、ルネサンス以前と以降で遠近法がどう違うか見てわからないんでしょ。
日本美術の遠近法と西洋絵画の遠近法がどうちがうか見てわからないんでしょ。
それでよく中世の美術がどうのと語るね。
お気の毒。
世の中にはそれを見分けられる人はたくさんいて、違いを述べるための言葉はきちんと用意されておりますよ。「透視図法」という言葉はその一つだと何度も書いた通り。
ではもplus99%ちゃんが、説明してくれないか・?・・・(>4009)
世の中にいくらでも説明したものがあるでしょ。ばかばかしい。
よくそんなで名画を見てきたと自慢するなとあきれるばかり。はいさよおなあら。
>アハハハハハ・・遂に逃げ出した。お尻を捲って・・・(>4010)
負け犬の遠吠え。
そういうのをばかのひとつおぼえと言うんですよ。
sighさん
これと同じコメントが承認待ちとなりました。メアドの打ち間違いだと思います。お手数ですが削除をお願い申しあげます。
おまけ。
江戸時代の日本では渡来品から透視図法はすでに知られていますね。使いこなせたかはともかくね。
北斎は北斎漫画で透視図法の手本を書いていますね。
遠近法とは言わなかってでしょうが中国の山水画では三遠と言って遠くにあるように見せる3つの技法が知られていて日本画は室町時代あたりからそれを取り入れているのですね。雪舟あたりをみるとよくわかりますね。
それ以前に大和絵の主たる描法である平行投影と重ねによる遠近表現があるのですね。
おしまい。
前回のコメントにケリをつけたく存じます。
×こ・れ・は・す・ご・い
○こ・れ・は・す・ご・す・ぎ・る
「竜とそばかすの姫」(小説版のほう)
序破急の急の冒頭でガツーンと頭を殴られたような気がしましたね。
丹念に読み込んで結末への予想を何本も考えたのに、全部、おお外れ!
これ、劇場版を映画館で見ていたならば唖然とするばかりではなかったかと。
すごいなあ。
ファンタジーではありませんでした。
美女と野獣ではありませんでした。
同監督の「サマーウォーズ」における『オズ』と「竜とそばかすの姫」における『U』とは、物語上での役割は真逆でした。
これは良質のファンタジーを装った良質の現実の物語でした。
細田監督作品の入道雲は、今回もまた、美しい。
それは成長の物語だから。
―――
話は変わりますが。
本日届いた役所からの通知によれば。
母は二階級特進の模様です。
要介護3から要介護1になりました。
数が少ないほど「軽症」と思って頂いて結構です。
……
交通事故で骨盤骨折と脳内出血を煩った母は、当初、ケアマネから
「要介護4の認定を急ぎますね。寝たきりになるでしょう」と言われたものですけれど。
車椅子も買ったし介護用ベッドも用意したし。
それが今、要介護1に。
――
使える公的サービスはなんでも使う貪欲戦法。
高タンパクに特化した栄養計算のもとでのメニューで食事改善。(固形物を食べると吐いてしまうところからスタートしてます、今は、オニギリや刺身もおいしそうに食べます、まだ繊維質は吐いちゃうけど…)
理学療法士や言語聴覚士さんによる訪問リハビリテーション。
薬害で中枢神経をやられていたので認知機能がダウンしていたところを、マズイ薬の減薬や断薬、認知機能改善の薬の投薬で少しづつ方向転換。
日々の運動・歩行。
日々の1時間ドライブで脳へ刺激。
はあ…
最初はですね。
歩けるようになった頃から洗濯物干し場を抜けてサッシを開けて庭に脱走し、雪の降るなか、道端まで出て、側溝にまたがってお尻出して排便してたんですよ、目を離すと。
四季の区別なんてつかなかった。
時間感覚もなかった。朝なのか夕方なのかわからなかった。
――
今は、時間感覚を取り戻し、月日を覚え、《今日は水曜日だから刑事コロンボを観るのだ》とまで言うようになりました。
近所の人たちからは「おかあさま、認知症がよくなってますよね」とか「全然、認知症には見えません」とまで言われるようになりました。
だって皆さんと普通に会話が成立するんだもの。
私の家事が滞っていると、ズバズバ指摘するようになってきて、それはそれでちょっと癪にさわるけどねえ。あれやれこれやれと。(実は凄いこと、これ、段取りを考える力がついてきたことを示すので。)
――
いろいろ書きましたが。
高タンパク!!
本当に大事ですよ!!
あと、肉体的にも脳ミソ的にも、刺激を与え続けること。プロの指導や援助を受けて。
ものすごーく楽になってきました。
>専門的な話をする時、その方がどういうバックグランドの人か自己紹介をするのはありだと思います。
私は知りたいと思ったので聞きました。科学知識とは無関係です。
はいはい。そういう質問であるとは読めませんね。日本語をきちんと勉強したらいかがでしょうと述べた通りです。
ルネサンスと透視図法の関係、透視図法とは何かというのは何度も言うように専門知識ではありません。かつての共通一次、現在の大学共通テストにも出るような一般常識です。検索するだけで簡単に説明がみつかりますとこれまた何度も述べている通りです。
透視図法は図法と言うんですから技術的な用語です。投影図法のうち、無限遠から発した光で投影するものを平行投影、有限な距離からの光で投影するものを透視投影と言います。中学か高校の技術家庭で製図の一項目として教えていると思いますよ。
透視図法がどうのという議論で脳科学がどうのと言ってしまうことは背伸びの知ったかぶり以外の何物でもありません。逆効果そのもの。恥をかいただけですな。
知りたいと思ったなら、一般常識ですから検索すればすぐわかりますと言うのだから検索すればいいのです。相手が専門知識があるかどうか詮索する必要などどこにもありません。学とみ子は知りたいなどとは思ってもいないということを示しているだけです。根拠もなくplus99%は知ったか野郎であると言いたい一心で絡んでいると示しただけですな。見苦しいだけの後付けの言い訳ですな。
M弁護士のツイート(フォロワーが少ない…。)。
https://twitter.com/mikikundesu/status/1314786331625627648
つまり、弁護団からしてもこの問題は終わったこととみなしているんですな。
外野が騒いだところで意味が無いですな。
>plusさんの反論が続きます。
だから学とみ子氏は自分のどこが頭が悪いのだかわかっていないと自分で書いているようなものですよ。
入試に出るようなものだから誰でも知っている、ではなく、誰でも調べればすぐにわかると言っているんですね。最初から、調べれば脳の関与なんて関係ないことがわかりますから調べてみたらいかがですかと言っているんですね。
学とみ子は、調べました、調べた結果このように脳の機能が関与していますよ、と述べているんじゃないんですね。未だに調べていないから脳の関与がぁと言っているのですね。だからバカ丸出しですよと言っているんですねえ。「脳の関与なる語で連想する事が、plusさんと学とみ子が違います」なんて書いてもアホかということなんですよ。
「plusさんの主張に興味を持ったから聞いたまでです。」なんてうそっぱちもいいところなんですな。
主張に興味を持ったなら、述べていることについて、誰でも調べればわかりますと言っているんだから検索ぐらいかければいいんですよ。私が書いた以上のことだってわかるじゃないですかね。興味があるんなら普通はそうしますな。
そうしたらどこにでも書いてあることを述べているだけであるとわかるんです。その原著を読んだんですか?などと尋ねることもないのですね。専門家でなければ知らないようなことを述べているわけではないとずっと言っているんですからね。
学とみ子がどういう人であるか示しているだけですね。述べていることが本当に独断かどうか調べもしないでplus99%は独断的な人間であると決めつけようとする人であるということですね。
くだらないことをして、それにくだらない言い訳ばかりしているだけですね。知識を得たいと思う人や知識のある人は決して行わないことばかりしているのに智者を気取っているからアホ扱いされるんですな。
plus99%さん
ご依頼のコメント削除しました。
学とみ子曰く:
というので前の記事で探すと
と、いうので当方が「遠近法・透視図法について科学的に解明されたかのような発言はすべきではない」というコメントしたら、反論してきて
だそうです。
というわけで、「私たちの視機能をからませ(た)コメント」などありませんな。「科学的に解明されたなんて、学とみ子は言ってませんね。」というのは正しいわけですが、その後、「関連性の指摘で十分だと思うのが、学とみ子の考えです。私が何か機能をコメントしているわけではありません。」だそうで、結局、医師だから視機能に言及してみたけど、なにも実質的な意見は言ってない、言えないわけです。
遠近法・透視図法とかに首を突っ込んだのは学とみ子なわけで、
と自分のことはさておいて当方を見当違いに非難するわけです。自分が持ち出しておいて、視機能は医学よ、医学なら私よと、高飛車になにか言いたかったようですが、何の知識も見解も無いので何も言うことができず、その後のplus99%さんのコメント「素人にはわかるまいなどと言うひとに限ってカスカス知識なものですが。」のように言われるわけですね。見抜かれています。
>こういうplus文章を読むと、過去においても、plusさんは、専門家を相手に戦ってきた経歴があるのではないですかね。
その時に、こうした言葉を吐いてきたのではないでしょうか?
だから、使い慣れているのだと思います。
ぷっぷー。
ただの妄想ですな。第一、学とみ子さんはなんの専門家でもないし。
「調べればわかるでしょ」などと言われるようなアホな事態に追い込まれるようでは専門家ではありません。
学とみ子という人は余りに何も知らないし、妄想ばかりしているということを示しているだけですよ。
単なるその場の思いつきで、知りもしないこと根拠のないことで人にマウンティングすることばかり考えるのはやめたらいかがかとずっと言っているんですけれどねえ。あなたはそういうことができるほどもともと頭が良くはないです。悔し紛れでしかないことは見え見えで、より軽蔑されるだけですよ。
学とみ子は今度の記事では安易に孫引きしているのに、引用が学とみ子の意見を支持しているわけではないというお粗末を示しています。
最初の引用は日経サイエンス2015年3月ですが、引用分は日経サイエンスの特集号の紹介ページで、これを読んで、日本と米国の記事の書き方の違いについて、情報源(引用元)を明らかにせず、恣意的な記事だと批判しています。確かに、該当ページには情報源が書いてありませんが、これは紹介ページなので、これを読んで、このような批判をするのは不適切です。該当雑誌の本文を読んで、情報源が明確でなかったら批判すべきです。手元に、この該当雑誌がないのでわからないのですが、著者の詫摩雅子氏、古田彩氏は本文で、例えば「自らデータを解析した1人の研究者」とは遠藤高帆氏のことであるのが書いてあるはずです。
これを無視して
と決めつけているのは学とみ子の偏見妄想脳の為せる技です。本文(原文)に当たれば情報源は書いてあるでしょう。
さらに東嶋和子氏 (科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)の記事を引用しています。この記事は 徳島次郎【著】の 生命科学の欲望と倫理―科学と社会の関係を問いなおす という図書の紹介記事です。この原著に当たることなく、紹介記事にある、原著の記載を引用しています。この原著を孫引きして、学とみ子の考え「STAP細胞はESねつ造であるとの情報がいくらでも、マスコミに流されていたことがよくわかります。」が事実であるかのように書いています。しかし、この紹介記事を読む限り、そのようなことは書いてないようですな。「ES細胞が事故ではなく意図的に使われた可能性が高い」という桂調査委員会報告書の結論は、マスコミがでっち上げたわけではありません。
学とみ子が桂調査委員会報告書を正しく読めていないだけです。
さらに、この学とみ子記事には追記が加わり、引用元の明らかではない記事「『月刊Wedge』. 2014/10/20 18:25.」の転載があります。しかし、転載部分を読んでもCDBの組織のあり方を問題にしているようで、「STAP細胞はESねつ造であるとの情報がいくらでも、マスコミに流されていたことがよくわかります。」という例になっていません。この転載部分を示すことにより「まるで反CDB上層部の学者が、記者に乗り移って書いた」としています。根拠のない妄想ですね。
この記事では、学とみ子は、2014年当時からES細胞を使った捏造実験であったというデタラメマスコミ報道がけしからんというが言いたいようである。しかし、この意見を裏付ける根拠となるマスコミの記事を引用しているつもりなのだが、そこには、例えば情報源が書いてないとかいう妄想に立脚しているだけ、他人の意見の孫引き、引用元が書いてないので、転載した部分がホントなのか明らかではないし、転載した意味がわからない、というかこの記事の趣旨というお粗末記事であるのがわかるだけでした。
意見を述べたいのなら、小説とは違うのだから妄想に立脚せず、原著にあたり、根拠を示してから述べるという基本を身に付けないと、皆様からの
との評価はひっくり返りません。
当方の上のコメントクを読んで、学とみ子は追記で反応しています。
は?「 記事を読んだ」と書いてある??ないでしょ。本来の記事ですよ。学とみ子がリンクで示したのは紹介記事で本記事ではないですよ。本来の記事を読んだの?
「マスコミは、その情報をどうして得たのか?ということが、全く、書かれていないのですね。」の根拠に日経サイエンス2015年3月のページから転載したわけで、この転載部分には情報源がありませんが、このページの本記事には、情報源が遠藤高帆氏であることが書いてあるはずです(手元にないから確認できない)。この記事で引用しているページには情報源が遠藤高帆氏であることが書いてあります。
それとも他の情報源なんでしょうかね?ほかには情報源が重要であるような部分ないようですけど。
学とみ子曰く:桂報告書を正しく読むと、fES1が混じったとは書かれていません。はい?誰もFES1が混入したとは言ってないと思いますな。混入したのはFES1由来細胞ですね。学とみ子はこうやって、妄想で藁人形を作って攻撃するわけですね。攻撃になってないのですけどね。
学とみ子曰く:ため息さんは、決してSTAP実験の真実に目を向けません。は?どこに当方は目を向けるべきなんでしょね?STAP実験の事実とはES細胞は事故で混入したという根拠はない、誰かが意図的に混入させた可能性が高いですね。
「小保方が悪いとの印象操作」とはなんでしょ?データ捏造したのは小保方氏、実験事実を提示できなかったのは小保方氏で、これは印象操作ではなく事実です。学とみ子はこれを否定するのですか???
そもそも、もしES細胞が事故で混入というのが事実だったらどうなるんですかね。
当方は頭がよろしくないですから理解できないのですが。
教えてくれませんか?
学とみ子は日経サイエンスの記事ではなくそのの紹介ページを引用してこれを読んでもわかるのは、ジャーナリストが細かい現場検証や証人を集めて書いたものでないということです。と詫摩雅子氏、古田彩氏を日本のジャーナリストの典型であるとして批判しています。なぜ本記事を読んで批判しないのでしょ?情報源にあたって記事を書けと主張しているのにです。
東嶋和子氏の記事を引用して「研究者の主導権のあった神戸CDBの状況が、他の科学者たちからどのようにみられていたかがわります。」と書いていますが、東嶋和子氏の記事は橳島次郎氏の書籍の紹介です。情報源にあたって記事を書けと主張しているのになぜ原著にあたらず、紹介記事を使って意見を言うのでしょうか?
このあとの月刊誌の記事(月刊Wedge)を大々的に転載し「この記事を読後の感想は、まるで反CDB上層部の学者が、記者に乗り移って書いたのでは?の印象です。」と言っています。しかし、引用元を、多分、https://wedge.ismedia.jp/ud/wedge/release/20140719の「■WEDGE_REPORT.1 コンプライアンス担当必読! 総括 理研の「闇」 解体論争で見えた深層」かと思いますが、明示していません。「ironna.jp/article/1100」とURLらしき記載がありますが、月刊Wedgeのページは有料でこのURLではないので、どこかのサイトの無断転載なんでしょうかね。いずれにしろ読めませんので、学とみ子の転載が正しいものか評価できません。購入する気はないですからね。
長々と違法に転載して、どの記述が「反CDB上層部の学者が、記者に乗り移って書いた」と学とみ子が評価したのか、一向にわかりません。学とみ子なりに解析して結論を出したのでしょうけど、それが書いてないので、転載が正しいのかどうかも不明なこともあるので読む気も起こりません。
学とみ子の次の記事では、上記の月刊Wedgeの記事の冒頭部分の記述とされる「カメラのフラッシュに照らし出された研究者の顔は苦悶にゆがんでいた。」を捉え「この記者は、事件関係者は真実を語らず、隠し事が多いから、苦悶にゆがんでいると言いたいのでしょう。」と解釈しています。どうしてそのような解釈になったのかの理由の記述はありません。この記者会見は「理研の改革委員会から突きつけられた提言」に対する記者会見で、その提言とはCDBの解体再編成ですから、その組織の執行部は「隠し事」があるから「苦悶にゆがん」だのではなく、これまで組織の執行部として働いていたことが否定されたから「苦悶にゆがん」だとするのが普通の解釈です。学とみ子はどうして「事実を隠している」から苦悶にゆがん」だと解釈するのでしょ?
「理研のESねつ造説の学者たちは、改革委員会に情報提供しています。」と断定する根拠、情報源はなんでしょ?「情報源にあたって記事を書けと主張しているの」ですから明示すべきです。できないでしょうね。デタラメ・嘘だからです。
さらに続くのはひどい内容です。なんと雑誌New Yorker のGoodyear氏の記事についての記載です。その情報源は、本来の記事ではなく、週刊現代の紹介記事です。学とみ子は英語ができないと言う人はいませんと他人の評価をでっち上げて自分は英語が読めると自慢しているのですから、原著にあたったらいいでしょうが。「情報源にあたって記事を書け」と主張している方のすることでしょうか?お笑いですね。
さらにひどいのは、転載部分を青字で示しているのはいいのですが、週刊現代からの転載の次の転載は、なんと月刊Wedgeの記事の転載なのです。なんの断りも無しに、前の記事からの転載が続くので、Goodyear氏はそんなことを書いているのかと、原著に当たった当方は馬鹿を見ました。
どうして(日本の)ジャーナリストが細かい現場検証や証人を集めて書いたものでないなどと批判できるのでしょうか。人様の紹介記事だけを読んで記事を書く神経が理解できませんな。
学とみ子は自分の主張に合うかと思うような記事を持ち出して来て、記事を解析して理由を述べることもせず・できずに勝手に解釈して、「私の考えはこのように正しいのよ」と主張するわけですね。要するに感情のおもむくまま、論理の無い。根拠の無い記事しか書くことができないわけです。擁護の方々を含め誰も学とみ子の考えになびく方が全くいないのがよくわかりますな。
しかし、何回も日本語ができないと言われているのにSTAP事件は、 CDBを追及し、解体を実行し、権力を示した人たちが多く存在していただろう。 というタイトルは何でしょうかね?
タイトルですから体言止めとか、文法に則ってない文でも許されるわけですが、きちんと最後が句点で終わっているのですから、独立した文のつもりなんでしょうね。「STAP事件」と「人たち」と、こんな短い文に主語が2つもある。小学生でも書かない文ですな。
助詞の欠落系なのでしょうかねえ
オリジナル:STAP事件は、 CDBを追及し、解体を実行し、権力を示した人たちが多く存在していただろう。
⇒全然だめ
添削1:STAP事件では、 CDBを追及し、解体を実行し、権力を示した人たちが多く存在していただろう。
⇒うーん、いまいち。
添削2:STAP事件には、 CDBを追及し、解体を実行し、権力を示した人たちが多く存在していただろう。
⇒うーん、いまいち。添削1よりましだけど。
添削3:STAP事件の影には、 CDBを追及し、解体を実行し、権力を示した人たちが、あるいは存在していたのではなかろうか、私にはそのように思えてならないのである…ただし、そのことを証明できる事実は見当たらないのではあるが。
⇒よし。
――
単なる助詞の欠落系ではなかった。
デジャブかと思っております。
学さんにおいては、概念の結合がゆるゆるなので、なんでもかんでもスグにくっつけちゃってこんがらがるんですよね。
透視図法について脳の機能をくっつけるとか
上は、かつて、新型コロナウイルスの、細胞への侵入経路について語っているときに、突然に、血圧の話になってしまうという記事を、学さんが書いてしまったという事件に、同じことだと思いますよ。
関係ないことをくっつけちゃう。
概念の結合がゆるゆる。
連想ゲームじゃないんだから、しっかりしてくださいな。
揚げ足取り
https://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1571.html
下極上 → 下剋上
げごくじょう を変換すると 下極上 となるから 下剋上 を げこくじょう と読めないのだろう。
ちなみにネットで調べると下極上(下剋上)の至なりとの説明があるが、この場合 かごくじょう と読むようだ。普通は使わない。戦国時代の文献を読んで勉強し、意識して用いたとは日頃の学とみ子の言動から判断はできない。
ハンニバル・フォーチュンさん
おっしゃるとおりで、今回の記事は、タイトルと記事冒頭の文面からみると、日本の雑誌、メデイアは米国のそれとは異なり、情報源、発言主を明示しないから、誰かの陰謀、あるいは国の権力者の意見に従って記事を書いていると考えることができるという趣旨かと思えます。しかし、後半は人様の記事の受け売り、転載だけで、結論は
というわけで、民主主義の危機に話がおよび、首尾一貫していないのです。
前半は、学とみ子の主張なわけですが、その根拠、具体例を示すことがないから、よくある陰謀論と同じく妄想になるわけです。
科学を議論したいというのに論理構成ができない方が、感情の赴くまま、誰もその意見に同意していないのに、同意している方がいるとの妄想のもとに書いているだけなんですね。
人様が読んでなるほどと言ってもらえるようにするためには、自分の作り上げたストーリーを、根拠を転載ではなく引用して自分の考えを裏打ちしつつ作り上げればいいのですが、そのようなことは考えることもないのでしょうね。
当方にそれができるかと突っ込まないでちょうだいね。
当方には気持ち悪いストーカーが2名いるようです。ちょっとメモのために利用したコメント欄をしっかり見ていました。頻回に当方のブログにアクセスされているようです。
先日、学とみ子の記事に対してコメントするにあたり、学とみ子が記事に転載している元記事のURLを提示しないので、探して得られたURLを、時間と作業するパソコン・スマホの都合で、長文を書けないという事情があって、memoとして仮に書いたわけです。このメモであったコメントを見てなにやら、ミスだとか、コメントがなかったことにしたかったのだろうとかいっている輩がいます。
自分の自由になるブログなもんで、ちとメモを置く場所がなかったもんで、ブログのコメントに memoと書いてさらにその調べたURLを書いただけです。書いたURLは現在のコメントにあります。エラーで、都合が悪くなってとかいう理由で、メモだったコメントを後で全面書き換えたわけではありませんので、妄想していただく必要はありません。
というわけで情報があるのに彼らの想像力の程度はたかが知れているのがわかります。
sighさん
流石に度が過ぎております。そろそろ法的措置をとられた方がよろしいのではないでしょうか。
お灸をすえないと多分一生あのままでしょう。
おおっ、【下極上】ですかっヽ(^○^)ノ
学さんの場合には、
ゲ*ゴ*クジョウ
と二音めを濁音で覚えていらっしゃったことかと…
――
〔ゲコクジョウ〕への当て字には、戦後の 下〔克〕上 があるのですね、下剋上の剋の字が、常用漢字から外れているためにおきた当て字です。
似た現象では
戦前の「函数」が、戦後では「関数」になった例があります。
下剋上への当て字では、昔ながらのものとして
・下刻上
・下尅上
・下極上
などがあります。
下極上には、室町時代に2例ほど使用例をみつけることができました。うちひとつが以下で確認できます。
室町時代「大乗院寺社雑事記」には山城国一揆について〈下極上の至りなり〉と記されています。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/03062201/14-76/14-76-01.pdf
※もうひとつの用例も大乗院の坊さんによるものだったかと思います。
――
大乗院の坊さん、この【下極上】をなんて読んでいたかというと、なにぶんにもルビなぞない時代ですからハッキリとはわかりませんが、私が思うに…
ゲコクジョウ
と二音めを濁らずに清音で読んでいたに違いないと思います。
極を コク と読むのは極めて異例ですが… ふたつほど理由がありまして、私は清音で読んだと思うのです。
ヒトツメの理由。
亟という字の呉音が コク であることから、極にも呉音 コク がありうると大乗院の坊さんが考えたのではないか。
フタツメの理由。
現代も使われる、「病気がコウジテ」の動詞「コウずる」の漢字表記に、古くは「極する」というものがあること。
つまり、清音として「極(コク)」の音読みが成立していたところに、サ変動詞化されて、さらにク⇒ウと音便が使われたというもの。
――
とまあ色々あって、大乗院の坊さんは、ゲコクジョウへの当て字として、【下極上】を使ったのだろうなあと思うのです。
こういうのには誤用とはなかなか言いづらいものがあります。
――
同じ表記【下極上】であっても、大乗院の坊さんと、学さんとでは違うと思うのですよね、学さんのように
ゲ【ゴ】クジョウ
と二音めを濁音にしてしまう誤用は、ネット検索するとまあ、ゴクゴク少ないながらもありますが…
そういえば、あちらのブログ主はロッテファンだと思っていましたが、違うようですね。
2010年のプロ野球は史上最大の下剋上でしたなあ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
学とみ子が追記で曰く:STAP事件は、科学界のおごりとエリート意識が引き起こした事件です。
誇大妄想ですな。一人の科学研究などしてはいけない、それでもトレーニングされていればよかったかもしれないがその機会があったにもかかわらずすり抜けた方が、エスタブリッシュした研究者や組織執行部を騙した事件です。彼らが騙されちゃったが故にその所属組織が適切に対応できず、大事になってしまったわけです。さらに関係した研究者だけではなく一般人の一部も、医師とされる特定のアホも含めて騙されちゃったわけで、そのような医師と一般人が、事故だ陰謀だとか騒いだ(その一部がまだ騒いでいる)事件だったのです。これが総括で、この事件を普遍化して「科学界のおごり」とか「エリート」云々と話を大きくする妄想医師は、ボロクソに叩かれているのにもかかわらず、まだ騙されたことに気がついていないという喜劇なのです。
なにやら学とみ子は上記の当方のコメントを無断転載して記事を書いています。
無断転載、著作権違反なので抗議しました。
きっとFC2が言ってきたら考えますとか言うのでしょうね。遵法精神などない元医師ですからね。
英空母打撃群でコロナ感染者約100人か 日本にも寄港予定 | 新型コロナウイルス | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210715/k10013140121000.html
――
3700人ほどのワクチン接種済みの乗組員(屈強な軍人主体の!)のうち約100名が感染してしまった…
――
結局のところ、ウイルス曝露量が大であれば、ワクチンによる免疫力増大を凌駕するということ。
学とみ子曰く:セイヤさん、ペルドンさんなどの論客を刺激しそうですね。んが。体育館の裏でこっそり当方をボコボコにしたかったのに逆に校庭のど真ん中で皆さんが見ているところでボコボコにされたセイヤ、下着の色にしか興味のない変態が???
どこが論客なんですかな。擁護の論客とはこんなレベルの方々なんですか?
学とみ子曰く:やはり、ため息さんは、ESねつ造説を広めた責任を感じているのだと思います。はあ? 小保方氏がすり替えを行ったと考えるのが「合理的」であるとするのが普通の科学者ですね。当方が言い出しっぺ、広げたわけではありませんな。
当方の「エスタブリッシュした研究者を騙した事件です。」というコメントに対し学とみ子曰く:こういうことは現実にはありません。とにかく無能な人は、すぐバレます。プロは、一般人とは違う視点でものを見ています。「無能な人」とは筆頭著者が有能だということ?「プロ」とはシニアの研究者?誰のことか意味不明。4件の不正行為があるのをご本人も認めています。そのようなインチキ結果で、共著者が騙されて、論文が仕上がって、投稿したら編集者も査読者も現実にだまされて論文になってしまったという事実を認識できないわけですな。一般人の一部や医師だからテメーラと違って科学を理解できると称するのがいて、彼らも現実に騙されているわけですな。一般人の一部やと医師を自称する騙された方がなかなか騙されていることが理解できないのは、オレオレ詐欺の被害者の老婆と同じわけだ。
ぺるちゃんもかわいそうにね。
ttps://katura1.blog.fc2.com/blog-entry-1571
本をじっくりもくそも、そもそも読む能力があんたにあると未だに思っている人がいると思ってる?
Ooboe氏や学氏やセイヤは文章を理解してレスポンスしてると思ってる?
幸せなスモールワールドですな。
オシアワセニナ。
本をじっくり読む、というなら、遠近法と透視図法の違いについて知りたくてダヴィンチの「絵画論」に答えを求めるなら、「絵画論」を日本語に翻訳した人が「遠近法」と訳したことばをダヴィンチは原語ではなんと書いたか調べて、その言葉は当時どんな言葉だったか調べて、も一度ダヴィンチの書いたことをじっくり読むといいと思うなあ。知識を得るために本をじっくり読むというのは最低限そういうことですな。
Prospettivaという言葉をネットでぺろっと検索するんじゃ自分が批判しているのと同じことをやってるってことですけどねえ。plus99%がぺろっと検索した結果、この言葉には近いも遠いも全く含まれてはいない様でしたよと報告しておきますよ。
私はイタリア語もラテン語もできないから書かなかったけどね。
和英辞書で「遠近法」の訳語が「パースペクティブ」と出るからというのは「じっくり本を読む」に相当するか否か?
ぺるちゃんには人に自慢できるほどじっくり本を読む能力があるのかないのか、それって役だってるのかどうかよくわかると思うよ。
ぺるちゃんの読書力はハリボテ、に6000カノッサ。
ジョークでごまかして、そもそもこれに全く答えられないに12000カノッサ。
ま、絵を自分で見る能力もなかったことだしね。本だって活字を追うだけなら誰でもできるからねえ。。。
ほどなく、かつて教養自慢であったぺるちゃんという人はまるっきりの教養ゼロになるでしょう。
それで、ES細胞が事故で混入というのが事実だったらどうなるんですか?わたくし、あなたと違って頭がよくないのでわかりません。教えて下さい。
>4032
ぺるちゃん。
ほうらね。その程度。
本を読むとか言って日本語訳の文章にすらあたりもしないのだよね。
ダヴィンチの絵画論の日本語訳本を所有しているかどうかも怪しいものだと思うよ。
ネットで得た半可知識というのはご自分のことでしょ。
本でもなんでもいいけど読みなさい。
元のセンスのない者が何をいくら読んでも身にはならんと思うけどねえ。
知ったかぺるちゃん。
けけけけけけけけけけけけけけけ。
世界中の追試で、
「論文通りにやってみたけど、この酸浴プロトコルではES細胞のコンタミ事故が起きやすいようだねえ、こちらの追試では実際にそうなってしまったよ」
と報告した例は1件もないよね。
これすなわち、追試には反映できなかったところの、論文には書かれていない、謎の《小保方氏によるレシピ》を使えば、ES細胞のコンタミ事故が起こるということだあねえ………
以上が学とみ子理論からの帰結。
小保方ラボ内でしか、しかも小保方の面前でしか、ES細胞のコンタミが起きていないという事実は、学とみ子さんもよーく御存知でしょうね。
世界中の追試で、ESのコンタミが起きなかったことを、学とみ子理論ではどのように評価するのか知りたいですね。
理研小保方ラボでのみ、なにをどうやってもES細胞のコンタミが起きることを、学とみ子理論ではどのように評価するのか知りたいですね。
>要するに遠近法や透視図法は、1万数千年前、洞窟絵画でも使われている技法なんだよ。(>4032)
これはねえ、遠くなると小さく見える、ということと透視図法は具体的にどう違うのかをぺるちゃんは具体的に知らないという、ただそれだけのことなのね。
遠くのものは小さく見える。これは洞窟絵画でも見られるでもいいですよ。
キャンバス枠のようなものをいくつも作り、一直線にならべてトンネル状にして眺めるというスペキュレーションを行えばポンペイの壁画の見事な遠近法を説明できる。遠くのものは小さく見える、直線のものは直線に見える、結局このふたつの原理でヤンファンエイクまでのすべての遠近法を説明できてしまう。
透視図法というのは、では、大きさゼロになるのはどのぐらい遠くか?という疑問にも還元できる。
まあ、これがどのくらい意味を持つのかは絵を描いたことのない人にはわからんでしょうな。
ぺるちゃんの絵音痴は絵を描けないことに起因するのでしょうな。
目の前に現実にあるものを観察して描くなんていうのはいかにたやすいことであるか、これは決して見ることができないもの存在しないものを描きたいという欲求がなければ理解できようはずもない。現実にあるものを描いた絵なんて過去でも現代でもほとんど価値がないですからね。
断念するようにインストラクターに勧められたんでしょ。想像力がまるでないのでしょうな。目の前にあるものを描いても想像力のあるなしは画面に現れる。現実は余計なものだらけだからですね。
ま、そんなところでしょうな。
何百万もするオーディオを死んだ音と評したのと同じ、自分がどういうビジョンを得たいのかという思考なしに、芸術に金を投じればイコール触れた気になるという、スノビズム以外の何物でもないものに首まで浸かっているんだと思いますよ。
もう学とみ子はめちゃくちゃで、飼育しているマウス(・コロニー)と培養している細胞の区別もつかない。認知症と言われてもしょうがないのでは?
桂調査委員会報告書では129/GFP ESはFES1由来としているが、これに異議を唱える専門家を聞いたことがない。専門家が説明しない、自分の考えを支持してくれないとお怒りのようだが、それならば自分で勉強して、「FES1から129/GFP ESが短期間で生じる」ことは無いと説明すればいいだろう。できないから専門家に期待しているわけだが、学とみ子説を支持する専門家はいないので、単なるなにものねだりのわがまま老婆ということになりますな。
当方の学とみ子の記事がおかしいとの上記のコメントに対して学とみ子は追記で反論しています。
だそうです。そうでしょうか?
そもそもの学とみ子の記事は、学とめ子の発言をそのまま伝えているのではなく学とみ子の解釈を述べているとしか読み取れない。
学とめ子氏の発言ならきちんと発言部分を引用すべきなのだがそうなっていないので、学とみ子の意見としか読み取れない。
「偶発的な変異が周りの細胞に広がるには、一細胞の塩基突然変異はなんらかの有利性があったりする。すると、その細胞から分裂してきた1塩基突然変異細胞がその場所で増えて、集団を形成する。」と培養細胞で一細胞の塩基突然変異が発生すると、その細胞が繁殖するのに有利になるなど言う、学とめ子氏が言ってもない珍説を学とみ子が言って、
「継代培養に作業する人間が、その際、ちょうどその部分をすくいあげることがある。その結果、その塩基突然変異がその培養細胞の優位を占めるようになるのだろう。」と変異の生じた細胞を取り上げて継代培養するから、そのような変異のある細胞だけの培養細胞集団になるといっているわけだ。この後に続く文が:
「その飼育環境にいる近交系マウス全部が、その塩基になるのである。」
なのだ。どうして培養細胞が近交系マウスになっちゃうのか??「その飼育環境」と「その」とは指示代名詞で、この前の文に対応するなにかが必要なわけだが、培養細胞の培養条件に「飼育環境」という言葉は使われないし、近交系マウスは細胞培養して作られるわけはない。「その」が何を指しているのか意味不明である。このような発言を学とめ子氏がしたとは思えない。この後の文は
「こうした現象はあくまで培養細胞において得られる観察結果だ。」
というわけで、また細胞培養にもどるのだ。
この文の繋がりをみれば、学とみ子が培養細胞で生ずるDNA変異とマウスの近交系のコロニーで生じるDNA変異がごちゃごちゃになっているとしか読み取れない。学とめ子氏がそのような発言をしているとは思えない。
当方の批判に対して学とみ子曰く:
との質問の答えは、学とみ子の日本語文章の意味がわらないです。言いがかりでもなく、当方が何らかの末期的症状であることでもないです。
「学とみ子が日本語もできない、英語もできない」は言いがかりではなく事実です。
学とめ子氏の発言をきちんと引用し、どこが学とめ子氏の発言でどれが学とみ子の妄想なのか、改めて書いてみろ。
学とみ子が追記で昔の恥を恥と思わず
と「胚の遺伝子異常
完治感知能力」の件を再度持ち出しました。この「胚の遺伝子異常
完治感知能力」という学とみ子が持ち出した新しい言葉あるいはその概念とは、正常な子供ができるための大事な仕組みととらえて、動物の胚発生の無くてはならぬ大事な仕組みであり、(2018/12/24)胚の感知能力とは、誰も提唱しなくても、自然にうけいれられた現象。なんだそうです。当たり前なんだそうですが、そのような記述のある教科書を知りません。そして奇形児は、胚が正常に育つ感知能力のどこかに破綻があり、胚発生途中で細胞分化増殖にトラブルが生じて奇形となり、それでも生命力が維持されて生まれてきたのですよ。とのことです。奇形児はこの「胚の遺伝子異常完治能力」に欠陥があった結果なのだそうです。
「胚の遺伝子異常
完治感知能力」の存在の証拠は(2018/12/23(日) 午前 10:19)学とみ子毎日、多くの正常児が生まれ、奇形児は流産してしまうのが日常的にあって、ただ学とみ子はそれを言ってるだけなんだそうです。胚の感知力と言う言葉を聞いたら、正常な子供ができるための大事な仕組みととらえて、動物の胚発生の無くてはならぬ大事な仕組みなんだよね~との連想する事はできませんか?。という学とみ子の記事とコメントを読むと、学とみ子のこの「胚の遺伝子異常
完治感知能力」の説明のようなものがあります。当然当方のブログでは当方だけでなく複数の方からボロクソにたたかれたわけですが、なんとも思っていないようですね。太陽が東から登るのは「自然にうけいれられた現象」ですが、その理由は当初の太陽が地球を回っているからが地球が自転しているからに変わりました。「胚の遺伝子異常感知能力」が「自然にうけいれられた現象」であることを示した教科書等は無いわけです。流産、死産はよくあることで「自然にうけいれられた現象」でもいいですが、その理由が「胚の遺伝子異常感知能力」であるとは誰も受け入れていません。提唱されるメカニズムを教えてくれと何回もお願いしたのに、自明だとばかり拒否されました。
核になんらかの異常の生じた受精卵は育たないとは医師のいう言葉ではないですな。ダウン症候群は核に、染色体に異常のある疾患ですが、受精卵から育って、出産され、その後も育っています。その他遺伝子疾患と呼ばれる(出産に至った)疾患は山程あります。医師のつもりなんでしょうけど、医師が言う言葉ではないですね。
ぺるどん氏 wrote:
①「戦争を辞める」の表記は流石にありえないでしょう?
c.f. こうは書きませんよね?
「戦争が辞む」
②「より深刻に捕らえるべき」の表記は流石にありえないでしょう?
ここは【捉える】の一択。
③「それなりに身体を賭けている」の表記をしていて気持ち悪くなりませんでしょうか?
【進退を懸ける】あたりが穏当。
「身体」は勿論ダメ。「賭ける」は金品等を賭けての博打のとき。首相の地位は金品ではない。
④「終わり良ければ総て良し」
これは微妙だけど、新聞などでは【すべて】と表記してる。シェイクスピアの戯曲「All’s well that ends well」に遡るのだけれども、伝統的にその邦題は【全て】の表記を使っているよね。
⑤「古代ギリシャの様に各都市はオリンピック期間中は戦争を辞めたとの伝説がある」
なんかおかしくね? 日本語が。
「の様に」がおかしいんだよね、きっと。
―――
ぺるどん氏がかつて売文で生計を潤していたというのは本当なのだろうか…
こんな短文で変な表現がてんこ盛り。
当方の上記のコメントを読んだ学とみ子が追記で総じて違和感のある文章だ。とコメントしています。
どうして違和感があるのでしょ。当方のコメントの緑字部分は学とみ子自身の発言の引用であり、その部分を学とみ子が取り上げて「違和感がある」とはどういうことなんでしょ。
学とみ子曰く:
論理がなく何をいっているのかわからないのは当方だけではないかと思います。自分自身の発言に論理性がないのを感覚的に理解したから違和感を感じたのでしょうね。
さらにこういう発言もありました。当方の「体節とか体軸の決定に重要な遺伝子群、ホメオボックス遺伝子に異常があると死産になるがこれは胚の遺伝子異常感知能力」で排除されるとは誰も説明していない」という発言に対してじゃあ、なぜ死産になるの?どこで細胞死を判断してるの?細胞自身でミスを感知してるのでしょう?という質問です。なんか細胞とか胚が死に至るのに誰かの判断が必要だと考えているようです。これは学とみ子の一貫した、生命現象を擬人化して捉える(擬人化しないと理解できない)という考えに則っている事例ですね。
「胚の遺伝子異常感知能力」という言葉が奇想天外という人たちを集めたため息学派を主宰したら良いとのことですが、奇想天外と思っている方が圧倒的多数と思うので、つまり学とみ子の考えを否定する方ばかりなので、特に学派と呼ぶようなことがないのは自明で、逆に「胚の遺伝子異常感知能力」という言葉に意義を認める学とみ子学派を立ち上げるべきです。こちらも賛同者は誰もいないから学派が成立しないと思いますけどね。賛同者をみつけて胚の遺伝子異常感知能力学派」を作ってみたらいいでしょう。
また学とみ子からの追記があって
とのことです。
これは、学とみ子が核になんらかの異常の生じた受精卵は育たないと発言したことに対し、当方がダウン症候群は核に、染色体に異常のある疾患ですが、受精卵から育って、出産され、その後も育っています。「遺伝子異常のある受精卵は育たない」とは医師の発言することではない。とコメントしたことに対しての発言です。
ダウン症候群は体細胞の21番染色体が通常より1本多く存在し、計3本(トリソミー症)になる先天性疾患群であるというのはよく知られたことです。「遺伝子異常のある受精卵は育たない」などとデタラメを言うから、反論の一例としてダウン症候群を示しただけなのですが、医師として医学的記述を否定されるのはプライドが許さない、というか、何故ダウン症候群が出てきたのか理解していないので筋違いの発言をするわけです。
学とみ子の妄想脳というか、他人の発言に対する理解能力の欠如は理解し難いですね。
久々の新しい学とみ子の記事である。久々でもデタラメは変わっていない。
タイトルから判断すると、例の学とみ子説、”STAP細胞”は酸浴後7日間培養して実験に使われたのではなく、その後何日か培養が続けられその際にES細胞が事故で混入した、の培養期間を問題にしているかのような記事である。しかし、いつもの通り、タイトルと記事本文は一致しないのである。
冒頭から、「国、政治家、研究界、マスコミ界を巻き込んだ、一大イベントです。」とタイトルとは程遠いことから始まっている。そのあと、理研内での陰謀があって小保方氏は犠牲になったとの根拠のない主張である。
この後、一言居士氏批判が続き、一言居士氏の記事にNature論文のExtended Data Figure 7bの表が記事の内容と関係なくコピペされているのだが、この表を、原著から引用するのではなく一言居士氏の記事から引用している。なにを考えているのだろ?Natureの論文も読んでないと言われてもしょうがない。
この表持ち出して、ようやく記事タイトルにあることを言いたいようで
と根拠なく表のCulture period of SACs(STAP細胞のこと)は酸浴後の期間とは異なると言っています。酸浴後7日の細胞を使ったというのは撤回された論文にも、作ることのできないレシピにも書いてある。さらに、これは以前に学とみ子に言ったのだが、擁護の聖書のp90にも胞胚期の胚にSTAP細胞を注入するのは酸浴後7日間の培養してからと書いてあるのにこれらを無視するわけですね。
擁護の聖書である「あの日」をホントに学とみ子は読んでいるのだろうか?
タイトルのこの表の培養期間は酸浴後の7日間の培養期間とは違う、さらに培養した期間と言いたいわけだが、その根拠はどこにもない。妄想なわけだ。
次に
と一言居士氏の記事からの転載を示しているが、この紫字で示した転載部分は、一言居士氏はp209としているが、聖書のp207~209の丸々の転載である。なぜ、原著をあたらず、一言居士氏の記事からの転載なのだろうか?一言居士氏が引用・転載しているのなら、そして原著を持っているのなら、その引用・転載が正しいかどうかをチェックするのが当たり前である。一言居士氏の聖書から転載には「スペルメ」としているが原著には「精子」とある。何故「精子」が禁止ワードになる?
博士論文を書いた事になっているが、ホントに書いたのか疑わしい。もう40年も前のことなので論文の書き方など忘れたのだろうか。それとも博士論文のときから原著など読まず孫引きで済ませていたのだろうか?
またこの転載部分に下線を付け下線をひいた記載が大事だと思います。というわけだが、いつものように何故大事なのかの説明はない。
「小保方氏が自身でES、TSを混ぜたサンプルを作製していたなら、そうしたサンプルを、GRASに持ち込んだりはしない。」
小保方氏が調整したサンプルを持ち込んだと桂調査委員会報告書にあるのに無視している。
「桂報告書には、「(小保方氏の)不正とはいえない」との文言が何度も出てくる。」
小保方氏が実験事実、データを提供しないから不正とは断定できなかったことを無視して、小保方氏が不正をしたのではないと、嘘をつく。
「桂報告書30ページの”誰かが故意に混入した疑いを拭いえない”」を取り上げ、この発言は軽率だと主張する。軽率ではなく、状況を考えると事故エラーではありえないのだから、故意の可能性が高いとしたわけで、この発言を批判する科学者を知らない。「何の証拠も示せず、なぜ、そうしたことが言えるのか?」と学とみ子は言うが、事故より高い可能性を述べたわけで、学とみ子の妄想にそぐわないからけしからんと言っているだけなのだ。
「”誰かが故意に混入した疑いを拭いえない”の文言は、どのような経緯で報告書に入ったのか?の事情をしる人たちは、委員以外にもかなりいるはずだ。」と学とみ子は言うわけだが、委員会委員や関係者以外の普通の研究者も同じ考えであるのがわからないらしい。
というわけで、今回の記事も学とみ子のデタラメの終始した記事でした。
揚げ足取り
「これは酸浴機関7日間を示しています。」 → 酸浴は30分で、その後7日間という”機関”ならぬ期間、培養したのです。酸浴を7日間行ったのではありません。日本語がデタラメと言われているのだから十分注意しないと。
「都、実効再生産数50%以上の減少必要」、西浦京大教授 | m3.com
( https://www.m3.com/news/open/iryoishin/948811 )
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第一波のときよりも踏み込んで人流を抑える必要がありますね。
しかしながらその為には、もはや所謂「お願いベース」ではダメそうなので……個人的に慟哭しています。
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ほんとに哭きたい。
ハンニバル・フォーチュンさん
今日(8月5日)の東京都の感染者数が5千人を超えたようですね。
前の波のときは、知り合いの知り合いの知り合いが感染したという状況でしたが、いよいよ、知り合いが感染したという状況になってます。知り合いといっても、名前を知っている、顔を覚えていないけどみたことがあるはずくらいだけで、コンタクトしているわけではありません。
若者に聞いても、まだワクチン接種券(クーポン券)が来てないことになんのあせりもないようです。
もはやロックダウンして、ワクチンの普及の時間稼ぎをするしかないのでは?
>当ブログが実験ミスについての可能性を語り始めてからは、専門家たちは、当ブログを無視しています。
✖当ブログが実験ミスについての可能性を語り始めてから
〇当初から
よくも恥ずかしくもなく「STAP細胞を不正に作り上げたというような大それたねつ造ではないことは断言できる。 」などという、根拠のないデタラメをタイトルした記事を、そして学とみ子の承認制がmjもんたの罵詈雑言コメントを掲載する等の例を示して管理されていないことをコメントで批判された記事を、「今まで何十何百と間違いを指摘されても、一向に理解しない学さんの姿勢」とコメントされている記事を持ち出しますね。これらの批判に何も答えていない、反論していないわけですけど、新たに反論する今回の記事でもないようですな。
だから筆頭著者は混入事故を意識して記者会見でES細胞の混入を否定した発言があったのでしょ。事実とは異なったわけですね。
と英文コメントを転載してますが、2件とも、STAP細胞はOct4/GFPをtransgenic したmice を使ったためのアーティファクトでは?という意見でしょ。英語というか趣旨が理解できていないわけですね。
はあ?STAP幹細胞の性質が解析されたのです。撤回された論文に書いてあるでしょ。読めてないの??
引用した表がその結果でしょ。バラバラにして注入したのか塊で注入したかの違いでしょ。
あたりまえでしょ。酸浴後7日間培養したのをSTAP細胞としてすぐに実験に使ったのだから、さらに解析するための処理だけです。何を妄想しているのでしょ?
妄想もいい加減にしてほしいですな。増殖可能なSTAP細胞はなかったから、増殖可能な細胞に転換する試みがなされたわけでしょ。めちゃくちゃですな。
当然でしょ。事故による混入の可能性はありえないだろうと桂調査委員会は結論していますからね。根拠のない事故による混入説を唱えているのは学とみ子だけで、その妄想ブログを専門家の誰が相手にするでしょうか?感想さんによる「学とみ子は想いの人」との評価がこれを示しています。
そのような事実はありません。批判、無視しているだけです。攻撃する対象ではありません。学とみ子の妄想ブログのことを言っているのなら、デタラメばかりなので批判される、あるいは無視されるのは当然かと思います。
もう7年も経過していますが、該当する実力をつけた方とは誰でしょ?まさか「学とみ子」のこと???
英文コメントは、(学とみ子の転載では4年前となっているが、該当ページにアクセスすればわかるように現時点では7年前のコメントです)ES細胞の混入という事実が明らかになる前のコメントですから、当時これらの不正があったということを知らないコメンテータは現在では意見を変えているでしょう。撤回され不正が明らかになった論文に対して変えた意見をさらに述べる価値がないわけです。どうして4年前のコメントなどと嘘を平気で書くのでしょうか?
学とみ子のこの記事に追記があったので、こちらも更に追記を。
根拠は?
違うと思います。現在手元に須田氏の著書がないのであとで確認しますが、須田氏はきちんとTCRについて理解していると思います。キメラにTCRがないからSTAP現象が否定されたとする方はいないと思います、学とみ子が作った藁人形です。須田氏が「STAP細胞にはTCRがあるべき」と発言した事実あるいは著作の記述を引用すべきです。引用できないのは学とみ子がデタラメを言っているからです。この発言は学とみ子が嘘つきである証拠でしょう(あとで断定に書き換える予定*)。
だれも誤解していません。キメラにTCR再構成があるかのように論文に書いてあることが批判されたのです。TCR再構成があればSTAP現象の証拠になるが、再構成がないからSTAP現象を否定したことになると主張した方は、学とみ子曰くのES画策学者あるいはほかの研究者にいません。そのような発言をした学者を示すべきです。そのような方はいないので学とみ子の嘘です。
そのような事実はありません。誤解してマスコミに広げた学者とは誰でしょう?根拠を示すべきです。学とみ子の藁人形ですからね。そのような誤解して広めた学者はいないです。学とみ子の嘘です。
学とみ子が引用した英文コメントは、現時点から 7 years ago です。これを今日の日付の記事で
と書いたのです。
つまんないことですが、問題の Jeanne Pawitan 氏の英文コメントは2014年に書かれたもので、2018年に学とみ子は「4年前」と書いたわけです。これは問題ないのですが、2021年の現在の記事に「講師体験から4年が経過しましたから」と書いたわけです。学とみ子は「当ブログの2018年3月31日をコプぺしたので、今は7年前になってるので、学とみ子は4年経ったと言ってるんです」といっています。2018年から4年経過したら2022年ですね。算数もできない。
そして「学術的反論は、相変わらず、ため息さんは一切出来ないようです。」といっていますが、当方はこの英文コメントは、まだES細胞が混入したという事実を知らない時点での”Oct4/GFPをtransgenic したmice を使ったためのアーティファクト”の可能性があるという内容だと解釈したと書いています。科学的なコメントでないというのでしょうか?
はあ?すり替えてないよ。学とみ子は「コンタミが無いことをしっかり確かめなければいけない」といったので、当方は「筆頭著者はコンタミを意識して否定したが、事実は違った」と返したわけです。どこがすり替えているのでしょ?
学とみ子は「問題をすり替えている」「筋違いの返事だ」「藁人形だ」と批判されるものだから、当方の発言を同じように「すり替え」と批判するわけですね。すり替え、筋違い、藁人形の意味が理解できてないわけですね。
*追記
学とみ子曰く須田さんは、STAP細胞にはTCRがあるべきと考えています。これは嘘です。須田氏の「捏造の科学者」のp160にはTCR再構成の有無を持って「STAP現象が存在するか否かを厳密に検討することは極めて困難だ」という記述があります。須田氏がどこで「STAP細胞にはTCRがあるべき」と発言したのか明らかにすべきです。学とみ子は嘘つきですからきちんとした根拠を示さない限り嘘がまた加わったことになります。
sighさん。
> 若者に聞いても、まだワクチン接種券(クーポン券)が来てないことになんのあせりもないようです。
… 近所のじいさんばあさん達、中年の皆さん、若手の皆さんは、マスクをつけなくなりました。 誰もつけていません。
【赤信号。みんなで渡れば青信号】
ふぁあぁあぁ
いきつけの耳鼻科の看護師5名中2名が所謂鼻マスク。なにしてけつかる。
コメントが100件に近づき、この記事の後、STAPや学とみ子、コロナウイルスとは関係のない記事を書いています。この記事のコメント欄は閉じます。続きは飛びますが学とみ子は間違いを訂正しなかったことはないの方へどうぞ。